2 / 24
1話 【間男(まおとこ)】
【間男】② ※R18あり
しおりを挟む◇
その日は終日雨天が続いており、人々は濁った空模様に時刻の判別を妨げられたが、暮れ六つの鐘の音をもって夕刻を知った。
良次は雨水の張った地面に飛沫を散らしがら、足早に元鳥越の長屋へと急いだ。
今日は雨にもかかわらず多忙を極めていたため、自身への褒美に奮発して、二十文(およそ五百円)もする卵をふたつ買った。
この良次なる若者は、出先へ走ってまわる店持たずの髪結師である。このごろは得意先も増えたため、安い長屋で暮らす良次は景気がいい。
活気に溢れた元鳥越の往来から脇に折れて、長屋へ通じる木戸番をくぐる。
自身の部屋へ帰ってくると、人の足音がする。身を引きずるがごとき足取りで、縁側あたりを徘徊しているようだ。やがて、そこへ座したためか、足音がやんだ。
良次はいったん立ち止まり、
「ふう……」
胸の高鳴りを鎮めた。
部屋に帰れば忠弥が居ることを知っているから、余計に息が乱れる。いまだ昂る胸を撫でながら、何事もなかった装いで戸板に手をかけた。
「ただいま」
声をかけると、朝には部屋で眠っていた忠弥が庭の縁側でくつろいでいた。ほの暗い雨を背景に、忠弥の白い肌がいっそう鮮明に浮かび上がった。
「遅かったな」
ねっとりと耳を舐めてくる声に胸を浮き立たせ、
「うん……髪結い床の手伝いに、それと、お得意先を三つも回ったんだ」
告げた。
「あの、ありがとう」
「なんのことだ」
「今朝、飯に味噌汁まで作ってくれたろ」
「俺が食うものがなかったからだ」
「おかげで朝はゆっくりできたよ」
「飯程度で礼を言ってくれるな」
哀愁をまとった微笑を唇の端に浮かべ、忠弥は縁側に続く戸を閉めた。
「どうした、早く中に入れ。ずぶ濡れではないか」
「雨が降ってたからさ。俺、朝は晴れてたから傘を持って行かなかったんだ。このまま上がっちまったら、忠弥さんも濡れちまうよ」
「構わん。居候に気を遣うな」
どことなく町人のそれとは違う語調が、忠弥の出自が武家だというのを思い知らせる。
手拭いを腕にかけて歩み寄る忠弥の首筋には、まだ新しい吸着の跡があった。
良次はそのたび、生唾を飲んだ。
(帰ってきたってことは、今日は……)
今日は、忠弥を抱ける。
なるべく考えぬようにしていた欲が、心の水面下からゆっくりと顔を出しつつあった。
忠弥はふだん長屋におらず、奉公先で男に抱かれて暮らす。
体など売らずとも、日雇い仕事で十分に暮らせる。ところが、忠弥は妾奉公に執着し、体を売り続けている。
忠弥が奉公から帰ってきた日は、必ず良次も抱かせてもらえる約束だった。
(俺は、お侍さま相手になんてことを)
背徳感に駆られるものの、良次には忠弥を拒む理由もなかった。
そもそも、とっかえひっかえに男の家を放浪していた忠弥に一目惚れし、必死に口説いて長屋に連れ込んだのは良次だ。
忠弥のほうも、無銭で抱かせるのを家賃のかわりにして合意した。
良次は生まれながら女を抱けぬ。
女に恋もせぬ。
女の柔肌よりも男の硬い肉に惹かれたし、できるなら念者(年上)をこの手で好きにしてみたかった。
ひとつ年上で体躯も美しい忠弥は、良次にとって手離しがたい情夫である。
「あの、忠弥さん」
「なんだ」
「近ぇよ、もうちっと離れてくんないと」
「近くて困ることでもあるのか。俺が近くへゆかねば、お前の身体も拭けまい」
忠弥の言い回しは誘惑めいている。整った眼孔の奥から、大きな黒目が艶めかしく手招いていた。
(この人は、俺で遊んでいるのかな)
良次は背の高い忠弥に見下ろされながら、その美貌を前に渋い顔になった。家賃の代わりとはいえ、男をも虜にする美男子が、ただの髪結いに体を開くはずがない。
いつか飽きられ、あっけなく捨てられるのではないか。
そんな予感が、常に背中へ張りついていた。
「忠弥さん……いいか?」
忠弥の両肩に手を這わせる。そっと抱き寄せながら、深紅の花唇を食んだ。
「ん」
柔らかい唇を味わいながら、舌を潜らせて愛撫する。忠弥がいなければ一生ありつけなかった甘露だ。
良次は忠弥の身体を床に横たえると、己の不安を誤魔化すように、唇へむしゃぶりついた。
「む、んん……ふ……っ」
場数を踏んでいるはずの忠弥が、口の結び目から吐息を荒らげた。初々しい乙女の喘ぎ方も、男を騙す術なのだろうか。
ようやく唇を引き離すと、次は忠弥から抱きしめて、
「――そうだな、先に身体を暖めておこう」
耳元で囁いた。
良次は甘い声の命じるまま、忠弥の着流しを脱がせた。
身体のあちこちに吸いつきながら、
(どうしたらこの人を、俺だけのものにできるだろう)
と、考え続けていた。
忠弥を妾にできる男は、みな多才でかつ裕福である。忠弥を繋ぎ止めるには、それだけの価値が自分に必要なのだ。
「っ……どうした、今日はいつになく……遅いではないか」
しつこく愛撫する良次に痺れを切らし、忠弥が苦しげに声をかけてきた。
「あんまり、急に入れたら痛いだろ」
「今さら気にすることもあるまい……最初の頃のように突っ込んだら、どうだ」
「優しくしたいんだよ」
良次は言った。本心だが、嘘でもあった。
忠弥には楽をして抱かれて欲しい。良次もまた、気持ちよくなるには心構えがいる。締まりのいい肉に挟まれると、たちまち腰が抜け、情けない姿を晒す羽目になる。
「……好きにしろ」
忠弥はその場にくたびれ、吐き捨てた。
良次は衣の裾を掻き分け、白い脚の間に入った。山なりに曲げた脚を持ち上げると、昂る男のものが物欲しげに首をもたげる。
抱いてくれと言わんばかりの肉体が、さらに良次の劣情を煽った。
(これも、男を騙す手管だったりして)
身体は嘘をつかないと聞くが、一流の女郎は偽りの蜜で股を濡らすという。
忠弥もまた、そういう芸当ができる一人なのではないか。良次の頭に不安が巡った。
時折、床から良次を見上げる宵の瞳が、やけに熱っぽく見えることがある。たとえ水商売の手管だとしても、思わず本気で心を奪われる引力があった。
「忠さん……入ぇるよ」
拡げたところへ押し入ると、組み敷いた白い体が仰け反った。奥を弄してやりながら、腹のなかで肉を擦り合わせると、忠弥がなにかを掴もうとして虚空を探った。
その手に掴ませてやろうと、良次は首を差し出した。震えながら頭に伸びてきた手のなすがままにさせ、忠弥に抱きとめられる形で体を重ねた。
「あっ、はあっ……うう」
嬌声を押し殺す忠弥をうつ伏せに横たえると、いっそう深く突き上げ、
「ああっ!」
逃げ腰になるのを捕まえながら、絶えず翻弄した。
初めに抱いた時は、あまりに気持ちがよいので良次のほうが参ってしまったが、いまは忠弥に体が追いついてきて、一晩中、思うさまに抱いていられる。
抱き疲れて、あと一度でやめようという時に忠弥の体へ触れると、汗に炙り出された微醺がふたたび良次の男をいきり立たせるのだった。
「忠弥さんっ……」
絡みつく白い体に、良次も同じだけの強さでしがみついた。
(どうか妾奉公などやめて、ずっと俺の元にいてくれ)
言い出せない本音を、胸の内で叫んだ。
汗脂と雨水に照り返る肌で互いを舐め合い、慰める。
ごうごうと叩きつける雨音に紛れて、良次は声を漏らした。
◇
1
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる