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雨に笑えば
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ほどなくして、氷雨が昇降口から姿を表す。手には財布を持っている。僕の予感は外れない。
「人殺しパイセンこんちゃーっす!」
人聞きが悪い。
「こんにちは」と返しながら、僕は隣でプルプルと震える若を小突く。
「なにか用?」
「パイセン、こないだジュース蹴っ飛ばされてましたよね?」
「ん? ああ。そうだけど」
予想もしない切り口から始まった会話に、脳内が疑問符で埋め尽くされる。混乱する僕を余所に、氷雨は財布から小銭を取り出した。
「はい、これで買えますよね。あの時のジュース」
「おい待てよ。なにこれ」
差し出されたのは百円玉と十円玉の組み合わせだった。座ったまま見上げた氷雨の顔が、困惑をプリントする。
「えだってパイセン、あの女子たちのせいでジュース無駄にしたじゃないッスか」
「あの後買い直しただろ」
「そりゃそっス。でもよく考えたらおかしいンスよね」
眉根を潜めた氷雨が、素早く僕の隣に座り込む。
立ち去ろうとする若のポロシャツを掴んで、続きを待つ。
「買い直すことになったのは蹴った牟田ちゃんのせいなのに、あの子一円も出してないンスよ。おかしくないですか?」
それは確かに、と思っても頷くことはない。元はと言えば、僕が浅海を殺したから起こったことだ。
僕は険しい表情を作って言う。
「だとしても、君が金を出す必要がどこにある。完全な部外者じゃないか」
「だって困ってたっしょ?」
我慢ならない言い方だ。何よりも、「当たり前でしょ?」と一般常識みたいに聞いてくるのが腹立たしい。
「ふざけるな、一年なんかに施されて堪るかよ。ヒーローにでもなったつもりか?」
一方で、いつまでこんなことを続けるのだろう、とも思った。
気に入らないものに噛み付いて、傷付けあって。威嚇することでしか自分を守れない弱虫のままでいる。いつまでも抜けきらない中学からの癖に、僕は辟易としていた。
男子生徒たちが廊下を走り回り、小雨がコナラの葉を叩く音だけが過ぎていく時間。見るからに萎縮した氷雨が、立ち上がって頭を下げてくる。
「失礼だったっスかね……スイマセン」
萎れたアジサイみたいだった。僕は舌を叩いて睨みつける。
「謝らないでくれ。嫌いなんだよ、それは」
正直、謝られるのは好きじゃない。
それは「許す」か「許さない」かの二択を強制させる言葉だ。
「消えてくれないか。僕は君に謝ってもらいたいんじゃない、君にされたことをとっとと忘れてしまいたいんだ」
「あ、あは。じゃあ、失礼します……」
ゆっくりと腰を上げて、氷雨が帰っていく。
去り際に、氷雨は無理して笑おうとしたのだろうか。どうでもいいことだ。微かに痛んだ胸の表面諸共、二度と現れないでほしい。
「バカな奴」
浮かせていた腰を下ろして、若は言った。
僕はイチゴオレの残りを飲み干す。
「僕が?」
「どっちも。お前だって一昨日助けられてただろ」
無意識に吸い続けたストローの先で、紙パックがべこりと凹んだ。
「わかってるよ、そんなこと」
中身のないイチゴオレを握りしめる。甘い飛沫が喉を叩く。
酸素のように重い泡が、ごぽりと胸の底で沸き立った。その感情はきっと、罪悪感なんかじゃない。
「人殺しパイセンこんちゃーっす!」
人聞きが悪い。
「こんにちは」と返しながら、僕は隣でプルプルと震える若を小突く。
「なにか用?」
「パイセン、こないだジュース蹴っ飛ばされてましたよね?」
「ん? ああ。そうだけど」
予想もしない切り口から始まった会話に、脳内が疑問符で埋め尽くされる。混乱する僕を余所に、氷雨は財布から小銭を取り出した。
「はい、これで買えますよね。あの時のジュース」
「おい待てよ。なにこれ」
差し出されたのは百円玉と十円玉の組み合わせだった。座ったまま見上げた氷雨の顔が、困惑をプリントする。
「えだってパイセン、あの女子たちのせいでジュース無駄にしたじゃないッスか」
「あの後買い直しただろ」
「そりゃそっス。でもよく考えたらおかしいンスよね」
眉根を潜めた氷雨が、素早く僕の隣に座り込む。
立ち去ろうとする若のポロシャツを掴んで、続きを待つ。
「買い直すことになったのは蹴った牟田ちゃんのせいなのに、あの子一円も出してないンスよ。おかしくないですか?」
それは確かに、と思っても頷くことはない。元はと言えば、僕が浅海を殺したから起こったことだ。
僕は険しい表情を作って言う。
「だとしても、君が金を出す必要がどこにある。完全な部外者じゃないか」
「だって困ってたっしょ?」
我慢ならない言い方だ。何よりも、「当たり前でしょ?」と一般常識みたいに聞いてくるのが腹立たしい。
「ふざけるな、一年なんかに施されて堪るかよ。ヒーローにでもなったつもりか?」
一方で、いつまでこんなことを続けるのだろう、とも思った。
気に入らないものに噛み付いて、傷付けあって。威嚇することでしか自分を守れない弱虫のままでいる。いつまでも抜けきらない中学からの癖に、僕は辟易としていた。
男子生徒たちが廊下を走り回り、小雨がコナラの葉を叩く音だけが過ぎていく時間。見るからに萎縮した氷雨が、立ち上がって頭を下げてくる。
「失礼だったっスかね……スイマセン」
萎れたアジサイみたいだった。僕は舌を叩いて睨みつける。
「謝らないでくれ。嫌いなんだよ、それは」
正直、謝られるのは好きじゃない。
それは「許す」か「許さない」かの二択を強制させる言葉だ。
「消えてくれないか。僕は君に謝ってもらいたいんじゃない、君にされたことをとっとと忘れてしまいたいんだ」
「あ、あは。じゃあ、失礼します……」
ゆっくりと腰を上げて、氷雨が帰っていく。
去り際に、氷雨は無理して笑おうとしたのだろうか。どうでもいいことだ。微かに痛んだ胸の表面諸共、二度と現れないでほしい。
「バカな奴」
浮かせていた腰を下ろして、若は言った。
僕はイチゴオレの残りを飲み干す。
「僕が?」
「どっちも。お前だって一昨日助けられてただろ」
無意識に吸い続けたストローの先で、紙パックがべこりと凹んだ。
「わかってるよ、そんなこと」
中身のないイチゴオレを握りしめる。甘い飛沫が喉を叩く。
酸素のように重い泡が、ごぽりと胸の底で沸き立った。その感情はきっと、罪悪感なんかじゃない。
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