菊禍物語(きっかものがたり)

麦畑 錬

文字の大きさ
上 下
17 / 24
最終話【菊禍物語】

『菊禍物語』② ※R18あり

しおりを挟む

 ◇
 
 銀座の明かりがぽつぽつと、夜闇に塗りつぶされてゆく。

 一成は遠方で最後の一軒が眠りにつくのを見届けていた。

 銀座はやくざ稼業に適した土地だ。

 幕府から銀貨の製造や管理を任された銀座の町は、銀から得る利益も多く、人々の金回りがいい。朝場一家も縄張りのみかじめ料を多く取れるので、金には困らなかった。

(銀座を手放すのは惜しい。ならば、兵二郎を消すのが良いか)

 一成は兵二郎を殺すのにちょうどいい場所を、遠目で探した。

 兄の死は、侠客・朝場一家の名に泥を塗った責任ゆえの、自害として片づけたい。

 それができなければ、階段から落として首を折るか、泥酔して川に落ちたと見せかけ、事故死を装う手段も考えた。

(それとも、子分たちをそそのかして内乱でも起こさせるか)

 内乱であれば、一成が直接、手を下す必要がない。ただでさえ、兵二郎は一成の子分たちに嫌悪されている。

 例えば一成が危害を加えられるなどの、わずかなきっかけを与えてやれば、子分らは義憤に燃えて兵二郎を粛清するだろう。

 そうすれば、誰も一成を疑わない。

 一石二鳥の策なのだが、

(しかし、そうなれば半蔵も危ない)

 血の気の多い子分らが、勢い余って、兵二郎の配下もろとも皆殺しにするだろう。

 自分の手を汚さず、半蔵だけを奪いたい。

 思考を巡らせている後ろで、宴の間の襖が開いた。首を後ろに捻ると、半蔵が料理屋の下働きを伴って宴の間に戻ってきていた。

「どうかなされましたか」

 一成が訊ねると、半蔵は腕に抱えた夜着を強く抱いた。

「皆さん寝ていらっしゃったので、てっきり親分さんも寝ているかと……。夜風が冷たいので、夜着を持ってきてもらったんです」

 半蔵の背後では、連れられてきた料理屋の下働きが、寝転んだ子分たちへ次々と夜着を被せている。

 一成は半蔵の腕に抱かれた一着が、自分のために用意されたものだと思った。

「ありがとうございます。気が利きますね」

 愛想よく微笑みかけ、夜着へと手を伸ばした刹那、半蔵がとっさに身を引いた。

「すみません、その、これは兵二郎のお頭に頼まれた分なんです」

「……そうですか」

「あの、親分さんの分もあります」

 半蔵は言葉を補うが、一成は愛想笑いの裏で不愉快になった。

 一成と子分のものは下働きに持たせ、兵二郎の分だけを半蔵が自ら運ぶのが気に入らない。

(私のものなのに)

 一成のなかでは、すでに半蔵は一成のものである。

 腹の底で剣を研ぎながら、一成は嘘笑いに子供のごとき愛嬌を加えた。

「それはどうも。有難く頂戴しますよ」

 半蔵を兵二郎のもとへ行かせると、一成はふたたび銀座の夜景を眺めた。

 やがて、銀座の明かりが減り、細部が見えづらくなったので、今晩のところは諦めて寝床を探した。

 朝場一家が懇意にしている料理茶屋とあって、今晩はどこの部屋も一家のやくざ者が寝転がっている。

 どこも、子分のいびきで喧しい。

 角部屋の前を通りかかると、くぐもった男の声がふすまから漏れた。

 子分の何者かが、芸者でも呼び付けて寝転んでいるらしい。

 ところが、女の喘ぎ声はなく、男のか細い息の根だけが、途切れ途切れに聞こえてくるのである。

 覗き込むと、襖の間隙から苦悶する半蔵の顔が見えた。その鶴首つるくびにかかる無骨な手が、喉を潰している。

「なにをしているのです」

 襖を開け放った先には、半蔵の上に覆い被さる兄の姿があった。

 敷居を跨いだ一成の鼻先に、汗と精の混じった独特な臭気が絡みついた。

 一成に気を取られた兵二郎が手を離したため、半蔵が堰を切ったように息継ぎをした。

「なんだ、用があるならそこで言いやがれ。萎えちまうじゃねえか」

 兵二郎が上体を起こすと、ふたりの繋がる淫境いんきょうが露になった。

「っ……」

 一成に気がついた半蔵は、羞恥に耐えかねた様子で顔を背けた。

「今、首を絞めていましたね。なにかの仕置きですか」

「こうするのが気持ちンだよ。虐めると締まりが良くなる」

「痛みや苦しみを感じると、人の体は自然とりきみます。あなたの勘違いでは?」

 刹那、一成の耳元をなにかが掠める。兵二郎の投げた盃が背後で玉砕した。

「一成、おめぇ、やけに食い下がるじゃねえか。この痩せこけたのが気に入ったか」

「話が飛躍していますよ。私は一家の者に危険を強いるなと言うのです。内乱でも起こしたいのですか?」

 快楽のために、兄貴分が子分を殺したと知れば、ほかの子分から反感が集まる。

 内乱は一成にとって好都合だが、半蔵を性戯の一環で殺されるわけにはいかぬ。

「こいつは親父が俺に寄こしたもんだ。俺のものに何をしようと、文句を言われる筋合いはないはずだぜ」

 兵二郎に突きを入れられ、半蔵の腰が仰け反った。

「っ」

 ひとたび事が始まるや、休む間もなく律動され、半蔵の細身が揺さぶられた。

 脚を持ち上げられ、二つ折りに畳まれた痩身へ兵二郎がのしかかる。

 下半身の自由が利かぬまま、男のものを真上から挿し込まれ、華奢な腰はますます逃げ場を失った。

「あ、ぐっ、はっ」

 喘ぎ声が上がるたび、兵二郎の体は、ますます強くいたぶる。

 半蔵を犯すさまを見せつけながら、ふたたび鶴首へ手をかけた。

「もういちど見てもらおうじゃねえか。半蔵が苦しんでるか、よがっているか、その目で確かめな」

「よしてください。本当に死にますよ」

 下手に出る一成を無視し、兵二郎は半蔵の喉仏へ親指を押しつける。

 半蔵が一成を見た。口では何も言わなかったが、視線は一成にすがりついてくる。

 一成は兄に歩み寄るや、兵二郎の手を半蔵の首から引き離した。

「ふ、そんなに気に入ってやがるのか。抱かれているのを見ちゃいられねえ程によ」

 嗤う兵二郎は、半蔵から男根を抜いた。

「俺に乞えよ、一成。こいつを抱かせてくれと頼めば、一晩くれぇ貸してやるぜ。俺の使い古しだがな」

 恥辱の雨を受ける半蔵は、ただ沈黙し、瞼を伏せていた。

(頼まなくても、そのうち奪ってやるのに)

 一成は胸の奥へ本音を呑み込んだ。

 半蔵の身柄はそのうち手に入れるとして、半蔵自身からの好意を買っておくのも悪くない。一成は己の誇りを、目先の欲のために売った。

「今晩、彼と二人きりにして頂けますか」

 頭を垂れ、一成は兵二郎に乞うた。

 兵二郎は口元を満足げに吊り上げると、弟の頭を踏みつけ、

「母親と同じで欲に汚ねぇ野郎だぜ。好きなようにしろよ」

 吐き捨てて部屋を後にした。

 足音が遠ざかるのを確かめた半蔵は、すかさず一成に伏した。

「親分さん、ごめんなさい。俺のためにこんな……ごめんなさい」

 詫びる半蔵のはだけた着物を、一成は無言のまま正した。

 畳にこぼれた精を羽織の袂で拭い、中居に敷き布団を持ってこさせて、ようやく、

「今日はゆっくり寝なさい。そのぶんだと、あまり寝かせてはもらえないのでしょう」

 と、告げた。

 半蔵は言われた通りに布団へ乗ったが、その大部分を空けて座していた。

「寝なさいと、私は言いませんでしたか?」

「いや、兵二郎のお頭はいつも違う女と寝ますので……俺とはあまり。だから、いいんです。親分さんが先に寝てください」

「遠慮はいりません」

「寝る場所が余ったら、そこに寝ます」

 兵二郎には口答えもせぬ半蔵が、一成に対しては物申せるらしい。

 一成はそれを、半蔵がわずかにでも、自分に心を許している証だと期待した。

「そこまで自分の考えを話せるなら、お兄さんの夜伽を断ったらいかがですか」

 半蔵には無理のある提案をし、あえて鎌をかけた。

 半蔵は口ごもった。

「ごめんなさい。まだ親分さんのことが、賭場に遊びに来ていた男の子に思える時があるんです。それで、話しやすくて」

 読み通り、半蔵は一成に対して特別な愛着を持っているようだった。

「兵二郎のお兄さん……私の兄は、行為を拒めば殴りますか」

 尋ねると、半蔵は沈黙をもって認めた。

「殴られるのは、あなたにとっては怖いでしょうね。無理を言いました」

 一成に暴力に対しての恐怖はないが、眉を下げてみて、それなりに共感したそぶりを見せた。

 半蔵は一成と向かい合ったまま、不意に落涙した。

「すみません、俺……こうなるのは仕方ないって、もう助けてもらえないって分かってたのに……やっぱり、嬉しくて」

「助けてもらえない、とは、どうしたわけか聞かせてくれますか」

 膝行した一成に、半蔵は次々と涙を溢しながらうなずいた。

「このあいだ、お頭が縄張りにした賭場に、浪人が押し入りましたよね」

「ええ」

「あの人の恋人が死んだとき、俺は近くにいたんです」

「はい、はい」

「借金の取り立てについて行って、そうしたら、金がないなら娘を売ると」

「お兄さんの子分は、乱暴に走ったのですね」

 金に困った者に法外な高利で貸付け、返せなければ家族を売る。

 それが兵二郎の一味では、当然の取り立て方だったいう。

 博徒の界隈では珍しくなく、父もしばしば使った手段である。

 一成には見慣れたものだが、半蔵には辛いようだ。やくざ者にされたのにも、事情があると見える。

「隣に住んでた人が止めに入って、そしたら仲間が、その人を殴りつけたんです。止めなきゃと思ったのに、俺は怖くて、少しも動けませんでした」

 半蔵の声が震えた。

「人ひとりを見殺しにしたんです。だからもう、人に助けてもらえないのは、当たり前なんだと思って……っ」

 ひと回りも長身の男が嗚咽する姿に、一成は落胆した。

(なんだ、誰に対しても優しいのかよ)

 宴の場で雑魚寝する子分たちにまで、気が回るのも納得がいく。

 半蔵は自分でも身内でもない者にさえ、愛を配る男なのだ。

 一成に対しての優しさは、特別なものではなかった。そこらの子供へ注ぐのと同量の愛しか、与えられていなかったのだ。

 無償の善。

 他人に対する平等の愛。

 自己犠牲の精神。

 一成には生涯かけても得られぬ、人として最高峰の美徳である。

 だが、一成には平等などいらぬ。

 半蔵が最優先するものは、その他大勢ではなく、一成ただ一人であるべきだ。

(そうだ)

 そのとき、一成の頭に邪悪な発想が降ってきた。

 半蔵の善意を利用し、身も心も奪い、かつ、快適な暮らしを維持する策だ。

 しかも、そのうえで、兵二郎をコケにできる。

「半蔵さん」

 一成は半蔵の肩に手を当て、ゆるりと床に寝かせた。

「えっ……」

 驚愕する半蔵の口元へ、己の唇で触れた。

 兵二郎が接吻でもしたのか、酒の匂いが残っている。

「身を委ねてください。お兄さんよりは上手いですよ」

 次は深く唇を奪った。

 いちど強ばった半蔵の唇は、やがて接吻を受け入れて成すがままにされた。 

「あ、ふう……ん……」

 半蔵の甘い声をも呑む勢いで唇へかぶりつくと、絡ませた舌に涙の塩気を感じる。

 涙の味を知らぬ一成は、この接吻をもってして、人の涙と情けを味わった。

「ぷは」

 唇を離すと、わけも分からぬまま蕩けてしまった半蔵の、困惑と恍惚の交じる顔が見えた。

 それを見下ろしながら、

「今度、私の寝床にいらしてください。夜の楽しみは、次にとっておきますよ」

 半蔵と、奥の襖に向けて、一成は優しく語りかけた。

 ◇
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

黄色い水仙を君に贈る

えんがわ
BL
────────── 「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」 「ああ、そうだな」 「っ……ばいばい……」 俺は……ただっ…… 「うわああああああああ!」 君に愛して欲しかっただけなのに……

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...