君を殺せば、世界はきっと優しくなるから

鷹尾だらり

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本物のピエロ、或いは死神

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 *

 母もこれまでの恋人も、全て僕が殺した。
 それでも僕は一度も捕まったことがない。どの親も、自分の子供が解剖される選択を受け入れらなかったからだ。
 体内の結晶化は知られることなく、ただ娘を守れなかった無能として、僕は彼らに憎まれ続ける。
 全ては優しい世界のため。それでよかった。

 その計画が最初に綻んだのは、睦宮を殺した日のことだ。
 身体中の血を吐ききったと思うほどに大量の血を吐いても、睦宮はまだ息をしていた。

『嫌だ』
『死にたくない』
『助けて』
『見ないで』

 血の泡と、浅い呼吸。掠れた声が僕にすがり付く。
 僕はそれをずっと見つめていた。
 彼女が死ぬまでには二十分かかった。
 目に光がなくなっても、まだ僅かに動いていた。それが彼女の罰だった。そう思い込むことで、沸き起こる感情を圧し殺していた。

「思い出したかい? 睦宮菜月のこと」

 顎の髭を擦りながら、檜垣さんが言った。僕は肩に置かれた手を振り払う。

「……忘れたことなんて、一度もないですよ。檜垣さん」

 それは紛れもない本心だった。
 檜垣さんと初めて会ったのは警察署の取調室だ。
 睦宮菜月の死を通報した僕の名前は、真っ先に容疑者リストに記載された。なんでも、通報するまでの初動が遅すぎたらしい。睦宮が死ぬまでの二十分間。間違いなく同じ室内にいたはずの僕が通報したのは、彼女が死んでさらに五分が経ってからだった。
 高揚感と罪悪感でグチャグチャになった感情が、僕の罪を固めていたのだと思う。自分の意志で人を殺したのは、彼女が初めてだった。

「そいつァ何よりだ」

 檜垣さんの口許がニヒルに笑う。

「突然病気なんかで死んじまったんだ、さぞや悔しいだろうよ。それを恋人に忘れられっちまったら、死んでも死にきれねぇよなァ?」

 返す言葉は見つからない。ただ鳩尾に手を突っ込まれて、心臓を握り締められているような窒息感があった。
 少しずつ鳴き始めた蝉の声が、やけに遠く聞こえる。
 不貞腐れるようにベンチに背を預けた若が、タバコに火を着けて尋ねてきた。

「おい、知り合いか。ポリ公だぞこのオッサン」
「……ちょっとね」 

 答えながら、背中からじわりと嫌な汗が滲む。ベトベトと油のような、少しの風で悪寒に化けるような汗だ。
 若が最初の一息を吐き出してから、僕は言った。

「刑事さんだよ」
「……へぇ」

 途端、若の目が好戦的になる。
 視線はもう僕を向いていない。じっと品定めするように顎を引いて、油断なく檜垣さんを見据えている。

「おーおー、若いっていいねぇ。威勢十分じゃあないの」

 檜垣さんが笑う。

「ま、安心してくれ。オッチャン不良警官だけんどよ、一応そこの坊主を救ったヒーローなんだぜ?」

 つまりは、味方って訳だ。
 緩慢な動作で若に笑いかけ、自身もタバコを咥えた。風除けに火口ほぐちを包んだ無骨な手が、ライターの照り返しで微かに火照る。一口目の灰を吐き出してから、片頬を上げてニンマリと笑う。道化の笑みが、僕を捉える。

「なァ、『』?」

 心臓で、何かがギシリと音をたてた。
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