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アイドル転向!?
43話 卒業コンサート③~麻衣初ステージ~
しおりを挟むイントロが流れ始めた。もう何百回聴いたか分からないイントロだ。
『それでも、桜は咲いている』
WISHのデビュー曲だ。
イントロが流れ始めた瞬間に会場のボルテージも上がる。ファンの人たちもそれだけこのイントロが身体に染み付いているのだろう。
「ほら、みんな麻衣のことを待ってるわよ!」
社長が文字通り背中を押してくれた。
分かってる……みんなが私のためにポジションを空けてくれているのだ!
足の震えも、手汗も、口の乾きも収まりはしなかったが、それでもあの場所に立ちたいと思った。
一歩を踏み出すと、あとは勝手に足が動いて目的の場所に連れていってくれた。
踊るメンバーの脇を縫いその輪に入ってゆく。目指すポジションは0番、センターだった。
「流石にセンターは嫌です!あそこに立ちたいと思っているメンバーが幾らでもいるんです!何故マネージャーだった私に、しかも初ステージの私にそんな重圧を掛けるんですか!」……と半ばキレ気味に反発したのだが結局は押し切られた。
「目立つポジションであなたが踊っていないと、インパクトもないしお客さんにも伝わらないでしょ?そうなるとあなたを加入させる意味がなくない?」
という社長の言葉はどう考えても正論だった。
「校庭~走る~君が~♪」
なんとAメロ最初の歌の入りも私からだった。
特別難しいフレーズではないけれど、最初のワンフレーズは特に緊張するし音程も掴み難い。
自分の歌が果たして正確な音程だったのかよく分からないまま、センターポジションを別のメンバーに譲り移動する。
後ろを振り向くと他のメンバーと目が合う。踊りながら微笑み頷いてくれている気がした。
(こんな景色だったんだね……)
メンバーの息遣い、振り乱れる髪の匂い、踊りながら変化する表情、マイクを通る前の生の歌声……この輪の中に入ってみなければ味わえない光景だった。
WISHのステージは当然飽きるほど見てきた。だけどこの中の景色は初めての経験だった。
メンバーと何度も目が合う。
移動の微妙なタイミング、余裕を持たせた距離感、温かな眼差し、メンバー誰もが私のことを気に掛けてくれているのが分かった。
(……ありがとう……)
自然とその言葉が浮かんだ。誰に向けたものだったのかは分からない。
もしかしたら周囲のメンバーに対してだけではなかったかもしれない。
もうすぐサビになる。
後列にいた私は再びセンター0番のポジションに出ていった。
最初は顔を上げる余裕もなかったけれど、今は客席にまで目を向けられるようになっていた。
ドームのステージは広くて、観客の顔など遠くて見えないのだろうとばかり思っていたけれど、一人一人の表情がはっきりと見えた。
私の存在にどこか疑問を持ちながらも、曲に合わせサイリウムを振る人たち。
ふと最前の大学生くらいの男の子と目が合う。
振り付けの中で不自然にならない程度に手を振ると、彼にもそれが伝わったのか、サイリウムを激しく振って応えてくれた。
再び後列に戻ると、前列で踊るメンバーの姿が目に入ってきた。
踊りが上手い子は総じて手足が良く伸びている。身長が小さい子も実際よりも大きく見える。もっと上手い子は指先までもがピシッと伸びている。
とても新鮮な景色で、でも不思議と落ち着いたこの時間がもっと続けば良いと思った。
「はいー、というわけで『それでも、桜は咲いている』を聴いていただきましたが、皆さんいかがでしたか~?」
曲が終わりキャプテンの高島彩里のMCが始まった。
「「「ワーーー」」」
という歓声と拍手とが混じり合い、観客席からの感情が伝わって来る。
私は、とりあえず1曲を踊り切ったという安堵感とアドレナリンで今までにない気分だった。自分が自分じゃないみたいだった。
「はい、というわけで皆さんお気付きでしょうか?WISHに新たなメンバーが加入しました~。……麻衣さん?ほらこっち来て!」
曲中の振り付けとポジションにばかり気を取られ、MCが始まった場面でステージ中央にいなければいけないことを私はすっかり忘れていた。
慌てて彩里の側に駆け寄ってゆく。
「改めてまして、新メンバーの小田嶋麻衣さんです!」
客席から大きな拍手が起こった。
「はい、コスモフラワーエンターテインメントの小田嶋麻衣と申します!不束者ですが、皆様どうか一つよろしくお願いいたします」
「固い固い固い!」「営業のサラリーマンじゃないんだからさ……」「アイドル、アイドル!」
別のメンバーから一斉にガヤが飛ぶ。
最敬礼してから見上げた客席には、笑顔もあったが未だに???という雰囲気も強かった。
「麻衣さんはねぇ……なんと、皆さん聞いて驚かないで下さいよ?私たちのマネージャーさんをずっとしてくれていた人なんです!!凄くないですか?こんな人がマネージャーしてくれてたんですよ?」
彩里が言葉を切ると、客席からは「「「え~~~」」」」という声が飛んできた。
事前にリハーサルしていたのかと思うほど、想定通りの反応だった。
「麻衣さん、皆さんに挨拶とかありますか?」
「あの……こんな、希さんと香織さんの晴れ舞台に私なんかが注目を集めることが本当に申し訳なくてですね……私はあくまで期間限定のネタ枠ですから、あの、本当に私のことはどうでも良いので皆さん引き続きWISHを応援して下さい……」
「そんなことないですよね、皆さん?メンバーとしての麻衣さんを応援してくれますよね?」
割れんばかりの大拍手が起こった。
それは……こんな場面でWISHのキャプテンである高島彩里がそう言ったらそう反応するしかないでしょ、というのはどこか頭にあったけれど……それでもとても嬉しかった。ステージのこちら側も向こう側も愛に満ちた空間なのだと改めて思った。
ここに立つことが決まってからの努力が、全て報われたような気がした。
「希はどうですか?麻衣さんがマネージャーさんとして最初に担当したのが希さんだったんですよね?」
彩里は本日の主役である黒木希に話を振った。
「そうですね……麻衣ちゃんが入ってきた時はみんなビックリしたんじゃないかな?何でメンバーじゃなくて社員なのって!……ウチの社長は人を見る目がないね~、ってメンバー同士裏で話してたわよね?」
「あの、希さん?今日で辞めるからって、ここで社長の悪口を言うのはちょっと……」
彩里の控え目な一言で客席には笑い声が起こった。
「でも……すぐに分かったんです。麻衣ちゃんは自分の為じゃなくて他人の為に尽くしてくれる人だっていうのが。マネージャーとして私に付いてくれて、辛い時も乗り越えられたのは麻衣ちゃんのおかげかな……って今では思っています。ありがとう」
ひゅー、と軽くメンバーから冷やかすような声が入る。
……いや、そんな、私は別に、誰かの為に頑張ってきたなんて思ったことは一度もない。
俺はただ自分の身を守るためにマネージャーとして『WISHに捧げてきた』だけのことだった……。
「あ、麻衣ちゃん泣きそうになってるんだけど!やば、超可愛いんだけど」
俺の変化を見抜いたのはやはり希だった。
……希さん、マジで勘弁して下さい。2人きりの楽屋じゃなくて、何万人もの人が見ているステージなんですよ!と言いたかったが、それを口に出せる状態に自分自身がなかった。
「はいはいはい~」
「お、舞奈ちゃん!どうしたの?」
手を上げた桜木舞奈に彩里だけでなくメンバー全員が振り向く。
……ありがとう舞奈!これ以上ステージ上で恥ずかしい姿を晒していたら、私は顔から炎を出しているところだったよ……。
「麻衣さんは、希さんの次はわたしの担当になってくれたんです。その頃のわたしは、正直モチベーションも全然なくて、もうWISHの活動も潮時かなっていう気持ちだったんですけど……そんな私を励まして復活させてくれたのが麻衣さんでした」
「え、待って待って……舞奈ちゃんそんなこと思ってた時期があったの?麻衣さんの良いエピソードじゃなくて、そっちの方がショックなんだけど……」
彩里はあえて大袈裟に口にすることによって笑いにしようとしていたが、多分内心は本当にショックだっただろう。
舞奈の発言に続いて、担当したことのあるメンバーが何人か、私も私も……と手を挙げていた。
まったく、何なんだキミたちは!……良い子過ぎるだろう!
「でもですね!」
別のメンバーに話を聞こうという流れを舞奈が強引に引き戻した。
「でも……それと麻衣さんがメンバーになることとは別だと思います!わたしは納得していません!……わたしたち3期生も、加入してから3年が経ちました。これからのWISHを背負っていくのはわたしたちだと思います。24歳のおばさんなんかに注目が集まっていることが、わたしは正直悔しいです!わたしたちの3年間の努力は何だったんだろうって思っちゃいます!」
「舞奈~!」「舞奈ちゃん、よく言った!」
一瞬の静寂の後、客席の一部から大きな声が飛んだ。多分舞奈推しの人たちだろう。
それに釣られて、会場の拍手も徐々に大きくなっていった。
この場で自分の意志をはっきりと示せることはとても立派だけど……それより舞奈!24歳の私をおばさん呼ばわりしたことは、後々大きな代償を払うことになるわよ。覚えておきなさい!
「はい、ということで……とっても名残惜しいのですがお時間来てしまいました、最後の曲に行きましょう!希!香織!今日は卒業本当におめでとう!皆さんこれからのWISHにも引き続き期待して付いて来て下さい!これからも一緒に素敵な景色を見ましょう!今日は本当にありがとうございました!」
彩里が締めの挨拶に移行した。メンバー全員が彼女の言葉に合わせ最敬礼する。
最後の2曲はノンストップでのパフォーマンスだった。
イントロが流れ始めると、私の身体は最初より軽くとてもスムーズに動き出した。
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