上 下
42 / 85
アイドル転向!?

42話 卒業コンサート②

しおりを挟む
 湿っぽい感傷に浸る間もなく、コンサートは進んでいった。
 序盤の怒涛の展開からは一転、中盤はユニット曲のパートに突入していた。ユニット曲とは比較的少人数でパフォーマンスする曲のことを指す。
 WISHは総勢で40人を超す大所帯のグループであり、個人のパフォーマンスが注目される機会はこうした場面でないと中々ない。



「舞奈……がんばってね……」

 次は舞奈を中心とした3期生によるユニットだった。
 他のメンバーに聞こえないように、舞奈にだけそっと囁く。
 舞奈は黙ってうなずくとステージに出ていった。



(……そんな表情もするようになったんだね、舞奈は……)

 3期生によるユニット曲は、WISH全体の曲調からすると異質のダークで激しいダンスナンバーだった。衣装も全身黒のパンツスタイルで、WISHの女性らしい柔らかなイメージとは真逆だ。
 この曲では8人の3期生メンバーがフォーメーションを変えながら激しく歌い踊っているため、明確なセンターがいるわけではない。
 けれど舞奈が一番目を惹いた。他のメンバーも見なくては……と思ってもついつい目が舞奈を追ってしまっているのだ。
 しなやかなダンスはさらにその表現力を増し、その表情は哀しみに満ちていた。
 舞奈の担当を外れてから1年ほどしか経っていないはずだけれど、もうまるで別人のように大きく見えた。



 ユニット曲はさらに様々な曲が並んでいた。
 王道のアイドルソングだけでない曲をやれるのが、こうしたパートの面白さだ。メンバーの個性が最大限発揮できるこうした機会は貴重で、コアなオタクの中には全体曲よりもこちらの方を楽しみにしている人も多いようだ。

 そして再びセトリは全体曲へと戻ってゆく。
 それはコンサート第1部が終盤へと差し掛かっているということだ。
 再びWISHの王道のアイドルソングが中心になってきた。歴代ヒットシングルをこれでもかと連発し、息つく間もなく観客を盛り上げてゆく。
 WISHには約7年の歴史がありヒット曲が沢山ある、というのはこうした場面でとても強い。
「この曲を聴いた時はこんなことがあったな……」
 という光景がファンの数だけ存在するわけで、そんな無数の思い出を乗せて曲は流れてゆく。

 こうして息も吐かせぬ怒涛の展開のままコンサート第1部は終了した。





 アンコールを求める手拍子がドーム内に鳴り響いていた。
 第1部は全国ツアーのような内容のコンサートだった。もちろんメンバーのパフォーマンスも良く客席も盛り上がっていたが、今日は希と香織の卒業コンサートという特別な日なのだ。そもそも2時間半の公演予定の内まだ1時間半も経っていない。これからが本当の本番と言える。
 客席もそれをよく分かっており、アンコールを求める手拍子にはいつもと違った熱が込められているのが伝わって来る。



 手拍子はもう3分近く続いていた。
 もちろん客席を意図的に焦らしているわけではない。大きな会場になればなるほど移動の距離も長くスタンバイに時間が掛かってしまうのだ。

(……いよいよか……)

 コンサートのプログラムが進むということは、当然俺の登場も近付いてきたということだ。思わず自分の手を握ると手汗でじっとりと濡れていた。

「スタンバイ、OKです!」

 スタッフによる無線で確認がなされ舞台監督のゴーサインが出ると、会場は再び暗転した。

「「「ウォー!!」」」

 待っていましたとばかりに歓声を上げる客席だったが、その声が爆発することはなかった。
 アンコールはメンバーの登場によってではなく、VTR映像が会場内の各スクリ-ンに流れることによって始まったからだ。
 客席は息を潜めるようにしてそれに集中する。



「エントリーナンバー987番、黒木希です」
「エントリーナンバー1031番、井上香織です」

 流れ始めたのはWISHの最初のオーディションの時の映像だった。
 
(若い!……それに正直、垢抜けないな)

 2人ともまだ高校生だし、その姿も洗練されていなかった。
 もちろん2人ともよく見れば端正なルックスでスタイルも抜群なのだが、雰囲気としてはよく居る田舎のJKという感じでしかない。まさかこの2人が数年後に日本のファッションアイコンになるなんて、誰が予想出来ただろう。
 
 VTRは時系列順に続いていった。
 オーディションを経ての初めてのグループとしての活動。
 初期は注目度の割に人気が出ず、プロモーションのために地方のショッピングモールでチラシを配っていたこともあった。
 最初のコンサートは300人規模のライブハウスでのものだった。そんな彼女たちがドーム会場を埋め尽くす存在になるなんて、誰が予想できただろう。
 
 俺自身も楽屋のモニターでVTRを観ながら、小田嶋麻衣として転生してからの日々を思い出していた。あまりに色々な出来事があった。

「……わ、綺麗……」

 メンバーの誰かの声が聞こえた。
 ふと見ると、別のモニターにステージ脇でスタンバイしている希と香織の姿が映っていた。
 まるでウエディングドレスのような豪華な衣装は2人のサイリウムカラーである紫と赤であしらわれており、アップにまとめられた髪型と相俟あいまってどこかの国のお姫様のようだった。
 普段の制服とはあまりに違う印象に驚き、いつも一緒にいるメンバーたちでさえ息を呑んでうっとりと見ていた。

 やがてVTRが終わり、2人がステージに登場した。
 割れんばかりの歓声が起こるが、その歓声にもどこかしっとりとした感情が含まれているような気持にさせられる。
 2人は軽く一礼するとマイクを口元に持っていった。
 一息も聞き漏らすまいと、客席は再び静まり返る。

「こんばんは、井上香織です。今日は私と希の卒業コンサートにこんなにも多くの人に集まっていただいて……私たちは本当に幸せ者だなと思います」

 香織の言葉に希が微笑んで頷き、2人のMCが始まった。



 コンサート前半の、悲しみを吹き飛ばさんばかりのパフォーマンスとは打って変わったしっとりとした雰囲気が流れていた。
 2人が登場した瞬間から涙を流すオタクもいた。彼らもまたそれだけの年月、情熱を傾けてきたのだろう。
 モニターを通して見ているメンバーたちの間でもすすり泣く声が聞こえてきた。

「ちょっと~、まだ泣くのは早いでしょ?」

 誰かが笑いながら言ったけれど、そう言った彼女の声がもう震えていた。
 卒業していくメンバーはこれまでも何人もいたけれど……何度味わっても別れの涙は抑えられないもののようだ。

 やがてイントロが流れ始めた。
 2人の卒業のために書き下ろされたユニット曲だ。共に歩んで来た7年間を思い出させるキーワードが散りばめられたバラードで、すでにファンの間では神曲と名高い曲だった。

「はいみんな!スタンバイね!」

 舞台監督から大きな声が掛かる。
 モニターに釘付けだったメンバーたちも、それを聞き一気にスイッチが入る。
 この曲が終わった瞬間にメンバー全員がステージに登場するという段取りだった。



 

(あれ……?)

 気付くと俺は楽屋に一人きりだった。

(え、マジで?今から10分後にはステージに立つってこと……?)

 感動的なコンサートに集中していて……そしてそれに伴う色々な思い出が蘇ってきて、自分がこれからしなければならないことを忘れていた。いや、もちろん忘れていたわけではないのだがその重大さを忘れていた。

(あ、ヤベ……膝震えてきた)

 マネージャーだった俺がメンバーとしてステージに立つなんてことは、本当に正しいのだろうか?やっぱり俺は元の松島寛太としての弱い心のままなんじゃないだろうか?そもそもこんな精神状態で良いパフォーマンスが出来るのだろうか?ちゃんとパフォーマンスが出来たところで、ファンは俺を受け入れてくれないんじゃないだろうか?
 今さらながらそんな思いが浮かんできた。



「麻衣~?」

 楽屋に入って来たのは、社長だった。
 俺は泣きそうな情けない顔をしていたと思う。
 そんな気持ちも社長はすべて見透かしたかのようにクスリと笑った。

「大丈夫よ、あなたはステージに出るだけで良いから。ステージに立った時点で合格よ」

「……いや、そんなんじゃダメです。せっかくのお2人の最後の花道を汚すような真似は……」

「大丈夫よ!……あなたが登場して『あの子は誰だ?』って客席が少しでもザワつけば、それだけで私の作戦は成功なの。『WISHって未だに何をしでかすか分からないヤバイグループだな』そんな風に話題になれば、それだけで大勝利なのよ」

「……でも……」

「良いから。……あなた言ってたじゃない?本当はずっとステージに憧れていた、って。7年待ち続けたあなたにしか見えない景色がきっとあるし、あなたにしか与えられないものが間違いなくあるわ……それにね、どんな風に転んだって少し経っちゃえば良い思い出よ」

 いつの間にかステージでは2人とメンバーとの長いMCが終わり、イントロが流れ始めた。

「小田嶋さん!スタンバイお願いします!」

 この曲の次の曲が俺の登場曲だった。
 もう所定の場所に向かわなければならない。

「緊張も……苦しさも……全部楽しんで来なさい。今はこの瞬間しかないんだから!」

 歩き出した俺の背中に社長の声が飛んできた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

男女比1:10。男子の立場が弱い学園で美少女たちをわからせるためにヒロインと手を組んで攻略を始めてみたんだけど…チョロいんなのはどうして?

ファンタジー
貞操逆転世界に転生してきた日浦大晴(ひうらたいせい)の通う学園には"独特の校風"がある。 それは——男子は女子より立場が弱い 学園で一番立場が上なのは女子5人のメンバーからなる生徒会。 拾ってくれた九空鹿波(くそらかなみ)と手を組み、まずは生徒会を攻略しようとするが……。 「既に攻略済みの女の子をさらに落とすなんて……面白いじゃない」 協力者の鹿波だけは知っている。 大晴が既に女の子を"攻略済み"だと。 勝利200%ラブコメ!? 既に攻略済みの美少女を本気で''分からせ"たら……さて、どうなるんでしょうねぇ?

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

処理中です...