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2話【いおり】

【いおり】② ※R-18あり

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「俺を抱けと言ったら、お前は喜ぶか?」

 泰一郎が告げると、久和が息を失った。

「いいのですか」

「許す。お前なら構わん」

 しばらく硬直していた久和は、やがて強く泰一郎の肩を抱き、唇に食いついた。

「……っ、ずっと、お慕いしておりました。犬畜生の身でありながら、あなたをこの腕に抱きたいと、幾度願ったことか」

 口の結び目から漏れる吐息の熱に、泰一郎も浮かされた。

「ああ、俺も――お前の分厚い手に撫でられてみたかった」

 久和の腕が肩へ回り、静々と泰一郎を床へ寝かせる。組み敷いた体に覆いかぶさりながら、いっそう深く唇を繋いだ。

 結い上げた泰一郎の総髪が崩れる。緩んだ髪紐を解かれ、まとめられていた黒髪が畳へ流れた。

「ん……」

 緑に艶めく髪を愛おしげに眺めると、久和は口先で触れた。

「この御髪に触れられる髪結いが、羨ましいと思っておりました。久和は果報者です」 

 久和の唇は髪を遡り、耳へと行き着いた。

 興奮した息遣いは飢えた犬を彷彿とさせ、いよいよもって、畜生同然の下男に抱かれるのだと泰一郎に実感させる。

 必死に体を求める有様は、初心で、可愛げがあった。

「好きなだけ、好きな所に触れればいい。今日はお前のものだ」

 告げると、久和が顔を上げた。

 上品で切れ長な泰一郎の眼とは対照的に、久和の眼は大きく丸い。その幼い瞳がいたいけに輝いている。久和の顔貌は正直だった。

(犬畜生、より、子犬だな)

 愛くるしさに胸をくすぐられる。たまらず抱擁すると、久和も耐えかねたような勢いで泰一郎の白い頸に吸いついた。

「ふ、うんっ」

 分厚い久和の手が襟を掻き分けた。胸板の上を這いまわりながら脇へと到達し、泰一郎の衣を左右へ開いた。

「おい、蔵に置いていた斧はどこにある」

「私が見ました時は、もうボロだからといって、旦那さまがお捨てになられましたよ」

「新品じゃどうも慣れんの」

 下人たちの影が障子の奥で会話している。

 高貴と下賤の体が交わる禁断の空間では、外からの声がより鮮明に聞こえる。

 ぴたりと行為をやめた久和と目が合った。眉が下がり、表情に迷いが出ている。
 
 泰一郎は久和の腰に、自らの腰を押し当てた。若き血潮のみなぎる久和の昂ぶりに、泰一郎はごくりと喉を鳴らした。

「構うな、抱け。これでは生殺しだ」

 ひそめた声で命ずると、久和はいちど障子戸を見やり、やがて腹をくくったように泰一郎の腰から褌を剥いだ。

 肉鞘を伝った精が、菊座を濡らしている。その淫らな姿を凝視しながら、久和はついに主の股へ分け入った。

「夢みたいだ。俺、本当に若旦那さまと」

「もう、その呼び方はよせ。お前の思おうように呼ぶがいい」

 泰一郎は拍子抜けした顔の久和に微笑みかけた。

「嬉しい……いちさん」

 久和は感極まり、ついに肉杭の穂先を泰一郎の入口へと突き入れた。

「ああっ」

 急に押し込まれ、声が漏れる。腹が圧迫され、鳩尾が苦しくなった。

 盛った久和の腰が激しく動く。貪欲な律動で打ちつけられる腰の肉が、ぱちぱちと音を立てた。

「はっ、はあっ、んは」

 真上で体を揺らす久和から汗が垂れる。汗を拭う腕は、筋肉に沿って太い血脈が浮き出ていた。

 野良仕事で鍛えられた久和の体を見て、腹の肉が疼いた。

「っ……」

 苦しく感じた部分が熱を帯びる。逞しい男根を、徐々に腹が欲するようになった。

「久和、んっ……」

 脚を久和の腰に絡ませ、しがみつく。このまま快楽に身を委ねれば、たちまち体が散って壊れてしまう気がした。

「俺、幸せです、いちさん……こんな顔、きっと誰もッ……!」

 久和は律動をやめ、体を密着させる。寸分の隙もなく抱き固めると、腹の中へ子種を放った。

 湿気のむせ返る部屋へ、西日が差しこんでくる。

 夕闇に体が隠れると、ふたりはいっそう淫らな行為へと及んでいった。

 ◇

 それから、ふたりは互いの肌に溺れた。

 体を許した男同士が、たった一度だけの火遊びで終わるはずもない。

 両親やほかの下人の目を盗んでは契りを結んだ。

 頻繁に交わるうちに、ふたりのかすかな異変に周囲が勘づき始めた。話す距離や表情、仕草の一つ一つに、互いへの恋慕が滲み出ていたのである。

 やがて噂が両親の耳に届くと、久和は屋敷を追われた。折檻されなかっただけ、まだ容赦のある処罰だった。

 ところが、ほどなくして泰一郎は、久和と駆け落ちした。若人の肉欲と、叶わぬ恋への渇望がもたらす衝動は、それほどに凄まじかったのである。

「若い日のわしときたら……あれは、若気の至りであろうな。家柄や生活を捨ててでも、久和との暮らしを夢見ていた」

 老いた泰一郎が思い起こす過去には、久和の手を取って、昼の山道を駆け上がる自身がいる。

 久和が追い出されてから間もなく、いっそ家を出てやろうと思い立った矢先、

「いちさん」

 泰一郎の自室に面する庭へ、久和が忍んで訪れていた。

「すみません、いちさん。俺、あなたが諦められなくて……」

 皆まで聞かず、久和を抱きすくめた。

 彼の元へ往こうと考えていた、まさにその時、久和がきたのだ。

 泰一郎はこの偶然を運命と見た。

 指切りをせずとも、心中をせずとも、久和とは見えざるもので繋がっている。――それを確信した泰一郎は、もう屋敷や庄屋業を捨てる決心さえついてしまった。

「久和、俺を連れていってくれ」

 懇願すると、久和は躊躇いもなく泰一郎の手を引いてくれた。

 最寄りの山麓には、家の者すら忘れ去っていた祖父の隠れ家がある。幼少期に遊びに行ったきり使っていなかった家へ、ふたりは身を寄せた。

 山麓での暮らしは、何をするにも胸が躍った。

 下人にやらせる掃除をふたりでし、慣れない畑仕事に何度も肉刺を潰した。庄屋の跡取りがすべきでない野良仕事も、久和と一緒なら苦にもならなかった。

 この家でなら、久和と大きな声で笑っていいし、つまらぬ喧嘩をしてもいいし、甘い声を我慢しなくても良い。

 庵のような小さな家だったが、泰一郎には一切の不満もなかった。

「俺は幸せだよ、いちさん」

 共寝する泰一郎を抱き寄せながら、久和は感嘆した。駆け落ちしてから、半年が過ぎた春の晩である。

「この暮らしはずっと続く。今これだけ喜んでいたら、いつか底を尽きるぞ」

「なくならないよ」

 久和は瞳の潤いに幸せを湛え、泰一郎の耳元に口づけた。

 先ほど、疲れ果てるまで契っていたが、情交の快楽を知った体は回復が早い。まだ熱の残る体を久和に委ね、泰一郎は己をくれてやった。

 二人きりの暮らしになり、泰一郎を独占しても、久和は飢えから解き放たれたように必死で抱く。そのいじらしさが、泰一郎を虜にしていたのである。

 事が終わり、満足のいくまで子種を注ぎ込むと、久和は唐突に泰一郎の腹を撫でた。

「なんだ。子供なら産めんぞ」

「夢を見るだけさ」

 久和は泰一郎の顔に頬を寄せた。

「俺には両親もいないし、ずっと一人だったから」

「そういえば、お前は村の百姓から買い取ったんだったな」

 久和には家族がおらぬ。赤子のころに泰一郎の家へ買い取られ、物心がついてすぐ下男となった。

「獣腹だったのさ。二人の子が生まれて、俺が売られた。間引かれるところだったのを、下人として買って育ててもらえたんだ」

 多胎で生まれた子供は獣腹として冷遇される。獣が一度に複数の子を孕み、産み落とすのに似ているためである。

 出生が露見すれば母子が《畜生》として扱われ、家の名に傷をつけるため、多くの家庭では子ひとりを残し、残りは捨てた。

 捨てられた久和はとして屋敷に買い取られたため、戸籍に名が残っていない。

(だから父上と母上は、こいつを犬として俺に寄こしたのか)

 泰一郎は胸を締めあげられた。

「あの、いちさん」

 久和は上目遣いになった。何か要求のある時の顔である。

「もう少し二人を楽しんだら、いつか、もう一人を迎えたいなと思うんだ」

「使い走りにでもするのか」

「俺がいて、いちさんがいて、そこに子供がいたら、家族になれるかと思って」

 久和の言葉に、泰一郎は沈黙した。
 
 泰一郎にとって、家族は組織だ。

 父が家族の長であり、その次に男児が据えられ、母と娘は傍らに伏して支える。家長の意見が絶対であり、母と子は従属する。逆らえば折檻を受けることもある。

 泰一郎の知る家族像は、冷徹だった。

「お前はなぜ家族を作りたがる。共に暮らすなら、子は必要あるまい」

 言うと、久和は困り眉になった。

「俺、屋敷を追われた時に大旦那さまから言われたんだ。田畑をくれてやる、どこぞの女でも捕まえて、はやく家族を作れって」

「ほう」

「でも、家族は死ぬまで一緒にいる人だろ。子供がいつか家を出ても、俺とあなたは伴侶なんだ。死ぬまで一緒にいたい人は、いちさんしか思い浮かばなかった」

 聞いている間、泰一郎は唇を引き結んでいた。堪えなければ涙が溢れてしまう。

 腹の底で枯渇していたものが、満たされ、喉までせり上がってくるのが分かる。これが生まれて初めて泰一郎が実感する、愛される喜びであった。

「――名前は、どうするんだ」

 久和に背を向けながら、鼻声で話題を逸らした。

「もし子を貰うとして、名前はどうする」

「さすがに、早すぎやしないかな」

「たとえ話だ。いいだろう」

 胸に渦巻く激情が静まるまで、時を稼ぎたかった。その心を察してか、久和はそっぽを向く泰一郎を振り向かせず、

「いおり、が、いいかな」

 ぽつりと言った。

「男でも女でも馴染む名だ。その子が将来、男の生き方もで、女の生き方でも、好きなほうを選べるように」

 話し終わったころ、泰一郎はようやく久和と対峙した。

「お前は、子煩悩な父になりそうだな」

 いつか来る未来に心を躍らせ、眠りについた。

 若さゆえか、証拠もなく幸福な将来を確信していたのだ。


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