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第四章
妖刀事件、顛末 ーようとうじけん、てんまつー
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東京府上野。
江戸時代には、ここに徳川将軍家の菩提寺である寛永寺が建立され、その頃から寺の辺り一帯を「上野」と呼んでいた。寛永寺には歴代将軍の墓が建立され、ゆえに江戸幕府から手厚く保護されていた経緯もあり、寺の門前町である上野自体も発展したのだった。明治の時代となってからも、江戸府が東京府に改称されてからは、廃藩置県により大阪府、京都府と共に三府と呼ばれ、東京府が首府に、他の二府が代替地に制定されると、首府の中心地、則ち日本の中心地として更なる繁栄を迎えた土地である。
その上野で、殺人事件が起こった。
もちろん、繁華街での殺人なぞ珍しい事ではない。人間が多ければこそ、痴情のもつれ、金銭の悶着は日常茶飯事であり、その果てに人を殺める事も少なからずある。
しかし、上野で起こったそれは、極めて大量、且つ、猟奇的であった。
どれほど大量かと云えば、一晩で屍の数は百人を越え、どれほど猟奇かと云えば、その屍の殆どが肢体を細切れに切断され、誰一人として五体揃った遺体に復元できないという凄惨さであった。
そして、それは今も継続中である。
事件の知らせは、直ぐさま警視庁から直轄の内務省を通じて太政官にもたらされた。第一報では、犯人は複数で、その身なりから高い身分の人間ではないか、との事だった。
真相の解明はともかく、事態の収拾には警視庁の初代大警視である川路利良が直々に指揮を執ることとなった。
充満する血と腐肉の臭いと細切れの屍体、そこいら中に飛び散っている大量の血飛沫。
川路と警官隊が、鍛冶橋の庁舎から押っ取り刀で現場に到着した時、その凄絶な光景に何を何処から手を付ければ事態を収拾できるのか見当も付かず、警視庁の猛者で鳴らした警官達でさえ、暫くその場に立ち尽くしていた。
その瞬間、その間合いを狙ったかのように、警官隊の背後から何者かが襲いかかってきた。しかも、一人二人ではなく、少なくとも十人以上である。その身なりが報告と一致する事を、あっという間に阿鼻叫喚となった現場で只一人、川路だけは見て取っていた。つまり、この襲撃者が事件の犯人だと認識したのだ。
警官達は、自分の身を守る事で精一杯で、統率した行動がとれなくなっている。倒された警官の中には抜刀するく暇も無く斬り殺されたされた者もいる。
それ程までに犯人達は、手練れ揃いで身体能力も尋常ではなかった。数に数倍する警官を、例え相手の士気が低下していた隙を突いたとはいえ、鎧袖一触で斬り倒している。
そして、犯人達は一人残らず日本刀で武装していた。一人の例外もいない。
川治は理解した。これが、報告でしか把握していなかった『妖刀事件』の実体を、日本政府の中枢が目の当たりにした瞬間であることを。
だが、その時には、警官隊は総崩れになっていた。立っている者は出動時の半分にも満たない。
が、犯人側も流石に斬り疲れたらしく、一旦、警官隊とは距離を置いて、自分たちのやってきた所行を確認するかのように近辺を窺っている。「動作に人間味がない」その様子を見ていた川辺は訝しんだ。
得体の知れない幸運によってもたらされた小康状態ではあったが、この隙にと態勢を立て直す手立てを川治は思いつかない。歯ぎしりして唇を切ったが、もはや彼我の優劣に差がありすぎる。
だが、それでも川路は諦めるわけにはいかなかった。初代大警視の矜持が、理性が、その貴重な時間を敵の観察に徹しさせた。
人数は十三人。改めて見れば、驚いた事に何人か見知った顔がいる。
知人というわけではなく警備対象として知っているのだ。つまり、それ程、社会的地位の高い要人というわけだ。中には警視庁の武術師範として招へいした武芸家もいた。
その他も、この上野近辺に屋敷を構える幾つかの華族、しかも、公家ではなく藩主や大名などの武家出身で、師範役などをしていた元家臣たちだった。手練れ揃いの筈である。
しかし今や、その形相は既に人のそれではなく、行動や動作が獣じみている。
もう一つ、全員に共通した特徴として、手に持つ刀への異様な執着があった。高く掲げ、恍惚として眺めている者。やたらと素振りをして悦に入っている者、中には、刀身を舐めている者もいる。
ここ数年の間に、川路が眼を通した妖刀事件の報告書に書かれていた犯人の特徴そのままである。
『刀に憑かれている』
その実感が、この時初めて川路に妖刀事件の本質を得心させた。この事件に人間的理性は介在していない。なんとか真相を解明して解決策を見いださねば、この国の安寧に致命傷となる。
結局、こうして人間は『現場』でしか物事を正しく認識できないのだ。
知識や情報だけでは、問題を解決するのに充分ではない。何故なら、それに対処する覚悟に決定的な差が生まれるからだ。解決すべき問題が困難であればある程、その差は歴然となる。その意味で川路は、今はじめて『妖刀事件』に対処する資格を得たといえた。
川路の観察が一段落するのと同時に、犯人達の恍惚に酔いしれている時間が終わったようだった。再び、獲物を求めて徘徊を始めた。が、先程とは違って、全員が一致して人を襲うわけではない。狂気にも個性があるという事なのか?
既に死んでいる警官の屍体を切り刻む者、四人。現場のおぞましい凄惨さはこいつらが造りだしているようだ。
無心に刀を素振りしている者が五人。正気の時にも、よほど剣技にこだわりがあったのだろう。
残り四人が、焦点の定まらぬ動きとは裏腹に指すような眼光で、生き残りの警官隊を射すくめ、ゆっくりと近づく。人の殺気を感じたことのないという者がいるのなら、この場に来ればよい。確実に殺意を浴びる経験できる。
川路は、当面の相手が減ったことに一縷の望みをかけ、部下達に迎撃を命じた。
当初、均衡を保っていたが戦況だったが、長引くに連れ、それまで他の事にかまけていた他の犯人達が、一人、また一人と思い出したように戦列に加わってきた。警官隊は徐々に劣勢となっていく。
川路の脳裏に「玉砕」の二文字が過ぎった瞬間、目の前に新たな人の束がなだれ込んできた。全員警官の制服を着ている。
内務卿、川路の上司である大久保が送った増援であった。
川路が引き連れてきた数の倍はいる。この数の人間が近づいているのに気が付かなかったとは、よほど精神状態に余裕が無かったのかと、安堵よりも自己嫌悪を覚えつつ、川路は犯人の確保に現場を奔走した。
形勢は、あっけないほど一気に逆転した。程なく事態は収拾する。のだが、結局のところ、犯人は一人も逮捕出来なかった。
全員が最後まで抵抗し、やむなく斬り捨てるしか無かったのだ。
味方も、増援を含めて甚大な被害を出した。
すぐさま上野近辺に居を構える華族の全世帯に調査の手が入ったが、今までの妖刀事件同様に、事件の真相は明らかにならなかった。
なぜなら、彼等の証言は全て共通していたのだ。
「何の脈略もなく、前後不覚になった人間が、他人を斬りつけ始めた」である。
ただし収穫もあった。
犯人が手にした日本刀に共通した事実が判明したのだ。
犯行に使われた刀剣は国宝級の逸品であったり、普段使いの安物であったりと刀自体の素性は様々だが、その尽くが最近入手したものであり、そして、その刀に直接手を触れた直後、犯行に及んでいるのだった。
つまり、その刀の購入元を辿るという、事件解決に向けた細い細い糸口が見つかったのだ。
結局、『上野#無尽_むじん__#殺傷』と呼ばれた今回の騒動は、近畿に本家を置く元外様大名の子爵に列している華族が首謀者する内乱ということで処理された。
犯人の中で一番高い地位にあったのが、この公家華族の当主であった為、政府への不満がその理由とされたのだ。事件の大きさ故に、政府の面目を保つ為、どうしても人身御供が必要だったのだ。
事件の後、川路は己の無力を感じていた。
内務卿となった大久保利通から厚い信任を受け、初代警視庁の長である大警視を拝命し、佐賀の乱をはじめとする不平士族の反乱平定に尽力した武人としての自負も、得体の知れない事件の解明には全く届かなかった己の能力を自覚したのだった。
しかしながら、身分の低い薩摩藩の準士分から成り上がった反骨精神で、改めて妖刀事件の解決に意欲を燃やす川路であったが、皮肉なことに、これ以降、彼が妖刀事件に関わることはなかった。事件の核心となる舞台が東京、というより関東から移動してしまったのだ。
次の舞台は、京都であった。
神戸から陸路で京都に入ったグラバーと与一を含む彼の護衛団は、そのまま舎密局に入った。
舎密局とは、医学と化学の発展を目指して、研究と教育のために作られた官営の機関である。
日本と西洋にある差は工業力だけではない。医学、化学など科学技術の分野でも大きく水を開けられており、その差を埋めるべく、明治元年に戦乱を避けるかたちで大阪に理化学校を設立することが決定された。
大坂城西の大手通旧京橋口御定番屋敷跡に建設された新校舎にて、オランダ人化学教師ハラタマを教頭とした大阪舎密局が開校され、その後、明治三年十二月にハラタマに師事した明石博高により設立されたのが京都舎密局である。ここでは、石鹸やガラス等の工業製品の製造指導や薬物検定を行われ、明治八年二月には文部省管轄の『京都司薬場』が併設されまでになった。
因みに舎密局の「セイミ」とは、幕末期に広く使用された蘭語のchemie(化学)の音を当てた言葉である。
今回、この京都舎密局に集められたのは、国内の洋学者は勿論、グラバーの口利きで来日していた欧米各国の物理学者、化学者、生化学者の殆どが顔を並べていた。
この人材の量と質は、グラバーの人脈無くしては到底実現し得なかったであろうし、逆に云えば、彼が如何に当時の日本において多大な影響力を持っていたかの証左であった。
その最高レベルの科学者集団が、寄って集って何をするのかと云えば、もちろん妖刀の正体を解き明かすのである。
妖刀事件の原因が、犯人のことごとくが持っていた『刀』に起因しているのは、察する事は出来る。だがそれは、状況証拠からの推論でしかない。勘に近いものだ。だから、刀の何が原因なのかを科学的な分析で解明し特定するのである。
確かに当初は、日本が近代国家に生まれかわった事を国内外に喧伝する意味合いがの方が大きかったのだが、上野で件の事件が起こり、妖刀事件に国家転覆を謀る何者かの意思が介在しているのではないかと疑念を持った太政官は、事件の解明に本腰を入れる事となり、舎密局に集められた人員と資金は初期計画の数倍に膨れあがったていた。
グラバーと与一が到着して数日後、上野で回収された刀が舎密局に搬送されてきた。これで、今までに日本国内で証拠品として押収された刀、計二十三本がすべてに舎密局に集まった事をなった。
ここからは時間との戦いである。
次に大規模な妖刀事件が起これば、明治政府の統治能力を問われるに違いない。文明開化の時流に乗って西洋式の新聞が数多く創刊され、一般庶民に情報が広がる速度は江戸時代とは比較にならない。既に、上野の件は、広く世間に知れ渡っていた。
それ故に、太政官内部が持っている危機感は尋常ではなく、三条が直々に来局して、分析にかかる費用の決算と資財の搬入を陣頭指揮する程だった。
そしてこれは、日本国内における史上初めての近代的な科学捜査でもあったのだ。
火夜でなく、まだ幼い「かよ」が云った。
「いっちゃん、これあげる」
爪草で作った小さな輪っかを与一に差し出した。子供の薬指に嵌る程度の小さな輪っかだった。
「なんだこれ」
自分の薬指に丁度良いその輪っかをはめると、与一は眉間に皺を寄せてそれを検分した。
与一とかよの家は近所同士である。二軒の間には小さな原っぱがあった。
二人は、そこで花摘みをして遊んでいるのだ。与一の方は、かよにせがまれて、嫌々である。
「知らないの? 南蛮では、男と女が契りを結ぶと指輪っていうのをするんだって」
「なんだそれ」と、与一は、ぽいっと輪っかを薬指から振りほどいた。
じわっと涙を浮かべるかよ。
「だって、かよは、いっちゃんのお嫁さんになるっていったじゃなーい」と大声で泣き出した。
それまで無愛想だった与一は、一転してオロオロし始め、泣きじゃくるかよの回りを為す術もなく回り続けるのであった。
はっと、目覚める火夜。
馬車の荷台だった。山のように積まれていた藁を布団にして寝入っていたのだ。
夢から覚めた事を自覚し、辺りを見回す。
西国街道を進んでいる馬車。前方の御者台には、馬車の持ち主と羅刹が乗っている。
羅刹が火夜に気付いたらしく、「起きたかの」と声を掛けた。
「ええ」と短く答える火夜。まだ、羅刹には警戒を解いていない。
近年ではすっかり名乗る事も無くなったが、姓を「田山」という。
明治以前、江戸幕府の命により刀剣の試し斬りする御用、則ち『御様御用』を勤めていた代表的な家系に、有名な山田浅右衛門の系譜がある。
意外に知られていないのだが、八代続く山田浅右衛門の内、直系の実子は二人のみであった。
御様御用には高い技術が必要であったが、世襲の家系では、その水準に満たない者が現れる可能性があり、その対策として技術のある者が当主を代行したのだ。従って、山田浅右衛門家は常に多くの弟子を取っており、その多くが大名家の家臣やその子弟だったが、旗本や御家人も含まれていた。
数多く弟子を取れば、様々な事情の者が現れる。例えば、弟子入り修行の最中に跡継ぎが出来ぬまま当主が亡くなるなどして、取りつぶしになった御家の家臣の者も少なくなかった。彼らは例え実力があっても、後ろ盾を失ったとして下野せざるをえない。
その中の一人に、田山崋山という名家の元家臣がいた。田山という姓は本名ではなく、山田の弟子を放逐された際に、皮肉って名乗ったと云われていた。
その田山が、野刃の祖の一人である行平家と出会い、その腕を見込まれて完成品の試し切りを代々引き受けた、というのが火夜の家系である。
そして、代々引き継がれた試し切りの技、その実戦応用形として完成したのが試刀応戦流であった。
運命のいたずらは、火夜をして、その最後の継承者と成した。
一方、田山家に試し切りを依頼した野刃の祖である行平とは、後鳥羽院御番鍛冶の一人である豊後国行平の流れを汲む刀鍛冶一族であり、与一の養家である行平家と火夜の田山家は代々、民間用の刀剣具、つまり野刃とその非公式な御様御用という密な間柄を保ってきたのである。
与一と火夜は、そういう因縁を元にした幼なじみなのであった。
やがて、野刃の存在を知った江戸幕府や明治政府といった時の統治者から「庶民の武装はまかりならぬ」と野刃狩りが繰り返し行われ、それに伴い両家は衰退していく。
そんな中、与一は行平家最後の当主から気楽亭おもちゃへ又養子として出され、その後、火夜は与一の義父の弟子の元へ鍛冶屋の女房として嫁ぐ事となったのだ。
「どこに向かっているのです」火夜が、羅刹に尋ねた。
「関っちう鍛冶が盛んな街ぜよ」
一緒に旅を始めて間もないが、初対面の印象とは違って気さくに喋る羅刹の人懐こさが、逆に火夜の警戒心を増す事になっていた。蛇足だが、聞いた事のない訛りに慣れるまで会話がしんどそうである。
「それで、刀喰いの修復をして下さるというのは、どなたなのです? 野刃を扱える鍛冶はもういないと認識しているのですが」
今までに繰り返された野刃狩りで、その製造技術を持った刀鍛冶は居なくなったというのが一般的な認識である。
野刃は本来、庶民が隠し持つ武器としての性格上、その切れ味と共に保守手入れが不要なほど頑強に出来ていた。しかし、それにも限度がある。実戦を繰り返す戮士達の野刃は、今やその殆どが本来の性能を失ってきている。因みに、与一は、神斬りの簡単な手入れを自分で行っているが、養父が野刃鍛冶だったという例外中の例外なのだ。
「ああ、お前さんも、よー知っちう奴じゃ、与一の得物も大事の時には、こん人に面倒かけちう。名前が、あー、錦治?」
話しをしながら、御者台の羅刹に向かって藁の中を移動していた火夜の動きがハタっと止まる。
羅刹は振り向いて、それは故意にだったのか無邪気に言った。
「ああ言い忘れたがぁ、お前さんは知っちうだろうが、向こうは、お前さんの事は、ぜーんぜん知らんよ」
「え?」
三日後、二人は関に入った。
そこいら中から鉄を叩く音が聞こえている。そんな印象の街である。
中心部からずいぶんと外れた林の中に一軒家が建っていた。鍛冶屋であった。
その作業場に男がいる。
戸口に立ち尽くして、男を見ている火夜。
見まごう事なき元夫、いや、正式に離縁していないので、まだ夫の錦治だった。
火夜は、声を掛けようとして躊躇する。
羅刹から記憶喪失だと聞いている事もあったが、あの佐賀の乱で坂本剣山に襲われた時、寿々の事もあったとはいえ、まだ絶命していなかった夫を、よく確認もせずに大火の中に置き去りにしたのかと思うと、罪の意識で言葉も出なかった。
火夜が去った後、何かの幸運で家に火が回らなかったのか、それとも自力で這い出したのか、火事が収まって焼け野原になった神崎の街に瀕死の状態で行き倒れていた処を羅刹に助けられたという。
野刃は正に戮士の肝。故に「最後の野刃鍛冶あり」の噂を聞きつけ、羅刹が、その消息を確かめに来ていたところに佐賀の争乱だった、というわけなのだ。
「よう、錦さん。名前、思い出した?」羅刹が、火夜の脇をすり抜け、錦治に声を掛けた。
錦治が顔を上げ、笑顔で応える。
「なーに言ってるんすか。私は『錦治』って名前だって、日ノ本さんが教えてくれたじゃないですか」
錦治からしてみれば羅刹は命の恩人である。仲は良いようだ。
「自分で思い出さにゃ、意味無いじゃろ。これからの事もあるんじゃ」
「そうなんですが…今、頂いている仕事も楽しいし、何より、思い出さない方が良い事があるような気がしてならんのです」
火夜の顔が少し曇るのを、背後に気配で感じながら羅刹が言った。
「まあ、焦ることはない。ところで今日は、これを見て貰いたいんじゃ」と刃の欠けた刀喰いを差し出す。
手にとって、視線で射るように刀喰いを見る錦治。
「これは凄い。道具としての精密さは、こないだ見せて貰った鋏に劣りますが、刃物としての出来は、遜色がありませんな」こないだの鋏、というのが神斬りの事だとは、火夜にも分かった。
それから暫くの間、錦治は憑かれたように刀喰いと神斬りの違いと共通点、それは野刃の根本的な特徴にまで話しが広がる事になるのだが、止め処なく喋り続けた。個人的な事は自分の名前すら覚えていないのだが、刀工としての知識は全く失われていなかった。
物体として『折れ』と『曲がり』という相反する性質を高い次元で両立し、刃物という道具として究極の『切れ味』を実現する。それが日本刀である。
西洋の剣は溶鋼炉で生産した鋼板を型で打ち抜くか、角状に鋳鋼された物を削り出す、つまり、刀身が単一の材質なので、硬くて弾力があるが。斬りつけた際、刃に対して横方向に湾曲してしまう。
一方、日本の刀は、何度も折り返して鍛えた鋼を炭素量の少なく柔らかい芯鉄と炭素量が少し多くて硬い皮鉄に分け、その芯鉄を皮鉄で包むことで強度と柔軟性を併せ持たせている。故に、刀身を薄く造る事ができ、薄い刃はそれだけ鋭い切れ味を生む。
この日本の刀の製法をさらに極め、刀身をより薄く造らんとしたのが野刃である。
結果、野刃の特徴として、日本刀の「両刃」に対して「片刃」が可能となったのだ。この場合の両刃、片刃は、鎬部分を境にして両方の側に刃が付いているかいないかの違いではなく、刀身の断面で見た時、くさび形をしていて芯鉄全体を皮鉄(刃となる部分)が包んでいる状態の「両刃」と、皮鉄が芯鉄全体を包まず皮鉄が片側に寄っている、つまり、包丁のように「半くさび形」をしている刃になっている違いを云う。
故に、片刃は、両刃よりより鋭角な刃を持つ事となり、より鋭利な切れ味となるのである。
必然的に、同じ強度でより薄く鋭利な野刃は、普通の刀を斬れる刃物となったのだ。
その特徴を巨大な出刃包丁の形態にした事で究極に高めたのが『刀喰い』であり、片刃である特徴を利用して鋏形態にする事により、切断力を更に高めたのが『神斬り』なのだ。
一頻り喋ったところで、錦治は戸口に立っている火夜に気付いた。
「どちらさまで」
その言葉に、返答でなく涙が溢れる火夜。
「どうしました?」狼狽する錦治。
羅刹が、錦治を押しとどめる。
「わしの連れじゃ、ちょっと身内に不幸があっての」と戸口に向かう羅刹。「それじゃ、修理のほう、頼むけぇの」
「は…い」
錦治は、怪訝な顔で返事をした。
錦治が作業にはいると、まだ涙目のまま立ち尽くしている火夜の手を曳き、外にでる羅刹。誰に聞かせるでもなく話し始めた。
「ちいと昔、わしが上海に身を隠しておった時の事じゃ。ああ、上海っちゅうのは清国の上海な。そこに気楽亭おもちゃの弟子というふれ込みで、与一という紙切り芸人の男がやって来たんじゃ。表向きはグラバー商会主催で日本演芸の海外興行という事じゃったが、要は、ある人物が、わしに与一を預けるための口実にしたっちゅわけじゃ。何せ、日本人が理由もなく日本を出るのは甚だ難しいからのぉ。そういう意味じゃ、与一の奴はその頃からグラバーの世話になっとるんじゃ」
火夜は、突然何なのだろうと、羅刹を見た。もちろん、その与一とはいっちゃんの事だろう。
「与一を行平家から引き取って、忍び時代の忍術、体術と紙切り芸人としての芸を教え込んだのも、そのある人物の依頼だったそうじゃ」
ある人物というのは勝安芳の事であったが、火夜の預かり知らぬ事柄である。羅刹は伏せていた。火夜もそこに興味は示さなかった。
「で、そのある人物曰く、与一には日本の未来を託す興国の志士になって貰わにゃならん。その為に日本を取り巻く世界情勢っちゅうのを見せた上で、わしの見識を伝授しろちゅう事じゃった」
わしも、そのある人物には世話になったもんでなぁ、頼みを聞かん訳にはいかんのじゃぁ、と羅刹は大仰に項垂れてみせた。
火夜は改めて羅刹に問うた。これ以上、色々な事があやふやになったまま話しが進むのには耐えられない。
「羅刹さんは、どういった素性の方なんです? お話を伺っていると、御攘夷のために闘った偉い武家さんだったりしたのですか?」
羅刹は、にっと笑ってみせた。
「まあ、そんな大層なもんではなかったが、お国のためには闘ったかの」と言うと、それまでは着物の懐に隠して決して見せなかった左手を、ぴんと伸ばして袖から出してみせた。
「一度死んでからは風来坊じゃ」
左腕には手首が無く、代わりに西洋の単筒が付いていた。レボルバー式の連発銃。最新型であった。
「…」流石に言葉を失う火夜。予想通りの反応を楽しむ羅刹。
「で、与一には云ったんじゃ、お国為なんぞと小難しゅー考える必要はない。身近な人間の事から考えていきゃ、それでえーんじゃ」
再び、左腕を袖から引っ込めて懐に隠す羅刹。
「わしゃぁ、日本人じゃけの。大事な肉親やら知人は、みーんな日本人じゃ。そいつらが理不尽に死んだら悲しい。
悲しいのはかなわん。じゃから、そいつらの為に日本を良くする。日本を良くする為に日本人を守る。異国が攻めてきて知り合いが死ぬというのなら、助けるのに千人の唐人を殺さにゃならんゆうなら、迷わずそうする」
火夜は、羅刹の訛りがどうしても馴染めず意味が頭に入り難かったが、懸命に自分の言葉に翻訳しながら聞いた。
「じゃがな、彼奴らが同じように己らの都合で日本を攻めるとありゃ、非難はせんよ。わしらは神様じゃねえ、ただの人間じゃ。どいつもこいつもに不都合無く生きる事なんざ無理なんじゃけ、それでええんじゃ。無論、わしは断固阻止するし、それだけじゃ。もちろん方法は色々、最初は話し合いの努力もする。だが、それで駄目なら当然戦さになるじゃろが、それがどうした」
複雑な表情で聞いている火夜を見て付け加えた。
「まあ、その上で互いの利益の為に仲良くしたいっちゅう奴が唐人の中にもいるのなら、そんときゃぁ、そいつも全力で守りゃええ、グラバーみたいにの…そういや、前に奴が良えこと言うとったの、あー、なんじゃ、ほら、あれじゃ、そう、『シンプル・イズ・ベスト』じゃ」
火夜に英語の知識はないので、その異国語の意味は解らなかったし、羅刹の訛りは相変わらず馴染めないが、その人と成り、考え方は理解できたような気がした。納得するかは別問題だが。
火夜の肩に、ポンっと右手を置く羅刹。
「おぬしは娘を取り戻す。それしか出来ん時には、それだけをやる。今のあんたには、あの亭主にしてやれる事たぁない。何を思い悩む事があるか。そん後の事は、それからじゃ」
火夜、少し俯いてから羅刹に小さく頷いた。
羅刹は、火夜と刀喰いを見せる事で錦治に何か変化があるかと密かに期待したしていた。それが第一の目的であったのだが、もう一つ、与一と火夜の関係を情報として見知っているうえで、今後の三人の関係に関しても羅刹なりの考えがあって夫婦の再開をお膳立てしたのだった。
それでも羅刹は、「まあ、世の中そんなに甘くはないからのぉ」と、顎をさすりながら、決して火夜には聞こえないような小声で、溜息混じりに呟いた。
舎密局での妖刀分析が始まって一ヶ月が過ぎていた。
政府にとって幸運な事に、まだ次の妖刀事件は起こっていない。が、妖刀と呼ばれた刀たちの解明にも目立った進展はなかった。
携わっている学者達の間にも、諦めと焦りの入り交じった空気が流れ始めていた。そんな頃合いを見計らったように、最悪の形で事態は急転する。
舎密局内で、妖刀事件が発生したのである。
その日の朝、与一は局内を見回っていた。といっても、警備の警察官が山ほど詰めているので、与一にとっては暇つぶしの意味合いの方が強かった。
この一ヶ月間、やる事といえば、グラバーの話し相手か見回りばかりである。
同じく京都入りしていた三条といえば、太政官の長として東京を長期間空けるわけにはいかず、さすがに一週間ほどで帰京した。それまでは、三条と与一の二人でグラバーの話し相手をしていたのだが、三条がいなくなってからは、与一がお守り役を一手に引き受けていた。
グラバーが外出でもしてくれたならば、そのお供で気分転換もできるのだろうが、グラバーは基本的に出不精だった。世界を股に掛けた貿易商の印象と違っているが、それこそが一流の貿易商の真骨頂なのだ。
貿易商の生命線は『情報』である。
グラバーは、特別に施設させた電信機を使って、日本国内は元より、世界中をから様々な情報を入手していた。出歩くのは交渉ごとの大詰めだけである。それまでは、有能な部下が彼の手足となる。それを成立させる『人事』もグラバーの得意分野であった。その様子を日々横目で見ていた与一は、貿易事業などは全くの門外漢ながらも、先進性と合理性、生産性において、まだ埋まりそうにない日本と西洋との差を実感したものだった。
見回りの途中、局の表門に差し掛かったとき、与一は、左右の門柱それぞれの側に一匹づつ、犬が座っているのを発見した。石のようにじっと動かず座っている様子とその位置から、神社の狛犬を連想したが、狛犬は神社の外に向かって座っているが、この二匹は舎密局の内部に向かって座っていた。
それと、与一は一つ認識を誤っていた。その二匹は犬ではなく、狼だった。この時代、まだ日本狼は絶滅していなかったが、街中で見かけることなど皆無である。間違えても無理からぬ事だった。
しかし、あくまで犬と誤解している与一は、野犬による狂犬病を危惧していた。明治六年の長野県で流行して以来、しばらく聞かなくなった伝染病だが、抜本的に撲滅したわけではない。この日本における西洋科学の最先端を供する施設である舎密局で、狂犬病などを発生させるわけにはいかない。
与一は、二匹を敷地外へと追い立てるべく門へと近づいて行った。念のため、神斬りが収まっているサックの留め金は外していた。
与一の接近にも二匹は平然としていた。与一を見てさえいない。視線は真っ直ぐ舎密局の内部に向けられている。ただ己の意志というよりも、良く躾られた犬が『待て』をしている感じだった。
「さてと」
与一は、左右の門注から等距離、門の真ん中で通せんぼするように立つと咳払いした。二匹の反応を見る為である。野犬よろしく襲いかかって来てくれでもすれば、遠慮無く力ずくで追い払うのだが、ここまで行儀良く座っていられると対処に困った。
そこへ「すみません」と若い女の声。与一の背後から聞こえてきた。
十代後半くらいの若い娘が、敷地内から門に向かって走って来る。浴衣に下駄履きで、舎密局には場違いな出で立ちである。
与一は、自分がグラバーの側に付いていない状況で、素性が知れぬ人物が敷地内に入っていた事に狼狽していた。警護者として看過できぬ失態である。それが例え、うら若き乙女であっても、いや、だから尚更である。与一の経験上、子供と女は危険ほ注意喚起する際の最大盲点なのだ。
与一は返事をせず、わざと鋭い視線を女に向けた。ただし、忘れてはいけない。与一の地笑顔では、鋭い視線などは十中八九相手には伝わらない。
そんなわけで、女は愛想良く振る舞ってくる。
「うちの子たち、お邪魔でした?」
「うちの子?」と与一。
「ああ」と、女は浴衣の袖から小さな笛を取り出した。目明かしが捕り物の時に使うような筒状の木片に細工をしたものだ。
吹いた。音はしない。
しかし、座っていた二匹が女の脇に走り寄ってきて、再び行儀良く座った。
与一は、「犬笛か」と微かに呟く。人間には聞こえない音で、犬を操る術がある事は知っていた。実際に見るのは初めてだが。
「うちの子」と、女はしゃがんで二匹の首を抱きしめながら、与一に上目遣いで微笑んだ。
「ああ、成る程」理解した与一だったが、それ以前に根本的な疑問を口にした。
「で、どちら様かな?」
女は舎密局内で働いている事務職員の娘で、お昼の弁当を届けに来たという、もっともらしい説明を与一にした。確かに、その職員の名前は聞き覚えがあった。与一は、局内にいる全職員の名前を記憶しているのだ。
もしこの話が嘘ならば、事務職員への確認で直ぐに知れる内容だ。それでも一時の時間が確実に稼げる。その確実な暫時の猶予さえあれば与一を振りきれるという自信なのか、それとも真に実の話しだからなのか、女は涼しい顔で微笑んでいる。
「お前さんの犬、今まで見たことないが、なんて種類だい?」
与一は、相手の腹を探る手始めに他愛もない質問をした。
「いやだぁ、この子たち、狼ですよ」
女は、にっこりと答える。
「…ああ…そう」
与一は、特に興味があったわけではない問いの答えが、あまりに予想外だったので言葉に詰まってしまった。
「ふーん、ほんとに十騎男と瓜二つ」
女が与一の顔を眺めつつ意味深に呟いた。
与一には、その意味は解らない。
「それは…」と与一が聞き返そうとした、その時、舎密局の本館から走ってきた一台の馬車が与一の側に停まった。
「イッチャンさーん」と、中からグラバーの声。神戸までの船旅で火夜から聞いた与一の渾名がいたく気に入っているのだった。「チョット用事出来マシタ。出カケまーす」と、人前で『イッチャンさん』と呼ばれる度に、渾名に「さん」ほ付けるなと心の中で軽く突っ込んでいる与一に、自分の用件を一方的に告げるグラバーだった。
護衛の与一が同道しない訳にはいかない。済し崩しに女を見逃すことになってしまった与一だが、馬車に乗りながら、去り際の女に一声掛けた。
「そういえば、お嬢さん」
女は、「はぁい」と軽やかに振り向く。
「肝心な、お名前を聞いていませんでした」
「笛吹と申します」
珍しい名前だ、と返す与一に「うふふ、じゃあ、またお会いしましょう」と、意味深な云い方別れを告げ、笛吹は二匹の犬、もとい、狼を従えて去っていった。
その再会は愉快なものではなさそうな予感を抱きつつ、初戦の腹の探り合いは完敗した事を自覚しながら、与一はグラバーの乗る馬車へと同乗した。
出不精というのが嘘のように、その日は精力的に京都の町を巡るグラバーに日がな一日連れ回された挙げ句、夕刻遅めに帰局した与一は、早速と今朝の女が父親だと語った事務職員の元を訪ねた。が、一足違いで帰宅した後だという事だった。
何とも分明ならぬこと甚だしいのだが、夕食の時刻が迫ったので仕方なく食堂へ向かった。グラバーの話し相手というお役目の待つ宴の席である。
グラバーはいつも局内の食堂ではなく自室で食事をとっていた。主に、彼が人混みを嫌うのと、与一が護衛に付き易いという都合である。加えて、与一の神斬りは屋内では結構目立つのだった。サックで大部分が隠れているとはいえ、一目でそれと判る巨大な鋏をぶら下げている人間が食事場をうろつくのは、周囲の精神衛生上あまり好ましいものではない。それでも、その日の晩餐はグラバーが食堂に姿を見せるという。
それは、妖刀の解析で成果があがらず停滞している局内の雰囲気に活を入れるためであった。別に叱咤しようというわけではなく、食堂で提供される定番の献立に変化を与え、職員一同の志気を高めようと云うのだ。
せっかくの京都、日頃食せぬ物を喰って英気を養って貰うため、京の都を西へ東へと、グラバーは名産品を求めて駆けずり回ったのだった。
しょせん人間は三欲を満たす為に生きているのだ。その内の一つ食欲を満足させるのは、手っ取り早い士気高揚の手段である。正に機を見るに敏。この停滞した機運にそれを素早くしてみせるとは、グラバーの人心掌握術に与一は感心したのだった。
食堂といえば、舎密局に食堂というのは元々無かったのだが、妖刀分析の為に増えた人員に合わせて、本来実験室であった部屋の一つを潰し、急遽施設したものである。食卓は薬剤や実験器具を置いてあった長机に布を被せ、見た目だけは西洋のレストラン風に仕上げていたのだが、椅子の方は余っていた材木で急造した長椅子に座敷用の座布団を並べただけという、なんとも在り合わせ感が漂う和洋折衷の空間になっていた。
その食堂の中央に、日頃のありきたりな料理とは一線を画す豪華な料理が所狭しと並んでいる。グラバーが仕入れてきた京都名産の品々が幾つもの大皿に盛りつけられていた。
魚料理や発酵食の類は、人員の半数ほどいる西洋人の中には苦手とする者もいたが、八ッ橋など菓子類は万人が嗜好した。
さて、宴の準備は万端。後は、人が集まるのを待つだけだった。
グラバーは、まだ人の疎らな食堂の片隅で、食前酒とばかりにワインを一瓶空けていた。
与一は、その横に神斬りが身体の陰に隠れるように座っていた。流石に酒は口にしなかったが、グラバーがイギリスから輸入してきたラムネとか云う「しゅわしゅわ」すると評判の飲み物を試してみた。
栓代わりのガラス玉が瓶の中でごろごろしていて、それが瓶口に詰まるので、なかなかに注ぎにくく、四苦八苦して中身の液体をコップに移すと、それは確かに「しゅわしゅわ」していた。
恐る恐る呑む。
「うっ」口の中で何かが破裂した。
咳き込む与一に、グラバーが笑いながら話しかける。
「ソレガ、世界デース」
「?」グラバーの日本語は正直わかりづらい。とにかく発音が英語訛りでなのある。今回は短い語句だったので聞き取れたのだが、意味が全く不明である。それで聞き取れない素振りをした。
だがグラバーは、「らむねガ、わーるどデス」と、お見通しだと云わんばかりに意地悪く、「世界」を「ワールド」に言い換えたて同じフレーズを口にした。
与一は、「降参だ」という表情をグラバーに返した。
グラバーは、ワインで少し唇を湿らせてから言った。
「怪しげで、確かに手厳しい、ソレデモぉ、その良さを理解し、受け入れる努力をすれば、得難い存在となる。賭けても良いですが、ラムネはこれから日本で広く愛飲されマース。日本は、これから世界と向き合い受け入れなくてはなりまセン。そのラムネのようにデース」
心持ち普段より滑らかな日本語だ。気分が高揚している証拠である。
再びワインで口を湿らせる。今度は二回、二口飲んだ。
「でもォ。それは、ワタシも同じなのデース」
「同じ?」
「ハーイ。ワタシ、父親が航海士だったせいか、物心付いたときから海外で生活していました。それで、チャイナの上海に行ったのが二十一歳の時デース。思えば、東洋に来られたのはとてもラッキー。イギリスとの戦争に負けて、今は見る影もありませんデースが、古代のチャイナが当時世界最先端の技術文明国だったのは間違いありまセンネ。そして、ジャッパーン。最初、こんな東の果ての小さな島国に来る事が決まったときは、とてもダウナーでした。ソシーテ、実際に来てみると、やはり工業化はされていナーイ、おまけに恐ろしげな刃物を持った人間がそこいら中を歩き回っテール、何と怪しげな国かと思いまーシタ。シカーシ、住んで、色々なモノを見て、ワタシ、気付きました。ジャッパーンは、我々が思う近代化と日違う進化をしているのデース。例エーバ、江戸は、世界でも最大級の都市でシータが、こんなに上水道が発達している国は他にありまセーン。朝昼夜といつでも清潔な水が飲めるなんて、ヨーロッパでもありえまセーン。そレーニ、あらゆるものが再利用されていまーす。すごいデース。庶民のウンチ、失礼、糞尿すべてが農業に使われていマース。それが流通するシステムが成り立っているのがすごいデース。長屋の大家さんが、厠の肥やしを売ってマシタ。ワタシも商人の端くれ、眼から鱗がドロップデース。ヨーロッパでは、未だに、どんな大都市でも、うんち捨て放題デース。クサいデース」
鼻をつまんで首を横に振るグラバー。
「シカーシ、一番驚いたのは」与一の腰にぶら下がっている神斬りのサックをトントンと人差し指で叩き言った。「刀の製造技術デース」
初代面の時、与一は、グラバーが野刃の素性、特に刀の製造技術が転用されている事を知っていて驚いた。日本でも世間一般には余り周知されていない、どちらかと云えば今や国家機密に類する事柄である。グラバーの日本通、情報通は本物だった。
「砂鉄、玉鋼の段階から一本の刀が出来るまで、何日も何日もその行程を見学した事がありマース。マーベラス! あれは芸術であり、産業であり、科学デース。刀に比べれば、西洋の刀剣は平べったい棍棒に過ぎまセーン。しかも、同等の技術を何百年も前に完成させていた。ワタシは確信したのデース。日本人は、ワレワレの技術を吸収したとき、二十年で追いつき、五十年で抜き去りマース」
与一が聞いていても歯が浮きそうな日本アゲである。酔いが回って気が大きくなったのであろうが、さすがに口が渇いたらしく、再びワインで口を湿らせる。というか、瓶から直接飲んでいた。既に普段の生白い顔が真っ赤である。
「イッチャンさん。何でイギリスが、チャイナのように日本をセンソーで占領しないか分かりますか?」
その手の世事は羅刹にも良く聞かされているし、実際、与一は上海の租界に住んでいた事もある。が、与一が気軽に応じるには過分に政治的な話題だ。与一は首を横に振った。すかさず、グラバーが喋り始める。
「我が大英帝国ロイヤル・ネイビーは、世界最強デース。これは、間違いありまセーン。その力は一九六三年の薩英戦争で、いかんなく発揮されてマース。あの戦、薩摩の惨敗、イギリスの大勝利、と云う事になってますが、少し違いマース。確かに砲撃戦はアッという間に終わりました。瞬殺デース。シカーシ、イギリス軍が薩摩に上陸してからが、悪夢の始まりだったのデース。進軍する先々で、細長い刃物を持った日本人が襲ってくるのです。何度も、何度も、諦めることなく。そして、それを一般の村人たちが、パニックにもならず社会秩序を保って、食料や物資を供給し支えているのデース。そんな国、世界中で見た事ありまセーン。落ち着いて占領なんかしていられまセーン。この経験は、ロイヤル・ネイビーの士官学校でも、教訓として正式な教材になり、未来永劫語り継がれるでしょう。ワタシ、艦隊司令から直接聞いたので間違いありまセーン」
大げさに手を広げてから腕を組み右拳に顎を乗せる仕草を見せるグラバー。
「そこで、イギリスとそれを聞いた列強各国は考えマーシタ。『薩摩なんていうローカルな地方都市でサーエ、こんな抵抗に遭うナラ、日本全体では、いったいドーナッテしまうのダー』これは植民地になどせず、有利な条件で貿易でもした方が得策デース」
グラバーは、芝居がかったウインクをして付け加えた。
「でも少しダーケ、我が母国の肩を持つと、イギリスは世界中の植民地で紛争を抱えてマース。日本みたいな小さな国に大規模な艦隊を送る余裕がないのデース。経済的な問題が一番デース。決してイギリスがチキンなわけではありませーんヨ」
そのことで日本への興味が一段と膨らんだ、とグラバーは続けた。
「ワタシ、どうしても日本の未来が見てみたいデース。ワタシの人生、日本ナシではやっていけませんデース」
話しは終わったらしい。与一の聞き上手も、このひと月ばかりで板に付いてきた。
今日は少し長めだったが、グラバーは満足したようだ。
「トコロデ、皆サン、集マリガ悪イデース」何か、突然いつもの片言口調に戻ったグラバーが、食堂内を見回して言った。
夕食の開始時間は、もう三十分ほど過ぎていた。実験の都合などもあるので、局内の全員が一斉に集まる事など望むべくもないのだが、しかし、三十分を過ぎて数人しか居ないというは異常である。
グラバーのがっかりしている表情を見て、与一は席を立った。
「そうですね。ちょっと見て…」
ガシャーン。
与一が言い終わらない内に、食堂入り口の戸が、もの凄い破壊音と共に吹き飛んだ。割れた硝子の破片が食堂内に飛び散る。
扉の無くなった戸口から、ゆっくりと、と云うよりも、ゆらゆらと身体をふらつかせながら、与一も見知った顔の学者が数名入ってきた。知ってはいるが、個人を識別するのが困難なほど表情は惚けていた。しかも、食堂内に入ってきた彼らの手には、例外なく全員が、回収し舎密局に集められていた妖刀を握っている。
外人も含めた学者達が、妖刀憑きになっていた。
反射的にグラバーの前に立って庇う与一。神斬りのサックに手を掛けた。
グラバーは、立ち上がろうとしてよろける。酔っていた。
まずい、と、その気配を背中で感じながら、与一は妖刀憑き達の様子を窺った。
既に八人が食堂に進入していた。動きが鈍いのが災いして入り口に詰まり、塞いでしまっている。戸口の外にも、十人単位で蠢いている気配がした。まだ、攻撃してくる気配はない。
しかし、食堂内に居た職員の一人が、恐怖に駆られて入り口の反対側、中庭に面している窓から逃げようと走り出す。運良く食堂は一階だったのだ。
最初の一人につられて全員が、一斉に窓に向かって走り出した。
その動き呼応して、それまでゆっくりとした動作だった妖刀憑き達は、まるで解き放たれた猟犬のように、逃げ出した職員を襲い始めた。驚いた事に、普段は人斬りなどした事もないであろう学者達が、剣士よろしく妖刀を振るっていた。
与一は、その様子を冷静に観察し、狩り場と化した食堂内の状況を把握した。ふらついているグラバーを問答無用で肩に担ぐと、今は誰もいくなった入り口を目指して走り出す。背後から聞こえる職員達の阿鼻叫喚を身を切る想いで聴覚から追い出しながら、今はグラバーの安全確保を最優先に行動した。
舎密局の構内では、警備の警官達と食堂に進入した集団とは別の妖刀憑き達が、攻防戦を繰り広げていた。ここでも、妖刀憑きは全員、それを分析していた学者達であった。
与一は、妖刀事件のカラクリが朧気に見えてきた。しかし、それを断定するには決定的な要素がまだ欠けている。与一は、警官と妖刀憑きが入り乱れている舎密局本館の廊下を一気に駆け抜けた。血で床が滑る。グラバーは酔ってはいたが、なんとか与一の肩にしがみついている。
玄関から表門を目指す。
与一は、一瞬馬車留めに向かう事を考えたが、もはや馬車が使えるかどうか疑問である。今回は人力、つまり自分の力のみに頼る事にした。
門が見えてきた。門の外に、馬に乗った人影の集団が見える。
「与一殿!」
局内警備団の副長だった。
事件発生直後、団長の命令で地元の警官達をかき集め、応援に戻ってきたところだった。判断に長けた指示であったが、副長からその団長の安否を尋ねられた与一は、残念ながら見かけていない、としか答えられなかった。
警官数人と馬をグラバーの避難に割いて貰う。グラバーの安全を確保した後、取って返す事を約束して局外へ出ようとした瞬間、周囲の闇に紛れて何かが襲いかかってきた。複数のその黒い影は人間にしては小さい。
相手の動きは素早く夜の闇も手伝って、相手の正体が知れたのは警官が数人倒された後だった。
犬だ。いや、与一には見覚えがあった。今朝、この場所で見たばかりである。
狼だ。
今朝の二頭以外に、十頭以上の狼に警官隊は囲まれていた。そして、その囲みの外、舎密局の本館建家の陰から一人の娘が現れる。
「だめですよー。うちの子達からは逃げられません」
もちろん、こちらも見覚えがある。狼を連れていた女、笛吹だ。
「また、お会いしましたね」と、笛吹。
「そうだな、存外早かった」と、与一。
娘は、犬笛を懐から取り出し吹いた。
無音の合図が出たのであろう、狼たちが一斉に警官隊へと襲いかかった。
与一は、既に神斬りを二刀流で構えている。正面から飛びかかってきた一頭の腹を躱しざまに一閃した。
その狼は、着地して一瞬うつ伏したが、再び何事も無かったように起きあがった。しかし、確かに腹部から血は流している。
「不死身か?」
「あははは。無駄無駄、うちの子たちは不死身よ」与一の呟きが聞こえたわけではないのだろうが笛吹が誇らしげに言う。
与一は、周囲を確認した。
警官隊も、それなりの迎撃をしているのだが、一度倒した狼が何事もなかったように襲いかかっていた。
「頭デース! 他ハ、だめデース」
グラバーだった。警官の一人に肩を貸して貰い立っている。流石にこの状況で酔いも醒めてきているようだった。もう少し聞き取りやすい日本語で再び叫ぶ。「アメリカ人の猟師に聞いたデース。狼は、銃で撃っても直ぐには死にまセーン。とてもタフデース。でも唯一、頭なら即死しマース」
まず、与一が実践した。神斬りを両刃短刀形態にして右手に持ち、左手には倒れている警官の腰からサーベルの鞘を抜き取って構えると、右手から襲ってきた一頭に鞘で打ちかかる。狼は本能的に鞘に噛みつく。そこで、狼が突っ込んできた力も利用し、鞘を左へと引っ張っぱる。狼は鞘に噛みついたままの無防備な頭を与一の眼前に晒す格好になった。
与一は、素早く狼の脳天に神斬りを突き立てた。
狼は断末魔を上げる間もなく絶命した。
与一は、その死体を二度蹴って確認し叫んだ。
「よし! いける!」
とは云っても、狼の方が人間より運動機能は数段勝っている。単独で頭だけを狙い剣を突き立てるのは至難の業だった。が、さすがは練度の高い警官隊。数の優位を利用して三人から五人が一組になり、一頭ずつを数名で取り押さえ、組み伏せたところを一人が念のため首を刎ねる、という策で対抗した。
ボス格らしい狼、今朝も笛吹と共にいた二頭が、最後の最後まで抵抗して警官隊も大きな被害を受けた。が、相手の数が減り、一頭に当たれる警官の人数が増えた事もあって、最後はまさに人海戦術で、この二頭を仕留めた。
「多呂! 侍呂!」
それまで戦況を俯瞰して見ていた笛吹が、ボス二頭の狼に駆け寄って来た。必死に名を呼んでいる。その余りの取り乱した様と自分たち自身の疲労困憊もあって、警官たちは笛吹の逮捕を失念しているようだった。
仕方なく与一が笛吹に近づく。
与一の足音が聞こえるほどの距離に近づいた時、肩を落として悲嘆にくれていた笛吹が、突如振り向いた。
悪鬼の形相を与一に向け、先程まで悲しみで小刻みに震えていた身体は、今度は怒りで痙攣している。
「ゆるさん」
絞り出すようなしゃがれ声でそう言うと、懐から犬笛を取り出した。筒状の笛をひっくり返すと、狼たちに吹いていた時とは反対側の吹き口から息を吹き込む。
やはりというか、人間の耳には何も聞こえないが、何らかの音を発しているに違いない。
いかにも怪しげな行動である。例えば、新たな狼たちを呼ばれでもしたら現状ではもう対処できない。与一は、笛吹から笛を奪おうとした。その瞬間、妖刀憑き達が建物から一斉に飛び出してきた。
妖刀憑きには、笛吹の笛の音が聞こえているのだろう。「待て」の指示を解かれた犬が餌に貪りつくように、一斉に与一達に襲いかかってきた。
周囲の阿鼻叫喚を眺めながら、笛吹は役目を果たし終えたとばかりに笛を脇に放ると、足下の狼の死体を抱き抱えてうずくまる。与一は、その様子を眼の端に捉えながら、襲いかかってくる妖刀憑きの群れに突っ込んだ。
狼との一戦で疲弊しきっていた事と、一旦戦意を切ってしまった事で、警官達は満足に抵抗できなかった。総崩れとはこの事とばかり、一人また一人と倒されていく。
元々絶対数が少ない増援部隊だったのだ。与一ひとりの奮戦では戦況の好転は望むべくもなく、全滅は時間の問題だった。
ちらっと、グラバーのいる方向を窺う与一。本当に幸いな事に、主たる戦さ場から離れた物陰に隠れている為、妖刀憑き達の関心は、まだ彼に向けられていない様子だった。
全滅必至の警官達を見捨て囮としてグラバーを抱え逃げる、という選択肢が与一の頭をかすめる。
妖刀憑き二人の頭に、二刀流神斬りの一刀ずつを突き立てて倒す。相手が、元は見知った学者であるという罪悪感が薄れ慣れてきた自分に嫌悪感を持ちつつ、笛吹を窺う与一。
笛吹の側に落ちている犬笛に視線が留まる。
妖刀憑きの群れと犬笛を吹く笛吹の映像が、与一の脳裏で短く閃光した。殆ど妄想もどきの思いつきであった。だが、この状況では駄目もとで試してみる値打ちはある。いや、試すしかない。
与一は反射的に犬笛めがけて駆けだした。
数歩で手が届く距離まで近づいた瞬間、うずくまっていた笛吹が与一に、ではなく犬笛に突進してきた。「やはり!」与一は直感した。犬笛を渡したくないようだ。
掌一つ分の差で、笛吹が犬笛を奪い取った。しかし、与一は、この笛吹の行動によって確信した。
もう一度あの笛を吹けば、妖刀憑き達の動きは止まるのだ。
犬笛を巡って一旦は近接した与一と笛吹は、その勢いのまま距離を取り、対峙した。
「あぶない、あぶない。危うく台無しにするところだったわ。十頭の長女として皆に示しが付かなくなるところだった」泣きじゃくりボロボロになった顔で笛吹はぎりぎり虚勢を張った。しかし、確かに冷静さを取り戻しているようだった。
笛吹は確保した犬笛を懐に仕舞うと、その手で琴爪のようなものを取り出し、両手の指に装着し始めた。ただし、その琴爪は通常のものより長く鋭く、まるで鉤爪に見えた。
十本全てを付け終わると着物の裾をたくし上げしゃがむ笛吹。まるで狼が座っているような格好だ。
「行くよ」
笛吹は、四つ足で大地を蹴り、与一に向かって跳んだ。腰より低い位置から攻撃してくるので躱しづらい。しかも、相手が本物に四つ足の動物だったら避けられる間合いでも、笛吹は、更にそこから腕を伸ばして鉤爪で攻撃してくる。
「腕を使う狼か」厄介だな、と、与一は巧みに鉤爪を掻い潜りながら対抗策を練る。
何をするにしても時間がない。警官隊は全滅寸前。そうなれば、グラバーが襲われるのは必至。
与一の視界に、本館庭の南角、一段高くなった盛り土が過ぎった。周囲より一段高く、普段から良く陽の当たるその場所には、舎密局から出る大量の洗濯物を干していた。
笛吹の攻撃を避けながら盛り土に誘導していく与一。支柱に架かっている竹製の物干し竿を一本掴むと、攻撃してきた間合いで笛吹の眼前にそれを突き立てた。
当然だが、その程度の妨害で笛吹の動きは止められない。躯を少し捻って物干し竿をやり過ごし、与一に鉤爪を伸ばす、いや、伸ばそうとしたのだが、そこには与一は居なかった。
与一が、笛吹の眼前に物干し竿を突き立てたのは防御が目的ではない。その竿を支柱にして笛吹の身体を飛び越えるためであった。イギリスでは羊飼いが小川や濠などの障害物を跳び越す実用術として『棒幅跳び』なるものを行っていると、グラバーから聞いてはいた与一だったが、まさか自分がやるとは思っていなかった。
しかも飛び越えるのは人間だ。
「狼よりやっかいだが、狼ほど不死身ではないだろう」低い態勢で飛び込んでくる笛吹の上方をすり抜けざまに、与一は、両刃短剣形態の神斬りを突き立てた。
神斬りは、笛吹の背中から腰にかけて切り裂く。
ざざざっ。笛吹の身体が、跳びかかった勢いそのままに何の受け身もせず地面を滑って止まった。動かない。
与一が駆け寄り抱きかかえると、虫の息で、
「まさか…あんたに殺られるとは…何の因果かしらね…」と云って事切れた。
その言葉の意味が気になったが、今はそれどころではない。与一は、笛吹の懐から犬笛を取り出し、見よう見まねで吹いた。
通称『妖刀事件』は解決した。
実行犯が死亡した事もあるが、それが十頭社中と名乗る政治結社の一人であった事実から、事件解明の方向性が定まったのだ。
まず、笛吹の立ち回り先を遡れる限り虱潰しにした結果、彼女の持ち物と思われる粉状の薬剤が押収された。
早速、再編された舎密局の研究部隊が分析したところによると、それは麻薬によく似た神経毒をもったカビを培養、乾燥したものだった。元々、会津地方のごく一部に強精作用のある漢方薬の素として伝わっていたものだったが、繁殖する過程で様々な薬剤を噴霧することによって麻薬によく似た神経毒を持つ性質に変化するのだ。
そして、この薬剤が体内に入ると、ある種の催眠効果もあり、感染者は、
一、人殺しに対する欲求が病的に高まる。
一、特定の性癖(特に残忍性が顕著)が強調される。
一、身体能力が著しく向上する。
などの症状が顕在化する。
更に特徴的なのは、この症状が特定の振動(音)を聞かせる事で、「入り」「切り」を自由に出来るということだった。この音を体系化して操る秘伝を開発していたのが、笛吹という女であり、彼女が十頭社中の一味であるということは調べがついたのだ。
この薬剤のからくりが解明されたことにより、妖刀事件の全容も明らかとなった。
感染経路は「刀の柄」である。
柄に滑り止めと装飾を兼ねて巻かれている麻糸に、この薬剤を染みこませ、この柄を複数回掴む事によって接触感染させるのだ。
染み込ませると云っても、この薬剤はカビとして繁殖するので、目当ての刀の至近距離で、この薬剤(粉)を撒く。カビの着床のしやすさと適度な湿度、人間の手油という養分、という最適な条件がそろった柄の麻糸で、このカビが繁殖する。繁殖したカビは柄を持った者の体内に接触感染する、という仕組みだったのだ。
そして、妖刀事件の解明は終わった。
事件は、首謀者『十頭社中』への国家騒乱の罪に対する捜査と移行した。
江戸時代には、ここに徳川将軍家の菩提寺である寛永寺が建立され、その頃から寺の辺り一帯を「上野」と呼んでいた。寛永寺には歴代将軍の墓が建立され、ゆえに江戸幕府から手厚く保護されていた経緯もあり、寺の門前町である上野自体も発展したのだった。明治の時代となってからも、江戸府が東京府に改称されてからは、廃藩置県により大阪府、京都府と共に三府と呼ばれ、東京府が首府に、他の二府が代替地に制定されると、首府の中心地、則ち日本の中心地として更なる繁栄を迎えた土地である。
その上野で、殺人事件が起こった。
もちろん、繁華街での殺人なぞ珍しい事ではない。人間が多ければこそ、痴情のもつれ、金銭の悶着は日常茶飯事であり、その果てに人を殺める事も少なからずある。
しかし、上野で起こったそれは、極めて大量、且つ、猟奇的であった。
どれほど大量かと云えば、一晩で屍の数は百人を越え、どれほど猟奇かと云えば、その屍の殆どが肢体を細切れに切断され、誰一人として五体揃った遺体に復元できないという凄惨さであった。
そして、それは今も継続中である。
事件の知らせは、直ぐさま警視庁から直轄の内務省を通じて太政官にもたらされた。第一報では、犯人は複数で、その身なりから高い身分の人間ではないか、との事だった。
真相の解明はともかく、事態の収拾には警視庁の初代大警視である川路利良が直々に指揮を執ることとなった。
充満する血と腐肉の臭いと細切れの屍体、そこいら中に飛び散っている大量の血飛沫。
川路と警官隊が、鍛冶橋の庁舎から押っ取り刀で現場に到着した時、その凄絶な光景に何を何処から手を付ければ事態を収拾できるのか見当も付かず、警視庁の猛者で鳴らした警官達でさえ、暫くその場に立ち尽くしていた。
その瞬間、その間合いを狙ったかのように、警官隊の背後から何者かが襲いかかってきた。しかも、一人二人ではなく、少なくとも十人以上である。その身なりが報告と一致する事を、あっという間に阿鼻叫喚となった現場で只一人、川路だけは見て取っていた。つまり、この襲撃者が事件の犯人だと認識したのだ。
警官達は、自分の身を守る事で精一杯で、統率した行動がとれなくなっている。倒された警官の中には抜刀するく暇も無く斬り殺されたされた者もいる。
それ程までに犯人達は、手練れ揃いで身体能力も尋常ではなかった。数に数倍する警官を、例え相手の士気が低下していた隙を突いたとはいえ、鎧袖一触で斬り倒している。
そして、犯人達は一人残らず日本刀で武装していた。一人の例外もいない。
川治は理解した。これが、報告でしか把握していなかった『妖刀事件』の実体を、日本政府の中枢が目の当たりにした瞬間であることを。
だが、その時には、警官隊は総崩れになっていた。立っている者は出動時の半分にも満たない。
が、犯人側も流石に斬り疲れたらしく、一旦、警官隊とは距離を置いて、自分たちのやってきた所行を確認するかのように近辺を窺っている。「動作に人間味がない」その様子を見ていた川辺は訝しんだ。
得体の知れない幸運によってもたらされた小康状態ではあったが、この隙にと態勢を立て直す手立てを川治は思いつかない。歯ぎしりして唇を切ったが、もはや彼我の優劣に差がありすぎる。
だが、それでも川路は諦めるわけにはいかなかった。初代大警視の矜持が、理性が、その貴重な時間を敵の観察に徹しさせた。
人数は十三人。改めて見れば、驚いた事に何人か見知った顔がいる。
知人というわけではなく警備対象として知っているのだ。つまり、それ程、社会的地位の高い要人というわけだ。中には警視庁の武術師範として招へいした武芸家もいた。
その他も、この上野近辺に屋敷を構える幾つかの華族、しかも、公家ではなく藩主や大名などの武家出身で、師範役などをしていた元家臣たちだった。手練れ揃いの筈である。
しかし今や、その形相は既に人のそれではなく、行動や動作が獣じみている。
もう一つ、全員に共通した特徴として、手に持つ刀への異様な執着があった。高く掲げ、恍惚として眺めている者。やたらと素振りをして悦に入っている者、中には、刀身を舐めている者もいる。
ここ数年の間に、川路が眼を通した妖刀事件の報告書に書かれていた犯人の特徴そのままである。
『刀に憑かれている』
その実感が、この時初めて川路に妖刀事件の本質を得心させた。この事件に人間的理性は介在していない。なんとか真相を解明して解決策を見いださねば、この国の安寧に致命傷となる。
結局、こうして人間は『現場』でしか物事を正しく認識できないのだ。
知識や情報だけでは、問題を解決するのに充分ではない。何故なら、それに対処する覚悟に決定的な差が生まれるからだ。解決すべき問題が困難であればある程、その差は歴然となる。その意味で川路は、今はじめて『妖刀事件』に対処する資格を得たといえた。
川路の観察が一段落するのと同時に、犯人達の恍惚に酔いしれている時間が終わったようだった。再び、獲物を求めて徘徊を始めた。が、先程とは違って、全員が一致して人を襲うわけではない。狂気にも個性があるという事なのか?
既に死んでいる警官の屍体を切り刻む者、四人。現場のおぞましい凄惨さはこいつらが造りだしているようだ。
無心に刀を素振りしている者が五人。正気の時にも、よほど剣技にこだわりがあったのだろう。
残り四人が、焦点の定まらぬ動きとは裏腹に指すような眼光で、生き残りの警官隊を射すくめ、ゆっくりと近づく。人の殺気を感じたことのないという者がいるのなら、この場に来ればよい。確実に殺意を浴びる経験できる。
川路は、当面の相手が減ったことに一縷の望みをかけ、部下達に迎撃を命じた。
当初、均衡を保っていたが戦況だったが、長引くに連れ、それまで他の事にかまけていた他の犯人達が、一人、また一人と思い出したように戦列に加わってきた。警官隊は徐々に劣勢となっていく。
川路の脳裏に「玉砕」の二文字が過ぎった瞬間、目の前に新たな人の束がなだれ込んできた。全員警官の制服を着ている。
内務卿、川路の上司である大久保が送った増援であった。
川路が引き連れてきた数の倍はいる。この数の人間が近づいているのに気が付かなかったとは、よほど精神状態に余裕が無かったのかと、安堵よりも自己嫌悪を覚えつつ、川路は犯人の確保に現場を奔走した。
形勢は、あっけないほど一気に逆転した。程なく事態は収拾する。のだが、結局のところ、犯人は一人も逮捕出来なかった。
全員が最後まで抵抗し、やむなく斬り捨てるしか無かったのだ。
味方も、増援を含めて甚大な被害を出した。
すぐさま上野近辺に居を構える華族の全世帯に調査の手が入ったが、今までの妖刀事件同様に、事件の真相は明らかにならなかった。
なぜなら、彼等の証言は全て共通していたのだ。
「何の脈略もなく、前後不覚になった人間が、他人を斬りつけ始めた」である。
ただし収穫もあった。
犯人が手にした日本刀に共通した事実が判明したのだ。
犯行に使われた刀剣は国宝級の逸品であったり、普段使いの安物であったりと刀自体の素性は様々だが、その尽くが最近入手したものであり、そして、その刀に直接手を触れた直後、犯行に及んでいるのだった。
つまり、その刀の購入元を辿るという、事件解決に向けた細い細い糸口が見つかったのだ。
結局、『上野#無尽_むじん__#殺傷』と呼ばれた今回の騒動は、近畿に本家を置く元外様大名の子爵に列している華族が首謀者する内乱ということで処理された。
犯人の中で一番高い地位にあったのが、この公家華族の当主であった為、政府への不満がその理由とされたのだ。事件の大きさ故に、政府の面目を保つ為、どうしても人身御供が必要だったのだ。
事件の後、川路は己の無力を感じていた。
内務卿となった大久保利通から厚い信任を受け、初代警視庁の長である大警視を拝命し、佐賀の乱をはじめとする不平士族の反乱平定に尽力した武人としての自負も、得体の知れない事件の解明には全く届かなかった己の能力を自覚したのだった。
しかしながら、身分の低い薩摩藩の準士分から成り上がった反骨精神で、改めて妖刀事件の解決に意欲を燃やす川路であったが、皮肉なことに、これ以降、彼が妖刀事件に関わることはなかった。事件の核心となる舞台が東京、というより関東から移動してしまったのだ。
次の舞台は、京都であった。
神戸から陸路で京都に入ったグラバーと与一を含む彼の護衛団は、そのまま舎密局に入った。
舎密局とは、医学と化学の発展を目指して、研究と教育のために作られた官営の機関である。
日本と西洋にある差は工業力だけではない。医学、化学など科学技術の分野でも大きく水を開けられており、その差を埋めるべく、明治元年に戦乱を避けるかたちで大阪に理化学校を設立することが決定された。
大坂城西の大手通旧京橋口御定番屋敷跡に建設された新校舎にて、オランダ人化学教師ハラタマを教頭とした大阪舎密局が開校され、その後、明治三年十二月にハラタマに師事した明石博高により設立されたのが京都舎密局である。ここでは、石鹸やガラス等の工業製品の製造指導や薬物検定を行われ、明治八年二月には文部省管轄の『京都司薬場』が併設されまでになった。
因みに舎密局の「セイミ」とは、幕末期に広く使用された蘭語のchemie(化学)の音を当てた言葉である。
今回、この京都舎密局に集められたのは、国内の洋学者は勿論、グラバーの口利きで来日していた欧米各国の物理学者、化学者、生化学者の殆どが顔を並べていた。
この人材の量と質は、グラバーの人脈無くしては到底実現し得なかったであろうし、逆に云えば、彼が如何に当時の日本において多大な影響力を持っていたかの証左であった。
その最高レベルの科学者集団が、寄って集って何をするのかと云えば、もちろん妖刀の正体を解き明かすのである。
妖刀事件の原因が、犯人のことごとくが持っていた『刀』に起因しているのは、察する事は出来る。だがそれは、状況証拠からの推論でしかない。勘に近いものだ。だから、刀の何が原因なのかを科学的な分析で解明し特定するのである。
確かに当初は、日本が近代国家に生まれかわった事を国内外に喧伝する意味合いがの方が大きかったのだが、上野で件の事件が起こり、妖刀事件に国家転覆を謀る何者かの意思が介在しているのではないかと疑念を持った太政官は、事件の解明に本腰を入れる事となり、舎密局に集められた人員と資金は初期計画の数倍に膨れあがったていた。
グラバーと与一が到着して数日後、上野で回収された刀が舎密局に搬送されてきた。これで、今までに日本国内で証拠品として押収された刀、計二十三本がすべてに舎密局に集まった事をなった。
ここからは時間との戦いである。
次に大規模な妖刀事件が起これば、明治政府の統治能力を問われるに違いない。文明開化の時流に乗って西洋式の新聞が数多く創刊され、一般庶民に情報が広がる速度は江戸時代とは比較にならない。既に、上野の件は、広く世間に知れ渡っていた。
それ故に、太政官内部が持っている危機感は尋常ではなく、三条が直々に来局して、分析にかかる費用の決算と資財の搬入を陣頭指揮する程だった。
そしてこれは、日本国内における史上初めての近代的な科学捜査でもあったのだ。
火夜でなく、まだ幼い「かよ」が云った。
「いっちゃん、これあげる」
爪草で作った小さな輪っかを与一に差し出した。子供の薬指に嵌る程度の小さな輪っかだった。
「なんだこれ」
自分の薬指に丁度良いその輪っかをはめると、与一は眉間に皺を寄せてそれを検分した。
与一とかよの家は近所同士である。二軒の間には小さな原っぱがあった。
二人は、そこで花摘みをして遊んでいるのだ。与一の方は、かよにせがまれて、嫌々である。
「知らないの? 南蛮では、男と女が契りを結ぶと指輪っていうのをするんだって」
「なんだそれ」と、与一は、ぽいっと輪っかを薬指から振りほどいた。
じわっと涙を浮かべるかよ。
「だって、かよは、いっちゃんのお嫁さんになるっていったじゃなーい」と大声で泣き出した。
それまで無愛想だった与一は、一転してオロオロし始め、泣きじゃくるかよの回りを為す術もなく回り続けるのであった。
はっと、目覚める火夜。
馬車の荷台だった。山のように積まれていた藁を布団にして寝入っていたのだ。
夢から覚めた事を自覚し、辺りを見回す。
西国街道を進んでいる馬車。前方の御者台には、馬車の持ち主と羅刹が乗っている。
羅刹が火夜に気付いたらしく、「起きたかの」と声を掛けた。
「ええ」と短く答える火夜。まだ、羅刹には警戒を解いていない。
近年ではすっかり名乗る事も無くなったが、姓を「田山」という。
明治以前、江戸幕府の命により刀剣の試し斬りする御用、則ち『御様御用』を勤めていた代表的な家系に、有名な山田浅右衛門の系譜がある。
意外に知られていないのだが、八代続く山田浅右衛門の内、直系の実子は二人のみであった。
御様御用には高い技術が必要であったが、世襲の家系では、その水準に満たない者が現れる可能性があり、その対策として技術のある者が当主を代行したのだ。従って、山田浅右衛門家は常に多くの弟子を取っており、その多くが大名家の家臣やその子弟だったが、旗本や御家人も含まれていた。
数多く弟子を取れば、様々な事情の者が現れる。例えば、弟子入り修行の最中に跡継ぎが出来ぬまま当主が亡くなるなどして、取りつぶしになった御家の家臣の者も少なくなかった。彼らは例え実力があっても、後ろ盾を失ったとして下野せざるをえない。
その中の一人に、田山崋山という名家の元家臣がいた。田山という姓は本名ではなく、山田の弟子を放逐された際に、皮肉って名乗ったと云われていた。
その田山が、野刃の祖の一人である行平家と出会い、その腕を見込まれて完成品の試し切りを代々引き受けた、というのが火夜の家系である。
そして、代々引き継がれた試し切りの技、その実戦応用形として完成したのが試刀応戦流であった。
運命のいたずらは、火夜をして、その最後の継承者と成した。
一方、田山家に試し切りを依頼した野刃の祖である行平とは、後鳥羽院御番鍛冶の一人である豊後国行平の流れを汲む刀鍛冶一族であり、与一の養家である行平家と火夜の田山家は代々、民間用の刀剣具、つまり野刃とその非公式な御様御用という密な間柄を保ってきたのである。
与一と火夜は、そういう因縁を元にした幼なじみなのであった。
やがて、野刃の存在を知った江戸幕府や明治政府といった時の統治者から「庶民の武装はまかりならぬ」と野刃狩りが繰り返し行われ、それに伴い両家は衰退していく。
そんな中、与一は行平家最後の当主から気楽亭おもちゃへ又養子として出され、その後、火夜は与一の義父の弟子の元へ鍛冶屋の女房として嫁ぐ事となったのだ。
「どこに向かっているのです」火夜が、羅刹に尋ねた。
「関っちう鍛冶が盛んな街ぜよ」
一緒に旅を始めて間もないが、初対面の印象とは違って気さくに喋る羅刹の人懐こさが、逆に火夜の警戒心を増す事になっていた。蛇足だが、聞いた事のない訛りに慣れるまで会話がしんどそうである。
「それで、刀喰いの修復をして下さるというのは、どなたなのです? 野刃を扱える鍛冶はもういないと認識しているのですが」
今までに繰り返された野刃狩りで、その製造技術を持った刀鍛冶は居なくなったというのが一般的な認識である。
野刃は本来、庶民が隠し持つ武器としての性格上、その切れ味と共に保守手入れが不要なほど頑強に出来ていた。しかし、それにも限度がある。実戦を繰り返す戮士達の野刃は、今やその殆どが本来の性能を失ってきている。因みに、与一は、神斬りの簡単な手入れを自分で行っているが、養父が野刃鍛冶だったという例外中の例外なのだ。
「ああ、お前さんも、よー知っちう奴じゃ、与一の得物も大事の時には、こん人に面倒かけちう。名前が、あー、錦治?」
話しをしながら、御者台の羅刹に向かって藁の中を移動していた火夜の動きがハタっと止まる。
羅刹は振り向いて、それは故意にだったのか無邪気に言った。
「ああ言い忘れたがぁ、お前さんは知っちうだろうが、向こうは、お前さんの事は、ぜーんぜん知らんよ」
「え?」
三日後、二人は関に入った。
そこいら中から鉄を叩く音が聞こえている。そんな印象の街である。
中心部からずいぶんと外れた林の中に一軒家が建っていた。鍛冶屋であった。
その作業場に男がいる。
戸口に立ち尽くして、男を見ている火夜。
見まごう事なき元夫、いや、正式に離縁していないので、まだ夫の錦治だった。
火夜は、声を掛けようとして躊躇する。
羅刹から記憶喪失だと聞いている事もあったが、あの佐賀の乱で坂本剣山に襲われた時、寿々の事もあったとはいえ、まだ絶命していなかった夫を、よく確認もせずに大火の中に置き去りにしたのかと思うと、罪の意識で言葉も出なかった。
火夜が去った後、何かの幸運で家に火が回らなかったのか、それとも自力で這い出したのか、火事が収まって焼け野原になった神崎の街に瀕死の状態で行き倒れていた処を羅刹に助けられたという。
野刃は正に戮士の肝。故に「最後の野刃鍛冶あり」の噂を聞きつけ、羅刹が、その消息を確かめに来ていたところに佐賀の争乱だった、というわけなのだ。
「よう、錦さん。名前、思い出した?」羅刹が、火夜の脇をすり抜け、錦治に声を掛けた。
錦治が顔を上げ、笑顔で応える。
「なーに言ってるんすか。私は『錦治』って名前だって、日ノ本さんが教えてくれたじゃないですか」
錦治からしてみれば羅刹は命の恩人である。仲は良いようだ。
「自分で思い出さにゃ、意味無いじゃろ。これからの事もあるんじゃ」
「そうなんですが…今、頂いている仕事も楽しいし、何より、思い出さない方が良い事があるような気がしてならんのです」
火夜の顔が少し曇るのを、背後に気配で感じながら羅刹が言った。
「まあ、焦ることはない。ところで今日は、これを見て貰いたいんじゃ」と刃の欠けた刀喰いを差し出す。
手にとって、視線で射るように刀喰いを見る錦治。
「これは凄い。道具としての精密さは、こないだ見せて貰った鋏に劣りますが、刃物としての出来は、遜色がありませんな」こないだの鋏、というのが神斬りの事だとは、火夜にも分かった。
それから暫くの間、錦治は憑かれたように刀喰いと神斬りの違いと共通点、それは野刃の根本的な特徴にまで話しが広がる事になるのだが、止め処なく喋り続けた。個人的な事は自分の名前すら覚えていないのだが、刀工としての知識は全く失われていなかった。
物体として『折れ』と『曲がり』という相反する性質を高い次元で両立し、刃物という道具として究極の『切れ味』を実現する。それが日本刀である。
西洋の剣は溶鋼炉で生産した鋼板を型で打ち抜くか、角状に鋳鋼された物を削り出す、つまり、刀身が単一の材質なので、硬くて弾力があるが。斬りつけた際、刃に対して横方向に湾曲してしまう。
一方、日本の刀は、何度も折り返して鍛えた鋼を炭素量の少なく柔らかい芯鉄と炭素量が少し多くて硬い皮鉄に分け、その芯鉄を皮鉄で包むことで強度と柔軟性を併せ持たせている。故に、刀身を薄く造る事ができ、薄い刃はそれだけ鋭い切れ味を生む。
この日本の刀の製法をさらに極め、刀身をより薄く造らんとしたのが野刃である。
結果、野刃の特徴として、日本刀の「両刃」に対して「片刃」が可能となったのだ。この場合の両刃、片刃は、鎬部分を境にして両方の側に刃が付いているかいないかの違いではなく、刀身の断面で見た時、くさび形をしていて芯鉄全体を皮鉄(刃となる部分)が包んでいる状態の「両刃」と、皮鉄が芯鉄全体を包まず皮鉄が片側に寄っている、つまり、包丁のように「半くさび形」をしている刃になっている違いを云う。
故に、片刃は、両刃よりより鋭角な刃を持つ事となり、より鋭利な切れ味となるのである。
必然的に、同じ強度でより薄く鋭利な野刃は、普通の刀を斬れる刃物となったのだ。
その特徴を巨大な出刃包丁の形態にした事で究極に高めたのが『刀喰い』であり、片刃である特徴を利用して鋏形態にする事により、切断力を更に高めたのが『神斬り』なのだ。
一頻り喋ったところで、錦治は戸口に立っている火夜に気付いた。
「どちらさまで」
その言葉に、返答でなく涙が溢れる火夜。
「どうしました?」狼狽する錦治。
羅刹が、錦治を押しとどめる。
「わしの連れじゃ、ちょっと身内に不幸があっての」と戸口に向かう羅刹。「それじゃ、修理のほう、頼むけぇの」
「は…い」
錦治は、怪訝な顔で返事をした。
錦治が作業にはいると、まだ涙目のまま立ち尽くしている火夜の手を曳き、外にでる羅刹。誰に聞かせるでもなく話し始めた。
「ちいと昔、わしが上海に身を隠しておった時の事じゃ。ああ、上海っちゅうのは清国の上海な。そこに気楽亭おもちゃの弟子というふれ込みで、与一という紙切り芸人の男がやって来たんじゃ。表向きはグラバー商会主催で日本演芸の海外興行という事じゃったが、要は、ある人物が、わしに与一を預けるための口実にしたっちゅわけじゃ。何せ、日本人が理由もなく日本を出るのは甚だ難しいからのぉ。そういう意味じゃ、与一の奴はその頃からグラバーの世話になっとるんじゃ」
火夜は、突然何なのだろうと、羅刹を見た。もちろん、その与一とはいっちゃんの事だろう。
「与一を行平家から引き取って、忍び時代の忍術、体術と紙切り芸人としての芸を教え込んだのも、そのある人物の依頼だったそうじゃ」
ある人物というのは勝安芳の事であったが、火夜の預かり知らぬ事柄である。羅刹は伏せていた。火夜もそこに興味は示さなかった。
「で、そのある人物曰く、与一には日本の未来を託す興国の志士になって貰わにゃならん。その為に日本を取り巻く世界情勢っちゅうのを見せた上で、わしの見識を伝授しろちゅう事じゃった」
わしも、そのある人物には世話になったもんでなぁ、頼みを聞かん訳にはいかんのじゃぁ、と羅刹は大仰に項垂れてみせた。
火夜は改めて羅刹に問うた。これ以上、色々な事があやふやになったまま話しが進むのには耐えられない。
「羅刹さんは、どういった素性の方なんです? お話を伺っていると、御攘夷のために闘った偉い武家さんだったりしたのですか?」
羅刹は、にっと笑ってみせた。
「まあ、そんな大層なもんではなかったが、お国のためには闘ったかの」と言うと、それまでは着物の懐に隠して決して見せなかった左手を、ぴんと伸ばして袖から出してみせた。
「一度死んでからは風来坊じゃ」
左腕には手首が無く、代わりに西洋の単筒が付いていた。レボルバー式の連発銃。最新型であった。
「…」流石に言葉を失う火夜。予想通りの反応を楽しむ羅刹。
「で、与一には云ったんじゃ、お国為なんぞと小難しゅー考える必要はない。身近な人間の事から考えていきゃ、それでえーんじゃ」
再び、左腕を袖から引っ込めて懐に隠す羅刹。
「わしゃぁ、日本人じゃけの。大事な肉親やら知人は、みーんな日本人じゃ。そいつらが理不尽に死んだら悲しい。
悲しいのはかなわん。じゃから、そいつらの為に日本を良くする。日本を良くする為に日本人を守る。異国が攻めてきて知り合いが死ぬというのなら、助けるのに千人の唐人を殺さにゃならんゆうなら、迷わずそうする」
火夜は、羅刹の訛りがどうしても馴染めず意味が頭に入り難かったが、懸命に自分の言葉に翻訳しながら聞いた。
「じゃがな、彼奴らが同じように己らの都合で日本を攻めるとありゃ、非難はせんよ。わしらは神様じゃねえ、ただの人間じゃ。どいつもこいつもに不都合無く生きる事なんざ無理なんじゃけ、それでええんじゃ。無論、わしは断固阻止するし、それだけじゃ。もちろん方法は色々、最初は話し合いの努力もする。だが、それで駄目なら当然戦さになるじゃろが、それがどうした」
複雑な表情で聞いている火夜を見て付け加えた。
「まあ、その上で互いの利益の為に仲良くしたいっちゅう奴が唐人の中にもいるのなら、そんときゃぁ、そいつも全力で守りゃええ、グラバーみたいにの…そういや、前に奴が良えこと言うとったの、あー、なんじゃ、ほら、あれじゃ、そう、『シンプル・イズ・ベスト』じゃ」
火夜に英語の知識はないので、その異国語の意味は解らなかったし、羅刹の訛りは相変わらず馴染めないが、その人と成り、考え方は理解できたような気がした。納得するかは別問題だが。
火夜の肩に、ポンっと右手を置く羅刹。
「おぬしは娘を取り戻す。それしか出来ん時には、それだけをやる。今のあんたには、あの亭主にしてやれる事たぁない。何を思い悩む事があるか。そん後の事は、それからじゃ」
火夜、少し俯いてから羅刹に小さく頷いた。
羅刹は、火夜と刀喰いを見せる事で錦治に何か変化があるかと密かに期待したしていた。それが第一の目的であったのだが、もう一つ、与一と火夜の関係を情報として見知っているうえで、今後の三人の関係に関しても羅刹なりの考えがあって夫婦の再開をお膳立てしたのだった。
それでも羅刹は、「まあ、世の中そんなに甘くはないからのぉ」と、顎をさすりながら、決して火夜には聞こえないような小声で、溜息混じりに呟いた。
舎密局での妖刀分析が始まって一ヶ月が過ぎていた。
政府にとって幸運な事に、まだ次の妖刀事件は起こっていない。が、妖刀と呼ばれた刀たちの解明にも目立った進展はなかった。
携わっている学者達の間にも、諦めと焦りの入り交じった空気が流れ始めていた。そんな頃合いを見計らったように、最悪の形で事態は急転する。
舎密局内で、妖刀事件が発生したのである。
その日の朝、与一は局内を見回っていた。といっても、警備の警察官が山ほど詰めているので、与一にとっては暇つぶしの意味合いの方が強かった。
この一ヶ月間、やる事といえば、グラバーの話し相手か見回りばかりである。
同じく京都入りしていた三条といえば、太政官の長として東京を長期間空けるわけにはいかず、さすがに一週間ほどで帰京した。それまでは、三条と与一の二人でグラバーの話し相手をしていたのだが、三条がいなくなってからは、与一がお守り役を一手に引き受けていた。
グラバーが外出でもしてくれたならば、そのお供で気分転換もできるのだろうが、グラバーは基本的に出不精だった。世界を股に掛けた貿易商の印象と違っているが、それこそが一流の貿易商の真骨頂なのだ。
貿易商の生命線は『情報』である。
グラバーは、特別に施設させた電信機を使って、日本国内は元より、世界中をから様々な情報を入手していた。出歩くのは交渉ごとの大詰めだけである。それまでは、有能な部下が彼の手足となる。それを成立させる『人事』もグラバーの得意分野であった。その様子を日々横目で見ていた与一は、貿易事業などは全くの門外漢ながらも、先進性と合理性、生産性において、まだ埋まりそうにない日本と西洋との差を実感したものだった。
見回りの途中、局の表門に差し掛かったとき、与一は、左右の門柱それぞれの側に一匹づつ、犬が座っているのを発見した。石のようにじっと動かず座っている様子とその位置から、神社の狛犬を連想したが、狛犬は神社の外に向かって座っているが、この二匹は舎密局の内部に向かって座っていた。
それと、与一は一つ認識を誤っていた。その二匹は犬ではなく、狼だった。この時代、まだ日本狼は絶滅していなかったが、街中で見かけることなど皆無である。間違えても無理からぬ事だった。
しかし、あくまで犬と誤解している与一は、野犬による狂犬病を危惧していた。明治六年の長野県で流行して以来、しばらく聞かなくなった伝染病だが、抜本的に撲滅したわけではない。この日本における西洋科学の最先端を供する施設である舎密局で、狂犬病などを発生させるわけにはいかない。
与一は、二匹を敷地外へと追い立てるべく門へと近づいて行った。念のため、神斬りが収まっているサックの留め金は外していた。
与一の接近にも二匹は平然としていた。与一を見てさえいない。視線は真っ直ぐ舎密局の内部に向けられている。ただ己の意志というよりも、良く躾られた犬が『待て』をしている感じだった。
「さてと」
与一は、左右の門注から等距離、門の真ん中で通せんぼするように立つと咳払いした。二匹の反応を見る為である。野犬よろしく襲いかかって来てくれでもすれば、遠慮無く力ずくで追い払うのだが、ここまで行儀良く座っていられると対処に困った。
そこへ「すみません」と若い女の声。与一の背後から聞こえてきた。
十代後半くらいの若い娘が、敷地内から門に向かって走って来る。浴衣に下駄履きで、舎密局には場違いな出で立ちである。
与一は、自分がグラバーの側に付いていない状況で、素性が知れぬ人物が敷地内に入っていた事に狼狽していた。警護者として看過できぬ失態である。それが例え、うら若き乙女であっても、いや、だから尚更である。与一の経験上、子供と女は危険ほ注意喚起する際の最大盲点なのだ。
与一は返事をせず、わざと鋭い視線を女に向けた。ただし、忘れてはいけない。与一の地笑顔では、鋭い視線などは十中八九相手には伝わらない。
そんなわけで、女は愛想良く振る舞ってくる。
「うちの子たち、お邪魔でした?」
「うちの子?」と与一。
「ああ」と、女は浴衣の袖から小さな笛を取り出した。目明かしが捕り物の時に使うような筒状の木片に細工をしたものだ。
吹いた。音はしない。
しかし、座っていた二匹が女の脇に走り寄ってきて、再び行儀良く座った。
与一は、「犬笛か」と微かに呟く。人間には聞こえない音で、犬を操る術がある事は知っていた。実際に見るのは初めてだが。
「うちの子」と、女はしゃがんで二匹の首を抱きしめながら、与一に上目遣いで微笑んだ。
「ああ、成る程」理解した与一だったが、それ以前に根本的な疑問を口にした。
「で、どちら様かな?」
女は舎密局内で働いている事務職員の娘で、お昼の弁当を届けに来たという、もっともらしい説明を与一にした。確かに、その職員の名前は聞き覚えがあった。与一は、局内にいる全職員の名前を記憶しているのだ。
もしこの話が嘘ならば、事務職員への確認で直ぐに知れる内容だ。それでも一時の時間が確実に稼げる。その確実な暫時の猶予さえあれば与一を振りきれるという自信なのか、それとも真に実の話しだからなのか、女は涼しい顔で微笑んでいる。
「お前さんの犬、今まで見たことないが、なんて種類だい?」
与一は、相手の腹を探る手始めに他愛もない質問をした。
「いやだぁ、この子たち、狼ですよ」
女は、にっこりと答える。
「…ああ…そう」
与一は、特に興味があったわけではない問いの答えが、あまりに予想外だったので言葉に詰まってしまった。
「ふーん、ほんとに十騎男と瓜二つ」
女が与一の顔を眺めつつ意味深に呟いた。
与一には、その意味は解らない。
「それは…」と与一が聞き返そうとした、その時、舎密局の本館から走ってきた一台の馬車が与一の側に停まった。
「イッチャンさーん」と、中からグラバーの声。神戸までの船旅で火夜から聞いた与一の渾名がいたく気に入っているのだった。「チョット用事出来マシタ。出カケまーす」と、人前で『イッチャンさん』と呼ばれる度に、渾名に「さん」ほ付けるなと心の中で軽く突っ込んでいる与一に、自分の用件を一方的に告げるグラバーだった。
護衛の与一が同道しない訳にはいかない。済し崩しに女を見逃すことになってしまった与一だが、馬車に乗りながら、去り際の女に一声掛けた。
「そういえば、お嬢さん」
女は、「はぁい」と軽やかに振り向く。
「肝心な、お名前を聞いていませんでした」
「笛吹と申します」
珍しい名前だ、と返す与一に「うふふ、じゃあ、またお会いしましょう」と、意味深な云い方別れを告げ、笛吹は二匹の犬、もとい、狼を従えて去っていった。
その再会は愉快なものではなさそうな予感を抱きつつ、初戦の腹の探り合いは完敗した事を自覚しながら、与一はグラバーの乗る馬車へと同乗した。
出不精というのが嘘のように、その日は精力的に京都の町を巡るグラバーに日がな一日連れ回された挙げ句、夕刻遅めに帰局した与一は、早速と今朝の女が父親だと語った事務職員の元を訪ねた。が、一足違いで帰宅した後だという事だった。
何とも分明ならぬこと甚だしいのだが、夕食の時刻が迫ったので仕方なく食堂へ向かった。グラバーの話し相手というお役目の待つ宴の席である。
グラバーはいつも局内の食堂ではなく自室で食事をとっていた。主に、彼が人混みを嫌うのと、与一が護衛に付き易いという都合である。加えて、与一の神斬りは屋内では結構目立つのだった。サックで大部分が隠れているとはいえ、一目でそれと判る巨大な鋏をぶら下げている人間が食事場をうろつくのは、周囲の精神衛生上あまり好ましいものではない。それでも、その日の晩餐はグラバーが食堂に姿を見せるという。
それは、妖刀の解析で成果があがらず停滞している局内の雰囲気に活を入れるためであった。別に叱咤しようというわけではなく、食堂で提供される定番の献立に変化を与え、職員一同の志気を高めようと云うのだ。
せっかくの京都、日頃食せぬ物を喰って英気を養って貰うため、京の都を西へ東へと、グラバーは名産品を求めて駆けずり回ったのだった。
しょせん人間は三欲を満たす為に生きているのだ。その内の一つ食欲を満足させるのは、手っ取り早い士気高揚の手段である。正に機を見るに敏。この停滞した機運にそれを素早くしてみせるとは、グラバーの人心掌握術に与一は感心したのだった。
食堂といえば、舎密局に食堂というのは元々無かったのだが、妖刀分析の為に増えた人員に合わせて、本来実験室であった部屋の一つを潰し、急遽施設したものである。食卓は薬剤や実験器具を置いてあった長机に布を被せ、見た目だけは西洋のレストラン風に仕上げていたのだが、椅子の方は余っていた材木で急造した長椅子に座敷用の座布団を並べただけという、なんとも在り合わせ感が漂う和洋折衷の空間になっていた。
その食堂の中央に、日頃のありきたりな料理とは一線を画す豪華な料理が所狭しと並んでいる。グラバーが仕入れてきた京都名産の品々が幾つもの大皿に盛りつけられていた。
魚料理や発酵食の類は、人員の半数ほどいる西洋人の中には苦手とする者もいたが、八ッ橋など菓子類は万人が嗜好した。
さて、宴の準備は万端。後は、人が集まるのを待つだけだった。
グラバーは、まだ人の疎らな食堂の片隅で、食前酒とばかりにワインを一瓶空けていた。
与一は、その横に神斬りが身体の陰に隠れるように座っていた。流石に酒は口にしなかったが、グラバーがイギリスから輸入してきたラムネとか云う「しゅわしゅわ」すると評判の飲み物を試してみた。
栓代わりのガラス玉が瓶の中でごろごろしていて、それが瓶口に詰まるので、なかなかに注ぎにくく、四苦八苦して中身の液体をコップに移すと、それは確かに「しゅわしゅわ」していた。
恐る恐る呑む。
「うっ」口の中で何かが破裂した。
咳き込む与一に、グラバーが笑いながら話しかける。
「ソレガ、世界デース」
「?」グラバーの日本語は正直わかりづらい。とにかく発音が英語訛りでなのある。今回は短い語句だったので聞き取れたのだが、意味が全く不明である。それで聞き取れない素振りをした。
だがグラバーは、「らむねガ、わーるどデス」と、お見通しだと云わんばかりに意地悪く、「世界」を「ワールド」に言い換えたて同じフレーズを口にした。
与一は、「降参だ」という表情をグラバーに返した。
グラバーは、ワインで少し唇を湿らせてから言った。
「怪しげで、確かに手厳しい、ソレデモぉ、その良さを理解し、受け入れる努力をすれば、得難い存在となる。賭けても良いですが、ラムネはこれから日本で広く愛飲されマース。日本は、これから世界と向き合い受け入れなくてはなりまセン。そのラムネのようにデース」
心持ち普段より滑らかな日本語だ。気分が高揚している証拠である。
再びワインで口を湿らせる。今度は二回、二口飲んだ。
「でもォ。それは、ワタシも同じなのデース」
「同じ?」
「ハーイ。ワタシ、父親が航海士だったせいか、物心付いたときから海外で生活していました。それで、チャイナの上海に行ったのが二十一歳の時デース。思えば、東洋に来られたのはとてもラッキー。イギリスとの戦争に負けて、今は見る影もありませんデースが、古代のチャイナが当時世界最先端の技術文明国だったのは間違いありまセンネ。そして、ジャッパーン。最初、こんな東の果ての小さな島国に来る事が決まったときは、とてもダウナーでした。ソシーテ、実際に来てみると、やはり工業化はされていナーイ、おまけに恐ろしげな刃物を持った人間がそこいら中を歩き回っテール、何と怪しげな国かと思いまーシタ。シカーシ、住んで、色々なモノを見て、ワタシ、気付きました。ジャッパーンは、我々が思う近代化と日違う進化をしているのデース。例エーバ、江戸は、世界でも最大級の都市でシータが、こんなに上水道が発達している国は他にありまセーン。朝昼夜といつでも清潔な水が飲めるなんて、ヨーロッパでもありえまセーン。そレーニ、あらゆるものが再利用されていまーす。すごいデース。庶民のウンチ、失礼、糞尿すべてが農業に使われていマース。それが流通するシステムが成り立っているのがすごいデース。長屋の大家さんが、厠の肥やしを売ってマシタ。ワタシも商人の端くれ、眼から鱗がドロップデース。ヨーロッパでは、未だに、どんな大都市でも、うんち捨て放題デース。クサいデース」
鼻をつまんで首を横に振るグラバー。
「シカーシ、一番驚いたのは」与一の腰にぶら下がっている神斬りのサックをトントンと人差し指で叩き言った。「刀の製造技術デース」
初代面の時、与一は、グラバーが野刃の素性、特に刀の製造技術が転用されている事を知っていて驚いた。日本でも世間一般には余り周知されていない、どちらかと云えば今や国家機密に類する事柄である。グラバーの日本通、情報通は本物だった。
「砂鉄、玉鋼の段階から一本の刀が出来るまで、何日も何日もその行程を見学した事がありマース。マーベラス! あれは芸術であり、産業であり、科学デース。刀に比べれば、西洋の刀剣は平べったい棍棒に過ぎまセーン。しかも、同等の技術を何百年も前に完成させていた。ワタシは確信したのデース。日本人は、ワレワレの技術を吸収したとき、二十年で追いつき、五十年で抜き去りマース」
与一が聞いていても歯が浮きそうな日本アゲである。酔いが回って気が大きくなったのであろうが、さすがに口が渇いたらしく、再びワインで口を湿らせる。というか、瓶から直接飲んでいた。既に普段の生白い顔が真っ赤である。
「イッチャンさん。何でイギリスが、チャイナのように日本をセンソーで占領しないか分かりますか?」
その手の世事は羅刹にも良く聞かされているし、実際、与一は上海の租界に住んでいた事もある。が、与一が気軽に応じるには過分に政治的な話題だ。与一は首を横に振った。すかさず、グラバーが喋り始める。
「我が大英帝国ロイヤル・ネイビーは、世界最強デース。これは、間違いありまセーン。その力は一九六三年の薩英戦争で、いかんなく発揮されてマース。あの戦、薩摩の惨敗、イギリスの大勝利、と云う事になってますが、少し違いマース。確かに砲撃戦はアッという間に終わりました。瞬殺デース。シカーシ、イギリス軍が薩摩に上陸してからが、悪夢の始まりだったのデース。進軍する先々で、細長い刃物を持った日本人が襲ってくるのです。何度も、何度も、諦めることなく。そして、それを一般の村人たちが、パニックにもならず社会秩序を保って、食料や物資を供給し支えているのデース。そんな国、世界中で見た事ありまセーン。落ち着いて占領なんかしていられまセーン。この経験は、ロイヤル・ネイビーの士官学校でも、教訓として正式な教材になり、未来永劫語り継がれるでしょう。ワタシ、艦隊司令から直接聞いたので間違いありまセーン」
大げさに手を広げてから腕を組み右拳に顎を乗せる仕草を見せるグラバー。
「そこで、イギリスとそれを聞いた列強各国は考えマーシタ。『薩摩なんていうローカルな地方都市でサーエ、こんな抵抗に遭うナラ、日本全体では、いったいドーナッテしまうのダー』これは植民地になどせず、有利な条件で貿易でもした方が得策デース」
グラバーは、芝居がかったウインクをして付け加えた。
「でも少しダーケ、我が母国の肩を持つと、イギリスは世界中の植民地で紛争を抱えてマース。日本みたいな小さな国に大規模な艦隊を送る余裕がないのデース。経済的な問題が一番デース。決してイギリスがチキンなわけではありませーんヨ」
そのことで日本への興味が一段と膨らんだ、とグラバーは続けた。
「ワタシ、どうしても日本の未来が見てみたいデース。ワタシの人生、日本ナシではやっていけませんデース」
話しは終わったらしい。与一の聞き上手も、このひと月ばかりで板に付いてきた。
今日は少し長めだったが、グラバーは満足したようだ。
「トコロデ、皆サン、集マリガ悪イデース」何か、突然いつもの片言口調に戻ったグラバーが、食堂内を見回して言った。
夕食の開始時間は、もう三十分ほど過ぎていた。実験の都合などもあるので、局内の全員が一斉に集まる事など望むべくもないのだが、しかし、三十分を過ぎて数人しか居ないというは異常である。
グラバーのがっかりしている表情を見て、与一は席を立った。
「そうですね。ちょっと見て…」
ガシャーン。
与一が言い終わらない内に、食堂入り口の戸が、もの凄い破壊音と共に吹き飛んだ。割れた硝子の破片が食堂内に飛び散る。
扉の無くなった戸口から、ゆっくりと、と云うよりも、ゆらゆらと身体をふらつかせながら、与一も見知った顔の学者が数名入ってきた。知ってはいるが、個人を識別するのが困難なほど表情は惚けていた。しかも、食堂内に入ってきた彼らの手には、例外なく全員が、回収し舎密局に集められていた妖刀を握っている。
外人も含めた学者達が、妖刀憑きになっていた。
反射的にグラバーの前に立って庇う与一。神斬りのサックに手を掛けた。
グラバーは、立ち上がろうとしてよろける。酔っていた。
まずい、と、その気配を背中で感じながら、与一は妖刀憑き達の様子を窺った。
既に八人が食堂に進入していた。動きが鈍いのが災いして入り口に詰まり、塞いでしまっている。戸口の外にも、十人単位で蠢いている気配がした。まだ、攻撃してくる気配はない。
しかし、食堂内に居た職員の一人が、恐怖に駆られて入り口の反対側、中庭に面している窓から逃げようと走り出す。運良く食堂は一階だったのだ。
最初の一人につられて全員が、一斉に窓に向かって走り出した。
その動き呼応して、それまでゆっくりとした動作だった妖刀憑き達は、まるで解き放たれた猟犬のように、逃げ出した職員を襲い始めた。驚いた事に、普段は人斬りなどした事もないであろう学者達が、剣士よろしく妖刀を振るっていた。
与一は、その様子を冷静に観察し、狩り場と化した食堂内の状況を把握した。ふらついているグラバーを問答無用で肩に担ぐと、今は誰もいくなった入り口を目指して走り出す。背後から聞こえる職員達の阿鼻叫喚を身を切る想いで聴覚から追い出しながら、今はグラバーの安全確保を最優先に行動した。
舎密局の構内では、警備の警官達と食堂に進入した集団とは別の妖刀憑き達が、攻防戦を繰り広げていた。ここでも、妖刀憑きは全員、それを分析していた学者達であった。
与一は、妖刀事件のカラクリが朧気に見えてきた。しかし、それを断定するには決定的な要素がまだ欠けている。与一は、警官と妖刀憑きが入り乱れている舎密局本館の廊下を一気に駆け抜けた。血で床が滑る。グラバーは酔ってはいたが、なんとか与一の肩にしがみついている。
玄関から表門を目指す。
与一は、一瞬馬車留めに向かう事を考えたが、もはや馬車が使えるかどうか疑問である。今回は人力、つまり自分の力のみに頼る事にした。
門が見えてきた。門の外に、馬に乗った人影の集団が見える。
「与一殿!」
局内警備団の副長だった。
事件発生直後、団長の命令で地元の警官達をかき集め、応援に戻ってきたところだった。判断に長けた指示であったが、副長からその団長の安否を尋ねられた与一は、残念ながら見かけていない、としか答えられなかった。
警官数人と馬をグラバーの避難に割いて貰う。グラバーの安全を確保した後、取って返す事を約束して局外へ出ようとした瞬間、周囲の闇に紛れて何かが襲いかかってきた。複数のその黒い影は人間にしては小さい。
相手の動きは素早く夜の闇も手伝って、相手の正体が知れたのは警官が数人倒された後だった。
犬だ。いや、与一には見覚えがあった。今朝、この場所で見たばかりである。
狼だ。
今朝の二頭以外に、十頭以上の狼に警官隊は囲まれていた。そして、その囲みの外、舎密局の本館建家の陰から一人の娘が現れる。
「だめですよー。うちの子達からは逃げられません」
もちろん、こちらも見覚えがある。狼を連れていた女、笛吹だ。
「また、お会いしましたね」と、笛吹。
「そうだな、存外早かった」と、与一。
娘は、犬笛を懐から取り出し吹いた。
無音の合図が出たのであろう、狼たちが一斉に警官隊へと襲いかかった。
与一は、既に神斬りを二刀流で構えている。正面から飛びかかってきた一頭の腹を躱しざまに一閃した。
その狼は、着地して一瞬うつ伏したが、再び何事も無かったように起きあがった。しかし、確かに腹部から血は流している。
「不死身か?」
「あははは。無駄無駄、うちの子たちは不死身よ」与一の呟きが聞こえたわけではないのだろうが笛吹が誇らしげに言う。
与一は、周囲を確認した。
警官隊も、それなりの迎撃をしているのだが、一度倒した狼が何事もなかったように襲いかかっていた。
「頭デース! 他ハ、だめデース」
グラバーだった。警官の一人に肩を貸して貰い立っている。流石にこの状況で酔いも醒めてきているようだった。もう少し聞き取りやすい日本語で再び叫ぶ。「アメリカ人の猟師に聞いたデース。狼は、銃で撃っても直ぐには死にまセーン。とてもタフデース。でも唯一、頭なら即死しマース」
まず、与一が実践した。神斬りを両刃短刀形態にして右手に持ち、左手には倒れている警官の腰からサーベルの鞘を抜き取って構えると、右手から襲ってきた一頭に鞘で打ちかかる。狼は本能的に鞘に噛みつく。そこで、狼が突っ込んできた力も利用し、鞘を左へと引っ張っぱる。狼は鞘に噛みついたままの無防備な頭を与一の眼前に晒す格好になった。
与一は、素早く狼の脳天に神斬りを突き立てた。
狼は断末魔を上げる間もなく絶命した。
与一は、その死体を二度蹴って確認し叫んだ。
「よし! いける!」
とは云っても、狼の方が人間より運動機能は数段勝っている。単独で頭だけを狙い剣を突き立てるのは至難の業だった。が、さすがは練度の高い警官隊。数の優位を利用して三人から五人が一組になり、一頭ずつを数名で取り押さえ、組み伏せたところを一人が念のため首を刎ねる、という策で対抗した。
ボス格らしい狼、今朝も笛吹と共にいた二頭が、最後の最後まで抵抗して警官隊も大きな被害を受けた。が、相手の数が減り、一頭に当たれる警官の人数が増えた事もあって、最後はまさに人海戦術で、この二頭を仕留めた。
「多呂! 侍呂!」
それまで戦況を俯瞰して見ていた笛吹が、ボス二頭の狼に駆け寄って来た。必死に名を呼んでいる。その余りの取り乱した様と自分たち自身の疲労困憊もあって、警官たちは笛吹の逮捕を失念しているようだった。
仕方なく与一が笛吹に近づく。
与一の足音が聞こえるほどの距離に近づいた時、肩を落として悲嘆にくれていた笛吹が、突如振り向いた。
悪鬼の形相を与一に向け、先程まで悲しみで小刻みに震えていた身体は、今度は怒りで痙攣している。
「ゆるさん」
絞り出すようなしゃがれ声でそう言うと、懐から犬笛を取り出した。筒状の笛をひっくり返すと、狼たちに吹いていた時とは反対側の吹き口から息を吹き込む。
やはりというか、人間の耳には何も聞こえないが、何らかの音を発しているに違いない。
いかにも怪しげな行動である。例えば、新たな狼たちを呼ばれでもしたら現状ではもう対処できない。与一は、笛吹から笛を奪おうとした。その瞬間、妖刀憑き達が建物から一斉に飛び出してきた。
妖刀憑きには、笛吹の笛の音が聞こえているのだろう。「待て」の指示を解かれた犬が餌に貪りつくように、一斉に与一達に襲いかかってきた。
周囲の阿鼻叫喚を眺めながら、笛吹は役目を果たし終えたとばかりに笛を脇に放ると、足下の狼の死体を抱き抱えてうずくまる。与一は、その様子を眼の端に捉えながら、襲いかかってくる妖刀憑きの群れに突っ込んだ。
狼との一戦で疲弊しきっていた事と、一旦戦意を切ってしまった事で、警官達は満足に抵抗できなかった。総崩れとはこの事とばかり、一人また一人と倒されていく。
元々絶対数が少ない増援部隊だったのだ。与一ひとりの奮戦では戦況の好転は望むべくもなく、全滅は時間の問題だった。
ちらっと、グラバーのいる方向を窺う与一。本当に幸いな事に、主たる戦さ場から離れた物陰に隠れている為、妖刀憑き達の関心は、まだ彼に向けられていない様子だった。
全滅必至の警官達を見捨て囮としてグラバーを抱え逃げる、という選択肢が与一の頭をかすめる。
妖刀憑き二人の頭に、二刀流神斬りの一刀ずつを突き立てて倒す。相手が、元は見知った学者であるという罪悪感が薄れ慣れてきた自分に嫌悪感を持ちつつ、笛吹を窺う与一。
笛吹の側に落ちている犬笛に視線が留まる。
妖刀憑きの群れと犬笛を吹く笛吹の映像が、与一の脳裏で短く閃光した。殆ど妄想もどきの思いつきであった。だが、この状況では駄目もとで試してみる値打ちはある。いや、試すしかない。
与一は反射的に犬笛めがけて駆けだした。
数歩で手が届く距離まで近づいた瞬間、うずくまっていた笛吹が与一に、ではなく犬笛に突進してきた。「やはり!」与一は直感した。犬笛を渡したくないようだ。
掌一つ分の差で、笛吹が犬笛を奪い取った。しかし、与一は、この笛吹の行動によって確信した。
もう一度あの笛を吹けば、妖刀憑き達の動きは止まるのだ。
犬笛を巡って一旦は近接した与一と笛吹は、その勢いのまま距離を取り、対峙した。
「あぶない、あぶない。危うく台無しにするところだったわ。十頭の長女として皆に示しが付かなくなるところだった」泣きじゃくりボロボロになった顔で笛吹はぎりぎり虚勢を張った。しかし、確かに冷静さを取り戻しているようだった。
笛吹は確保した犬笛を懐に仕舞うと、その手で琴爪のようなものを取り出し、両手の指に装着し始めた。ただし、その琴爪は通常のものより長く鋭く、まるで鉤爪に見えた。
十本全てを付け終わると着物の裾をたくし上げしゃがむ笛吹。まるで狼が座っているような格好だ。
「行くよ」
笛吹は、四つ足で大地を蹴り、与一に向かって跳んだ。腰より低い位置から攻撃してくるので躱しづらい。しかも、相手が本物に四つ足の動物だったら避けられる間合いでも、笛吹は、更にそこから腕を伸ばして鉤爪で攻撃してくる。
「腕を使う狼か」厄介だな、と、与一は巧みに鉤爪を掻い潜りながら対抗策を練る。
何をするにしても時間がない。警官隊は全滅寸前。そうなれば、グラバーが襲われるのは必至。
与一の視界に、本館庭の南角、一段高くなった盛り土が過ぎった。周囲より一段高く、普段から良く陽の当たるその場所には、舎密局から出る大量の洗濯物を干していた。
笛吹の攻撃を避けながら盛り土に誘導していく与一。支柱に架かっている竹製の物干し竿を一本掴むと、攻撃してきた間合いで笛吹の眼前にそれを突き立てた。
当然だが、その程度の妨害で笛吹の動きは止められない。躯を少し捻って物干し竿をやり過ごし、与一に鉤爪を伸ばす、いや、伸ばそうとしたのだが、そこには与一は居なかった。
与一が、笛吹の眼前に物干し竿を突き立てたのは防御が目的ではない。その竿を支柱にして笛吹の身体を飛び越えるためであった。イギリスでは羊飼いが小川や濠などの障害物を跳び越す実用術として『棒幅跳び』なるものを行っていると、グラバーから聞いてはいた与一だったが、まさか自分がやるとは思っていなかった。
しかも飛び越えるのは人間だ。
「狼よりやっかいだが、狼ほど不死身ではないだろう」低い態勢で飛び込んでくる笛吹の上方をすり抜けざまに、与一は、両刃短剣形態の神斬りを突き立てた。
神斬りは、笛吹の背中から腰にかけて切り裂く。
ざざざっ。笛吹の身体が、跳びかかった勢いそのままに何の受け身もせず地面を滑って止まった。動かない。
与一が駆け寄り抱きかかえると、虫の息で、
「まさか…あんたに殺られるとは…何の因果かしらね…」と云って事切れた。
その言葉の意味が気になったが、今はそれどころではない。与一は、笛吹の懐から犬笛を取り出し、見よう見まねで吹いた。
通称『妖刀事件』は解決した。
実行犯が死亡した事もあるが、それが十頭社中と名乗る政治結社の一人であった事実から、事件解明の方向性が定まったのだ。
まず、笛吹の立ち回り先を遡れる限り虱潰しにした結果、彼女の持ち物と思われる粉状の薬剤が押収された。
早速、再編された舎密局の研究部隊が分析したところによると、それは麻薬によく似た神経毒をもったカビを培養、乾燥したものだった。元々、会津地方のごく一部に強精作用のある漢方薬の素として伝わっていたものだったが、繁殖する過程で様々な薬剤を噴霧することによって麻薬によく似た神経毒を持つ性質に変化するのだ。
そして、この薬剤が体内に入ると、ある種の催眠効果もあり、感染者は、
一、人殺しに対する欲求が病的に高まる。
一、特定の性癖(特に残忍性が顕著)が強調される。
一、身体能力が著しく向上する。
などの症状が顕在化する。
更に特徴的なのは、この症状が特定の振動(音)を聞かせる事で、「入り」「切り」を自由に出来るということだった。この音を体系化して操る秘伝を開発していたのが、笛吹という女であり、彼女が十頭社中の一味であるということは調べがついたのだ。
この薬剤のからくりが解明されたことにより、妖刀事件の全容も明らかとなった。
感染経路は「刀の柄」である。
柄に滑り止めと装飾を兼ねて巻かれている麻糸に、この薬剤を染みこませ、この柄を複数回掴む事によって接触感染させるのだ。
染み込ませると云っても、この薬剤はカビとして繁殖するので、目当ての刀の至近距離で、この薬剤(粉)を撒く。カビの着床のしやすさと適度な湿度、人間の手油という養分、という最適な条件がそろった柄の麻糸で、このカビが繁殖する。繁殖したカビは柄を持った者の体内に接触感染する、という仕組みだったのだ。
そして、妖刀事件の解明は終わった。
事件は、首謀者『十頭社中』への国家騒乱の罪に対する捜査と移行した。
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