今この場所で君を

奈倉 蔡

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先には。

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「またね、さとる」

「うん…」

 彼女のみつきは、俺の返事に対して残念そうに去っていった。

 ……さすがにそっけなさ過ぎただろうか。

 そのまましばらく歩いていたら、向かい側から親子が歩いてくるのが分かった。子供は小学校低学年くらいだ。


「お母さん! 今日のご飯はなに~?」

 母親の手を、ぎゅっと握った子供が聞く。

「今日は…けんたの好きなコロッケよっ」

「やったああ!」
 
 母親の答えを聞いてはしゃぐ子供。俺はそのやり取りを横目に見ながら通り過ぎた。ちょっと前までは、こんな風景を見たとき、頬が緩んで微笑むことくらいはした。しかし、今はかわいいと思っても「それが?」って感じてしまう。いや、かわいいと思っているのかすらあやしい。

 その心情も彼女もこの謎なモヤモヤも、払しょくされることはなく家にたどり着いた。ドアノブに手をかけてひねる。一瞬、回りが悪い。…油を差さなきゃと思ったが、それは自分の心情故だと思いなおした。


「ただいま…」

 靴を脱ぐ。そのままリビングに向かった。

「さとる! 今日、先生に聞いたわよ!」

 母親がすごい剣幕で迫ってきた。その口ぶりから察するに、前回の全国模試のことだろう。

「何を?」

 なるべく目を合わせないようにして、カバンを置きながら、そっけなく返事を返した。なんのことだかわかっているのにだ。

「模試よ! なんて点数なのっ」

 そう言って突き付けてきたのは、模試の結果。先生から紙をもらったようだ。見てみると、全国偏差値54とある。自分的には悪くない点数だ。前回が48だった気がする。そう考えると、十分じゃないか。

「…前回より良くなった。次はもっと上に行けるように頑張るよ」

 俺の言葉に母親が顔を赤くする。

「まだ55じゃない! かなみなんて74よ。妹を見習いなさい!」

 …まただ。

 この母親はいつも、何かといってはかなみと俺を比較する。たしかに、かなみは頭がいい。東大だって今まで通りしていれば行けるだろう。

「毎回かなみと比較するのはやめてくれよっ!」

「うるさい! とにかく私の言ってることを聞いて、成績を上げればいいのよ。まったく…口答えなんかして……」

 母親は、ずっとブツブツ言いながら台所に行った。かなみを見る。…ゲームをしていた。俺がリビングでゲームなんてしてたら間違いなく怒鳴られる。

「ごはん、さっさと食べて勉強しなさい」

「上で食べるよ」

 お盆を受け取って、階段を登ろうとする。母親が何か言っている気がしたが、無視した。



「ちょっといいか?」

 開いた扉の方を見ると、そこには父さんが立っていた。

「何?」

「その…大丈夫か?」

 ……ちっ。

 どうやら俺のことを心配しているらしい。

「別に……」

 顔をそらす。見ているわけじゃないが、父さんの心情がわかる気がする。それにもまた、謎なモヤモヤを感じてしまうのだ。

「そうか……。何かあったら、相談乗るからな」

 扉が閉まった。階段を降りる音が聞こえる。それが完璧になくなってから、『バンッ』と思いっきり机をたたいた。手が痛い。でも、それを忘れるくらい心が痛かった。



||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



 スマホを確認する。母親の制止を無視して家を出てから、しばらくたった。店が閉まりきって、閑散とした商店街を歩く。最近はもう真冬のような寒さで、手を突き刺した。

 ……手袋持ってくればよかった。

 誰もが俺の邪魔をしない空間。そんなところにいると、考えたくないし、忘れていたいようなことを思い出してしまう。

 父さんは優しい。何かあったら相談に乗るなんて嘘っぱちだ。何かあるにきまってるだろ。その何かをそう思ってしまう。だからだろうか、父さんにも叫びたくなるが、叫びきれない。

 終わりのない思考を続けていると、線路の前にたどり着いた。

「いっそのこと……」

 轢かれるっていうのもありかな……。家に帰ったって、母親にしつこく怒られるだけ。父さんは何もしてくれない。いつまでもつらい日々が続くだけだ。いつの間にjか、手を刺していた痛みが気にならなくなっていた。

 線路に一歩踏み出す。一歩、また一歩歩くたび、考えたくないし、忘れていたいようなことを思い出す。世界は白黒になっていき、何物も区別がつかなくなった。すべてが同じに感じる。どうでもよくなったのだ。

 あと一歩で線路の中だ。そこで立っていれば、いずれ俺も白黒になる。

 突然、スマホが震えた。それが俺を現実に引きもどした。

 ラインが送られてきた。かなみから『母さんがすごい怒ってる』と。

 ……。

 いらだちが込み上げる。この期に及んで怒りしかしない。母親は俺を心配していないのだ。俺は息子ではないのかもしれない。そう思われているのかもしれない。
 
「あっ」

 数分前にもラインが来ている。みつきからだ。『今どこにいるの!?』と。


 
 
 電車が目と鼻の先を通っている。今更、カンカンカンカンと音が鳴っているのに気が付いた。驚きで倒れこむ。…一時の気持ちだけでは、死にきれないようだ。ついさっきまでの考えがありえないと、自分で感じている。俺は倒れこんだまま、電車が走り去っていくのを待った。

 喧騒が静かになる。電車が通り過ぎた。

「さとる!」

 線路の先にみつきがいた。手袋もマフラーもしないで、息を切らしながら立っていた。こんな夜に一人でいちゃダメだろ…と、状況に合わないことを考えてしまう。俺の頭は正常じゃないのだろう。

「よかった!」

 みつきが抱き着いてきた。それからしばらく無言で、泣いているのだろうか? 俺の服に顔をうずめている。

「……グスッ。本当に良かったよ……」

 その言葉を聞いて、心が満たされていくのを感じた。みつきの頭にしずくが落ちていく。俺の涙だ。わかった。居たんだ。俺のことを思って、行動してくれる人が。…すぐそこに。

 みつきの背に手を回す。温かい。そう感じた。
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