春、桜咲く

高鍋渡

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第三章 桜の下で伝えた

第61話

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 翌日は伊織と一緒に家を出た。私と真人君は駅周辺に、美月と伊織は駅とは反対側の郊外にある商業施設が集まったエリアに行くことになっていて、お母さんには本当のことを言っているがお父さんには伊織と二人で出掛かけてくると言っている。

 真人君を紹介するのは正式にお付き合いすることになってからと思っているのもあるし、今日はお休みのお父さんはこっそりついて来かねないからだ。

 一度美月の家に行って美月と合流するため庭の駐輪スペースで自転車の準備をしている伊織にどうしても言っておきたいことがあったので声をかけた。

「ねえ伊織、良いこと教えてあげる」

「何?」

「美月の好きな色はね……」

「パステルカラー全般、だろ?」

「え?」

 なんで伊織がそんなことを知っているんだ。結構前に電話で色々話したことがあったのは知っているけれどそのときは好きな色なんて話していなかったはずだ。二人が進展するのは嬉しいが私の知らないところで勝手に進まれるのはなんだか寂しい。

「なんだよその顔。俺が美月さんの好きな色を知ってるくらいでそんな悲しそうな顔すんなよ」

「む、むう。じゃあ好きな食べ物は?」

「チョコレート」

「す、好きな音楽は?」

「クラシック。テレビでオーケストラの映像を見たのがきっかけで、本当はヴァイオリンを習ってみたかったけどそこまでのお金はないから中学では吹奏楽部に入って同じ弦楽器のコントラバスをやってたんだってな」

「な……」

 そんなエピソードまで含めて知っているなんてもう私と同等レベルに仲良しじゃないか。

「嫌いな食べ物は牡蠣。小学三年生の頃あたっちゃって大変なことになったのがトラウマでそれ以来見るのも嫌になったらしい」

「何それ、私そんなの知らない」

 伊織が「フッ」と私のことを鼻で笑いながらスタンドを立てた状態の自転車のサドルにまたがった。 

 まさか美月のことで伊織にマウントを取られるなんて思ってもいなかったのでショックは大きい。

 でも、これから伊織は私が知っている美月のことなんてすぐに知って、私が知らない美月のこともたくさん知っていくのだろうと思うと感慨深くなり、とっておきの美月の情報でマウントを取り返そうという気持ちは一瞬で消え去った。

「でもなんでそんなこと知ってるの? いつの間に……」

「風美が教えてくれたんだ」

「風美って美月の弟の風美君? 小学生の? いつの間に連絡取り合うような関係になったの?」

「お前が美月さんの家に泊まったときだよ。玄関でお前らと別れた後、庭のプレハブ小屋を覗いてみたら一人で卓球の練習をしてる風美を見つけて少し話をしたんだ。あいつ四月から親元離れて遠くの学校で寮暮らししながら卓球に打ち込むんだって、すごいよな」

「そのとき連絡先交換したんだ……」

「ああ。あいつも美月さんのことすげー心配してて、姉ちゃんをお願いしますって頼まれちまったのもあって加害者捕まえるのを頑張った」

 それもあるけどそれだけじゃないと思う。私は風美君と会ったのは一度だけだが、あの賢くて察しの良さそうな雰囲気を見るに美月の気持ちには当然気づいていていじめの解決のその先のことも言っているに違いない。だから伊織に美月のことを色々教えてサポートしているのだ。

「歳も競技も違うけどあいつはマジで尊敬する。あの歳で練習に妥協がなくてさ、納得がいくまでひたすらサーブを打ち続けて、一段落したときちょっとだけ相手させてもらったんだけど空振りばっかりだったし、たまにラケットに当たってもまともに返せなかった。卓球素人の俺相手に容赦なく本気のサーブを打ってくるし、真剣なのに楽しそうだし、俺が帰るときにはめちゃくちゃ丁寧にお礼を言ってくるしなんか真人みたいだった。ああいう奴が大きい舞台に行けるんだろうなって思ったよ……卓球クラブの練習午後からだって言ってたから一声かけていこうかな」

「ちょっと、今日の目的は美月でしょ」

 伊織のスポーツマンの血が騒いだのか風美君との思い出を語る伊織はとても早口で楽しそうだ。美月より風美君に興味を持っていかれるのはまずい。

 でもその心配はいらなかったようで、伊織は私の文句に優しく微笑む。

「風美が言ってたんだ。うちは生活に困ってはいないけどそんなに裕福じゃなくて、一番上のお姉さんが医学部受験のために塾に通っていたこととか、自分が卓球クラブで本格的に卓球に取り組めているのは美月姉ちゃんが自分のことを色々我慢してくれたからだって。自分がヴァイオリンを習いたいのも我慢して、中学のときに塾に通うのも我慢して、高校でも吹奏楽を続けるのも我慢して、誕生日やクリスマスには必ず卓球で使う消耗品をプレゼントしてくれるし、お姉さんの受験期には毎日のように夜食を作ってあげてたんだってよ。そのおかげでお姉さんはお金のあまりかからない県立の医大に入れたから、自分は必ず卓球で世界に通用する実力を身につけて国際大会で活躍して、スポンサーとかいっぱいつくような選手になってCMとかテレビとかにも呼ばれるようになって、実力も人気もあってお金を稼げるような選手になって恩返ししたいんだってさ。ほんとにすごいよな」

 小学六年生にしてそこまで言える風美君もすごいけれど、そこまで言わせる美月もやっぱりすごい。家族に対しても優しい子であることはお母さんから聞いていたが具体的なエピソードを聞くとその解像度が上がる。

「それを聞いたらもっと美月のこと好きになったって、美月に伝えておいてよ」

「それは無理だ。風美から美月さんには内緒にしてくれって言われてるから」

「残念」

「そろそろ行くか」

 伊織はサドルにまたがったままの状態で器用にスタンドを上げて地面を蹴りながらゆっくりと移動を始めた。

 門扉を出たところで真人君が待っている。変なTシャツは着ていないようなので安心だ。

「初詣のときと同じ格好をして来いって言って正解だったな」

 かくいう私も初詣のときとほとんど変わらない格好をしている。違いは髪の編み込みと薄い化粧をしていないくらいで、せっかく買ったゆるふわコーデは私の一張羅となっているので冬の間は何度も着るつもりでいる。

 春になったらどうしようかと悩み中だ。

 伊織は私に聞こえないように真人君と内緒話をすると、美月の家に向けて自転車を漕ぎ出した。

 真人君は私たちの家の駐輪スペースに乗ってきた自転車を置いて私と一緒に近くのバス停に向けて歩き出す。二人とも同じ銀色の車体の自転車なので遠目で見たら違う自転車に見えないしお父さんに不審がられることはないだろう。

 今週は何かとイレギュラーなことが多く、真人君としっかりと話すのは月曜日以来だったけれどそのときの疲れた感じや悲しそうな表情は見られない。いつもの優しくてカッコ良くて笑顔が可愛い真人君がいた。

 くだらない会話をしたり、些細な気遣いをしてもらったり、そんなことで幸せを感じられる。


 バスを降りて向かったのは駅前の映画館。見るのは恋愛小説を原作とする実写映画で、原作を持っている美月が映画を見に行くならこれが良いと大プッシュしていたものだ。

 恋愛物の映画を男女二人で見に行くなんてまるでカップルみたいで照れくさいと思ったけれど、初詣のときに美月からもらった教えは私の中に残っていて堂々とすることを心掛けた。だってもうすぐ本当になるのだから、これはそのときの予行演習だ。

 二人分のジュースと二人で大きめのサイズのポップコーンを一つ買ってシアターに入ると映画のジャンルからしてやはりと言うべきか男女のカップルが多い。入ってくる人たちは手を繋いだり腕を組んだりしていて、座っている人たちは肩を寄せ合っている。

 周りに人はいるけれど二人だけの時間や空間というか二人だけの世界が出来上がっていて、私はまだその境地には至っておらず、まだまだなのだと思い知らされる。堂々とするつもりでいたけれどカップルの先輩たちを前に縮こまざるを得ない。

「これが本物……」

「詩織さん、どうかした?」

「ううん、座ろっか」

 座席につきしばらくすると映画の上映が始まる。こうやって映画館で映画を見るのは小学三年生か四年生ぶりのことだ。

 お父さんと伊織との三人でよくアニメの映画を見て、映画が終わったらお母さんが働いている百貨店でお母さんの仕事が終わるまで遊んで、近くの喫茶店で夕食を食べて帰ってくるというのが月に一度の楽しみだった。

 私と伊織はオムライスとパンケーキが大好きで、大きくて食べきれないパンケーキを二人で半分こにして食べていたのが懐かしい。

 その思い出の中で映画のときに私の隣の席にはお父さんがいたけれど、今は隣に真人君がいる。

 真剣に本編開始前の映像を見つめる真人君の横顔を私は見つめていた。

 映画の本編が始まった。幼馴染の高校生の男女がくだらないことで口喧嘩しながらも様々なイベントを経て仲を深め、幼馴染から恋人へと関係が変化していく前半パートは、見ていて恥ずかしくなるくらい甘酸っぱいシーンや笑えるコメディシーンもあってまさに青春そのもの。

 後半パートでは卒業に向かう風景が描かれていて、夢のために遠い地へ行くことを選んだ男の子と地元の大学に通うことに決まった女の子、二人がこれからの話をするシーンはまるで二年後の私と真人君を見ているようだった。

 隣り合って座って間に置いたそれをたまに同じタイミングで取ろうとして手が触れ合ったりするからポップコーンはマストだよ、と美月に言われて買ったポップコーンをほとんど食べる暇もないほどに私も真人君も映画に見入っていた。

 ラストシーンは男の子が旅立つ日の空港での見送り。

 必ず迎えに来るという男の子と必ず追いかけるという女の子が互いに譲らず冒頭にあったようなくだらない口喧嘩をしながらも徐々に距離を詰めていって、いつの間にか二人の言葉はいつか必ず再会するという約束に変わって、初めてのキスをしたところで物語は幕を閉じる。

 エンドロールまでしっかり見終えた私たちはシアターから出た直後に立ち尽くした。映画の感動や切なさが心に深く刻み込まれていて、没入感が消えずにいる。

「とりあえずどこかに座ろうか」

「うん、あ、あそこにベンチがある」

「これも片付けないとね」

 館内に設置されたベンチに座って大量に余ったポップコーンをつまみながら二人で映画の感想を語り合った。

 まるで自分のことのように男の子の気持ちを想像して語る真人君を見ると、やはりアメリカの大学に行こうと考えているのだと思う。そう思えるくらいに真人君の表情は真剣で深刻で何かを訴えかけるような目をしていて、「高校を卒業したらアメリカに行くの?」なんてことを聞く勇気は私にはまだなかった。
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