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僕がヒーローになれない証明

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 久慈塚凱世と睦宮菜月は理想的なカップルだった。
 凱世はスポーツ万能なら、睦宮は成績優秀。周囲の人間は「お似合いだ」と祝福こそすれ、嫉妬する者はなかった。だからその関係に亀裂が走っていたなんて、誰も気付けなかった。

 夏が陰り始めた九月の頃、凱世は自殺した。

「アイツ、浮気されてたらしいわ」

 若にしては初めて、ケンカを売った日のことだった。
 傷だらけの頬をさすりながら、立ち寄ったコンビニの駐車場で若がポツリとこぼす。

「金も貢がされてたとよ」

 僕は何も応えない。
 物の順序も詳しい意味も知らない僕たちは、その日のケンカを「凱世の弔い合戦だ」なんて騒いで、二対四の状況で他校の生徒に殴りかかった。
 貧弱な僕は真っ先にされていて、その時出来た口の傷がたまらなく痛む。

「その金で浮気してたらしいぞ。ちょうどお前を殴り倒した奴とな」

 しゃべれなくても、腹は立った。
 そいつはふつふつと熱を上げて、胸焼けのような嫌悪感で神経を撫で付けてくる。

「止めとけよ。あの足じゃもうサッカーも一生出来ねぇし、どうせフラれんだろ」

 それでいいじゃねぇか、と若は言う。
 対して僕は何も言わなかった。チラリと若を流し見て、座り込んでいた縁石から体を引きずり起こす。若は追ってこない。

「俺だって殺してぇよ……」

 零れ落ちた声に振り返ると、若は咥えタバコで暮れかけの群青を見上げていた。その日はそこで別れた。

(いい訳あるかよ)

 そっと心に毒を混ぜる。
 本当は凱世と同じ目に遭わせてやりたいけど、この際男なんてどうでもいい。何よりの問題は、睦宮が幸せにやっていることだった。

 体の底で冷たい熱が沸いた。
 無性に何もかも叩き壊したくなるような衝動と、冷静なふりをする壊れてしまった思考回路。
 それを初めて「殺意」と理解した時。僕の取るべき行動も進む道も、自ずと決まったようなものだった。

 ──睦宮を、愛してみよう

 底辺校とは言え、睦宮は学内でもトップの成績を修めていた。
 成績も素行も悪い僕では釣り合えない。長い時間を勉強とアプローチに費やして、ようやく交際を開始したのは、凱世の死から二か月後のことだった。
 毎日勉強会やデートを楽しんで、時々静かな部屋で何するでもなく並んで座った。今になって思えば、それはキスやその先を待っていたのだと思う。
 けれど僕に、そこから先に進む勇気はなかった。
 ただでさえ凱世の恋人を寝取ったような状況なんだ。求められる恋人像に徹しようとする度に、僕の胸は有り得ないほど痛んだ。
 吐き気がした。自分が汚れてしまったのだと思った。それが耐えられなかった。
 だったらもう、僕は「僕」を捨てるべきだと思った。

「──やっとキス、してくれたね」

 中学三年も終わりが見え始めた一月。
 僕と睦宮はキスをした。付き合って三ヶ月目のことだった。
 淡いキスはスライムを詰めたように柔らかく、温い熱を孕んだ感触が唇に貼り付く。それが僕らの、最初で最期のキスだった。
 僕は吐き気を堪えて、はにかむ彼女に笑いかける。

「愛してるよ」

 瞬間、睦宮は少し後ろめたそうな顔をした。そのすぐ後に、誤魔化すようなキスが迫ってくる。

「うん、私も愛してるよ」

 それが最期の瞬間だった。
 一瞬、睦宮の喉が鳴る。むせこんだ飛沫に朱が混じる。
 咄嗟に口許をおさえた指の隙間から流れ出す、ドロッとした血の塊。

「へ、あっ、え……?」

 睦宮の声が戸惑いを孕む。
 予想通りだと思った。僕はすかさず距離を詰めて、耳許に囁きかける。

「苦しい?」

 呼吸の度に血が溢れ出して、か細い呼吸が耳を障る。僕の腕にすがり付いた睦宮が、何度も頷いた。

「凱世がどんな死に方したか。君、覚えてる?」

 肩口にぬるりとした熱が垂れる。
 力いっぱい彼女を引き剥がすと、寝首をかかれたような瞳が僕を捉えていた。

「首吊り自殺だよ。たぶん、今の君よりずっと苦しかったろうね」

 恐怖に見開かれた目。深い瞳孔に写った僕は、泣いているように見える。
 気のせいだと思うことにした。

「本当は、今すぐにでも絞め殺してあげたい。それか勝手に死んでろよって言って、帰ってしまいたい」

 睦宮の頭が何度も揺すられて、夜をちりばめたような長髪が、さらりさらりと宙を薙ぐ。
 忙しい奴だと思った。睦宮菜月はそういう女だ。
 いつも遅刻するくせに、僕を見つけると嬉しそうに微笑むんだ。
 勝手に溢れ出した思い出と感傷にフタをして、最後に彼女を抱き締める。

「……でもそれじゃ、凱世を死なせた君と同類になっちゃうからさ」

 僕は立ち上がって、彼女のベッドに腰を下ろす。
 足を組む。組んだ膝に頬杖をつく。 
 そして、睦宮を一直線に見据えた。

「だから、ただここで見てることにするよ」
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