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最終話【菊禍物語】
『菊禍物語』② ※R18あり
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銀座の明かりがぽつぽつと、夜闇に塗りつぶされてゆく。
一成は遠方で最後の一軒が眠りにつくのを見届けていた。
銀座はやくざ稼業に適した土地だ。
幕府から銀貨の製造や管理を任された銀座の町は、銀から得る利益も多く、人々の金回りがいい。朝場一家も縄張りのみかじめ料を多く取れるので、金には困らなかった。
(銀座を手放すのは惜しい。ならば、兵二郎を消すのが良いか)
一成は兵二郎を殺すのにちょうどいい場所を、遠目で探した。
兄の死は、侠客・朝場一家の名に泥を塗った責任ゆえの、自害として片づけたい。
それができなければ、階段から落として首を折るか、泥酔して川に落ちたと見せかけ、事故死を装う手段も考えた。
(それとも、子分たちをそそのかして内乱でも起こさせるか)
内乱であれば、一成が直接、手を下す必要がない。ただでさえ、兵二郎は一成の子分たちに嫌悪されている。
例えば一成が危害を加えられるなどの、わずかなきっかけを与えてやれば、子分らは義憤に燃えて兵二郎を粛清するだろう。
そうすれば、誰も一成を疑わない。
一石二鳥の策なのだが、
(しかし、そうなれば半蔵も危ない)
血の気の多い子分らが、勢い余って、兵二郎の配下もろとも皆殺しにするだろう。
自分の手を汚さず、半蔵だけを奪いたい。
思考を巡らせている後ろで、宴の間の襖が開いた。首を後ろに捻ると、半蔵が料理屋の下働きを伴って宴の間に戻ってきていた。
「どうかなされましたか」
一成が訊ねると、半蔵は腕に抱えた夜着を強く抱いた。
「皆さん寝ていらっしゃったので、てっきり親分さんも寝ているかと……。夜風が冷たいので、夜着を持ってきてもらったんです」
半蔵の背後では、連れられてきた料理屋の下働きが、寝転んだ子分たちへ次々と夜着を被せている。
一成は半蔵の腕に抱かれた一着が、自分のために用意されたものだと思った。
「ありがとうございます。気が利きますね」
愛想よく微笑みかけ、夜着へと手を伸ばした刹那、半蔵がとっさに身を引いた。
「すみません、その、これは兵二郎のお頭に頼まれた分なんです」
「……そうですか」
「あの、親分さんの分もあります」
半蔵は言葉を補うが、一成は愛想笑いの裏で不愉快になった。
一成と子分のものは下働きに持たせ、兵二郎の分だけを半蔵が自ら運ぶのが気に入らない。
(私のものなのに)
一成のなかでは、すでに半蔵は一成のものである。
腹の底で剣を研ぎながら、一成は嘘笑いに子供のごとき愛嬌を加えた。
「それはどうも。有難く頂戴しますよ」
半蔵を兵二郎のもとへ行かせると、一成はふたたび銀座の夜景を眺めた。
やがて、銀座の明かりが減り、細部が見えづらくなったので、今晩のところは諦めて寝床を探した。
朝場一家が懇意にしている料理茶屋とあって、今晩はどこの部屋も一家のやくざ者が寝転がっている。
どこも、子分のいびきで喧しい。
角部屋の前を通りかかると、くぐもった男の声が襖から漏れた。
子分の何者かが、芸者でも呼び付けて寝転んでいるらしい。
ところが、女の喘ぎ声はなく、男のか細い息の根だけが、途切れ途切れに聞こえてくるのである。
覗き込むと、襖の間隙から苦悶する半蔵の顔が見えた。その鶴首にかかる無骨な手が、喉を潰している。
「なにをしているのです」
襖を開け放った先には、半蔵の上に覆い被さる兄の姿があった。
敷居を跨いだ一成の鼻先に、汗と精の混じった独特な臭気が絡みついた。
一成に気を取られた兵二郎が手を離したため、半蔵が堰を切ったように息継ぎをした。
「なんだ、用があるならそこで言いやがれ。萎えちまうじゃねえか」
兵二郎が上体を起こすと、ふたりの繋がる淫境が露になった。
「っ……」
一成に気がついた半蔵は、羞恥に耐えかねた様子で顔を背けた。
「今、首を絞めていましたね。なにかの仕置きですか」
「こうするのが気持ちンだよ。虐めると締まりが良くなる」
「痛みや苦しみを感じると、人の体は自然と力みます。あなたの勘違いでは?」
刹那、一成の耳元をなにかが掠める。兵二郎の投げた盃が背後で玉砕した。
「一成、おめぇ、やけに食い下がるじゃねえか。この痩せこけたのが気に入ったか」
「話が飛躍していますよ。私は一家の者に危険を強いるなと言うのです。内乱でも起こしたいのですか?」
快楽のために、兄貴分が子分を殺したと知れば、ほかの子分から反感が集まる。
内乱は一成にとって好都合だが、半蔵を性戯の一環で殺されるわけにはいかぬ。
「こいつは親父が俺に寄こしたもんだ。俺のものに何をしようと、文句を言われる筋合いはないはずだぜ」
兵二郎に突きを入れられ、半蔵の腰が仰け反った。
「っ」
ひとたび事が始まるや、休む間もなく律動され、半蔵の細身が揺さぶられた。
脚を持ち上げられ、二つ折りに畳まれた痩身へ兵二郎がのしかかる。
下半身の自由が利かぬまま、男のものを真上から挿し込まれ、華奢な腰はますます逃げ場を失った。
「あ、ぐっ、はっ」
喘ぎ声が上がるたび、兵二郎の体は、ますます強くいたぶる。
半蔵を犯すさまを見せつけながら、ふたたび鶴首へ手をかけた。
「もういちど見てもらおうじゃねえか。半蔵が苦しんでるか、よがっているか、その目で確かめな」
「よしてください。本当に死にますよ」
下手に出る一成を無視し、兵二郎は半蔵の喉仏へ親指を押しつける。
半蔵が一成を見た。口では何も言わなかったが、視線は一成にすがりついてくる。
一成は兄に歩み寄るや、兵二郎の手を半蔵の首から引き離した。
「ふ、そんなに気に入ってやがるのか。抱かれているのを見ちゃいられねえ程によ」
嗤う兵二郎は、半蔵から男根を抜いた。
「俺に乞えよ、一成。こいつを抱かせてくれと頼めば、一晩くれぇ貸してやるぜ。俺の使い古しだがな」
恥辱の雨を受ける半蔵は、ただ沈黙し、瞼を伏せていた。
(頼まなくても、そのうち奪ってやるのに)
一成は胸の奥へ本音を呑み込んだ。
半蔵の身柄はそのうち手に入れるとして、半蔵自身からの好意を買っておくのも悪くない。一成は己の誇りを、目先の欲のために売った。
「今晩、彼と二人きりにして頂けますか」
頭を垂れ、一成は兵二郎に乞うた。
兵二郎は口元を満足げに吊り上げると、弟の頭を踏みつけ、
「母親と同じで欲に汚ねぇ野郎だぜ。好きなようにしろよ」
吐き捨てて部屋を後にした。
足音が遠ざかるのを確かめた半蔵は、すかさず一成に伏した。
「親分さん、ごめんなさい。俺のためにこんな……ごめんなさい」
詫びる半蔵のはだけた着物を、一成は無言のまま正した。
畳にこぼれた精を羽織の袂で拭い、中居に敷き布団を持ってこさせて、ようやく、
「今日はゆっくり寝なさい。そのぶんだと、あまり寝かせてはもらえないのでしょう」
と、告げた。
半蔵は言われた通りに布団へ乗ったが、その大部分を空けて座していた。
「寝なさいと、私は言いませんでしたか?」
「いや、兵二郎のお頭はいつも違う女と寝ますので……俺とはあまり。だから、いいんです。親分さんが先に寝てください」
「遠慮はいりません」
「寝る場所が余ったら、そこに寝ます」
兵二郎には口答えもせぬ半蔵が、一成に対しては物申せるらしい。
一成はそれを、半蔵がわずかにでも、自分に心を許している証だと期待した。
「そこまで自分の考えを話せるなら、お兄さんの夜伽を断ったらいかがですか」
半蔵には無理のある提案をし、あえて鎌をかけた。
半蔵は口ごもった。
「ごめんなさい。まだ親分さんのことが、賭場に遊びに来ていた男の子に思える時があるんです。それで、話しやすくて」
読み通り、半蔵は一成に対して特別な愛着を持っているようだった。
「兵二郎のお兄さん……私の兄は、行為を拒めば殴りますか」
尋ねると、半蔵は沈黙をもって認めた。
「殴られるのは、あなたにとっては怖いでしょうね。無理を言いました」
一成に暴力に対しての恐怖はないが、眉を下げてみて、それなりに共感したそぶりを見せた。
半蔵は一成と向かい合ったまま、不意に落涙した。
「すみません、俺……こうなるのは仕方ないって、もう助けてもらえないって分かってたのに……やっぱり、嬉しくて」
「助けてもらえない、とは、どうしたわけか聞かせてくれますか」
膝行した一成に、半蔵は次々と涙を溢しながらうなずいた。
「このあいだ、お頭が縄張りにした賭場に、浪人が押し入りましたよね」
「ええ」
「あの人の恋人が死んだとき、俺は近くにいたんです」
「はい、はい」
「借金の取り立てについて行って、そうしたら、金がないなら娘を売ると」
「お兄さんの子分は、乱暴に走ったのですね」
金に困った者に法外な高利で貸付け、返せなければ家族を売る。
それが兵二郎の一味では、当然の取り立て方だったいう。
博徒の界隈では珍しくなく、父もしばしば使った手段である。
一成には見慣れたものだが、半蔵には辛いようだ。やくざ者にされたのにも、事情があると見える。
「隣に住んでた人が止めに入って、そしたら仲間が、その人を殴りつけたんです。止めなきゃと思ったのに、俺は怖くて、少しも動けませんでした」
半蔵の声が震えた。
「人ひとりを見殺しにしたんです。だからもう、人に助けてもらえないのは、当たり前なんだと思って……っ」
ひと回りも長身の男が嗚咽する姿に、一成は落胆した。
(なんだ、誰に対しても優しいのかよ)
宴の場で雑魚寝する子分たちにまで、気が回るのも納得がいく。
半蔵は自分でも身内でもない者にさえ、愛を配る男なのだ。
一成に対しての優しさは、特別なものではなかった。そこらの子供へ注ぐのと同量の愛しか、与えられていなかったのだ。
無償の善。
他人に対する平等の愛。
自己犠牲の精神。
一成には生涯かけても得られぬ、人として最高峰の美徳である。
だが、一成には平等などいらぬ。
半蔵が最優先するものは、その他大勢ではなく、一成ただ一人であるべきだ。
(そうだ)
そのとき、一成の頭に邪悪な発想が降ってきた。
半蔵の善意を利用し、身も心も奪い、かつ、快適な暮らしを維持する策だ。
しかも、そのうえで、兵二郎をコケにできる。
「半蔵さん」
一成は半蔵の肩に手を当て、ゆるりと床に寝かせた。
「えっ……」
驚愕する半蔵の口元へ、己の唇で触れた。
兵二郎が接吻でもしたのか、酒の匂いが残っている。
「身を委ねてください。お兄さんよりは上手いですよ」
次は深く唇を奪った。
いちど強ばった半蔵の唇は、やがて接吻を受け入れて成すがままにされた。
「あ、ふう……ん……」
半蔵の甘い声をも呑む勢いで唇へかぶりつくと、絡ませた舌に涙の塩気を感じる。
涙の味を知らぬ一成は、この接吻をもってして、人の涙と情けを味わった。
「ぷは」
唇を離すと、わけも分からぬまま蕩けてしまった半蔵の、困惑と恍惚の交じる顔が見えた。
それを見下ろしながら、
「今度、私の寝床にいらしてください。夜の楽しみは、次にとっておきますよ」
半蔵と、奥の襖に向けて、一成は優しく語りかけた。
◇
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