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僕がヒーローになれない証明

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 釣られて向けた視線が、毛先を跳ねさせたワインレッドの髪を捉える。即座に「氷雨だ」と直感した。
 周囲の女子生徒たちにも見覚えがある。

「お前さ、マジいらんことやってくれたよね」
「スマホまだ返ってこないんだけど、マジどーしてくれんの? これ裏切りだよ?」

 彼女らは束になって氷雨を責め立てている。
 なじり方までもが、昼休みに中庭にいた一年生たちと一致する。
 ただその中に一人だけ他校の男子がいて、そいつが氷雨を塀に押し付けていた。

「いったたた……、あは、痛い痛い。やめてほしいなー」
「おーい隠すなよ顔。カメラ見なって」
「ほらピースピース、笑えよおい」

 氷雨が助けを求めても、誰も気にしない。
 苦しげな顔に複数のスマホが向けられていた。彼女を取り囲む顔はどれも酔っ払いみたいにだらしなく笑っている。

 即座に走り出した。
 若がすぐ後ろに着いて来る。

「やるんか」
「うん」
「どっちだ」
「男」

 短く言葉を交わす。
 打ち合わせなんていらない。若とは長い付き合いだ。
 一直線に走る。
 ばたばたとアスファルトを叩く音。靴から伝わる振動と、地面の硬さ。
 感じる感覚の一つ一つを集めるように、右手を握り締める。

「あ、センパ……」

 色素の薄い瞳が僕を見る。
 最初に気付いたのは、塀に押さえつけられた氷雨だった。次いで取り巻きの女子たち。
 そして最後。男がこちらに気付いたのは、僕が拳を振り下ろした瞬間だった。

 鈍い衝撃。
 肘から肩にかけて、痺れるような感覚が突き抜ける。
 男の鼻っ柱を捉えた右拳に、けれど痛みはない。
 汚い茶髪が跳ねて、見慣れない制服がスローモーションで沈んでいく。男の手が離れた瞬間を突いて、氷雨を背にかばった。

「ちょっと、大丈夫!?」

 取り巻きの女が叫ぶ。
 何をしていたかなんてどうでもいい。ただ自己中心的な奴が誰かを傷つけていた。その事実さえあれば、僕には十分だった。

「うぉ、おぁ……」

 地面に倒れた男が僕を見上げる。
 茫然とした目が、徐々に敵愾心を孕んでいく。僕はその額を蹴飛ばした。
 遅れて来た若が、男の胸倉を掴んで引き起こす。また殴る。鈍い音が響いて、鮮血が飛び散る。
 口か鼻か。それすら分からなくなるほどに男の顔が血だらけになるには、一分とかからなかった。

「え、ちょっと、なんでユウトばっかなの? 死んじゃうじゃん!」

 取り巻きの一人がヒステリックな声を上げた。気遣う割には随分遠いところにいる。止める気なんて毛頭ないのだろう。
 答えたのは若だった。

「お前ら、コイツがいなきゃ何も出来ねぇんだろ」

 僕らの手足は止まらない。
 女の瞳が、怪物でも見たかのように見開かれる。
 大方、昼休みの報復だったのだろう。自分は直接手を下さずに他校の生徒を使っているのなら、その「手」を徹底的に折ればなす術はなくなる。

「狂ってるって! おかしいって、マジないよ!」
「何言ってんだ、この場にまともな奴なんていないだろ。だったらこれも普通じゃねぇか、お気持ち表明ブス」

 若と取り巻きの温度差は埋まらない。
 一言多い若と、勢いだけで日本語が不自由な一年女子。話は通じないのだろうと思いながら、視界の端で動いた鳩尾を踏みつける。

「意味分かんない、 暴力とかイジメじゃん!」

 口を挟むつもりはなかった。
 ただ「氷雨の次はこの中の誰かにしよう」と思った。けれどそれとは別に、言葉が口を突いて出た。

「君らも囲んでたじゃん。この子痛がってたし、やってること何か違った?」
「でもそこまでやってないでしょ!」

 ヒステリックな声が耳を突いた。僕はそれを鼻で嗤う。
 暴行は止めない。若が殴って、僕が蹴って。最初は抵抗していた男子生徒も、五分もすれば涙を流して謝るようになっていた。

「スンマセン、スンマセン。勘弁してください、すんません……」
「謝る相手が違うな」

 氷雨の佇む方へ頬を蹴飛ばしてから、僕は女子たちに目を逸らした。

「結果があるから罪なんじゃない。行動に移した時点で罪なんだよ」
「はぁ!? 訳分かんない、先生言うから!」

 やかましい足音が遠退いていく。去り際の脅し文句はずいぶんと懐かしかった。
 僕らは全員の背中が見えなくなってたから手をとめる。

「氷雨だっけ。何かされた?」

 氷雨を振り返る。
 返事はない。その代わり、悲しげな瞳が僕を刺していた。
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