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24話 狂気

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「九条君、お疲れ様でした……」

 蜂屋さんが俺にペットボトルのスポーツドリンクを差し出してくれた。
 そしてすぐに床で寝転がっている飯山にも同じ物を差し出していた。
 ……いや、部活じゃないんだから!
 というツッコミをする気力も俺にはもう残されていなかった。甘味と塩味の効いたスポーツドリンクがこんなに美味いと思ったのは初めてだ。
 しかし蜂屋さんはそんなもの買って来る暇がいつあったのだろう?俺は自分で思っていたよりも長く床にのびていたのだろうか?

「……」

 飯山にも何か言ってやろうと思っていたが、いざとなると何も言葉が出て来なかった。
 床でのびている飯山を責めても何も事態は変わらないのだ。
 謝罪の言葉も俺に向けられては筋違いだ。それを必要としているのは海堂のび太本人だ。アイツに謝罪するのであれば、また立ち直る一つのきっかけにはなるかもしれないが。俺に向けられても意味はない。
 じゃあ俺は一体何のためにこんなことをしていたのだろう?という疑問は浮かんできた。その答えは分からないが、それでもムダなことをしたとは思わない。胸の内はとてもスッキリとしていた。
 ……でも、こんなことを繰り返していてはヤンキーたちと同じ土俵に落ちていっているだけなのではないか?そんな気もした。
 だがそんな感傷に長く浸る暇はなかった。束の間の安堵は突然に破られたからだ。



「よお~、ガリ勉君!ずいぶんと楽しそうなことしてんなぁ! 」

 いつの間にか三井允生みついみつおがいた。允生のいつにも増してバカみたいに明るい声がコンクリートに響いた。
 允生は楽しくてたまらないといった顔でツカツカと寄ってくると、馴れ馴れしく蜂屋さんの肩に手を掛けた。
 驚いた彼女が必死に振り解くと、その手は実にあっさりと戻された。

「なぁ、ガリ勉君。ひょっとしてアキラが学校来ないのも、君と関係あるんかい? 」

「……さあな、まさか俺がイジメたとでも言うのか?俺を疑うなんて酷いな、まったく。……あのよ、ヤンキー君?俺をイジメ犯呼ばわりするのも結構だけどよ、当然そのリスクも分かった上で言ってるんだろうな?冤罪でイジメ犯に仕立て上げられちまったら、俺の輝かしい将来を潰すも同然だぜ?」

 俺は允生の眼を見てせせら笑ってやった。
 いつぞやのび太へのイジメを疑った際、ぬけぬけと答えた允生の巧弁をそのまま返してやったのだ。

「……そもそもだ、ヤンキーが毎日真面目に学校来る方が不真面目なんじゃないのか?」

「……ははは、違いねえや!こりゃ一本取られたな! 」

 俺の言葉に允生は一瞬ポカンとしたが、やがて天を仰ぎ爆笑した。
 そしてそのまま俺と飯山の方に近付いてきた。
 そのまま俺と握手でもしようというのだろうか……警戒しながらも俺はそんなことが一瞬だけ頭をよぎった。
 だが允生はすでに起き上がっていた俺を通り過ぎ、飯山のそばに立った。
 飯山も允生が来たことに気付き、身体を起こしかけていたところだった。
 
「飯山ぁ!!!俺たちがケンカで負けちゃダメだろうがよぉ! 」

 手を取って起きるのを手伝いでもするのだろうか、と思っていたが允生は動けない飯山に蹴りを入れたのだった!

「……ご、ごめん允生君……」
「ごめんじゃなくてよぉ、負けちゃダメだよなぁ?……それもこんな、暴走族ゾクでもチンピラでもないパンピーのガリ勉相手にだぞ?負けたらダメだってことが分かってなかったのかぁ?なあ飯山よぉ!!! 」

 允生は飯山の顔面に躊躇なく蹴りを入れた。

「やめろ!!! 」「やめて!!! 」

 俺と蜂屋さんが声を上げたのがほぼ同時だった。
 だが俺に対しては問答無用で後ろからタックルに入った蜂屋さんも、允生に対してはそうは出られないようだ。

「……お前らは、仲間じゃないのか? 」

 俺は思わずそう尋ねていた。

「仲間?ああ、そうだ。もちろん仲間だよ、だからこうして愛のムチをしているんだよ。なぁ、飯山!そうだよな!? 」

 語気に合わせて允生が腹の辺りを踏みつけた。
 グッ……と声にならない声が飯山の喉から洩れる。

「……うん、もちろん……俺たちは仲間だからこうして……グッ!」

 允生がまた飯山の腹を踏んだ。
 允生の顔は明らかに楽しんでいた。踏みつけた強さによって漏れる飯山の声も強弱が決まるのが面白くてたまらない……という無邪気で残酷な幼児のように見えた。

(何なんだ……コイツらは……)

 俺が一番怖かったのは允生の狂暴性でも、さして本気で抵抗しない飯山でもなく、その関係性だった。なぜ仲間相手にこうも残虐な攻撃を加えられるものなのだろうか?これがヤンキー社会では一般的なのだろうか?それとも允生だけが狂っているのだろうか?

「……なあ、ガリ勉君? 」

 允生は飯山の死体蹴りにも(実際に死んではいないが……)飽きたとばかりに俺に向かって顔を上げた。その顔は依然として無邪気な少年のような笑みが貼り付いていた。

「……」

 俺は返事が出来なかった。

「お前実はケンカが好きだったりしたの? 」

「は?……そんなわけないだろ、何言っているんだ?これは成り行き上仕方なくだな……」
「俺ともやろうぜ ! 」

「え、いや……」

 機先を制せられた、と思った。
 もちろん飯山を倒した後は允生を倒すつもりだった。だが向こうから吹っ掛けられると話は変わってくる。俺は俺のペースで允生に向かいたかった。
 もう少し技の種類も増やしておきたかったし、攻略法も綿密に立てたかった。何より允生に対しては不意を突いたタイミングで仕掛けたかった。俺がアキラと飯山に勝てたのは相手の望まないタイミングで仕掛けられたからだろう。

「いやいやいや!コイツとのケンカも見てたんだけどよ、お前チョー楽しそうだったじゃん?普段ガッコ―で授業受けてる時の死んだ顔より300倍生き生きとした顔してたぜ? 」

「……いや、そんなわけないだろ、何言ってるんだ……」

「ふ~ん。ガリ勉君は俺とケンカをするつもりは無いってんだな……。じゃあコイツがどうなっても良いんだな? 」

「コイツ? 」
 
 允生が何を言っているのか本当に理解出来なかった。一瞬蜂屋さんに何かするのかと思ったが彼女は允生とはだいぶ距離があった。俺と蜂屋さんと床で死にかけている飯山以外この場所には誰もいなかった。

「だ、か、ら、さ!コイツが!この無能なデブが、どうなっても良いのか、って訊いてるんだよ!!! 」

 允生は飯山を何度も踏みつけた。

「やめろよ!!! 」「やめて!!! 」

 ちょっと信じ難かった。自分の背中が一瞬にして冷えていくのがはっきりと分かった。もう少しで飯山は死んでしまうのではないか、俺は本気でそう思った。

「……やめろって言ってんだろ。……ケンカでも何でもするから……」

 俺は思わず允生にお願いするような声を出していた。
 これ以上目の前の光景が繰り広げられていくのが俺には耐えられなかった。
 気分的には完全に允生に降参したようなものだった。允生がここまで意味の分からない暴力に出るとは想像も出来なかった。

「何だよ、ようやくやる気になってくれたんかよ?ガリ勉君!そんなら最初っからそう答えてくれれば良かったのに!……おい飯山!喜べ!お前の仇は俺が絶対にとってやるからな! 」

 允生は今度は足元でのびている飯山の頬をぴしゃぴしゃと叩きながらそう言った。

「ごめんなぁ、飯山ぁ……ガリ勉君が中々やる気になってくれないからお前にこんな辛い思いをさせてなぁ……本当ごめんなぁ。……でもお前が弱いのが悪いんだからなぁ」
「いや……全然……」

 今度は一転して実に申し訳なさそうに飯山に謝っていた。
 それに対して飯山も息も絶え絶えながら、何とか普通を装って答える。
 俺は允生に圧倒されていた。早くこの場から逃げ出したいという気持ちしかなかった。

「じゃあガリ勉君……このまま始めてやっても良いんだけどよぉ。お前もダメージ残ってるだろうしそれはフェアじゃないわな?明日な。明日同じ時間にこの場所で待ち合わせな。……言っとくけど約束は守れよ? 」

「……分かった」

 俺は短く返事をするだけで精一杯だった。


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