41 / 119
ヒーローの平穏は、誰に祈ればいい
2
しおりを挟む
*
雨足は何度か強弱を繰り返している。
明日から始まるらしい夏に、いよいよ信憑性がなくなってきた。
それから僕らは他愛もない話をして、昼休みを食い潰す。指導中のヤマナカのチャックが全開だったとか、反省文のテンプレートをネットから流用したら誉められたとか。
主に氷雨が一方的に話して、僕がそれに時々笑う。うまく会話が出来ていると思った。
その流れが死んでしまわない内に、僕は本題を切り出す。
「にしても、被害者の氷雨にまで反省文を書かせるなんて、ウチの教師はクソだよな」
「いーんスよー、誰かを助けるためなら。ヒーローは自分を犠牲にしたって突っ込んでくもんっしょ?」
「自己犠牲の上になり立つものなんて、大抵が偽物じゃないか」
「それでも、何もしないよりはよっぽどいーと思うんスよね」
そんなことを、氷雨はごく当たり前のような顔で言った。その顔は謹慎初日から何も変わらない。
どこまでも芯の強い少女だと思った。
僕はため息をつく。
「なら、僕はお礼をしなきゃ気が済まないな」
「そーゆーのいいっスって~。てか受け取れないっスから」
いつもの調子で笑う氷雨に、僕は作り物の微笑みを返す。
「じゃあ、これは僕からのお願いだと思ってくれ」
キョトンと小首を傾げた氷雨に、僕は向き合った。
釣られて氷雨も姿勢を正す。居づらい沈黙。
動機がどうであれ、その言葉を遣うのはいつも慣れない。
気恥ずかしくもあり、何より一時的であれ浮わついて見える自分が情けない。
「僕とデートしてくれないか」
使い古された言葉だ。個人的にも、きっと世界的にも。
何度噛み締めても、新鮮な熱が背筋を伝って頬に溜まっていく。
「どうだろう。嫌なら拒否してくれて構わない」
僕は努めて冷静な言葉を繋げる。
対して氷雨の返事は、ノートを見せる時のように軽かった。
「ああ、いいっスよ」
これまでと変わらない、気の抜けた笑顔。
けれどそれが彼女の能天気を証明しないことを、僕は知っている。
「ずいぶんあっさり言うんだな」
「あ、よぎセン恥じらってる方が好きなんでしたっけ。イッヤーン」
「もう二度と恥じらわないでほしい」
わざとらしい上目遣いで体をくねらせる氷雨に、僕は溜め息を吐く。
こんなにも下品な恥じらいは初めて見た。出来れば二度と見たくない。
「真面目な話。君は応える頼みを厳選してると思ってたんだよ」
「買いかぶり過ぎっスよー。アタシ猪突猛進なだけなんで」
氷雨が顔で腕を組む。
僕が何かを言う前に、彼女は思い出したように付け加えた。
「てか、よく誘われるんスよ。クラスの男子共から」
「だろうね」と僕は頷く。
明るくどんな人間にも分け隔てなく接する様は、よく言えば優しい。けれど傍から見れば、それは節操無しとも言える。
思春期に退屈を持て余した男子にとっては、都合のいい遊び相手に見えるのだろう。
「遊び慣れてるんだな」
「よぎセンにだけは言われたくないっスよ、それ」
適当に相槌を打つと、じっとりした氷雨の瞳が流れてくる。
不貞腐れた声が僕の袖口を掴んだ。
「てか、アタシだって人は選びます」
「それじゃ、僕は選ばれたって訳か」
「まあ、そういう事になります。けど」
氷雨は素っ気なく言おうとして、けれど最後に言葉をつまらせる。
雨音に寄り添う、希薄な沈黙があった。
しばらくの沈黙の後。細い指先で秋色の毛先を弄んで、氷雨が口をとがらせた。
「今の真剣な感じ、ちょっとズルいっス……」
僕はとっさに言葉を返せずにいた。
コマ送りの漫画のように氷雨の顔がうつむいて、ばらりとかかった長い髪が、微かに瞳を透かしている。
ヘーゼルの瞳は湿っているように見えた。
「やっぱ、なしで。今の、なし」
「そうか。なら今の言葉は僕の宝物にしておこう」
「だからァ、なし! 発言そのもの、ナッシング、です!」
食い付いてくる氷雨を躱して、僕は笑う。
少しずつ、氷雨に対する感情に本物が混じり始めていた。
僕にとってのそれは悲劇に近い。
けれど他人の悲劇が滑稽に見えるのと同じように。僕の悲劇で整っていく結晶の発動条件が、いつか小規模的な平和に繋がっていくのだと信じたい。
独善でもいい。
この虚しい人生に意味が生まれるなら、きっとその瞬間だ。
雨足は何度か強弱を繰り返している。
明日から始まるらしい夏に、いよいよ信憑性がなくなってきた。
それから僕らは他愛もない話をして、昼休みを食い潰す。指導中のヤマナカのチャックが全開だったとか、反省文のテンプレートをネットから流用したら誉められたとか。
主に氷雨が一方的に話して、僕がそれに時々笑う。うまく会話が出来ていると思った。
その流れが死んでしまわない内に、僕は本題を切り出す。
「にしても、被害者の氷雨にまで反省文を書かせるなんて、ウチの教師はクソだよな」
「いーんスよー、誰かを助けるためなら。ヒーローは自分を犠牲にしたって突っ込んでくもんっしょ?」
「自己犠牲の上になり立つものなんて、大抵が偽物じゃないか」
「それでも、何もしないよりはよっぽどいーと思うんスよね」
そんなことを、氷雨はごく当たり前のような顔で言った。その顔は謹慎初日から何も変わらない。
どこまでも芯の強い少女だと思った。
僕はため息をつく。
「なら、僕はお礼をしなきゃ気が済まないな」
「そーゆーのいいっスって~。てか受け取れないっスから」
いつもの調子で笑う氷雨に、僕は作り物の微笑みを返す。
「じゃあ、これは僕からのお願いだと思ってくれ」
キョトンと小首を傾げた氷雨に、僕は向き合った。
釣られて氷雨も姿勢を正す。居づらい沈黙。
動機がどうであれ、その言葉を遣うのはいつも慣れない。
気恥ずかしくもあり、何より一時的であれ浮わついて見える自分が情けない。
「僕とデートしてくれないか」
使い古された言葉だ。個人的にも、きっと世界的にも。
何度噛み締めても、新鮮な熱が背筋を伝って頬に溜まっていく。
「どうだろう。嫌なら拒否してくれて構わない」
僕は努めて冷静な言葉を繋げる。
対して氷雨の返事は、ノートを見せる時のように軽かった。
「ああ、いいっスよ」
これまでと変わらない、気の抜けた笑顔。
けれどそれが彼女の能天気を証明しないことを、僕は知っている。
「ずいぶんあっさり言うんだな」
「あ、よぎセン恥じらってる方が好きなんでしたっけ。イッヤーン」
「もう二度と恥じらわないでほしい」
わざとらしい上目遣いで体をくねらせる氷雨に、僕は溜め息を吐く。
こんなにも下品な恥じらいは初めて見た。出来れば二度と見たくない。
「真面目な話。君は応える頼みを厳選してると思ってたんだよ」
「買いかぶり過ぎっスよー。アタシ猪突猛進なだけなんで」
氷雨が顔で腕を組む。
僕が何かを言う前に、彼女は思い出したように付け加えた。
「てか、よく誘われるんスよ。クラスの男子共から」
「だろうね」と僕は頷く。
明るくどんな人間にも分け隔てなく接する様は、よく言えば優しい。けれど傍から見れば、それは節操無しとも言える。
思春期に退屈を持て余した男子にとっては、都合のいい遊び相手に見えるのだろう。
「遊び慣れてるんだな」
「よぎセンにだけは言われたくないっスよ、それ」
適当に相槌を打つと、じっとりした氷雨の瞳が流れてくる。
不貞腐れた声が僕の袖口を掴んだ。
「てか、アタシだって人は選びます」
「それじゃ、僕は選ばれたって訳か」
「まあ、そういう事になります。けど」
氷雨は素っ気なく言おうとして、けれど最後に言葉をつまらせる。
雨音に寄り添う、希薄な沈黙があった。
しばらくの沈黙の後。細い指先で秋色の毛先を弄んで、氷雨が口をとがらせた。
「今の真剣な感じ、ちょっとズルいっス……」
僕はとっさに言葉を返せずにいた。
コマ送りの漫画のように氷雨の顔がうつむいて、ばらりとかかった長い髪が、微かに瞳を透かしている。
ヘーゼルの瞳は湿っているように見えた。
「やっぱ、なしで。今の、なし」
「そうか。なら今の言葉は僕の宝物にしておこう」
「だからァ、なし! 発言そのもの、ナッシング、です!」
食い付いてくる氷雨を躱して、僕は笑う。
少しずつ、氷雨に対する感情に本物が混じり始めていた。
僕にとってのそれは悲劇に近い。
けれど他人の悲劇が滑稽に見えるのと同じように。僕の悲劇で整っていく結晶の発動条件が、いつか小規模的な平和に繋がっていくのだと信じたい。
独善でもいい。
この虚しい人生に意味が生まれるなら、きっとその瞬間だ。
2
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
熱い風の果てへ
朝陽ゆりね
ライト文芸
沙良は母が遺した絵を求めてエジプトにやってきた。
カルナック神殿で一服中に池に落ちてしまう。
必死で泳いで這い上がるが、なんだか周囲の様子がおかしい。
そこで出会った青年は自らの名をラムセスと名乗る。
まさか――
そのまさかは的中する。
ここは第18王朝末期の古代エジプトだった。
※本作はすでに販売終了した作品を改稿したものです。
どうしてこの街を出ていかない?
島内 航
ミステリー
まだ終戦の痕跡が残る田舎町で、若き女性教師を襲った悲惨な事件。
その半世紀後、お盆の里帰りで戻ってきた主人公は過去の因縁と果たせなかった想いの中で揺れ動く。一枚の絵が繋ぐふたつの時代の謎とは。漫画作品として以前に投稿した拙作「寝過ごしたせいで、いつまでも卒業した実感が湧かない」(11ページ)はこの物語の派生作品です。お目汚しとは存じますが、こちらのほうもご覧いただけると幸いです。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
瞬間、青く燃ゆ
葛城騰成
ライト文芸
ストーカーに刺殺され、最愛の彼女である相場夏南(あいばかなん)を失った春野律(はるのりつ)は、彼女の死を境に、他人の感情が顔の周りに色となって見える病、色視症(しきししょう)を患ってしまう。
時が経ち、夏南の一周忌を二ヶ月後に控えた4月がやって来た。高校三年生に進級した春野の元に、一年生である市川麻友(いちかわまゆ)が訪ねてきた。色視症により、他人の顔が見えないことを悩んでいた春野は、市川の顔が見えることに衝撃を受ける。
どうして? どうして彼女だけ見えるんだ?
狼狽する春野に畳み掛けるように、市川がストーカーの被害に遭っていることを告げる。
春野は、夏南を守れなかったという罪の意識と、市川の顔が見える理由を知りたいという思いから、彼女と関わることを決意する。
やがて、ストーカーの顔色が黒へと至った時、全ての真実が顔を覗かせる。
第5回ライト文芸大賞 青春賞 受賞作
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる