君を殺せば、世界はきっと優しくなるから

鷹尾だらり

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ヒーローの平穏は、誰に祈ればいい

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 雨足は何度か強弱を繰り返している。
 明日から始まるらしい夏に、いよいよ信憑性がなくなってきた。
 それから僕らは他愛もない話をして、昼休みを食い潰す。指導中のヤマナカのチャックが全開だったとか、反省文のテンプレートをネットから流用したら誉められたとか。
 主に氷雨が一方的に話して、僕がそれに時々笑う。うまく会話が出来ていると思った。
 その流れが死んでしまわない内に、僕は本題を切り出す。

「にしても、被害者の氷雨にまで反省文を書かせるなんて、ウチの教師はクソだよな」
「いーんスよー、誰かを助けるためなら。ヒーローは自分を犠牲にしたって突っ込んでくもんっしょ?」
「自己犠牲の上になり立つものなんて、大抵が偽物じゃないか」
「それでも、何もしないよりはよっぽどいーと思うんスよね」

 そんなことを、氷雨はごく当たり前のような顔で言った。その顔は謹慎初日から何も変わらない。
 どこまでも芯の強い少女だと思った。
 僕はため息をつく。

「なら、僕はお礼をしなきゃ気が済まないな」
「そーゆーのいいっスって~。てか受け取れないっスから」

 いつもの調子で笑う氷雨に、僕は作り物の微笑みを返す。

「じゃあ、これは僕からのお願いだと思ってくれ」

 キョトンと小首を傾げた氷雨に、僕は向き合った。
 釣られて氷雨も姿勢を正す。居づらい沈黙。
 動機がどうであれ、その言葉を遣うのはいつも慣れない。
 気恥ずかしくもあり、何より一時的であれ浮わついて見える自分が情けない。

「僕とデートしてくれないか」

 使い古された言葉だ。個人的にも、きっと世界的にも。
 何度噛み締めても、新鮮な熱が背筋を伝って頬に溜まっていく。

「どうだろう。嫌なら拒否してくれて構わない」

 僕は努めて冷静な言葉を繋げる。
 対して氷雨の返事は、ノートを見せる時のように軽かった。

「ああ、いいっスよ」

 これまでと変わらない、気の抜けた笑顔。
 けれどそれが彼女の能天気を証明しないことを、僕は知っている。

「ずいぶんあっさり言うんだな」
「あ、よぎセン恥じらってる方が好きなんでしたっけ。イッヤーン」
「もう二度と恥じらわないでほしい」

 わざとらしい上目遣いで体をくねらせる氷雨に、僕は溜め息を吐く。
 こんなにも下品な恥じらいは初めて見た。出来れば二度と見たくない。

「真面目な話。君は応える頼みを厳選してると思ってたんだよ」
「買いかぶり過ぎっスよー。アタシ猪突猛進なだけなんで」

 氷雨が顔で腕を組む。
 僕が何かを言う前に、彼女は思い出したように付け加えた。

「てか、よく誘われるんスよ。クラスの男子共から」

 「だろうね」と僕は頷く。
 明るくどんな人間にも分け隔てなく接する様は、よく言えば優しい。けれど傍から見れば、それは節操無しとも言える。
 思春期に退屈を持て余した男子にとっては、都合のいい遊び相手に見えるのだろう。

「遊び慣れてるんだな」
「よぎセンにだけは言われたくないっスよ、それ」

 適当に相槌を打つと、じっとりした氷雨の瞳が流れてくる。
 不貞腐れた声が僕の袖口を掴んだ。

「てか、アタシだって人は選びます」
「それじゃ、僕は選ばれたって訳か」
「まあ、そういう事になります。けど」

 氷雨は素っ気なく言おうとして、けれど最後に言葉をつまらせる。
 雨音に寄り添う、希薄な沈黙があった。
 しばらくの沈黙の後。細い指先で秋色の毛先を弄んで、氷雨が口をとがらせた。

「今の真剣な感じ、ちょっとズルいっス……」

 僕はとっさに言葉を返せずにいた。
 コマ送りの漫画のように氷雨の顔がうつむいて、ばらりとかかった長い髪が、微かに瞳を透かしている。
 ヘーゼルの瞳は湿っているように見えた。

「やっぱ、なしで。今の、なし」
「そうか。なら今の言葉は僕の宝物にしておこう」
「だからァ、なし! 発言そのもの、ナッシング、です!」

 食い付いてくる氷雨を躱して、僕は笑う。
 少しずつ、氷雨に対する感情に本物が混じり始めていた。
 僕にとってのそれは悲劇に近い。
 けれど他人の悲劇が滑稽に見えるのと同じように。僕の悲劇で整っていく結晶の発動条件が、いつか小規模的な平和に繋がっていくのだと信じたい。
 独善でもいい。
 この虚しい人生に意味が生まれるなら、きっとその瞬間だ。
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