27 / 119
悪疫は取り除かれなければならない。
4
しおりを挟む
いってらっしゃい、と芽衣花は言った。
僕は彼女に違和感を抱く。
例えば、間違えてしまった国語の答案用紙みたいに。ついさっきまで怒っていた彼女が言うには、あまりにも朗らかな言葉だった。
「ホントは引き留めたかったんじゃないの」
若の背が完全に見えなくなってから、僕はタバコを一本取り出す。今度は没収されなかった。
「ええねん」
困ったように眉根を下げて、芽衣花が笑う。
「好きな人おんのやったら、応援したいやん?」
「幸せになってもらいたい?」
「それ。やから、私はえーねん」
舌打ちを飲み下す。
想いが強いほど気持ちを隠してしまって、隠せば隠すだけ相手を傷付ける。
それでも二人はお茶を濁し続けている。独り善がりなお子さまの恋愛よりも、ずっと質が悪い。
「相変わらず、気味の悪い笑い方だよ」
「知ってる。ごめんね」
僕は何も言わなかった。芽衣花を鼻で笑い飛ばしてから、目の前でタバコに火を着ける。ほとんど嫌がらせだ。
「それ、美味しいん?」
錆びだらけのベンチの隣に、しおらしい声が座る。
僕は嘘を吐く。嘘つきに教えてやることなんて、何一つありはしない。
「ああ、うまいよ」
「じゃあ一本ちょーだい」
吐き出した紫煙は、何の迷いもなく雨雲に溶けていく。薄情な煙を眺めて僕は言った。
「体に悪いよ」
「おいしいんやろ?」
「気持ちはスッキリする」
「じゃ、オトナの勉強ってことで一本」
仕方ない。今まで僕らが大人に睨まれなかったのは、芽衣花が黙っていてくれたお陰でもある。
僕は一本を取り出して芽衣花に手渡した。
「吸って」
「うん」
目一杯息を吸う。その始まりに合わせて、百円ライターの火を近付ける。上手く燃えない。
「鼻じゃなくて、深呼吸」
「え、あ、そうなん。こう?」
大袈裟なくらいの深呼吸。一拍遅れて──
「ゴッフォ!?」
凡そ女の子とは思えない声でむせ返る。
盛大にかぶった唾をティッシュで拭いて、ライターを仕舞う。
「大丈夫?」
「深呼、吸っ、ゴホッ、言うたやん……っ?」
テンプレートのように一頻り噎せてから、芽衣花が煙を吐き出す。
小さな、未発達の煙。右に、左に、どっちつかず。行く宛もなく昇っていくそれは、まるで誰かのおままごとを見ているようだった。
水に顔をつけるように恐る恐る、芽衣花が次を吸う。
「ぶはぁ~!」
大した煙も吸っていないのに、大袈裟な息を吐き出して。
それから彼女がポツリと溢した。
「……私だって、嫉妬ぐらいするわ、あんなん」
「そうだね」と返そうとして。けれど、出来なかった。
僕には芽衣花が泣いているように見えた。
涙を溜めた眦に、赤らんだ目。タバコを咥える赤い唇は微かに震えている。
失恋すると、人の唇はこんな風に震えるんだなと、初めて知った。
「煙のせいだね」
僕は目を逸らす。そしてタバコを吸う。
吐き出した僕の煙は、やっぱりすぐに雲に溶けていった。
僕は彼女に違和感を抱く。
例えば、間違えてしまった国語の答案用紙みたいに。ついさっきまで怒っていた彼女が言うには、あまりにも朗らかな言葉だった。
「ホントは引き留めたかったんじゃないの」
若の背が完全に見えなくなってから、僕はタバコを一本取り出す。今度は没収されなかった。
「ええねん」
困ったように眉根を下げて、芽衣花が笑う。
「好きな人おんのやったら、応援したいやん?」
「幸せになってもらいたい?」
「それ。やから、私はえーねん」
舌打ちを飲み下す。
想いが強いほど気持ちを隠してしまって、隠せば隠すだけ相手を傷付ける。
それでも二人はお茶を濁し続けている。独り善がりなお子さまの恋愛よりも、ずっと質が悪い。
「相変わらず、気味の悪い笑い方だよ」
「知ってる。ごめんね」
僕は何も言わなかった。芽衣花を鼻で笑い飛ばしてから、目の前でタバコに火を着ける。ほとんど嫌がらせだ。
「それ、美味しいん?」
錆びだらけのベンチの隣に、しおらしい声が座る。
僕は嘘を吐く。嘘つきに教えてやることなんて、何一つありはしない。
「ああ、うまいよ」
「じゃあ一本ちょーだい」
吐き出した紫煙は、何の迷いもなく雨雲に溶けていく。薄情な煙を眺めて僕は言った。
「体に悪いよ」
「おいしいんやろ?」
「気持ちはスッキリする」
「じゃ、オトナの勉強ってことで一本」
仕方ない。今まで僕らが大人に睨まれなかったのは、芽衣花が黙っていてくれたお陰でもある。
僕は一本を取り出して芽衣花に手渡した。
「吸って」
「うん」
目一杯息を吸う。その始まりに合わせて、百円ライターの火を近付ける。上手く燃えない。
「鼻じゃなくて、深呼吸」
「え、あ、そうなん。こう?」
大袈裟なくらいの深呼吸。一拍遅れて──
「ゴッフォ!?」
凡そ女の子とは思えない声でむせ返る。
盛大にかぶった唾をティッシュで拭いて、ライターを仕舞う。
「大丈夫?」
「深呼、吸っ、ゴホッ、言うたやん……っ?」
テンプレートのように一頻り噎せてから、芽衣花が煙を吐き出す。
小さな、未発達の煙。右に、左に、どっちつかず。行く宛もなく昇っていくそれは、まるで誰かのおままごとを見ているようだった。
水に顔をつけるように恐る恐る、芽衣花が次を吸う。
「ぶはぁ~!」
大した煙も吸っていないのに、大袈裟な息を吐き出して。
それから彼女がポツリと溢した。
「……私だって、嫉妬ぐらいするわ、あんなん」
「そうだね」と返そうとして。けれど、出来なかった。
僕には芽衣花が泣いているように見えた。
涙を溜めた眦に、赤らんだ目。タバコを咥える赤い唇は微かに震えている。
失恋すると、人の唇はこんな風に震えるんだなと、初めて知った。
「煙のせいだね」
僕は目を逸らす。そしてタバコを吸う。
吐き出した僕の煙は、やっぱりすぐに雲に溶けていった。
6
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
【完結】雨上がり、後悔を抱く
私雨
ライト文芸
夏休みの最終週、海外から日本へ帰国した田仲雄己(たなか ゆうき)。彼は雨之島(あまのじま)という離島に住んでいる。
雄己を真っ先に出迎えてくれたのは彼の幼馴染、山口夏海(やまぐち なつみ)だった。彼女が確実におかしくなっていることに、誰も気づいていない。
雨之島では、とある迷信が昔から吹聴されている。それは、雨に濡れたら狂ってしまうということ。
『信じる』彼と『信じない』彼女――
果たして、誰が正しいのだろうか……?
これは、『しなかったこと』を後悔する人たちの切ない物語。
どうしてこの街を出ていかない?
島内 航
ミステリー
まだ終戦の痕跡が残る田舎町で、若き女性教師を襲った悲惨な事件。
その半世紀後、お盆の里帰りで戻ってきた主人公は過去の因縁と果たせなかった想いの中で揺れ動く。一枚の絵が繋ぐふたつの時代の謎とは。漫画作品として以前に投稿した拙作「寝過ごしたせいで、いつまでも卒業した実感が湧かない」(11ページ)はこの物語の派生作品です。お目汚しとは存じますが、こちらのほうもご覧いただけると幸いです。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
瞬間、青く燃ゆ
葛城騰成
ライト文芸
ストーカーに刺殺され、最愛の彼女である相場夏南(あいばかなん)を失った春野律(はるのりつ)は、彼女の死を境に、他人の感情が顔の周りに色となって見える病、色視症(しきししょう)を患ってしまう。
時が経ち、夏南の一周忌を二ヶ月後に控えた4月がやって来た。高校三年生に進級した春野の元に、一年生である市川麻友(いちかわまゆ)が訪ねてきた。色視症により、他人の顔が見えないことを悩んでいた春野は、市川の顔が見えることに衝撃を受ける。
どうして? どうして彼女だけ見えるんだ?
狼狽する春野に畳み掛けるように、市川がストーカーの被害に遭っていることを告げる。
春野は、夏南を守れなかったという罪の意識と、市川の顔が見える理由を知りたいという思いから、彼女と関わることを決意する。
やがて、ストーカーの顔色が黒へと至った時、全ての真実が顔を覗かせる。
第5回ライト文芸大賞 青春賞 受賞作
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
心の落とし物
緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも
・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ )
〈本作の楽しみ方〉
本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。
知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。
〈あらすじ〉
〈心の落とし物〉はありませんか?
どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。
あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。
喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。
ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。
懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。
〈主人公と作中用語〉
・添野由良(そえのゆら)
洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。
・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉
人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。
・〈探し人(さがしびと)〉
〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。
・〈未練溜まり(みれんだまり)〉
忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。
・〈分け御霊(わけみたま)〉
生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる