上 下
10 / 13

10

しおりを挟む

 ぼんやりと歩いていたせいで、後ろから近づいて来る足音に気づくのが遅れた。振り返らなくても、その大きなストライドで追って来るのが誰なのかを悟る。ハッと我に返ったときには、悠哉は地面を蹴って走りだしていた。

「馬鹿、……待てってば、おい!」

 怒鳴り声が深夜の街に響く。悠哉は足をゆるめなかった。どうして走りだしてしまったのかはわからない。それでも、つかまったら終わりだとなぜか思った。

 二つ目の交差点を右に折れる。駅の手前で、来た道とは逆の路地に曲がった。闇雲に走りながら、迫って来る足音が聞こえなくなるのを待つ。……待ったが、それは無駄だったと悠哉はすぐに気づいた。相手が、悪すぎる。

 途中で息が切れて、道もわからなくなって、冷えたアスファルトの上にがっくりと膝をついた。その途端、ガバッと後ろから抱きすくめられる。
 アルコールの匂いが、ふわりと漂った。

「短距離なら、おまえの方が速いけど……」

 荒く息をつきながら、瀧川が言った。

「二百以上走って、……オレから逃げ切れると、思ったか?」

 酔っ払いとはいえ、相手はインターハイ2位の長距離選手だ。わかりきっていた勝負に、悠哉は苦笑する。

「失、敗したんです。……駅に駆け込んで……電車に乗れば、逃げ切れたのに」

「かもな。……なんで逃げた?」

 聞かれて、悠哉は答えられない。

「じゃあ、なんでここに来た?」

 そんな質問には、もっと答えられない。悠哉はゆっくりと首を振った。瀧川は軽くため息をつく。

「ま……いいや。留守にしてて、悪かったな。母親、大阪だし。……オレは、クラスの連中と騒いでたから」

「……謝る必要、ないです」

「うん」

 短く頷いて、瀧川はふと我に返ったように、悠哉を抱き締めていた腕を放した。瀧川が離れても、悠哉はしばらく俯いたままだ。

「ちょっと……いろいろ、あって。急に来たりして、すみませんでした。……都合のいい時だけ、瀧川先輩を頼って」

 鞄を取り上げ、帰りますと微かに笑った悠哉の腕を、瀧川は引き留めた。
 やわらかい黒のコートは、ひどく冷えていた。

「いいから……うち、上がれ。コーヒーぐらい、出すから」

 でも、と眉根を寄せた悠哉に、瀧川はあのな、と諭すように言った。

「おまえは、オレに迷惑かけていいんだよ。その権利があるんだ。頼りたければ、頼っていいんだ。都合よく利用すればいいんだ。……話ぐらい、聞いてやれるから」

 誰かに頼られて、嬉しくない人間なんているはずがない。それが、好きな相手なら尚更だ。

 そこまで考えて、瀧川はふと思いつく。もしかしたら悠哉は、一人ではあのマンションには入りづらいのかもしれない。警戒されても仕方ないというくらいの自覚は、持っていた。
 悠哉がこのマンションを訪れたことは今までに二回あったが、はっきり言ってその二度とも、瀧川は悠哉にろくなことはさせていない。

「え、と。………その辺に、山崎とか坂井も……いるけど。呼んだ方が良ければ、一緒にうち、上がってもらうから」

 瀧川がそんなふうに気遣う意味を、何となく察したのだろう。少し考えて、悠哉は大丈夫ですと首を振った。

 マンションの前では、タクシーを停めたまま、桂と修史が心配顔で待っていた。瀧川が悠哉と一緒に戻って来たのを確認すると、余計なことは問わずに、じゃあ帰るからとだけ言ってタクシーに乗り込む。

 そのテールランプをしばらく見送ってから、瀧川は悠哉を中に招き入れた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

平凡な365日

葉津緒
BL
平凡脇役(中身非凡)の王道回顧録 1年間、王道連中を遠くから眺め続けた脇役(通行人A)の回想。 全寮制学園/脇役/平凡/中身非凡・毒舌 start→2010

別に、好きじゃなかった。

15
BL
好きな人が出来た。 そう先程まで恋人だった男に告げられる。 でも、でもさ。 notハピエン 短い話です。 ※pixiv様から転載してます。

ワンコとわんわん

葉津緒
BL
あのう……俺が雑種のノラ犬って、何なんスか。 ちょっ、とりあえず書記さまは落ち着いてくださいぃぃ! 美形ワンコ書記×平凡わんわん ほのぼの全寮制学園物語、多分BL。

366日の奇跡

夏目とろ
BL
「ごめんな。お前は全校生徒からの投票で会計に決まったのにな」 「……っっ」 私立柴咲学園高等部の生徒会長は、前年度の会長の任命で決まる。その他の役員は総選挙で決まるのだが、他のメンバーはそれを快く思ってなくて……。 ※本編には出て来ませんが、主人公が会長に就任した年が閏年(365日より1日多い)と言う裏設定で、このタイトル(366日の奇跡)になりました。奇しくも今年度(2019年)がそうですよね。連載開始が4年前だから、開始時もそうだったかな。 閉鎖(施錠保存)した同名サイト『366日の奇跡』で2015年5月末に連載を開始した作品(全95頁)で、95ページまでは転載して96ページから改めて連載中(BLove、エブリスタ等でも) お問い合わせや更新状況はアトリエブログやツイッターにて (@ToroNatsume)

はじまりの朝

さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。 ある出来事をきっかけに離れてしまう。 中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。 これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。

罰ゲームから始まる陰キャ卒業

negi
BL
陰キャな男子高校生が学校での自分の境遇を変えようとしてちょっとだけ頑張るお話です。

ハッピーエンド

藤美りゅう
BL
恋心を抱いた人には、彼女がいましたーー。 レンタルショップ『MIMIYA』でアルバイトをする三上凛は、週末の夜に来るカップルの彼氏、堺智樹に恋心を抱いていた。 ある日、凛はそのカップルが雨の中喧嘩をするのを偶然目撃してしまい、雨が降りしきる中、帰れず立ち尽くしている智樹に自分の傘を貸してやる。 それから二人の距離は縮まろうとしていたが、一本のある映画が、凛の心にブレーキをかけてしまう。 ※ 他サイトでコンテスト用に執筆した作品です。

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

処理中です...