至宝のいつわり 《伊賀病葉血風録》

麦畑 錬

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【終】いつわり

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 時は五十年後、所は江戸の伊勢国津藩の藩邸前に舞い戻る。

 伊賀上野城城代を任命する書状を持つ者が出てくるのを、隠密たちが待ち構えていた。

 その後ろに音もなく現れたのは、白髪の剣士は、清貞―――もとい、病葉白斎びゃくさいである。

「出たぞッ」

 一夜にして同胞を滅ぼしたという忍びに、隠密達の殺気が冴え渡る。

「おやおや、年寄りを相手に多勢とは。私がいったい何をしたのでしょう」

 白斎はわざとらしく、懐から取り出した書状を見せびらかす。隠密たちの狙いがなにか、とうに分かっているとみえる。

 隠密たちが陣形を変えた。白斎を取り囲み、全員のひと突きで蜂の巣に変えるつもりらしい。

「……久しぶりに、五十年前を思い出しました。あれは痛かったですねえ。二度と経験したくはありません」

 白斎は遠い目になるが、すぐ隠密たちに視線をくれた。

「五十年前、伊賀病葉家に火を放ち、滅ぼしたのは貴様だな」

 隠密の筆頭が言うと、

「失礼ですねえ、放火したのは妻です。私はシバかれて倒れていただけにございますれば」

 軽快に笑う白斎めがけて、四方八方から凶刃が突き立てられた。 

 ところが、霞を貫いた刃先の上に、白斎が乗っている。

「若者に支えられて、上に立つのは良い気分にございますね」

 白髪の剣士には、茶化す余裕さえある。

「おのれ!」

 力任せに槍をはね上げると、白斎の体が軽やかに宙を舞うや、背後に着地した即座に隠密を斬り捨てた。

 隠密たちの怒号や、降り注ぐ剣の雨をものともせず、白斎は次から次へと流れるように刃を滑らせていく。銀の残影がぬるりと尾を引いたところから、隠密の骸が増えていった。
 
 やがて、死体のなかにひとりだけ、白斎が残った。

「相変わらずの手さばきね、お爺さま」

 物陰から出てきたのは、伊賀から連れてきた病葉領の忍び衆である。他国から買い付けた者もいれば、伊賀の出自、甲賀の出自とさまざまいた。

「勉強できました?力で押さず体の流れに任せる。これすなわち『川下り』の極意にございますよ」

 援護を買ってでる忍び衆たちを物陰に隠れさせていたのは、己が使う秘剣『川下り』を稽古させるためであった。

「力で適わぬ相手に使うとよろしい。もっとも、まずは相手の死角を素早く見つけられるようにならねばなりませんが」

 品川宿への道を歩きながら、白斎は後をゆく忍び衆に言った。

「ジジイの老眼でも見つけられるんだ。 双葉ふたばならすぐさ……いって」

 言い方の悪い励まし方をする下忍の 錦五きんごに、白斎は拾った竹槍の柄で頭をごついた。

「なにをしやがる」

「おやおや、失礼しました。私このごろボケが来ているらしく、敵勢と間違えてしまいました。長生きですみません」 

 舌を出し、可愛ぶる白斎の後ろでは、

「五十年前って、お婆ちゃんと結婚したときのこと?」 

 忍び衆の末子である 七志ななしがふと問いかけてきた。

「今聞くの、そこですか?」

 白斎は困った笑みを浮かべた。

「だって、先生はお婆ちゃんの話、あまりしないんだもの」

「しません、かねえ」

「その時から、仲良しだった?」

「それはもう。だから我が家には妾がいないのですよ」

 微笑ましい会話をしていたところで、錦五が、

「じゃあどうして五十年前、婆さんは付け火なんかしたんだ。ジジイの屋敷に」

 何気なく尋ねてきた。

 白斎はしばし言い渋った後、

「じつは、お恥ずかしい話」

「うん」

「私が、不倫、してしまいまして」

 白斎が片目を可愛らしく閉じ、まったく私ったら……とばかりに頭を自分で叩いた。

「不倫!?」

 当然、白斎と妻・寿女の仲の睦まじさを知る下忍たちは、みな驚愕である。

「そうなんです。ほら、なにしろ私って上品な顔でございますから、モテますでしょう?ちょっと魔が差してしまったのですよ」

「で、お婆ちゃんが火を?」

「焙烙玉で本家屋敷を爆破、されちゃいました」

 てへ、と軽く笑うが、聞いている下忍たちは呆然としている。

 なにしろ、下忍衆にとって寿女は第二の母であり祖母でもある。大人しい寿女が屋敷を爆破するなど想像もつかぬだろう。

 が、歩くにつれて、

「そりゃあ、ジジイが悪いぜ。婆さんみたいな女房でも、さすがに怒るだろうよ」

 と、錦五を始めとして、下忍たちが次々と納得し始めた。

「そうよ、あんな人を妻に持って不倫だなんて」

 と、女忍びの双葉。

「妻にシバかれてから、ずいぶん反省したんですよ」

 反省の色ひとつない白斎の隣へ、七志が追いついてきた。

「じゃあ、仲直りの印に、江戸のお土産買っていこう。もうすぐ一周忌だし、お墓に備えてあげようよ」

 忍びとして育てたが、今いる病葉家の忍び衆で末子のためか、皆が甘やかした結果、七志はまだ無垢である。

 白斎は心からの微笑みをこぼした。

 不倫というのは、無論、嘘である。 

 ただ、寿女がなぜ甲賀に戻りたくなかったのか、それを話さねばならぬ流れにはしたくない。

 寿女の過去は、白斎もとい清貞が墓まで秘匿とするつもりだった。

(愚かな夫という汚名くらい、死ぬまで被って差しあげますよ)

 すっかり老け込むまで生き延び、天寿をまっとうした妻に、胸から語りかけた。

 もっとも、まだ当分は墓に入れそうにない。

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