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第3話【くれなゐ心中】
『くれなゐ心中』③
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◇
吟と過ごした二年間の追憶から、四郎はようやく現世に舞い戻る。冷えた川の浅瀬に座り込み、腕には息のない吟を抱いていた。
吟の腕に結ばれた縄には、見知らぬ女の土座衛門が繋がっている。
『どうか探さないでおくれ』
吟が書き残した手紙の続きが、四郎の頭をよぎった。
『お前がおらねば生きられぬ、私自身が許せなくなってしまった』
この文面から、自決は予想できる。だが、まさか心中する相手に、ほかの女を選ぶとは思わなかった。
「ふざけんな……ッ」
四郎は事切れた吟の胸ぐらを掴み、歯を軋ませた。
「死ぬなら前みてぇに、ひとりで死ねば良かったろ。どうして俺の知らねえところで、俺の知らねえ女と死のうなんて思ったんだ」
怒りのあまり、声が震えた。
「毎朝眠いのを我慢して、あんたが寝てる間に飯作って、仕事行って、帰って布団しいて抱かれて……俺がこれだけ尽くしてやったのは、一体何だったんだ?」
吟はもちろん、返事を返さない。
四郎はその死に顔も憎かった。
長らく連れ添った四郎との愛より、そこらの女と結んだ軽薄な愛に傾いた吟が、なにより許せなかった。
「食い終わった茶碗を洗ったのも、布団干したのも、飯を作ったのも、全部忘れたのか?俺がいなきゃ生きていけなかったくせに!」
恫喝を続けたために喉が枯れた。
ひと呼吸、ふた呼吸と息を継いだ刹那、
「けほっ」
吟が息を吹き返した。額から滴る水に整った眼が潤んでいる。
――この弱った瞳が好きだった。
吟が心を許すほど、完璧な容姿と才能で塗り固めた脆さが見えて、四郎にはそれが嬉しかったのだ。
「……あんたが弱くなれる相手は、俺だけだと思ってたのに」
四郎は力尽きたように嗚咽する。
吟に頼られるのは、信頼されている自分だけの特権だと思っていた。吟の身勝手さを、四郎は甘く見ていたのだ。
きっと、明日になれば吟と女の心中死体が上がり、世間が二人の関係を《誠の恋仲》と認める。
生きて残された四郎は、遊び相手の一人でしかなくなるのだろう。
二年もの間、積み上げてきた愛情が、たった一人の女になし崩しにされるのだ。
(そんなこと、させてたまるか)
手繰り寄せた縄から、四郎は女の手首を引き剥がした。
「お琴、お前かい……」
朦朧とした顔で問うてきた吟に、四郎は笑いかける。
「怒っちまって、ごめんな。でも、俺に尽くされて後ろめたいなんて、もう思わなくていいよ」
優しく声をかけながら、女から奪った縄を自身の手に巻いた。
「し、四郎」
吟が正気に戻った。
「最後まで一緒に添い遂げるなんて、まるで夫婦になった気分だな」
四郎は吟を腕に閉じ込めると、勢いよく川へ倒れた。
川面に無数の泡沫が弾ける。
すべての泡が消えるころには、紅の月だけが水鏡に残っていた。
【おわり】
吟と過ごした二年間の追憶から、四郎はようやく現世に舞い戻る。冷えた川の浅瀬に座り込み、腕には息のない吟を抱いていた。
吟の腕に結ばれた縄には、見知らぬ女の土座衛門が繋がっている。
『どうか探さないでおくれ』
吟が書き残した手紙の続きが、四郎の頭をよぎった。
『お前がおらねば生きられぬ、私自身が許せなくなってしまった』
この文面から、自決は予想できる。だが、まさか心中する相手に、ほかの女を選ぶとは思わなかった。
「ふざけんな……ッ」
四郎は事切れた吟の胸ぐらを掴み、歯を軋ませた。
「死ぬなら前みてぇに、ひとりで死ねば良かったろ。どうして俺の知らねえところで、俺の知らねえ女と死のうなんて思ったんだ」
怒りのあまり、声が震えた。
「毎朝眠いのを我慢して、あんたが寝てる間に飯作って、仕事行って、帰って布団しいて抱かれて……俺がこれだけ尽くしてやったのは、一体何だったんだ?」
吟はもちろん、返事を返さない。
四郎はその死に顔も憎かった。
長らく連れ添った四郎との愛より、そこらの女と結んだ軽薄な愛に傾いた吟が、なにより許せなかった。
「食い終わった茶碗を洗ったのも、布団干したのも、飯を作ったのも、全部忘れたのか?俺がいなきゃ生きていけなかったくせに!」
恫喝を続けたために喉が枯れた。
ひと呼吸、ふた呼吸と息を継いだ刹那、
「けほっ」
吟が息を吹き返した。額から滴る水に整った眼が潤んでいる。
――この弱った瞳が好きだった。
吟が心を許すほど、完璧な容姿と才能で塗り固めた脆さが見えて、四郎にはそれが嬉しかったのだ。
「……あんたが弱くなれる相手は、俺だけだと思ってたのに」
四郎は力尽きたように嗚咽する。
吟に頼られるのは、信頼されている自分だけの特権だと思っていた。吟の身勝手さを、四郎は甘く見ていたのだ。
きっと、明日になれば吟と女の心中死体が上がり、世間が二人の関係を《誠の恋仲》と認める。
生きて残された四郎は、遊び相手の一人でしかなくなるのだろう。
二年もの間、積み上げてきた愛情が、たった一人の女になし崩しにされるのだ。
(そんなこと、させてたまるか)
手繰り寄せた縄から、四郎は女の手首を引き剥がした。
「お琴、お前かい……」
朦朧とした顔で問うてきた吟に、四郎は笑いかける。
「怒っちまって、ごめんな。でも、俺に尽くされて後ろめたいなんて、もう思わなくていいよ」
優しく声をかけながら、女から奪った縄を自身の手に巻いた。
「し、四郎」
吟が正気に戻った。
「最後まで一緒に添い遂げるなんて、まるで夫婦になった気分だな」
四郎は吟を腕に閉じ込めると、勢いよく川へ倒れた。
川面に無数の泡沫が弾ける。
すべての泡が消えるころには、紅の月だけが水鏡に残っていた。
【おわり】
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