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第三章 桜の下で伝えた
第68話
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それから約二時間後、私が映画の原作小説を中盤、主役の二人が正式に交際する直前のシーンまで読んだところで美月は図書室にやってきた。先ほどまで蘭々が座っていた私の隣の席に腰をおろす。
「詩織、あのね」
呟くように私に話しかける美月の声からは、昼休みには感じられていたドキドキもワクワクもトキメキも感じられない。
「伊織君に好きですって伝えたら、伊織君も私のこと好きだって言ってくれたんだ……」
当然だ。ここで誤魔化しでもしていたら私は伊織を張り倒さなければならない。
「でもね、お付き合いするのは待って欲しいって言われた」
やっぱり張り倒さなくてはならなかったようだ。
「ま、待って、詩織。座って」
バスケ部の体育館に乗り込もうと立ち上がったが美月が手を掴まれ、座り直した。
「どういうこと? 伊織は何考えてるの?」
「私、理由は納得してるから。大丈夫。私のこと好きって言ってもらえただけでも嬉しいから」
美月の表情は全然嬉しそうに見えない。何かつらいことを我慢しているように見える。それを放っておくほど私はもう愚かではない。
「納得して、嬉しいならそんな顔しないよ。美月、理由って何? 伊織は美月のこと好きなんだよ。なんで待って欲しいなんて言ったの?」
「ごめん、私からは教えられない。伊織君とちゃんと話した方が良いと思う……桜君との約束が終わったら一緒に帰ろう?待ってるから」
そう言って立ち上がり図書室を出て行こうとする美月の手を今度は私が握り返した。こんなにつらそうな顔をした美月をそのままにはできない。今度は一人にしない。
「美月、つらそうな顔してる。放っておけないよ」
美月は優しく微笑んでゆっくりと私を抱きしめた。わずかに保健室の匂いがして、図書室に来る前にはずっと保健室にいたことが分かる。
「ありがと。でも今回は本当に大丈夫だから。私は何も我慢してないし、つらい思いもしていない。嘘じゃないよ」
「ほんとに?」
「うん。伊織君のことだから、ちょっと詩織に言いづらいだけ。だから私は大丈夫」
美月は「保健室にいるね」と言い残して図書室を出て行ってしまった。涙が一筋流れていたように見えたけれど、強くて優しい美月の声と表情のおかげでこれ以上追究しようとは思わなかった。
席に戻った私はもう小説を読む気にはなれず、ただ虚空を見つめながら思考に耽る。
伊織に恋をして一言でも会話ができたり名前を呼んでもらえただけで嬉しそうにしていた美月、気持ちを伝える覚悟をして一生懸命だった美月、美月を助けるために怒って、行動してくれた伊織、美月との思い出や風美君から聞いた美月の昔話を楽しそうに語る伊織。私の脳内に二人の色々な姿が浮かんでは消える。
二人とも優しくて、一生懸命で、私の贔屓目を抜きにしてもお似合いだと思う。それなのになんで伊織は現状維持を選択したのだろうか。彼氏彼女になって、もっと仲良くして、もっと楽しい高校生活を送ればいいのに。
伊織は実は重い病気で先が長くないとか、美月の他にも好きな人がいたとか、他の誰かからも猛アプローチされていて困っているとか、色々な理由を考えては否定していく中でふと今日の休み時間のことを思い出す。
確か伊織は今は彼女を作るつもりはないと言っていた。私は勝手に美月以外の彼女を作るつもりはないと解釈していたけれど、言葉通りの意味だったのだ。
そんなことを思い出しても結局理由は分からないまま、バスケ部の練習が終わる時間、真人君との待ち合わせの時間となった。
少し前までは待ち合わせ場所まで思いっきり走って行きたいくらいの気持ちだったが、今は少し足が重い。
美月がああいうことになってしまったのに私だけ幸せになって良いのだろうかという気持ちに襲われてテンションがガクンと落ちているのが自覚できる。
昇降口で靴を履き替えて外に出る。向かう先は私の好きな離れ桜の下だ。真人君と大事な話をするときはここと決まっている。
初めては二学期の終業式、美月と一緒に外に出て途中で伊織が合流した。二回目は私がいじめられるようになったとき、あのときは伊織が一緒だった。
そして三回目の今回は一人だ。電灯がほとんどなく、この遅い時間では校舎内のわずかな光を頼りにするしかない離れ桜へ通じる道は、落ち気味のテンションも相まってとても心細い。
でもこれから会いに行くのは真人君だ。真人君なら何か知っているかもしれないし、どうにかしてくれるかもしれない。そう思うと少し前向きになれて、気持ちを伝えることを躊躇させるものはなくなった。
待ち合わせの時間には少し早かったのか桜の木の下にはまだ誰もいない。
そばに置いてあるベンチに腰掛けて、色々と絡み合った気持ちを整理しながら何度も深呼吸をした。テンションは落ち気味といえども、冷たい空気が気持ち良いと感じられるくらいには興奮と緊張で私の顔は火照っているようだ。
なんとなく落ち着かなくて制服の着こなしをチェックしたり、手鏡で髪の毛、特に前髪の具合を整えたり、そわそわとしながら真人君を待っていると誰かがこちらに走ってくる音が聞こえた。
離れ桜の周りには頼りない数と大きさではあるが電灯があり、桜の木やベンチの辺りはぼんやりと明るくなっているため、近づいてきた人の姿がはっきりと確認できる。私の目の前で、制服姿で鞄を背負った真人君が珍しく息を切らしている。
「大丈夫?」
真人君は大きく息を吸って落ち着きを取り戻してから私の隣に腰掛けた。
「ごめん、ちょっと片付けが遅くなって。寒いのに待たせちゃって……」
「私も今来たばっかりだから平気だよ」
「それなら良かった……」
「……」
「……」
しばらくの間、無言の時間が続く。心の準備はしてきたつもりだ。一瞬だけ揺らぎそうになった決意も固め直した。真人君の気持ちは知っている。今こそが待ち望んできた瞬間だ。真人君とずっと一緒にいられるように彼女という存在になるんだ。真人君と一緒なら伊織の抱える何かも解決して美月のことも幸せにできるはずだ。
そう思っていても最初の一言を切り出すには多大な勇気が必要で、私は口を開こうとしたり鞄から一番出来が良いチョコを取り出しかけてはやめてを繰り返す。そうしているうちに真人君の方が先に決心がついたようだ。
「詩織さんに言わなきゃならないことがあるんだ」
「詩織、あのね」
呟くように私に話しかける美月の声からは、昼休みには感じられていたドキドキもワクワクもトキメキも感じられない。
「伊織君に好きですって伝えたら、伊織君も私のこと好きだって言ってくれたんだ……」
当然だ。ここで誤魔化しでもしていたら私は伊織を張り倒さなければならない。
「でもね、お付き合いするのは待って欲しいって言われた」
やっぱり張り倒さなくてはならなかったようだ。
「ま、待って、詩織。座って」
バスケ部の体育館に乗り込もうと立ち上がったが美月が手を掴まれ、座り直した。
「どういうこと? 伊織は何考えてるの?」
「私、理由は納得してるから。大丈夫。私のこと好きって言ってもらえただけでも嬉しいから」
美月の表情は全然嬉しそうに見えない。何かつらいことを我慢しているように見える。それを放っておくほど私はもう愚かではない。
「納得して、嬉しいならそんな顔しないよ。美月、理由って何? 伊織は美月のこと好きなんだよ。なんで待って欲しいなんて言ったの?」
「ごめん、私からは教えられない。伊織君とちゃんと話した方が良いと思う……桜君との約束が終わったら一緒に帰ろう?待ってるから」
そう言って立ち上がり図書室を出て行こうとする美月の手を今度は私が握り返した。こんなにつらそうな顔をした美月をそのままにはできない。今度は一人にしない。
「美月、つらそうな顔してる。放っておけないよ」
美月は優しく微笑んでゆっくりと私を抱きしめた。わずかに保健室の匂いがして、図書室に来る前にはずっと保健室にいたことが分かる。
「ありがと。でも今回は本当に大丈夫だから。私は何も我慢してないし、つらい思いもしていない。嘘じゃないよ」
「ほんとに?」
「うん。伊織君のことだから、ちょっと詩織に言いづらいだけ。だから私は大丈夫」
美月は「保健室にいるね」と言い残して図書室を出て行ってしまった。涙が一筋流れていたように見えたけれど、強くて優しい美月の声と表情のおかげでこれ以上追究しようとは思わなかった。
席に戻った私はもう小説を読む気にはなれず、ただ虚空を見つめながら思考に耽る。
伊織に恋をして一言でも会話ができたり名前を呼んでもらえただけで嬉しそうにしていた美月、気持ちを伝える覚悟をして一生懸命だった美月、美月を助けるために怒って、行動してくれた伊織、美月との思い出や風美君から聞いた美月の昔話を楽しそうに語る伊織。私の脳内に二人の色々な姿が浮かんでは消える。
二人とも優しくて、一生懸命で、私の贔屓目を抜きにしてもお似合いだと思う。それなのになんで伊織は現状維持を選択したのだろうか。彼氏彼女になって、もっと仲良くして、もっと楽しい高校生活を送ればいいのに。
伊織は実は重い病気で先が長くないとか、美月の他にも好きな人がいたとか、他の誰かからも猛アプローチされていて困っているとか、色々な理由を考えては否定していく中でふと今日の休み時間のことを思い出す。
確か伊織は今は彼女を作るつもりはないと言っていた。私は勝手に美月以外の彼女を作るつもりはないと解釈していたけれど、言葉通りの意味だったのだ。
そんなことを思い出しても結局理由は分からないまま、バスケ部の練習が終わる時間、真人君との待ち合わせの時間となった。
少し前までは待ち合わせ場所まで思いっきり走って行きたいくらいの気持ちだったが、今は少し足が重い。
美月がああいうことになってしまったのに私だけ幸せになって良いのだろうかという気持ちに襲われてテンションがガクンと落ちているのが自覚できる。
昇降口で靴を履き替えて外に出る。向かう先は私の好きな離れ桜の下だ。真人君と大事な話をするときはここと決まっている。
初めては二学期の終業式、美月と一緒に外に出て途中で伊織が合流した。二回目は私がいじめられるようになったとき、あのときは伊織が一緒だった。
そして三回目の今回は一人だ。電灯がほとんどなく、この遅い時間では校舎内のわずかな光を頼りにするしかない離れ桜へ通じる道は、落ち気味のテンションも相まってとても心細い。
でもこれから会いに行くのは真人君だ。真人君なら何か知っているかもしれないし、どうにかしてくれるかもしれない。そう思うと少し前向きになれて、気持ちを伝えることを躊躇させるものはなくなった。
待ち合わせの時間には少し早かったのか桜の木の下にはまだ誰もいない。
そばに置いてあるベンチに腰掛けて、色々と絡み合った気持ちを整理しながら何度も深呼吸をした。テンションは落ち気味といえども、冷たい空気が気持ち良いと感じられるくらいには興奮と緊張で私の顔は火照っているようだ。
なんとなく落ち着かなくて制服の着こなしをチェックしたり、手鏡で髪の毛、特に前髪の具合を整えたり、そわそわとしながら真人君を待っていると誰かがこちらに走ってくる音が聞こえた。
離れ桜の周りには頼りない数と大きさではあるが電灯があり、桜の木やベンチの辺りはぼんやりと明るくなっているため、近づいてきた人の姿がはっきりと確認できる。私の目の前で、制服姿で鞄を背負った真人君が珍しく息を切らしている。
「大丈夫?」
真人君は大きく息を吸って落ち着きを取り戻してから私の隣に腰掛けた。
「ごめん、ちょっと片付けが遅くなって。寒いのに待たせちゃって……」
「私も今来たばっかりだから平気だよ」
「それなら良かった……」
「……」
「……」
しばらくの間、無言の時間が続く。心の準備はしてきたつもりだ。一瞬だけ揺らぎそうになった決意も固め直した。真人君の気持ちは知っている。今こそが待ち望んできた瞬間だ。真人君とずっと一緒にいられるように彼女という存在になるんだ。真人君と一緒なら伊織の抱える何かも解決して美月のことも幸せにできるはずだ。
そう思っていても最初の一言を切り出すには多大な勇気が必要で、私は口を開こうとしたり鞄から一番出来が良いチョコを取り出しかけてはやめてを繰り返す。そうしているうちに真人君の方が先に決心がついたようだ。
「詩織さんに言わなきゃならないことがあるんだ」
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