20 / 24
最終話【菊禍物語】
『菊禍物語』⑤
しおりを挟む◇
翌日の晩となった。
兵二郎の寄越した博徒に見張られながら、半蔵は重い足取りで、銀座の表店が立ち並ぶん往来へ足を踏み入れた。
このあたりは朝場一家の本家が仕切っており、一成の住まう場所を中心に、裏長屋や周囲の商店に配下の侠客たちが生活している。
一成が寝起きするのは、配下が表稼業として営む呑み屋の二階である。
店仕舞いの最中だった呑み屋の主へ、半蔵の見張りが適当な理由をつけて話すと、
「おめぇだけ通れ」
兵二郎の配下を疑ったためか、巨漢の主は半蔵だけを一成の部屋へ上げた。
階段を上がったところには、一成がなだらかな夜風に煙管の煙を泳がせていた。
「十日ぶりになりますね。待ちわびていましたよ」
窓を閉じた一成が指の上にふたつ雁首を打つと、煙草盆の上へ音もなく灰が散った。
「あの、兵二郎のお頭からです。跡目を継いだお祝いに、酒をお贈りしろと」
半蔵の頸を汗が伝う。
侠客の親分なら、敵対する兄からの贈り物を、なんの疑いもなく受け取るはずがない。
(毒だと気づいてくれ)
半蔵は祈った。
一成がもし毒に気づけば、半蔵はその時点で自らの独断による犯行だと訴えて、ひとりで背負い込むつもりでいた。
そうすれば、兵二郎に累は及ばず、父も巻き込まれないと思った。
震える半蔵をしばし凝視した一成は、
「では、頂きましょうか」
と、瓶子を受け取った。
半蔵の肝が冷える。
咄嗟に一成の手から瓶子をひったくり、腕に固く抱きかかえた。
「どうしてなんだ。やくざの親分だろ。仲の悪い兄弟から贈られたものなら、どうして疑いもしないんだ」
必死に声を荒らげる半蔵を見ても、一成は眉ひとつ動かさない。
「なにか盛られているくらいは、想像していましたよ。で、中身はなんですか」
命の危険に晒されていながら、淡白な一成の語調には、半蔵も拍子抜けさせられた。
「……蛇の毒です。先代の親分さんが手に入れた、南蛮の蛇だと」
「ああ、父の気に入っていたものですね。好きも余って、私の身体にまで彫り込まれましたよ。まさか兄がご丁寧に、蛇の毒を使うとは思いませんでしたが。あの方は本当に父が好きですね」
一成は瓶子を守る半蔵の腕を掴む。
大の男にも勝る腕力で半蔵を引き剥がすと、奪い取った酒を一気に呑み干した。
半蔵は絶句した。
「な、なんで」
へたり込む半蔵を見下ろしながら、一成は空になった瓶子を部屋の隅へ置いた。
「あなたが毒入りの酒と知っていて、ここに持ってきたのなら、なにか裏があるのでしょう。やらねば殺すと脅されたか、それとも身内を人質にとられたか、二択でしょうがね。どちらにせよ、私が毒を飲んだ方が、丸く収まるのでしょう」
一成は虚勢を張った様子もなく、青ざめた半蔵を前にして一笑した。
「やはり変わったお人ですね、半蔵さんは。私が死ねばあなたも身内も助かります。あなたは何も困らないのでは?」
「死ぬ、ん、ですよ?」
「死ぬだけです。けれど、ただ死ぬだけでは退屈ですね。なにか思い出が欲しいです」
一成は半蔵の膝先に盃をひとつ呈した。
「あの賭場で、気の弱い貴方が私のために勇気を振り絞り、無関係の子供として気を配ってくれたのは、気分が良かった。ですが、誰にでも愛を配る姿勢には、感心しませんね。この私が、その他大勢と同じ扱いを受けるなんて……あれは、とてつもなく不愉快な思いをさせられましたよ」
「そんなつもりは」
「いいえ、結果そうなっているのです。だから、今ふたたび、やり直しましょう。私が死ぬまでの間でよろしい。あなたは私だけに尽くしなさい」
「それだけのために、自分で毒を?」
「重大です。私が命を張るほどの事ですからね。もし、これが叶うなら、私に思い残すことはありません」
半蔵は胸を締めあげられる思いで、盃の酒を喉へ流した。
自分が体を売るだけでいいのかと、思わずにはいられなかった。
1
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる