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30話 再戦開始

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「何の用だよ、ガリ勉君。……って、俺とお前との間の用っていったらこれしかないか?ハハハ! 」

 あれから2週間が経ち、季節は夏に入っていた。1学期ももうすぐ終わりだ。
 三井允生みついみつおは握った拳を俺に向けて爽やかに笑った。
 まるでカードゲームに興じた小学生の頃のような無邪気な笑顔に見えた。コイツの本心は未だまるで掴めない。

「そうだな。単刀直入に言えばそう言うことだ……。俺はのび太の仇を取らなければならない! 」

 そう言うと俺はポケットから手袋を出して装着した。今までの白い軍手とは替えて黒い手袋である。白い軍手は目立つ。だから俺のパンチは允生に見切られていたのではないか……と考えたのだ。

「へえ~、のび太君は仇討ちを望んでるんだ? 」

 允生がいかにも驚いたような表情を作って呟いた。

「何? 」

 俺は允生の言葉に一瞬戸惑った。そもそもこれが仇討ちと言えるのかもよく分からなかったし、のび太がどう思っているのかについては確かめようがない。依然としてのび太からの返信は一切なかったからだ。

「まあいいぜ。ごちゃごちゃ言わずにやろうぜ。俺とガリ勉君との間の会話はコレしかないもんな! 」

 允生は腰パンのズボンのベルトをきちんと締め直した。それがヤツにとっての唯一の準備のようだった。
 6月末の陽光は中々に厳しい。屋上は日陰となるものがないからなおさらだ。じっとしているとそれだけで汗ばんでくる。

「九条君!!! 」

 その時ガチャリとドアが開き、蜂屋さんが息を切らせて顔を出した。
 俺は今回の允生との再戦のことを彼女に説明してはいなかったのだ。允生にリベンジする理由を合理的に説明することが出来なかったからに他ならない。もうのび太のイジメを解決することとはあまり関係ない闘いになってきているのは間違いない。
 それでも俺の様子を察してなのか、彼女はここに来た。もしかしたら俺が思っている以上に彼女にも心配を掛けていたのかもしれない。

「へへ、そう来なくっちゃな!やっぱメガネっ子ちゃんが観ていてくれないと気分もアガらないよな! 」

 允生が後ろを振り向き蜂屋さんに手を振った。
 それに対して彼女は奇妙なものを見るような目つきで応えた。……そりゃあそうだ。彼女はお前の味方じゃないからな。

「……何だったら、お前のヤンキー仲間たちも観戦に呼んでもらっても構わないぜ」

 俺は允生に言った。自分の余裕を確かめるための言葉だったが、悪くない一言に思えた。この前の10人以上のヤンキーたちが野次を飛ばしてきた時とはずいぶんと状況が違う。自分の気持ちも落ち着いているように思えた。

「……バーカ、アイツらは仲間なんかじゃねえよ! 」

 そう言うと允生は俺に向かって踏み込んできた。



 この2週間、俺の周囲は驚くほど変わりがなかった。
 允生たちとケンカをしたこと、そして最終的に允生に負けたこと……俺は全てを失ったような感覚だった。
 允生たちに俺のしたことを吹聴され、モブキャラとしての仮面を剝がされ、教師からは問題児とみなされて慶光大学への道も絶たれる……そんな破滅ルートまっしぐらに突入した、と覚悟したものだ。
 だが允生に負けた翌日も翌々日も、教師から呼び出されることもなく、周りの生徒からヒソヒソと噂話を立てられている様子もなく、あまりにいつもと変わらぬ日常に拍子抜けしたものだ。
 どうやらヤツらは俺とのケンカを仲間内だけで口止めした様子だった。
 しかもヤツら自身もクラスで俺と接することを全くしなくなった。のび太の代わりに今度は俺がイジメのターゲットにされるのだろう……と思っていたから、ヤツらの俺を避ける様子には驚いた。
 もしかしたら蜂屋さんをターゲットに何かされるのではないか……とも警戒していたが、そういった動きも一切なさそうだった。ヤツらは彼女とも接するのを避けているようだった。

 本当はここらが潮時だったのかもしれない。
 海堂のび太はもう退学してしまっているのだ。俺がヤツらに絡んでいって幾ばくかの情報を得たところでのび太はもう学校には戻って来れないだろう。それよりもヤンキーたちのことは忘れ、今一度自分のモブキャラとしての地位を自覚し、目標としている慶光への進学のために勉強にだけ集中する……それが正しい道のように思えた。
 いや、実際どう考えてもそれが正解だっただろう。のび太も俺の慶光への進学を望んでくれていたのだ。

 だけど俺の心はそうはいかなかった。
 何としても允生にリベンジ……他のどんな方法でもダメで、ケンカでリベンジすることでしか、次に進めないような気になってしまっていたのだ。
 再びケンカをするなんて、危ないし、誰かに見られたらそれこそ内申だとか進学に大きく響く。どう考えてもリスクしかなかった。ハイリスクノーリターンの行為そのものだ。
 だけどそうすることでしか俺の道は開けていないのだと確信していた。
 こんな非合理的な理由で動く自分がいるなんて、信じられなかった。



(来た! )

 この2週間、允生にやられた時のイメージが脳裏に焼き付いていた。
 踏み込んでワンツーを打ってきた允生はイメージそのものだった。
 俺は允生のジャブを右のてのひらで叩き落とし、ストレートを右に回ってかわすと、重心の乗った允生の左足に右ローキックを当てた。

「……うひょひょ!パリングとはね!やるじゃんガリ勉君! 」

 パリング。主にボクシングで使われる技術で、パンチを掌で叩き落としたり方向を変えてかわす技術のことだ。グローブを付けたボクシングとは違い、素手でのケンカでは拳が小さく難易度の高い技術だ。
 当初のイメージでは允生の右ストレートもパリングで落とし、そこでローキックを当てるつもりだった。だが最初のジャブをパリングした瞬間にイメージと実際のパンチのスピードの差を感じ、ストレートに対しては足を使ってかわすことに切り替えたのだった。そのため反撃のローキックも浅いものになってしまった。允生の脚のダメージはほとんどないだろう。

「……イチイチ、喋るんじゃねえよ。ケンカの最中に! 」 

 今度は俺から仕掛けた。
 ジャブを放ち、それをフェイントに右のローキックを当てようという対角のコンビネーションだ。目線が遠い所に行くとどうしても反応が遅れるものだ。

「おっと」

 だが允生は大きくバックステップをして、俺の攻撃の間合いの外に出た。

「面白くなってきたな、ガリ勉君! 」

 相変わらず允生の声は無邪気な少年のようだった。
 

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