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雨に笑えば
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若とは駅の手前で別れた。
待ち合わせていた女子と原付に乗って帰る背を見送って、氷雨と僕は駅に入る。
「ねねね、パイセン。パイセンってば」
「なに。痛い」
興奮気味に肩を叩いてくる氷雨に、僕は振り返らない。何を言うかは簡単に予想ができた。
「ゴツいパイセンとニケツしてった人、あれ彼女さんスか?」
「そうだよ、先月のと違うけど」
若はいつも駅前の駐輪場に原付を隠して通学している。とっかえひっかえに出来る彼女との、共通した待ち合わせ場所みたいなものだ。
僕はふと思いついて、氷雨にカマをかけてみる。もちろん、氷雨が関わる自殺の噂について探るつもりだ。
「君にだっているか、いただろ。あんな仲の人」
「やーそれがニケツする人もいないし、出来たこともないんスよね~」
「意外だな」
「えマジっスか、アタシそんな彼氏いそうに見えます?」
目を輝かせながら氷雨が改札を潜る。
正直、顔だけなら彼氏がいてもおかしくない。けれど面と向かって「いたことがない」と言われれば、ああなるほどと頷くのは簡単なことだった。
それでも思ったままを言うと面倒事になりそうだったから、笑ってうなずく。
「ああ、うん。見える見える」
「いや絶対に思ってないっしょ。笑顔とセリフの温度差ヤバすぎません?」
白けた目で氷雨が僕を睨む。
僕は隣の改札に定期を食わせながら白状した。
「まあ、全く思ってないかな」
皆に優しいだけの人間なんて、自分に向けられた愛情にすら気付けなさそうだ。
それに、と付け加える。ここからが本題だ。
「君が学校でハブられてるの、知ってるし」
なんでもないことのように言う。
氷雨の肩がピクリと跳ねた。ホームへと続く階段脇で、降りてくる生徒を避けて僕らは立ち止まる。
「なーんだ。バレてましたか、へへ……」
はだけた素顔は、弱り切った笑顔を浮かべていた。
想定通りの反応だった。弱い笑みのままの氷雨が、自販機横のベンチにもたれかかる。
「今、どんな話になってんスか」
恐ろしいほどに感情の抜け落ちた声だった。氷雨から初めて聞くような声音に、僕はできるだけ温度のない言葉を選ぶ。
「同級生の男子を自殺させたとか」
「あぁ、やっぱり、そうなんだ」
雨に霞んだ遠くの山を見上げて、氷雨が呟く。不自然なまでに僕を映さない瞳には、微かな怯えが滲んでいた。
「パイセンは、どう思ってるんスか?」
「別に、何とも。どうせただの噂でしょ」
僕はこの時、真逆の可能性を全く考えていなかった。氷雨の噂は嘘であると思いこんでいた。
だから次に彼女の口から出てきた言葉に、僕はひどく動揺した。
「ホントのことっスよ」
氷雨は笑っていた。ひどく空虚に、そして疲れたように。笑うと言うよりは、ただ吊り上げただけの口角を僕に向ける。
「氷雨が殺したって言うのか?」
「直接じゃないっスよー、流石に」
氷雨の声が掠れる。
本人の口から答えを得ても、僕はそれが質の悪い冗談ではないかと疑っていた。ひょっとすると僕は、もう誰も殺したくはないのかもしれない。
「本物の人殺しがこんな田舎の高校なんかにいるワケないっしょ?」
僕は頷けなかった。本物の人殺しはここにいる。
それでも答えるわけにはいかなかったから、ただ氷雨の言葉を待っていた。
濡れたアスファルトの匂いが鼻を突いて、湿っぽい風がほんの一瞬雨脚を強める。風が収まる。
氷雨が口を開く。
「自殺させちゃったんですよ」
それは悲しいまでに完璧な、明るい笑顔で。
彼女の歪みから目を離せなくなった僕は、「ああやっぱり、こんなものが現実なんだ」と落胆して。それから、内心の迷いを捨てた。
氷雨茉宵を、愛してみよう。
待ち合わせていた女子と原付に乗って帰る背を見送って、氷雨と僕は駅に入る。
「ねねね、パイセン。パイセンってば」
「なに。痛い」
興奮気味に肩を叩いてくる氷雨に、僕は振り返らない。何を言うかは簡単に予想ができた。
「ゴツいパイセンとニケツしてった人、あれ彼女さんスか?」
「そうだよ、先月のと違うけど」
若はいつも駅前の駐輪場に原付を隠して通学している。とっかえひっかえに出来る彼女との、共通した待ち合わせ場所みたいなものだ。
僕はふと思いついて、氷雨にカマをかけてみる。もちろん、氷雨が関わる自殺の噂について探るつもりだ。
「君にだっているか、いただろ。あんな仲の人」
「やーそれがニケツする人もいないし、出来たこともないんスよね~」
「意外だな」
「えマジっスか、アタシそんな彼氏いそうに見えます?」
目を輝かせながら氷雨が改札を潜る。
正直、顔だけなら彼氏がいてもおかしくない。けれど面と向かって「いたことがない」と言われれば、ああなるほどと頷くのは簡単なことだった。
それでも思ったままを言うと面倒事になりそうだったから、笑ってうなずく。
「ああ、うん。見える見える」
「いや絶対に思ってないっしょ。笑顔とセリフの温度差ヤバすぎません?」
白けた目で氷雨が僕を睨む。
僕は隣の改札に定期を食わせながら白状した。
「まあ、全く思ってないかな」
皆に優しいだけの人間なんて、自分に向けられた愛情にすら気付けなさそうだ。
それに、と付け加える。ここからが本題だ。
「君が学校でハブられてるの、知ってるし」
なんでもないことのように言う。
氷雨の肩がピクリと跳ねた。ホームへと続く階段脇で、降りてくる生徒を避けて僕らは立ち止まる。
「なーんだ。バレてましたか、へへ……」
はだけた素顔は、弱り切った笑顔を浮かべていた。
想定通りの反応だった。弱い笑みのままの氷雨が、自販機横のベンチにもたれかかる。
「今、どんな話になってんスか」
恐ろしいほどに感情の抜け落ちた声だった。氷雨から初めて聞くような声音に、僕はできるだけ温度のない言葉を選ぶ。
「同級生の男子を自殺させたとか」
「あぁ、やっぱり、そうなんだ」
雨に霞んだ遠くの山を見上げて、氷雨が呟く。不自然なまでに僕を映さない瞳には、微かな怯えが滲んでいた。
「パイセンは、どう思ってるんスか?」
「別に、何とも。どうせただの噂でしょ」
僕はこの時、真逆の可能性を全く考えていなかった。氷雨の噂は嘘であると思いこんでいた。
だから次に彼女の口から出てきた言葉に、僕はひどく動揺した。
「ホントのことっスよ」
氷雨は笑っていた。ひどく空虚に、そして疲れたように。笑うと言うよりは、ただ吊り上げただけの口角を僕に向ける。
「氷雨が殺したって言うのか?」
「直接じゃないっスよー、流石に」
氷雨の声が掠れる。
本人の口から答えを得ても、僕はそれが質の悪い冗談ではないかと疑っていた。ひょっとすると僕は、もう誰も殺したくはないのかもしれない。
「本物の人殺しがこんな田舎の高校なんかにいるワケないっしょ?」
僕は頷けなかった。本物の人殺しはここにいる。
それでも答えるわけにはいかなかったから、ただ氷雨の言葉を待っていた。
濡れたアスファルトの匂いが鼻を突いて、湿っぽい風がほんの一瞬雨脚を強める。風が収まる。
氷雨が口を開く。
「自殺させちゃったんですよ」
それは悲しいまでに完璧な、明るい笑顔で。
彼女の歪みから目を離せなくなった僕は、「ああやっぱり、こんなものが現実なんだ」と落胆して。それから、内心の迷いを捨てた。
氷雨茉宵を、愛してみよう。
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