弊社の副社長に口説かれています

麻生璃藤(あそう・りふじ)

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13.事が過ぎて

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時をおかずして警察がやってきたのは尚登の連絡を受けてだ。だが拉致現場を見た者の複数の通報から捜査は始まっており、駐車場の車のナンバーを見てこれだと納得していた。

男たちは尚登によってパラダイスロックをかけられ床に転がっていた。関節や筋肉が硬い男性やぽっちゃり体型ではまず自力では解けないという手足を組んだプロレス技だが、尚登はどこでそんなものを覚えたのだろうと陽葵は不思議に思う。京助を縛っていたロープでさらに手首と足首も固定する念の入用だ。二人は警察にたたき起こされ連行されていった。
母、新奈も。
警察官に挟まれ、ぶつぶつと呟きながら歩いていた、生気を失った様子だが同情の余地などない。

「おい」

玄関へ向かうその背に尚登が声をかければ、その時ばかりはわずかに目を輝かせて振り返った。

「なんの恨みがあって陽葵を目の敵にしてるか知る気もねえが、二度と関わってくんな。陽葵は俺がもらっていく」

ぶっ殺すくらい言ってやりたい気持ちを抑えて告げれば、新奈は聞き取れない声でごめんなさいと謝った。ここまで来てようやく自分の罪が判ったのかと尚登も京助も呆れるばかりだ。

陽葵と京助は病院へ運ばれた。京助は打撲と擦過傷があり、陽葵は切り傷と擦過傷と、暴行の痕跡の証拠を取るためだ。そして病院で警察の調書も受けた、対応は医師も警察も女性が付いてくれてほっとした。

全てが終わったのは夕方と言っていい時間になっていた。京助は念のため入院することになったが、陽葵は帰宅を希望した。同じく調書を受けていたが先に終わり廊下で待っていた尚登と合流する。
包帯が巻かれた両手首と首に貼られた保護テープが痛々しい、尚登は保護テープの上から傷を撫でた。

「──やっぱり、ぶっ殺せばよかった」

陽葵を傷つけられた恨みを晴らすには警察に突き出すくらいでは気が済まない。

「そんなこと言わないでください。尚登くんが犯罪者になるのは困ります。大げさにされちゃいましたけど、全然浅いですし大丈夫です。とっくに血も止まってますし」

当然痛みはあったが、首は刃が撫でた程度だったようだ。場所もスカーフで隠せそうで、日常生活は送れそうだ。さすがに手首は目立ち、傷跡も残ってしまうかもしれないが、やはり隠せない場所ではない。
尚登はため息を吐いて陽葵を抱きしめた。

「なんでこんなことに」

尚登の疑問に、陽葵は深呼吸をしてから応えた。

継母ははが、尚登くんを史絵瑠に譲れって言ってました」

言えば尚登は不機嫌に「はあ?」と声を上げる。

「ふざけたことを──金積まれても史絵瑠と付き合う気はないわ」

尚登の言葉に陽葵は微笑む、まさに新奈にもそう伝えたが。

「でも私が死ねば尚登くんがショックを受けて、それを史絵瑠が慰めたらうまくいくって思ったみたいで」
「阿保か、ないない」

尚登は即答する。

「仮に実は義妹いもうとがすんげーいいヤツでって展開があったとしても無理だね。俺はもう誰も選ばないし、一生陽葵の菩提を弔って生きる」

それはそれで熱い告白だ、陽葵は頬を赤らめて俯いた。

「……それは嬉しいですけど、もったいないので……是非、他の人と幸せになってください」

恥ずかしげに言う陽葵を尚登は力強く抱きしめた。

「とりあえず、俺より先には死ぬな、俺より若いんだし」
「でも、それはそれで淋しいですね」

陽葵も尚登の体を抱きしめ返しつぶやく。

「尚登くんがいなくなったら、私、一人ぼっちです」

一人で生きていく覚悟だったが尚登といる幸せを知ってしまった、それがなくなった時のことを思うと急に怖くなった。淋しい告白に尚登は陽葵の耳元で微笑む。

「だから子どもがいるんだろうな。陽葵が淋しくないよういっぱいできるといいな、百人とか二百人とか」

とんでもない数の提案に陽葵は吹き出した。

「それはさすがに一生かかっても恵まれないので諦めてください」

二人で笑い出した時、尚登は連絡事項があったことを思い出す。

「ああ、うちの親が、うちへ来いってさ」
「え、うち? あ、尚登くんちですか?」

田園調布にあるという、まだ見ぬ尚登の自宅を思う。

「陽葵んちのガラス壊しちまったし、部屋に土足で上がっちまったし、水で流したとはいえ風呂も一度きちんと掃除したほうがいいと思うしで、うちに出入りしてる業者教えてもらおうと思って連絡したんだよ。そしたらまあ心配されたし、話のついでで朝から飯も食ってねえって言ったら、用意するから来いってよ」
「え、でも」

初めて訪ねるのがこんなタイミングとは──シャワーは病院のものを貸してもらえた、下着も院内の売店で買ったものに変えたが、衣服は男どもが触ったものだ、着替えたかった。なによりこんな状況で尚登の両親、実際には母親に初対面とは、心構えが追い付かない。

「えっと。じゃあせめていったん家に帰ってから」
「そうしたら遠回りだろ、こっからのほうが近い」

間違いない、川崎の実家から武蔵小杉駅近くの総合病院に担ぎ込まれている、山下公園近くの自宅からはますます田園調布に近づいた。

「お父さんはしばらく入院か、退院後もガラス入るまでは不自由だろうし、うちに寝泊まりしてもらって欲しいってよ、あ、義妹いもうとは?」

陽葵は淋し気に頷いた。

「──勝手にやるからほっといて、と言っていたそうです」

京助が連絡を取っていた。新奈の犯罪と離婚の意志を告げれば、史絵瑠はすぐさまああそう、今までありがとうと冷たく返事をしたという。
あっさり別れを選び、喜び勇んで男の元へ行ったのか──二人は声には出さないが思う、どの男かまでは判らないが。

「──まあ、仮に義妹が一緒に来るとなれば、ホテルでも用意やらんこともないが」

田園調布の実家にも、陽葵のマンションにも上げるつもりは一切ない。

「とにかくうち行こう、腹減ったわ」

尚登は訴える、事実朝食も昼食も吹き飛び、既に日が傾き始めているのだ。

「でも、せめて着替えたいので、私はあとから伺い──」

言いかけた陽葵のお腹がぐぅと鳴ってしまう、聞いた尚登はにやりと笑った。

「決まりだな」

尚登が笑うのが意地悪だと思った。まもなく石巻が運転する車が病院まで迎えに来てくれた。沈痛な面持ちで事態を憂う石巻に申し訳ない、陽葵は何度も頭を下げながらも石巻がドアを開ける車に乗り込む。

車が走り出すとやがて街並みが変わったのが判る、パリを意識して作られた街は整然としていて美しい。
立派な生垣の切れ目に立派な門があり、その前に車寄せがあった。そこへ入ると石巻がドアを開けるために素早く降りたが、その前に尚登はさっさとドアを開けて降りてしまう。石巻は陽葵のためにドアを支えようとしたが、尚登は仕草でいいからと示し陽葵に降りるよう促した。

門すら鍵がかかっている、門柱にあるテンキーを押し尚登は慣れた様子で開錠すると陽葵の手を取り中へ入っていく。
大きな前庭は丁寧に手入れがされていた、庭は広いのに建物も大きい。世界に名を轟かす企業の社長一家ともとなるとこんな家に住むのかと目の当たりにし、急に尚登といるのが怖くなってしまう。
艶やかな石が敷き詰められたアプローチを歩いて行くと、その先ある大きな玄関が開き美しい女性が飛び出してきた。

「尚登、おかえり! ああ、陽葵ちゃん、いらっしゃいませ!」

ロングヘアが印象的な美女だった、尚登の母、希美のぞみだ。尚登が美形なのは確実にこの母の遺伝だと陽葵は思った、とてもよく似ている。そして長身なところは父である社長だろう、そんなことが判っただけでも陽葵は嬉しくなる。
希美は笑顔で駆け寄り腕を広げた、陽葵を抱きしめようとするが尚登が間に入り邪魔をする。

「触んなよ」
「なによっ、ぎゅってするくらいいじゃないっ」
「いい年したもん同士が抱き着くな」
「お父さんとだってぎゅってするわよ!」
「親父とはいくらでもやれ」

尚登は呆れて言い放つ。

「挨拶させてよっ」

希美は子どもが抱っこをせがむように腕を差し出すが。

「抱き着かなくてもできんだろ」

尚登はなおも冷たい、陽葵にはそれが気遣いだと判る。しかし尚登の袖を引いて大丈夫だと目で伝え一歩前に出て頭を下げた。その時手に持った財布とマヨネーズが目に入り慌てて背後に隠す、手荷物がこれだけを握り締めての来訪など恥ずかしすぎた、せめてレジ袋には入れてもらえばよかった今更ながら後悔する。

「ご挨拶が遅くなりました、藤田陽葵と申します」
「初めまして、陽葵ちゃん!」

なおも腕を広げて近づく希美に代わって尚登が陽葵を抱きしめた。

「触んなって言ってんだよ」
「もうっ、尚登がそんなに嫉妬深いなんて知らなかったわっ」

二人のやりとりに仲の良さが伺え陽葵は微笑む。

「ああ、お会いできて嬉しいわ! 主人から話を聞くばかりだったら、お会いできるのが楽しみだったの! なのに尚登がケチで会わせてくれなくて!」

弾んだ声と嬉しそうな声に歓迎されていると判り陽葵の心の荷が下りた、最初からチクチク嫌味を言うような姑では今すぐ逃げ出していただろう。

「でも会えたタイミングがこんな時だなんて……この度は大変だったわね」

希美の労いに陽葵ははいとだけ答えた、尚登はどこまで伝えたのだろう、継母に誘拐されたなど何事かと思うだろう。

「怖かったでしょう」

言われてはいと頷いた時ドアが再度開いた、そちらを見た陽葵は喉の奥で悲鳴が漏れてしまう。
末吉商事会長、尚登の祖父、則安《のりやす》が立っていた。陽葵は入社式以来見たことがない人物だ、慌てて頭を下げる。

「経理部の藤田陽葵と申します!」

言えば皆が笑い出す、もう経理じゃないだろうと尚登は言い、希美もそんなに改まらなくてもと言葉を添えた。則安も陽葵のイメージにはない優しい笑顔を見せる。

「こちらこそ、ご挨拶が遅くなり申し訳ない」

とんでもないことだと陽葵は頭を下げたまま首を左右に振った。現に会長はあまり社には来ない上、わざわざ自分に会いに来る必要などないはずだ。

「さあ、寒いだろう、早く中へ入りなさい」

言われて希美はそうだったと手を叩き、陽葵たちをいざなった。陽葵は部屋着の上に尚登のコートを借りているが、尚登は軽装だ、飛び出してきた希美もである。希美がさあさあと二人の背を押し、尚登に手を取られ陽葵は歩き出す。
家政婦がドアを押さえて待っていてくれた、その脇を抜けると則安の後ろには社長・仁志も立って二人を出迎える。そんな様子にここが本当に末吉商事の創業者一族の屋敷なのだと、陽葵は改めて認識した。

「全く災難だったね、無頼漢に拉致されるなど」

尚登も詳しいことは知らせていない、身内の犯罪であることはのちに判るとしても今回は知らせたくなかったのだ。陽葵がさらわれ、川崎の家で父と二人監禁されてしまったとだけ伝えていた。
陽葵は小さく首を横に振る。

「尚登く……さんが駆けつけてくれて助かりました」
「まったく無茶をする、警察の到着も待たずに飛び込むなんて。もし陽葵さんになにかあったら」

仁志は尚登を睨みつけ叱った、窓ガラスを割ったというくだりから馬鹿なのかと怒鳴りつけていたが、改めて無茶をしたと思う。

「いえ、でも、すごく、かっこ、よかった、です」

飛び込んできてくれた時に名を呼んでくれた時の嬉しさは、時間が経った今もドキドキしてしまう。凶器を持った男に怯むことなく立ち向かう姿を見て惚れ直したなどと口に出しては恥ずかしくて言えないが、顔中を真っ赤にして告げる陽葵に、希美はきゃあと両手を叩いて喜び、仁志はやれやれと呆れ、祖父はそうかそうかと顎を撫でた。当の尚登は余裕の笑みで陽葵の髪を優しく梳く。

「ほらほら、ご飯、冷めちゃうわ! お腹が空いていると聞いて張り切っちゃったのよ、いっぱい食べてね!」
「あ、悪い、先に陽葵の服を着替えさせたい」
「服?」

希美が首を傾げた、陽葵も不思議に思う。

「陽葵も着替えたいって言ってたろ、俺のでよければ貸してやるわ」
「え、でも尚登くんの服なんか、私にはおっきすぎじゃ」
「そういうことなら、私のにする?」

社長夫人の衣服などどこのハイブランド品かと思うが、尚登は構わず2階への階段へ陽葵の手を引いて向かってしまう。

「袖や裾は丸めりゃなんとかなんだろ。とりあえず家に帰るまでだし、俺のなら返しに来る手間もない」
「そこまで毛嫌いする~?」

希美は頬を膨らませて怒るが、尚登は笑うばかりでさっさと2階へ上がった。2階にも立派な廊下があるのが家の広さを感じさせた。
尚登の部屋は、南側の一番奥だ。しばらく使われていなかったはずだが、そんなことはまったく感じさせない空気だった。シンプルだが高級感のある机とベッドが鎮座していた、ベッドメイキングもきちんとされているのは掃除が行き届いている証と判る。
尚登は奥にあるウォークインクローゼットへ陽葵をいざなった。

「中学ん時の体操着にするか?」

尚登が笑いながら引き出しを開ける。

「その頃なら、私の身長と同じくらいですか?」
「いや、もっとチビだったな、150なかったから」
「え、そんな人が、どうしてそこまで大きくなるんですか」

確かに男子は急激に伸びる者もいたが、どういうシステムなのだろう。

「なんだろうなあ、親は自由にさせ過ぎたなんて言うけど」

それは食欲だろうか、と確認する前にスウェットが引っ張り出された。

「これでいいか。今着てんのはどうする? 持って帰るなら今すぐ洗ってもらってもいいし」
「いえ、洗濯くらいはうちで……」

言ったが、男たちに散々触られたものだ、見ただけでそのことを思い出しそうでぞっとした。

「俺のおすすめは廃棄だけどな」

ぎらりと目と光らせての言葉に、陽葵はコクコクと頷く、そのとおりだ。
上衣の裾に手をかけた時、尚登と目が合う。

「──出てもらっていいですか?」

目を座らせて言うが、尚登は笑顔で応える。

「何を今さら」

確かに体の隅々まで散々見られている。同居当初の恥じらいはどこへやら、着替える様を見せるどころか、ブラジャーのホックまで止めてもらっているが、明るさなのか場所が違うせいなのかどうにも恥ずかしい。

「じゃあ、見ないでください」
「目を離したら、また陽葵がどっかに行っちまいそうだし」
「この家にいるならたくさんの目もあるから大丈夫では」

目を合わせることもできずに言うと、首を指先で撫でられた、保護テープのある場所だ。先ほども触れた場所だが、なにが違うのか、今はびくりと体が震えてしまう。

「尚──」

呼びかけた唇を唇で塞がれた、合わさり終わりではなかった、尚登の舌はすぐに唇を割り口内の奥深くまで探ってくる。
こんなところで──思うが拒絶などできない、尚登の肩に腕を回ししがみついていた。熱いキスを受けながら、死ななくてよかったと実感した、こうして尚登の愛を受けられるのだ。助けに来てくれたの尚登で本当によかった、容赦なく男たちを制裁する尚登に愛されていると実感できた。キスに応えれば呼吸が上がってくる、甘い声は懸命に堪えた。
尚登は陽葵の背を壁に押し当て、太ももに手をかけ持ち上げ体を密着させる。熱く感じる場所同士が当たり、陽葵は興奮した、やはりこういう行為は好きな人とやるものだと判る、しかし──。

「尚……今は、だめ……で……」

尚登の自宅で、食事を作って待ってくれているのだ、早く戻らなくてはならない。しかし尚登は諦めない。

「少しだけ……すぐ終わる」

熱く感じるその場所をさらにごりと押し当てられ、陽葵はむっとしてしまう。

「少しってなんですか! すぐ終わるって! とにかく今はダメです! 常識がないことをすると嫌いになりますよ!」

声を荒げた陽葵に驚いた、なによりその言葉に──陽葵の顔を覗き込むようにして微笑む。

「陽葵に嫌われるのは嫌だな」
「じゃあ、すぐに手を離してください!」

半ば抱っこするようになっていたその手を陽葵が叩けば、尚登はすぐに手の平を開く。

「着替えます! 出てください!」
「手伝うって」
「手伝ってもらうことは何もないです!」

尚登の背を押しウォークインクローゼットから追い出してしまう、そればかりは尚登がすんなり従ってくれたのは助かった。

「……まったくっ」

少しという言葉に腹が立ったのは事実だが、追い出さないと流されそうな自分が怖かった。こんなところで立ったままなどありえない、非常識だと怒鳴ったのは自分に対してだ、あの男たちと大差ないではないか。
ドキドキする心臓を感じながら、尚登が出してくれたスウェットを手にした、わずかに香る尚登の匂いを感じてその服に顔を埋めてしまう。

(……いいにおい、落ち着く)

洗濯の折なども香ってくると深呼吸してしまうのは内緒だった。

「……好き」

ため息交じりに呟いてから、ようやく着替えを始めた。

尚登の服ではさすがに歩くこともままならない、大きく袖も下衣の裾を上げて食堂へ向かう。

一歩入った陽葵は、あまりに異質な空間にどこの城へ来たのかと思った。マーブル模様の石の床に、白が基調の家具はシンプルだが統一感がある、天井には小ぶりだがシャンデリアが二つもぶら下がっていた。大きな半円を描きはみ出した場所にある窓の外には木が幾重にも重なり森のように見えるのは視覚的効果だ、その窓には天井から重厚なカーテンが何枚もかかっている、改めて高見沢家の格を見せつけられた。

「きゃ、陽葵ちゃん、可愛い!」

オーバーサイズの服を着た陽葵の愛らしさに、希美はすぐさま声を上げていた。

「どうぞ、座って! 陽葵ちゃんのお口に合うといいんだけど」

尚登に連れられ箸が並ぶ席へと向かう、そこには石巻が笑顔で立ち、陽葵のために椅子を引いて待っている。窓際で上座となる席だ、陽葵は戸惑いつつも腰かけた。高見沢家ではあまり気にしないのか、会長である祖父は一番下座といっていい出入口に近い場所に既に座っている。

「つか、作りすぎだろ」

テーブルを見た尚登が呆れる、確かに陽葵も驚く量だった。
どれも大皿に盛られ、ここはバイキング形式の食事処なのかという状態だった、和洋折衷なところがそれに拍車をかける。主菜だけでもステーキやアクアパッツァのような魚の煮物に、肉じゃがや肉豆腐まで並んでいた。 二人で食べろと言うのではない、家政婦が皆に味噌汁が入った椀を並べていく、そろって早めの夕飯にするようだ。

「だって、二人ともお腹ペコペコだって言うから」

希美が笑顔で言う。作るのは希美の仕事だ、家政婦たちの仕事はその手伝いをする程度で他は片付けや家じゅうの掃除がメインとなる。

「いつまでも中学生の気分でいるんじゃねえよ」

中学生の頃の尚登はよく食べたのだろうか、そんなことも判り陽葵は笑顔になる。

「いいじゃない、残ったら持って帰ってね。明日の朝ご飯くらいにはなるでしょ」

それは助かると陽葵が思った時。

「今回の誘拐が尚登の関連でしたら、本当に申し訳ない」

則安が口火を切った、言われてよくある富豪相手の身代金誘拐だと勘違いされているのだと判った。しかしまだ交際も浅い恋人を誘拐して目的は達成されるのだろうか、思いながらも応える。

「いいえ、尚登さんはまったく無関係です」

言ってからはたと思う、継母は尚登と史絵瑠の仲を取り持とうとしていた、ならば無関係ではないのか。

「しかしまだ残党や模倣犯がいるとも限らない。今日からこちらに住むといい、ここならそれなりの警備もあるから安心だ」

センサーやカメラはしっかり付いている、万が一には警備会社から駆けつけてくる。石巻はじめ男手もあれば安心感は違う。

「そんな、そんな!」

慌てて手を振り辞退の意思を示す、諸悪の根源の継母はもうこのような悪さはしないだろう。

「この家は二世帯住宅なのよ」

以前尚登にも聞いた話を希美が語る。

「ここ数年使っていないけど、毎日のようにお掃除はしてたし、さっき尚登から電話があってちゃんとお掃除し直しているから、いつでも使えるわよ!」

内部に行き来できるドアはあるが、玄関も二つある二世帯住宅だ。結婚当初は会長夫婦と社長夫婦はそれぞれ1階と2階で暮らしていたが、尚登がアメリカに留学し、さらに4年前に則安の妻が亡くなると社長夫妻も1階での生活を始めていた。

「使っていないのももったいないから、陽葵ちゃんが使ってくれたら嬉しいわ。お部屋はいっぱいあるから陽葵ちゃんのお父様も一緒に住めると思う──」
「俺が嫌だわ」

尚登は笑顔で拒絶する。

「ここじゃ窮屈じゃん。陽葵と好きな時に一日中でもエッチしてぇじゃんな?」

な?と笑顔で同意を求められたが、陽葵に応えられるわけがない。俯きモジモジしていると、希美も恥ずかし気に頬を染め尚登の名を呼び諫め、則安は大きく咳ばらいをし誤魔化す。

「お義父さんには相談しておく、あの家に住み続けるのも問題があると思うし」

尚登が言えば皆が頷いた。新奈の刑期がどれほどになるか判らないが、終えれば帰ってくる可能性もあるかもしれない。あっさりと別離を選んだ史絵瑠しかりだ、住処は変えたほうがいい。

食事を終えると、団らんの時間もとらず尚登が辞去を申し出る。皆が、陽葵すら引き留めたが尚登が早く二人きりになりたいと言えば、希美はきゃあと言って喜び二人をいそいそと送り出した。
石巻の運転で山下公園近くのマンションに戻ると尚登は5階のボタンを押す、陽葵は「ん?」と聞いていた。

「小宮さんが心配してるだろうから、とりあえず無事だった報告」

ああ、そうだと陽葵は納得する。小宮が見ていなければ、解決に時間がかかったかもしれない、そうなれば自分はどうなっていたのか──。

インターフォンで名を告げれば小宮は返事もそこそこにバタバタと飛び出し、陽葵を見るなり涙目で抱きしめてくれた。

「後日改めてお礼に伺います」

尚登が言えば、そんなことはいいと小宮は陽葵を抱きしめたまま叫ぶ。

「本当にいいのよ、元気な姿を見せてもらえればそれだけで十分」

それでも首に貼られた保護テープや手首の包帯を見れば涙ぐんでしまう。

「いえ、よろしければお食事でも」
「まあ、高見沢くんもいっしょなら行きたいわ」
「そこのマックですけど」

笑顔でファストフード店の名を出せば、小宮が笑い出す。

「ええ、ええ、それならよろこんで。高見沢くん見ながらなら、白米だけでもいいわよ」

冗談が言い合えるほど仲がよくなっていることに陽葵は驚いた、そして二人は改めて頭を下げてその場を辞する。

「大丈夫か」

小宮の部屋のドアが閉まってから尚登は聞いた、実の母ならば触るなと言えるが、小宮相手ではそうもいかないと好きにさせてしまったが──陽葵はにこりと微笑み答える。

「うん、大丈夫です。心配してくれていたのが判って嬉しいくらい」

尚登だけが温かいと思っていたが、実際にはそうではないと改めて知ったような気がする。

部屋に帰るとまずは風呂に入った、体を清め直し、自分の衣服を身に着ければようやく生きた心地が戻った。どうなることかと思ったが、助かったことを改めて実感する。

「そういえば、尚登くんは格闘技の経験があるんですか?」

尚登も風呂から出たところを捕まえて聞いた。
どうみても暴力になれた素行の悪そうな男相手に、しかも体格的には上と思える相手に危険も顧みず挑むのは、相当熟練していなければ無理ではないだろうか。

「言わなかったっけ? マーシャルアーツやってたって」

尚登は髪を拭いながら陽葵の隣に座り答える。

「え、マーシャルアーツって、エクササイズのひとつじゃ」

確かに武道や格闘技の動きは取り入れているが、本格的な攻撃などできるのだろうか。太極拳も元を正せば攻撃を受け流す動きで、攻撃を繰り出す者と一体になったショーもあるのを見たことがあるが。

「ああ、そういうのもあるのか。いや、俺、アメリカいた頃、暇見つけちゃあ元海兵隊だっておっちゃんがやってる護衛やら自衛やらのためのプログラムに通ってたんだよね。そのおっちゃんが教えてくれたのがマーシャルアーツ、MCMAPってやつで」

白兵戦のための近接格闘術で、戦闘訓練をした兵士やテロリストの制圧を目的としたものだ。

「めっちゃ楽しかったんだよなあ。かなり本気なサバゲーもやったりとかな。サバゲーのくせに1週間野営で敵部隊殲滅とかやるんだぜ、スパイとか裏切りありでマジ面白かった」

殲滅と言っても本当に死なせてしまうわけではない、模擬弾が当たればアウトで戦線離脱である。

「アメリカ人って手加減知らねえなって思ったわ。自衛目的の人も多かったけど、本職のSPとか警官も自主トレに来るようなプログラムだからガチなんだよ。拳銃をる気満々で突きつけられるとか、弾は入ってないって判ってても怖いっつうの。そんなやつらに交じってやってりゃ鍛えられるわな」

尚登が嬉しそうに饒舌に話す様子に、本当に楽しかったのだと判った。

「性に合ったし、オーナーにも気に入られて大学出たら手伝えとか言われてたのに、日本に帰ってきちまって残念だったね。でも、それが役に立ってよかったわ、ましてや陽葵を守るためなんてな」

言って尚登は陽葵を抱きしめる、趣味の一環だったが本当にやっていたよかったと思う。

「でもブランクは3年か、ちょっと体が鈍ってんのは感じたわ」
「え、そんな風に見えなかった、すごくかっこよかったです」

まさに特撮のヒーローが現れたようだった、喧嘩をし慣れているのかと思ったくらいだ。
陽葵に褒められ、尚登は額同士を押し当て微笑む。

「日本でも教えてくれるところを探してみるか、また陽葵になんかあるとも限らないし」
「もうないですよ」

今回は長年の嫌がらせの果てに起きた事件だろう、その継母も逮捕され離婚ともなれば、もう陽葵を襲うメリットはないはずだ。

「でも尚登くんが習うなら、私もやってみたいです、自分の身は自分で守れるように」

刃物を持った男と対峙できる尚登ほどにはなれなくても、男たちの腕を振り払う術くらいは身に着けてもいいかもしれない。

「それじゃ、俺が陽葵にかっこいとこ見せられねえじゃん」

尚登はいたずらめいた瞳で言った。

「陽葵は俺に守られてりゃいいって」

微笑み、はいと答えた陽葵の声は、尚登の口内に消えた。
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