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優しい世界の作り方

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 *

 僕が初めて人を殺したのは五歳の時だった。
 父は生まれた時から家にいない。母が妊娠してすぐに蒸発したらしい。
 身一つで子供を育てた母の苦しみを知ることは出来ないけれど、その日々が筆舌に尽くしがたい苦行であったことは、何となく想像できる。
 だから母が僕を虐待していたのは、ある意味では仕方のないことなのかもしれない。けれどまだ幼かった僕がそれを理解するには、あまりに人生を知らなかった。

 いつも僕の好きなカレーを食べさせてくれるのに、どうして母さんは僕を殴るのだろう?
 どうして母さんは僕を殴った後、いつも泣きながら僕を抱きしめるのだろう?
 母は言葉も心も通じない怪物のようで、けれど嫌うことは出来ず、僕はほとんど強迫的に彼女を愛した。暴力すら無くなれば、僕は見捨てられしまう。つまり「死ぬんだ」という恐怖によって、感情を誤作動させていた。

 そうして母が死んだのは、僕の六歳の誕生日だった。麗らかな春の昼下がりだったと思う。
 いつものように食器を投げようとしてきた母に、僕は「愛してます、大好きです、お母さん」と叫んだ。すると彼女は突然倒れて、そのまま二度と起きなかった。

 その日から、僕の世界は少しだけ優しくなった。
 まだ幼かった僕は、「愛してる」が世界を優しくしてくれる魔法だと思い込んでいた。
 けれど、今は違う。病の生んだ呪いの言葉であると理解している。
 それでも僕は、「愛してる」を囁き続ける。
 優しい世界を作るためなら、どんなに心を汚しても構わない。

 *

 スマホの着信音で目が覚めた。
 どうやら眠ってしまっていたらしい。脱ぎっぱなしにした喪服を、無遠慮に洗濯機の中で回す。
 母の夢を見ていたからだろうか。殺した恋人たちのことを考えていると、ふとある言葉を思い出した。

夜霧やぎりはさ、優しさと幸せがイコールだと思ってるんじゃない?』

 昔、そんなことを聞いて来た奴がいた。
 その時の僕がどう答えたかは覚えていない。
 それよりも忘れちゃいけないのは、そいつが誰よりも信頼していた恋人に浮気されたこと。そして自殺したことだ。
 ぐるぐると同じところを回り続ける洗濯機を眺めて、僕は忘れてしまっていた答えを呟く。

「幸せと優しさが別物だったとしても、どっちも欠けちゃいけないんだよ……」

 だから僕は優しい世界を目指すんだ。
 それは全体の幸福よりも、一人一人の幸せを尊重する世界。 優しさに依存する寄生虫も、自分の機嫌を押し付けてくるやつも、浮気者だっていない。
 悪人がいなくなった世界はきっと、消去法的に優しくなるはずだから。それを手にするためなら、僕はこの愛結晶ですら利用してやるつもりだった。
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