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25mプールの怪物

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 古い写真の褪せた黒のように、なり損ないの影法師が濡れたアスファルトにこびりつく。
 夕焼けに雨の残り香をまとった草木の、清々しい匂いを噛み締めて帰り道を歩く。

「うへー、これ洗濯メンドくさそ~」

 氷雨がパタパタと体操服の襟で仰ぐたび、海色の下着が僅かに覗いた。根本的に注意力が散漫なのだろう。
 今度は特に触れることなく、ヘーゼルの瞳に微笑みを投げかけた。氷雨との距離を縮めるために、ほんの少しの心配を織り交ぜることは忘れない。

「家の人に怒られる?」
「それはないっス。アタシも一人暮らしなんで」

 氷雨も一人暮らしだったのか。驚くと同時に、親近感を胸の底から手繰り寄せる。
 こういう時、普通の恋愛なら共感が生まれることを僕は知っている。

「ああ、確かに泥汚れは面倒だよな。洗濯機に入れる前に、ブラシやらシャワーやらで擦ったり流したり」

 これから帰って同じことをしなければいけない。僕が顔をしかめると、氷雨は「へえ」と目を丸めた。

「驚きも謝ったりもしないんスね、一人暮らしって聞いて」
「なにか謝った方がいい?」
「いーえ全っ然。ただ、面白い人だな~、って」
「それはどうも」

 とりあえず喜んでおいた方がよさそうだったから、真顔のままピースを返しておいた。
 氷雨は「なんスかそれ」と笑った後、感情のない言葉を並べる。

「フツーの人は、高校生の一人暮らしと聞くと複雑な家庭の事情を勝手に勘繰るんスよ」
「おかしな言い方をするな。まるで氷雨が普通の人じゃないみたいだ」

 彼女の言葉には、遠回しな自嘲が含まれているような気がした。人間なんて、たかが愛情一つで死んでしまうような欠陥品の別称に過ぎないと言うのに。
 氷雨が下手くそな顔で笑う。

「そっスね。フツーじゃないかもしれないっス」
「普通だよ。救いようがないくらい、君は普通だ」

 言うと思った。
 だから出来るだけ嫌味にならないよう、けれど覆い被さるように言葉を押印する。

「変わり者をつくるのは、いつだって自分勝手な「誰かの集合体」だよ」

 思い出す、嫌なことばかり。
 暴力でしか子供と向き合えない母親に、浮気していた中学時代の恋人、友人を自殺させた睦宮に、浅海。誰も彼も普通の人間だった。でも、僕にとってはみんな特別な人間だった。
 普通に誰かを思いやって、普通に誰かを好きになる。それが「普通」の人間がやることだ。
 なにもかも打算や殺意でしか動けない僕は、その普通にすらなりきれない。氷雨が言う所の異常者は、僕自身だ。

「なるほど~」

 氷雨がうなずく。いつものように僕の言葉を受け流すような、軽い口調で。
 けれどそのヘーゼルの目だけは真剣に、僕に微笑みを投げる。それは暴力的な冷気を纏っているような気がした。

「それなら、よぎセンも一緒ですよ」
「ああ、そうだといいね」

 僕らは笑い合う。なんとなくそれが作り物の笑顔であることは、きっとお互いにわかっていた。彼女を傷付けるまではまだ遠い。

「洗って返しますね、先輩の制服」

 少しだけ肩が触れた。
 作り物の笑顔で頷く。耳元で揺れたいつもより優しい声音に、震えた肩を誤魔化して。
 隣を歩く氷雨を、そっと斜陽に透かしてみる。
 どこか現実味を欠落させた完璧な顔が、ほんのりと色づいていた。
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