菊禍物語(きっかものがたり)

麦畑 錬

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1話 【間男(まおとこ)】

【間男】③

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 ◇

 屋根を打つ雨粒の音は鳴り止まない。この禍々しい雨音に抱きすくめられると、不思議と気分は高揚した。

 雨の日は皆が不安になる。

 雨雲に覆われた薄暗い景色、雨粒の激しい音、人を家屋に押し込める水の檻が、外出を阻む。

 習い事へ行く姉たちも、昼見世へ遊びに出る兄たちも、父も母も、激しい雨の日にだけは忠弥と同じ屋敷の中にいる。

 そんなときに風邪でもひくと、なぜだか母や兄弟は少し心配してくれて、忠弥だけにとくべつ、滋養によいものをこしらえてくれた。

「はーっ、はーっ……」

 深い息を繰り返しながら、蕩けた腰をゆっくりと床に下ろした。房事が終わっても身体の奥底はいまだに痙攣し、行為の余韻を噛み締めている。

 忠弥はじっとりと湿った床の上に横たわりながら、雨音に耳をすまして休んでいた。

 初めは女も知らぬ童子のようだったのに、ここのところは良次にも欲がでてきて、満足するまで全力で抱かれる。

「雨、強くなってきちまった」

 良次は困り果てた顔で外を見ると、脱いでいた着物で忠弥を包んだ。

「忠弥さんは、まだ立てそうにねえか」

「少し休む」

「ん、分かった。夕飯がまだだから、なにか食べようぜ」

「……なにがある」

「卵。おかずにしようか粥にしようか迷っててさ、どっちがいい?」

「今日は冷える、粥にしてくれ」

「うん」

 良次は嫌な顔ひとつせず、せっせと水を張った鍋に鰹節を放り込んだ。

 健気に卵を攪拌するのじっと眺め、忠弥は懐を熱くした。

 生家ではいつだって、兄や姉達の希望が兄弟の総意にされ、忠弥の好きにできたことはない。

 だが、たった一度だけ、風邪に倒れた日には望んだものを食べられた。

 人の心が自分に寄り添ってくる温もりを、忠弥は忘れられない。

 自分のために命を差し出せるほどの、熱烈な愛情を求めるうちに、妾奉公に走るようになった。

 ただ、ここ最近は良次の存在だけが、忠弥の中で少しずつ膨らみつつある。

 良次の居候になって二年はする。たいていの男なら、時が経つと身体に飽きてくるか、自分のものだと確信して振る舞いが雑になるものだ。

 ところが、良次は今なおも純朴に忠弥を求め、相惚れの妻へするように世話を焼く。

 はじめこそ、白々しくも見えたその姿が、今では愛おしくもなり始めた。

 いつかは飽きられるだろうと覚悟するのも、この頃は怖くなっている。

「良次」

 忠弥は後ろから良次を抱きすくめた。

「わっ」

 仰天した良次に寄りかかって顔を拝んでみると、頬が紅潮していた。

「顔が赤いぞ」

「そりゃあ、忠弥さんさ……後ろから急に抱きつかれちゃあ、びっくりするぜ」

「赤くなることもあるまい。今のお前なら好きな時に、俺をどうにだってできる」

 鼻先で細く笑んだ。

(この透き通った情欲が、いつまでも俺に向いていればいいものを)

 忠弥は汗ばんだ赤い頬に手を這わせた。


【おわり】
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