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戦渦 弐
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彼らは既に戦闘体制を整えており、武器類も全システムがフル稼働状態で、遙斗の寸前まで迫っていた人面ムカデの巨体を圧倒的な火力で押し戻した。
遙斗は至近距離の着弾による眩い閃光で瞬間的に視力を奪われてしまう。
何も見えず、反射的に延ばした腕を戦闘行者数人に掴まれ、その場から引きずり出される。
戦闘区域の喧噪が遠くで木霊するほどの距離を運ばれると、そこに設営された野戦病院の簡易ベッドに寝かされた。
徐々に視力が戻ってくる。並んで横に寝かされている者の息づかいが聞こえてきた。
首を廻らす。
光時だ。人の姿にもどっている。
虫の息だった。が、「・・・遙斗様」と消え入りそうな呼吸の合間に遙斗を呼んだ。
「喋っちゃダメだよ」
遙斗は言った。他人を気遣う気力が残っている自分に少し驚く。
「大丈夫でございます。この程度の傷。それより、この間にどうしてもお話しする事が・・・」
どう見ても大丈夫ではなさそうだが、か細い声色に秘められた真摯な口調が、遙斗を沈黙させた。光時の言葉を聞き漏らすまいと傾聴する。
「貴男が私の時代、つまり過去の世界から持ち帰った知識には、まだ補足するべき事が御座います。特に外次元組式錬金術、折神之御業について・・・瑞穂様は決して口にしませんでしょうし、私も口止めされているのですが、お話しせずには、この光時、このまま死んでも死にきれません」
おいおい、やっぱり死にそうなのかよ― 遙斗は、もう一度「喋るな」と言いそうになるのをグッと堪えた。光時は淡々と説明を続ける。
「ご存じの通り、折神之御業は、次元間でのエネルギー交換を可能にする触媒物質である「霊与紙」を因果符号の数式を組み上げる事で起動させ、この次元における物理法則を書き換えて施行されます。しかし、霊与紙はあくまでも触媒。御業で消費される莫大なエネルギーは、術者が自らの命を別次元で対消滅反応させる『外次元燃焼効果』で得られる・・・」
光時は言葉を一旦切った。遙斗に理解させるためか、衰弱による中断か、どちらにせよゼェゼェと息をする度に空気が漏れる音がした。既に肺がイッちゃっているのだ。
光時は、その壊れた肺から最後の言葉を絞り出すように言った。かすれた声が次の言葉に、より重い意味を付加したようだ。
「つまり、折神之御業は、術者の命を削る事で成立しているのでございます」
人の命は地球よりも重い・・・古今東西、人の命がそれ以外の物と天秤に掛けられた時、例えばハイジャック事件で、人質の命か、犯人の利益かの二者択一を迫られた場合なんかに必ず持ち出されるお題目だ。
だが、その都度、それが哲学や道徳の世界でのみ機能する単なる言葉でしかない事を実感する。その証拠に、相変わらず世界には理不尽な暴力が横行し、明日の糧さえ儘ならぬ人々の数は未だに億をくだらない。
そう、どんなきれい事を並べ立てようとも、大多数の人間にとって、他者の命など、大した意味を持たないのだ。
しかし、瑞穂の― あの華奢な少女に課せられている宿命には、命の重さに物理的な意味が込められている。如何なる物理法則によって、人の命をエネルギー源に出来るのかは知らない。
確かなのは、外次元組式錬金術とか云うふざけたオーバーテクノロジーによって、今も消費され続けている瑞穂の命は、決して無尽蔵では無いという事だ。
文字通り人の命に地球と同程度の質量があったとしても、そして、命のエネルギー変換が物質同士の単純な対消滅反応より高効率のエネルギー生成方法だとしても、彼女が人類の安寧というお題目を守る為に、今まで費やしてきた命の総量は半端では無いはずだ。
もしかしたら、比喩としている地球の質量を軽く凌駕しているかも知れない。
つまり、誰にでも想像できる単純な引き算。
巫瑞穂の命が、ゼロになる日は限りなく近い・・・。
遙斗は、微弱な呼吸音しか発しない光時を見つめながら、今日の夕方(ああ、まだ今日の出来事なんだ)、別れ際に彼が言った言葉を思い出していた。
『どうぞ、瑞穂様を御守り下さいませ』
・・・そうか、そうゆう意味か・・・。
しかしな、光時。補足説明をしてくれたのは良いけど、肝心な要因がブランクのままだ・・・。
『いったい、俺なんかがどうすれば、瑞穂を守れんだよ? 尋常成らざる力を持つアンタだって、その有様なんだぞ』
その想いを質問という形にして、果たして光時に答える体力が残っているかどうかと、遙斗が悩んでいた時、雷鳴と共に、爆風が簡素な野戦病院の天幕を吹き飛ばした。
爆炎と焦げた土煙が渦巻いて視界を遮っている。遙斗に確認できたのは、埃の固まりから微かに覗いている光時の顔だけだった。
埋まっている彼の身体を掘り起こしながら、辺りの様子を窺う遙斗。
「なんだよ、もう閉鎖か!」
野戦病院の事らしい。
舞い上がっていた大小様々な塵が収まってくると、視界が開けてきた。
遙斗達が寝ている場所を終点にして、かつて賜裔道の本陣が敷かれていた所から一本道に廃墟が形成されていた。
廃墟を構成する要素の大半は武器装備の残骸と死体だ。
もはや、賜裔道の戦闘部隊は壊滅寸前だった。
低層に漂っていた土煙もクリアに成っていく。
十数メートル前方に浮かび上がる二つのシルエット。
人面ムカデの鎌首と瑞穂が対峙していた。
瑞穂は、先ほど折った巨大手裏剣を抱えていた。しかし、折神之御業を施す術式に入る気配が全く無い。
気丈にも相手を睨んではいるが、その表情は憔悴しきっており、その身に纏った衣装も血で真っ赤に染まっていた。失血状態で、気
遙斗は、左腕が引っ張られるのを感じた。
光時が遙斗の袖口を掴んでいた。
遙斗は光時を見た。
光時の眼が何かを訴えている。
何を云いたいのか、は明らかだった。
遙斗は力無く首を横に振っている自分に気付いた。
そうさ、繰り返させないでくれ。『俺には、何の力もない』、と。
しかし、光時は白濁して殆ど見えていないだろう視線を尚、遙斗から外してくれなかった。
遙斗は、いたたまれずに彼から視線を外した。必然的に、瑞穂を見る体勢になる。
鎌首を上げた人面ムカデの節足が、彼女に振り下ろされようと蠢動している。
攻撃は間近だ。
瑞穂の顔を見た。
憔悴しきった顔だが、恐怖は見えなかった。凛とした表情で、真っ直ぐに、迫り来る『死』を見据えている。
遙斗は視線を少し落とした。
瑞穂の足は、その表情とは裏腹に、小刻みに震えていた・・・。
遙斗は、立ち上がった。
彼の中にある何かが告げていた。
「行け!」と。
瑞穂との彼我十数メートルの距離を一気に走り抜けていた。
人面ムカデの節足が瑞穂の脳天目掛けて振り下ろされる。
遙斗は、間一髪、瑞穂を突き飛ばした。
間に合った。
だが・・・遙斗は、千切れ跳んだ自分の下半身を見た。
薄れ行く意識の中で、叫ぶ声が聞こえる。
女の声だ。
瑞穂の、ではない。
「ウルズ!」
手裏剣状の発光体に切断される巨大ムカデのピンぼけ映像が、遙斗の見た最後の光景だった。
視界がブラックアウトしていく間、彼はぼんやり考えていた。
「なんだ。やっぱり、ただの人間だったな・・・俺・・・」
閑静な住宅街だった痕跡は、既に無い。見渡す限りの廃墟が現出していた。
主戦場の外れ、野戦病院らしき場所も天幕が土砂に埋まり、僅かな切れ端が風にはためいている。
そんな絶望しか存在しない大地に、瑞穂に良く似た少女が立っていた。年の頃も、顔つきも、瓜二つ。ただし、長い黒髪の瑞穂に対して、その髪は赤くショートカットにしていた。瑞穂なら決して着そうもない露出の多いユニフォームをには、胸に『SHADE』のロゴが入っている。
「あらあら。日本支部、壊滅しちゃうんじゃない?」
その少女は、暴れ回る巨大ムカデとそれに抵抗している僅かばかり生き残った賜裔道の戦闘部隊を他人事のように見物していた。
そして彼女の足元には、瑞穂と上半身だけに千切れた遙斗が倒れている。
少女は瑞穂を一瞥すると彼女が気絶しながらもしっかりと抱きかかえている十字手裏剣の巨大折り紙を拾い上げた。
「この程度でギブアップ? それで瑞穂の継承者とは聞いて呆れるわね」
少女は、手裏剣に手を翳し、唱えた。
「ウルズ」
折神となった手裏剣は、淡い光を放ちはじめた。少女の手を離れ、獲物を狙う生き物のように飛び回り、魂蟲ムカデに襲いかかった。鎌首をちょん切った後、残った長い体躯を回転鋸が材木を細く縦割りにするように切り裂いていく。
裂口から光の粒が迸り、魂蟲はエネルギーへと変換された。
戦闘は終了した。と同時に、空一面に大型ヘリコプターの集団が現れ、廃墟へと降下して来る。
その機体には、余り目立たないようにだが、少女のユニフォームと同じデザインのロゴでSHADEとペイントされていた。
少女は、その光景を眺めながら、無線機になっているネックバンドのスイッチを入れた。
「レスキュー機をこっちに廻して。早くしないと死んじゃいそうよ」
そのまま視線を落とした。
失血死寸前の遙斗から身体全体が土砂に埋まり腕一本だけが辛うじて地表に覗いている光時の順に一瞥する。
そして最後に、憔悴しきって気絶している瑞穂の、その自分に良く似た顔を見つめながら呟いた。
「ねっ・・・お姉さま」
遙斗は目覚めた。
過去に経験の無い、奇妙な目覚めだった。
目の前に自分がいる。病室らしい部屋で物々しい機械に繋がれ、死んだ様に眠っている自分が・・・。
「じゃ、俺は誰だ?」
遙斗は当然の疑問を無意識で声に出そうとして、喋れない事に気付いた。
狼狽して、助けを求めようと、周囲を見回す・・・が、今度は視野が固定されて動かない事に気付く。
固定された視界に、女の子がフレームインしてきた。
「瑞穂・・・」と遙斗は言おうとして、声が出ない事に気付いた。
「これって、生きてるってこと?」
瑞穂によく似ているが・・・違う。
赤毛や髪型もそうだが、何より物腰が別人だ。何かこう、言葉に角がある。
「ちょっと・・・どいてよ」
その娘を押し出すように、今度は見知らぬ少年がフレームインしてきた。
プラチナブロンドの髪にビー玉より透き通った青い眼。絵に描いた様な白人の少年だった。顔が近い。
少年が喋った。透き通った青い瞳がガラス玉みたいで気持ち悪い。
「こんにちは。気分はいかが?」
声が出ない。返事が出来ない。
「あっ。喋れないよね。無理しないで。僕の名前はD・B。因みに今の人は加羅葉って云うんだよ。覚えといてね」と、自己紹介する少年。
君は何だ、ここは何処だ、と山ほどある質問をする間も無く、遙斗の意識はプツッと途切れた。いきなりコンセントを引き抜かれたテレビのように。
遙斗は、必死に逃げていた。
何から?
立ち止まり、恐る恐る後ろを振り返る。
巨大なムカデの人面が大顎を開けて襲いかかってきた。
自分の躰が食い千切られる様子がスローモーションで見えた。小腸と大量の血液をバラ撒きながら、自分の下半身が魂蟲の口腔の奥へと消えていった。
捕食動物に喰われて死ぬ。人間の根源的な恐怖の一つが遙斗の心を押し潰す。
彼は、己の肺に残された最後の空気が、断末魔の叫びに変換されるのを聞いた。
「はっ!」
遙斗は目覚めた。辺りは真っ暗だった。
またか?
いい加減にしてくれ。
死後の世界がこんなに忙しないなんて聞いてないぜ!
死後?
そうか、俺、死んだんだよな?
遙斗の疑問に誰かが応えた。
「君は、死んで無いよ」
「何?」
あっ、今度は声が出る、と驚いていた遙斗の目の前にD・Bが立っている。では、前回の目覚めは幻覚じゃなかったんだ、という遙斗の推論を読んだかの様に、D・Bは若干の訂正を加えた。
「ただ、生きていると言うには、チョット特殊な状態かな」
その瞬間、周囲が眩い光に包まれる。
まぶしさに一瞬視力が奪われ、視神経に痛みが走る。
遙斗本人にそれと感じる余裕は無かったのだが、生身の機能にしては極めて短時間で回復した視力が、辺りの様子を教えてくれた。
遙斗は最初、そこが何かの工場だと思った。
シェルターの隔壁みたいに頑丈そうな壁に沿って、数体の奇妙な人形? ロボット? が立っている。その周囲にはメンテナンスにでも使うのか、煩雑な機械類が所狭しと設えられていた。
まるで一昔前のロボット・プロレスアニメに出てくる主人公メカのハンガーデッキだ。
「それは、全て君の『躯(からだ)』だ」
初耳の声色が室内に響き渡った。しかし相手の姿は見えない。スピーカーを通したくぐもりぎみの声が広めの空間に反響していた。
「状況に応じた形態のボディを使い分ける事によって、より多様な作戦行動が可能となる。即ちパペットボディ・カートリッジ・システムだ」
聞く相手が理解したかどうか、には全く興味が無いらしく、云いたい事を捲し立てるだけの説明が終わり、声の主はやっと自己紹介を始めた。
「離れた場所から失礼する。私の名はオルグ。シェード特務部隊の作戦司令だ」
「シェード? しぇーど・・・あっ」と、遙斗。音をひらがなに変換した検索で、同じ単語がヒットした。
賜裔道。
「真産業革命ギルド・シェード。人類文明の発展と安全を陰から支える秘密結社さ」と、遙斗の問いに答えたのはD・Bだ。
「賜裔道は、その極東支部にあたる」
オルグと名乗る声がD・Bの言葉を継ぎ、再び一方的な説明を始めた。
「君は、いや、正確には君の肉体だが、今は脳死状態にある。あくまでも現代医学の常識内の事ではあるが―」
遙斗の手近にあったモニターが、自動的に映像を流し始めた。物々しい生命維持装置に囲まれたカプセル状のベッドに横たわる遙斗の姿が映っている。前回、遙斗が目覚めた時に見ていた光景だ。
「では、この俺は何なんだ。いまこうやってアンタと喋っている、この俺は!」
質問の答えだと言わんばかりに、遙斗の目前へと大型の薄層パネルが降りてくる。それは巨大な姿見になっていた。
遙斗は、そこに映し出されている物体に驚愕した。
「・・・マネキンだ」
というにはリアルな人体模型が映っていた。頭髪や眉毛など体毛の類が一切無く、瞬きしないガラス球の目玉が不気味だった。
しかし、遙斗の喋りに会わせて口がパクパクしている事実が否応なしに、この不愉快な人形の正体を教えた。
これが俺なんだ。
「マネキンは、シェードの技術陣に失礼だぞ、確かにまだ試作段階で見栄えは悪いが、彼らの高度なテクノロジーが無ければ、君は今頃死んでいた。こうやって、我々と話す事も出来なかったのだ」
オルグって云うヤツはトコトン『ボスキャラ』体質なんだな。発言が押しつけがましい上に内容に自慢げなニュアンスが漂っている。 と、ここまで考えた処で、遙斗は慌てて思考を中断した。このマネキンの身体は未完成だからなのか、まだ取り扱いに慣れていないからなのか、考えた事を全て口に出して喋っていたのだ。
遙斗は、義体になってから今までの間、自分の思った事に対して周囲の人間が異常なほど的確に対応してくれるので不思議に思っていた。だが、理由は簡単。ちょっとした悪態まで全て口に出していたのだ。そりゃ対応が早いわな。
遙斗は気恥ずかしさと、そして、怒りで顔が真っ赤なのを自覚したが、マネキンの顔では誰にも気づかれない。
オルグへの中傷を慌てて飲み込んだ、返す刀で義体の不備に苦情を申し立てようとした刹那、D・Bの説明が気勢を制した。「オルグが説明したとおり、今君は、いわゆる植物人間の状態だ・・・」
それを聞いて心に浮かんだ悪態をまたしても発声しそうになり、必死で口を引き締める遙斗。
「だが、シェードの医療技術がなければ、その状態にさえ君の身体は復旧出来無かったかも知れない。何しろ胴体が真っ二つだったからね。くっつけるのは至難の業だったらしいよ」
D・Bは、そこで言葉を切った。
遙斗の理解が追いついてくるのを待ったのだが、そんな必要はなかった。遙斗は今や、どんな話でも無条件で受け入れる体質を獲得していた。数々の非現実的な体験が成せる技だった。
「しかも、我々は君の生命を維持するだけでなく、損傷を受けていない君の正常な脳と外部の情報交換が可能な方法も持っていた。それが、〈傀儡魂〉と〈パペットボディ・カートリッジ・システム〉なのさ」
さて、そろそろ質問のタイミングだな、と遙斗は次々と出てくるキーワードの詳細説明を求めた。
これにもD・Bが答えてくれるみたいだ。
彼は遙斗の鼻先にある姿見を指し示した。何度見ても不愉快なマネキンだ。
「君の脳に、思考を特殊な信号に変換する小型の発信器を埋め込む。そして、その信号の受信機を代替の身体にセットする事で、君は、その義体、則ちパペットボディとリンクされて意のままに動かす事ができる。その受信機となる特殊デバイスを傀儡魂と呼んでいる、と云う訳さ」
D・Bの説明は更に続いたが、最後の方は、シェードの技術力をPRにした広報活動にしか聞こえなかった。
曰く、真の産業革命によって発達した究極の科学技術が実現した、正真正銘の錬金術によって、人類にもたらされた究極の人工錬成物質『賢者の石』。その特性を余すこと無く利用し、物体制御と動力源を併せ持った特殊デバイスこそが傀儡魂であり、人類に百年先行するシェードの科学力が成せる奇跡、なのだそうだ。
いい加減、耳慣れない単語の羅列に辟易していたところで、オルグが話の締めに入った。
「本来、あの戦闘に君が関わる筈は無かった。あのムカデ型魂蟲が、こちらの予想を上回る力を持った新種だった事が、この状況をもたらしたと云える・・・」
空気を読む大人の対応に感謝した。が、その内容が遙斗には気に入らない。
「幸運な事に、この不幸な状況は打破出来た。現実に君が、こうして我々との意志疎通が出来ている事に満足している。しかしながら、我々のミスにより君が健常者でいられなくなった事は事実だ。許してくれ」
不祥事を詫びる官僚や政治家、大企業の経営陣なんかがよく使う方便だ。責任を認めつつ原因を他に転嫁し、たまたま幸運で得ただけの結果オーライを強調して体裁を繕う。
胡散臭さ全開の展開が無性に腹立たしかったが、遙斗は、怒りの感情以上に論理的な違和感を感じていた。その感じが徐々に疑念へと変わり、口が勝手に喋り出すのを今度は止めなかった。
「ここに並んでいる色々な義体・・・パペットボディか? 全て俺の身体だと云ったな? それは、俺が色々な能力を身につけるという事か?」
誰も応えない。遙斗の次の質問を予期しているらしい。
シェードは、賜裔道と同一組織だという。ならば、瑞穂や光時が遙斗に要求していた事は、当然、シェードにも共通した要望事項だという事ではないのか・・・。
「当然、戦闘用もあるんだよな?」
再び誰も応えない。それこそが回答の代弁だ。
「・・・ビンゴか」
遙斗の脳裏に、人面ムカデを前に気丈夫を装っていた瑞穂の姿が掠めた・・・だが、これで無力な一般人の俺も、お前の力になれるという事か?
この場に、瑞穂がいれば何らかの返答が得られたのだろうか?
「!」
そういえば、瑞穂や光時はどうなったんだ? あの後・・・。
だが質問するより早く、D・Bが遙斗(=マネキンもどき)の胸を開いて言った。人工皮膚の下は、生身の肉体と余り変わらない造作をしていた。何か体液も垂れている。
げっ、気色悪! と、遙斗が思うまもなくD・Bが言った。
「君の〈本体〉に関しては御心配なく。シェードが責任を持ってケアするよ。ちゃんと上半身と下半身くっついているからね、っと」 っと、と同時に遙斗の胸から傀儡魂を抜き取った。
「おいっ、な・・・」
遙斗の意識は落ちた。つまり、意識不明のまま何処かでベッドに横たわっている遙斗の身体とパペットボディのリンクが切れた、のである。
傀儡魂は、玉虫色に輝く楕円形をした小指大カプセルだった。日常的な技術感覚では、受信機能以外に物体を動かす動力源をも兼ねているとは思えない。
しかも、折神之御業が人の命をエネルギー源に使わねばならないのに比べて、この傀儡魂が何かを代替エネルギーを必要としないのであれば、賢者の石は、明らかに霊与紙より上位技術の産物と云えた。
D・Bは、遙斗のボディから抜き取った傀儡魂を保管用の容器にセットして鍵を掛けた。
D・Bが言った。独り言に近かったが。
「あんな嘘、いずれバレるよ・・・」
オルグが反応した。
「嘘? どの部分だね?」
D・Bは応えない。
「まあいい。とにかく賜裔道の連中に任せて、久世遙斗が己の能力に独力で目覚めるまでゆっくり待つ、などという時間的余裕はない。我々は、今、即戦力が欲しいのだ」
オルグの一方的な言いぐさにD・Bは無感動に言った。
「・・・ご立派な、人類の守護者だね」
遙斗は至近距離の着弾による眩い閃光で瞬間的に視力を奪われてしまう。
何も見えず、反射的に延ばした腕を戦闘行者数人に掴まれ、その場から引きずり出される。
戦闘区域の喧噪が遠くで木霊するほどの距離を運ばれると、そこに設営された野戦病院の簡易ベッドに寝かされた。
徐々に視力が戻ってくる。並んで横に寝かされている者の息づかいが聞こえてきた。
首を廻らす。
光時だ。人の姿にもどっている。
虫の息だった。が、「・・・遙斗様」と消え入りそうな呼吸の合間に遙斗を呼んだ。
「喋っちゃダメだよ」
遙斗は言った。他人を気遣う気力が残っている自分に少し驚く。
「大丈夫でございます。この程度の傷。それより、この間にどうしてもお話しする事が・・・」
どう見ても大丈夫ではなさそうだが、か細い声色に秘められた真摯な口調が、遙斗を沈黙させた。光時の言葉を聞き漏らすまいと傾聴する。
「貴男が私の時代、つまり過去の世界から持ち帰った知識には、まだ補足するべき事が御座います。特に外次元組式錬金術、折神之御業について・・・瑞穂様は決して口にしませんでしょうし、私も口止めされているのですが、お話しせずには、この光時、このまま死んでも死にきれません」
おいおい、やっぱり死にそうなのかよ― 遙斗は、もう一度「喋るな」と言いそうになるのをグッと堪えた。光時は淡々と説明を続ける。
「ご存じの通り、折神之御業は、次元間でのエネルギー交換を可能にする触媒物質である「霊与紙」を因果符号の数式を組み上げる事で起動させ、この次元における物理法則を書き換えて施行されます。しかし、霊与紙はあくまでも触媒。御業で消費される莫大なエネルギーは、術者が自らの命を別次元で対消滅反応させる『外次元燃焼効果』で得られる・・・」
光時は言葉を一旦切った。遙斗に理解させるためか、衰弱による中断か、どちらにせよゼェゼェと息をする度に空気が漏れる音がした。既に肺がイッちゃっているのだ。
光時は、その壊れた肺から最後の言葉を絞り出すように言った。かすれた声が次の言葉に、より重い意味を付加したようだ。
「つまり、折神之御業は、術者の命を削る事で成立しているのでございます」
人の命は地球よりも重い・・・古今東西、人の命がそれ以外の物と天秤に掛けられた時、例えばハイジャック事件で、人質の命か、犯人の利益かの二者択一を迫られた場合なんかに必ず持ち出されるお題目だ。
だが、その都度、それが哲学や道徳の世界でのみ機能する単なる言葉でしかない事を実感する。その証拠に、相変わらず世界には理不尽な暴力が横行し、明日の糧さえ儘ならぬ人々の数は未だに億をくだらない。
そう、どんなきれい事を並べ立てようとも、大多数の人間にとって、他者の命など、大した意味を持たないのだ。
しかし、瑞穂の― あの華奢な少女に課せられている宿命には、命の重さに物理的な意味が込められている。如何なる物理法則によって、人の命をエネルギー源に出来るのかは知らない。
確かなのは、外次元組式錬金術とか云うふざけたオーバーテクノロジーによって、今も消費され続けている瑞穂の命は、決して無尽蔵では無いという事だ。
文字通り人の命に地球と同程度の質量があったとしても、そして、命のエネルギー変換が物質同士の単純な対消滅反応より高効率のエネルギー生成方法だとしても、彼女が人類の安寧というお題目を守る為に、今まで費やしてきた命の総量は半端では無いはずだ。
もしかしたら、比喩としている地球の質量を軽く凌駕しているかも知れない。
つまり、誰にでも想像できる単純な引き算。
巫瑞穂の命が、ゼロになる日は限りなく近い・・・。
遙斗は、微弱な呼吸音しか発しない光時を見つめながら、今日の夕方(ああ、まだ今日の出来事なんだ)、別れ際に彼が言った言葉を思い出していた。
『どうぞ、瑞穂様を御守り下さいませ』
・・・そうか、そうゆう意味か・・・。
しかしな、光時。補足説明をしてくれたのは良いけど、肝心な要因がブランクのままだ・・・。
『いったい、俺なんかがどうすれば、瑞穂を守れんだよ? 尋常成らざる力を持つアンタだって、その有様なんだぞ』
その想いを質問という形にして、果たして光時に答える体力が残っているかどうかと、遙斗が悩んでいた時、雷鳴と共に、爆風が簡素な野戦病院の天幕を吹き飛ばした。
爆炎と焦げた土煙が渦巻いて視界を遮っている。遙斗に確認できたのは、埃の固まりから微かに覗いている光時の顔だけだった。
埋まっている彼の身体を掘り起こしながら、辺りの様子を窺う遙斗。
「なんだよ、もう閉鎖か!」
野戦病院の事らしい。
舞い上がっていた大小様々な塵が収まってくると、視界が開けてきた。
遙斗達が寝ている場所を終点にして、かつて賜裔道の本陣が敷かれていた所から一本道に廃墟が形成されていた。
廃墟を構成する要素の大半は武器装備の残骸と死体だ。
もはや、賜裔道の戦闘部隊は壊滅寸前だった。
低層に漂っていた土煙もクリアに成っていく。
十数メートル前方に浮かび上がる二つのシルエット。
人面ムカデの鎌首と瑞穂が対峙していた。
瑞穂は、先ほど折った巨大手裏剣を抱えていた。しかし、折神之御業を施す術式に入る気配が全く無い。
気丈にも相手を睨んではいるが、その表情は憔悴しきっており、その身に纏った衣装も血で真っ赤に染まっていた。失血状態で、気
遙斗は、左腕が引っ張られるのを感じた。
光時が遙斗の袖口を掴んでいた。
遙斗は光時を見た。
光時の眼が何かを訴えている。
何を云いたいのか、は明らかだった。
遙斗は力無く首を横に振っている自分に気付いた。
そうさ、繰り返させないでくれ。『俺には、何の力もない』、と。
しかし、光時は白濁して殆ど見えていないだろう視線を尚、遙斗から外してくれなかった。
遙斗は、いたたまれずに彼から視線を外した。必然的に、瑞穂を見る体勢になる。
鎌首を上げた人面ムカデの節足が、彼女に振り下ろされようと蠢動している。
攻撃は間近だ。
瑞穂の顔を見た。
憔悴しきった顔だが、恐怖は見えなかった。凛とした表情で、真っ直ぐに、迫り来る『死』を見据えている。
遙斗は視線を少し落とした。
瑞穂の足は、その表情とは裏腹に、小刻みに震えていた・・・。
遙斗は、立ち上がった。
彼の中にある何かが告げていた。
「行け!」と。
瑞穂との彼我十数メートルの距離を一気に走り抜けていた。
人面ムカデの節足が瑞穂の脳天目掛けて振り下ろされる。
遙斗は、間一髪、瑞穂を突き飛ばした。
間に合った。
だが・・・遙斗は、千切れ跳んだ自分の下半身を見た。
薄れ行く意識の中で、叫ぶ声が聞こえる。
女の声だ。
瑞穂の、ではない。
「ウルズ!」
手裏剣状の発光体に切断される巨大ムカデのピンぼけ映像が、遙斗の見た最後の光景だった。
視界がブラックアウトしていく間、彼はぼんやり考えていた。
「なんだ。やっぱり、ただの人間だったな・・・俺・・・」
閑静な住宅街だった痕跡は、既に無い。見渡す限りの廃墟が現出していた。
主戦場の外れ、野戦病院らしき場所も天幕が土砂に埋まり、僅かな切れ端が風にはためいている。
そんな絶望しか存在しない大地に、瑞穂に良く似た少女が立っていた。年の頃も、顔つきも、瓜二つ。ただし、長い黒髪の瑞穂に対して、その髪は赤くショートカットにしていた。瑞穂なら決して着そうもない露出の多いユニフォームをには、胸に『SHADE』のロゴが入っている。
「あらあら。日本支部、壊滅しちゃうんじゃない?」
その少女は、暴れ回る巨大ムカデとそれに抵抗している僅かばかり生き残った賜裔道の戦闘部隊を他人事のように見物していた。
そして彼女の足元には、瑞穂と上半身だけに千切れた遙斗が倒れている。
少女は瑞穂を一瞥すると彼女が気絶しながらもしっかりと抱きかかえている十字手裏剣の巨大折り紙を拾い上げた。
「この程度でギブアップ? それで瑞穂の継承者とは聞いて呆れるわね」
少女は、手裏剣に手を翳し、唱えた。
「ウルズ」
折神となった手裏剣は、淡い光を放ちはじめた。少女の手を離れ、獲物を狙う生き物のように飛び回り、魂蟲ムカデに襲いかかった。鎌首をちょん切った後、残った長い体躯を回転鋸が材木を細く縦割りにするように切り裂いていく。
裂口から光の粒が迸り、魂蟲はエネルギーへと変換された。
戦闘は終了した。と同時に、空一面に大型ヘリコプターの集団が現れ、廃墟へと降下して来る。
その機体には、余り目立たないようにだが、少女のユニフォームと同じデザインのロゴでSHADEとペイントされていた。
少女は、その光景を眺めながら、無線機になっているネックバンドのスイッチを入れた。
「レスキュー機をこっちに廻して。早くしないと死んじゃいそうよ」
そのまま視線を落とした。
失血死寸前の遙斗から身体全体が土砂に埋まり腕一本だけが辛うじて地表に覗いている光時の順に一瞥する。
そして最後に、憔悴しきって気絶している瑞穂の、その自分に良く似た顔を見つめながら呟いた。
「ねっ・・・お姉さま」
遙斗は目覚めた。
過去に経験の無い、奇妙な目覚めだった。
目の前に自分がいる。病室らしい部屋で物々しい機械に繋がれ、死んだ様に眠っている自分が・・・。
「じゃ、俺は誰だ?」
遙斗は当然の疑問を無意識で声に出そうとして、喋れない事に気付いた。
狼狽して、助けを求めようと、周囲を見回す・・・が、今度は視野が固定されて動かない事に気付く。
固定された視界に、女の子がフレームインしてきた。
「瑞穂・・・」と遙斗は言おうとして、声が出ない事に気付いた。
「これって、生きてるってこと?」
瑞穂によく似ているが・・・違う。
赤毛や髪型もそうだが、何より物腰が別人だ。何かこう、言葉に角がある。
「ちょっと・・・どいてよ」
その娘を押し出すように、今度は見知らぬ少年がフレームインしてきた。
プラチナブロンドの髪にビー玉より透き通った青い眼。絵に描いた様な白人の少年だった。顔が近い。
少年が喋った。透き通った青い瞳がガラス玉みたいで気持ち悪い。
「こんにちは。気分はいかが?」
声が出ない。返事が出来ない。
「あっ。喋れないよね。無理しないで。僕の名前はD・B。因みに今の人は加羅葉って云うんだよ。覚えといてね」と、自己紹介する少年。
君は何だ、ここは何処だ、と山ほどある質問をする間も無く、遙斗の意識はプツッと途切れた。いきなりコンセントを引き抜かれたテレビのように。
遙斗は、必死に逃げていた。
何から?
立ち止まり、恐る恐る後ろを振り返る。
巨大なムカデの人面が大顎を開けて襲いかかってきた。
自分の躰が食い千切られる様子がスローモーションで見えた。小腸と大量の血液をバラ撒きながら、自分の下半身が魂蟲の口腔の奥へと消えていった。
捕食動物に喰われて死ぬ。人間の根源的な恐怖の一つが遙斗の心を押し潰す。
彼は、己の肺に残された最後の空気が、断末魔の叫びに変換されるのを聞いた。
「はっ!」
遙斗は目覚めた。辺りは真っ暗だった。
またか?
いい加減にしてくれ。
死後の世界がこんなに忙しないなんて聞いてないぜ!
死後?
そうか、俺、死んだんだよな?
遙斗の疑問に誰かが応えた。
「君は、死んで無いよ」
「何?」
あっ、今度は声が出る、と驚いていた遙斗の目の前にD・Bが立っている。では、前回の目覚めは幻覚じゃなかったんだ、という遙斗の推論を読んだかの様に、D・Bは若干の訂正を加えた。
「ただ、生きていると言うには、チョット特殊な状態かな」
その瞬間、周囲が眩い光に包まれる。
まぶしさに一瞬視力が奪われ、視神経に痛みが走る。
遙斗本人にそれと感じる余裕は無かったのだが、生身の機能にしては極めて短時間で回復した視力が、辺りの様子を教えてくれた。
遙斗は最初、そこが何かの工場だと思った。
シェルターの隔壁みたいに頑丈そうな壁に沿って、数体の奇妙な人形? ロボット? が立っている。その周囲にはメンテナンスにでも使うのか、煩雑な機械類が所狭しと設えられていた。
まるで一昔前のロボット・プロレスアニメに出てくる主人公メカのハンガーデッキだ。
「それは、全て君の『躯(からだ)』だ」
初耳の声色が室内に響き渡った。しかし相手の姿は見えない。スピーカーを通したくぐもりぎみの声が広めの空間に反響していた。
「状況に応じた形態のボディを使い分ける事によって、より多様な作戦行動が可能となる。即ちパペットボディ・カートリッジ・システムだ」
聞く相手が理解したかどうか、には全く興味が無いらしく、云いたい事を捲し立てるだけの説明が終わり、声の主はやっと自己紹介を始めた。
「離れた場所から失礼する。私の名はオルグ。シェード特務部隊の作戦司令だ」
「シェード? しぇーど・・・あっ」と、遙斗。音をひらがなに変換した検索で、同じ単語がヒットした。
賜裔道。
「真産業革命ギルド・シェード。人類文明の発展と安全を陰から支える秘密結社さ」と、遙斗の問いに答えたのはD・Bだ。
「賜裔道は、その極東支部にあたる」
オルグと名乗る声がD・Bの言葉を継ぎ、再び一方的な説明を始めた。
「君は、いや、正確には君の肉体だが、今は脳死状態にある。あくまでも現代医学の常識内の事ではあるが―」
遙斗の手近にあったモニターが、自動的に映像を流し始めた。物々しい生命維持装置に囲まれたカプセル状のベッドに横たわる遙斗の姿が映っている。前回、遙斗が目覚めた時に見ていた光景だ。
「では、この俺は何なんだ。いまこうやってアンタと喋っている、この俺は!」
質問の答えだと言わんばかりに、遙斗の目前へと大型の薄層パネルが降りてくる。それは巨大な姿見になっていた。
遙斗は、そこに映し出されている物体に驚愕した。
「・・・マネキンだ」
というにはリアルな人体模型が映っていた。頭髪や眉毛など体毛の類が一切無く、瞬きしないガラス球の目玉が不気味だった。
しかし、遙斗の喋りに会わせて口がパクパクしている事実が否応なしに、この不愉快な人形の正体を教えた。
これが俺なんだ。
「マネキンは、シェードの技術陣に失礼だぞ、確かにまだ試作段階で見栄えは悪いが、彼らの高度なテクノロジーが無ければ、君は今頃死んでいた。こうやって、我々と話す事も出来なかったのだ」
オルグって云うヤツはトコトン『ボスキャラ』体質なんだな。発言が押しつけがましい上に内容に自慢げなニュアンスが漂っている。 と、ここまで考えた処で、遙斗は慌てて思考を中断した。このマネキンの身体は未完成だからなのか、まだ取り扱いに慣れていないからなのか、考えた事を全て口に出して喋っていたのだ。
遙斗は、義体になってから今までの間、自分の思った事に対して周囲の人間が異常なほど的確に対応してくれるので不思議に思っていた。だが、理由は簡単。ちょっとした悪態まで全て口に出していたのだ。そりゃ対応が早いわな。
遙斗は気恥ずかしさと、そして、怒りで顔が真っ赤なのを自覚したが、マネキンの顔では誰にも気づかれない。
オルグへの中傷を慌てて飲み込んだ、返す刀で義体の不備に苦情を申し立てようとした刹那、D・Bの説明が気勢を制した。「オルグが説明したとおり、今君は、いわゆる植物人間の状態だ・・・」
それを聞いて心に浮かんだ悪態をまたしても発声しそうになり、必死で口を引き締める遙斗。
「だが、シェードの医療技術がなければ、その状態にさえ君の身体は復旧出来無かったかも知れない。何しろ胴体が真っ二つだったからね。くっつけるのは至難の業だったらしいよ」
D・Bは、そこで言葉を切った。
遙斗の理解が追いついてくるのを待ったのだが、そんな必要はなかった。遙斗は今や、どんな話でも無条件で受け入れる体質を獲得していた。数々の非現実的な体験が成せる技だった。
「しかも、我々は君の生命を維持するだけでなく、損傷を受けていない君の正常な脳と外部の情報交換が可能な方法も持っていた。それが、〈傀儡魂〉と〈パペットボディ・カートリッジ・システム〉なのさ」
さて、そろそろ質問のタイミングだな、と遙斗は次々と出てくるキーワードの詳細説明を求めた。
これにもD・Bが答えてくれるみたいだ。
彼は遙斗の鼻先にある姿見を指し示した。何度見ても不愉快なマネキンだ。
「君の脳に、思考を特殊な信号に変換する小型の発信器を埋め込む。そして、その信号の受信機を代替の身体にセットする事で、君は、その義体、則ちパペットボディとリンクされて意のままに動かす事ができる。その受信機となる特殊デバイスを傀儡魂と呼んでいる、と云う訳さ」
D・Bの説明は更に続いたが、最後の方は、シェードの技術力をPRにした広報活動にしか聞こえなかった。
曰く、真の産業革命によって発達した究極の科学技術が実現した、正真正銘の錬金術によって、人類にもたらされた究極の人工錬成物質『賢者の石』。その特性を余すこと無く利用し、物体制御と動力源を併せ持った特殊デバイスこそが傀儡魂であり、人類に百年先行するシェードの科学力が成せる奇跡、なのだそうだ。
いい加減、耳慣れない単語の羅列に辟易していたところで、オルグが話の締めに入った。
「本来、あの戦闘に君が関わる筈は無かった。あのムカデ型魂蟲が、こちらの予想を上回る力を持った新種だった事が、この状況をもたらしたと云える・・・」
空気を読む大人の対応に感謝した。が、その内容が遙斗には気に入らない。
「幸運な事に、この不幸な状況は打破出来た。現実に君が、こうして我々との意志疎通が出来ている事に満足している。しかしながら、我々のミスにより君が健常者でいられなくなった事は事実だ。許してくれ」
不祥事を詫びる官僚や政治家、大企業の経営陣なんかがよく使う方便だ。責任を認めつつ原因を他に転嫁し、たまたま幸運で得ただけの結果オーライを強調して体裁を繕う。
胡散臭さ全開の展開が無性に腹立たしかったが、遙斗は、怒りの感情以上に論理的な違和感を感じていた。その感じが徐々に疑念へと変わり、口が勝手に喋り出すのを今度は止めなかった。
「ここに並んでいる色々な義体・・・パペットボディか? 全て俺の身体だと云ったな? それは、俺が色々な能力を身につけるという事か?」
誰も応えない。遙斗の次の質問を予期しているらしい。
シェードは、賜裔道と同一組織だという。ならば、瑞穂や光時が遙斗に要求していた事は、当然、シェードにも共通した要望事項だという事ではないのか・・・。
「当然、戦闘用もあるんだよな?」
再び誰も応えない。それこそが回答の代弁だ。
「・・・ビンゴか」
遙斗の脳裏に、人面ムカデを前に気丈夫を装っていた瑞穂の姿が掠めた・・・だが、これで無力な一般人の俺も、お前の力になれるという事か?
この場に、瑞穂がいれば何らかの返答が得られたのだろうか?
「!」
そういえば、瑞穂や光時はどうなったんだ? あの後・・・。
だが質問するより早く、D・Bが遙斗(=マネキンもどき)の胸を開いて言った。人工皮膚の下は、生身の肉体と余り変わらない造作をしていた。何か体液も垂れている。
げっ、気色悪! と、遙斗が思うまもなくD・Bが言った。
「君の〈本体〉に関しては御心配なく。シェードが責任を持ってケアするよ。ちゃんと上半身と下半身くっついているからね、っと」 っと、と同時に遙斗の胸から傀儡魂を抜き取った。
「おいっ、な・・・」
遙斗の意識は落ちた。つまり、意識不明のまま何処かでベッドに横たわっている遙斗の身体とパペットボディのリンクが切れた、のである。
傀儡魂は、玉虫色に輝く楕円形をした小指大カプセルだった。日常的な技術感覚では、受信機能以外に物体を動かす動力源をも兼ねているとは思えない。
しかも、折神之御業が人の命をエネルギー源に使わねばならないのに比べて、この傀儡魂が何かを代替エネルギーを必要としないのであれば、賢者の石は、明らかに霊与紙より上位技術の産物と云えた。
D・Bは、遙斗のボディから抜き取った傀儡魂を保管用の容器にセットして鍵を掛けた。
D・Bが言った。独り言に近かったが。
「あんな嘘、いずれバレるよ・・・」
オルグが反応した。
「嘘? どの部分だね?」
D・Bは応えない。
「まあいい。とにかく賜裔道の連中に任せて、久世遙斗が己の能力に独力で目覚めるまでゆっくり待つ、などという時間的余裕はない。我々は、今、即戦力が欲しいのだ」
オルグの一方的な言いぐさにD・Bは無感動に言った。
「・・・ご立派な、人類の守護者だね」
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