春、桜咲く

高鍋渡

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第二章 桜の下で誓った

第36話

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 美月の家に行ったことはないけれど大体の場所は聞いている。私の家までの通学路から途中で脇道にそれて一キロくらい歩いたところにあり、周りは田んぼや畑に囲まれているらしい。

 家の敷地だけは広くて弟の卓球練習用のプレハブ小屋が庭に設置されていると言っていた。真人君もそうだが全国クラスの選手は皆、自宅に練習場所が整備されているのだろうかと思った。

 少し歩くと伊織からスマホにメッセージが届いた。

【頑張れ】

 ぶっきらぼうなメッセージでもその言葉はきちんと私に勇気をくれた。

 そして続けてもう一通。 

【詩織が大切に思ってる美月さんのことも俺が助けるって伝えて】

 私が大切に思ってるとか書かなくても良いのに。美月にはこの部分は省略して伝えよう。でも伊織が美月のこともちゃんと考えてくれているのは嬉しかった。

 伊織も一月から美月との距離がぐっと近づいたからきっと美月のことを意識し出したに違いない。可愛くて優しくて伊織のことが好きというオーラをいつも少しだけ醸し出していたのだから絶対にそうだ。

 だから美月。つらいことは一緒に乗り越えよう。私たちには頼りになる味方がいっぱいいるよ。伊織が助けてくれるよ。伊織の気持ちは確実に美月に傾いているから、今がチャンスだよ。

 蘭々や他の皆ともきっと仲良くなれる。もっと学校が楽しくなるよ。頑張ろう。

 美月に会ったらこんな言葉をかけようと考えながら歩くと、やがて周りが田んぼや畑だらけの広い道に出た。

 この辺は小学校も中学校も私が通っていた学校とは隣の学区になるが、田んぼや畑ばかりなのでほとんど来たことがない。敷地の広い家がまばらにあって、そのどれかが美月の家のはずだ。

 そう思って色々な家を見て回ると表札に萩原と書かれている家を見つけることができた。古めの日本家屋といった感じの大きな二階建ての家だ。

 バスケットコート一面作ってもまだ余裕がありそうなくらい広い土の庭に、プレハブ小屋が一つ建っていて、農作業で使うような道具が置かれている小屋もあり、それほど大きくはないが畑もある。

 庭の一部はコンクリートになっていて屋根も付いていることからおそらくそこが駐車場だろう。普通の乗用車四台分くらいのスペースがあるが今は軽自動車が一台停まっているだけだ。

 私が萩原家の敷地に入ろうとしたとき、玄関の扉が開いて中からスーツ姿の若い女性が出てきた。

 美月のお姉さんかなと思ったが、目を凝らして顔を見てみると違った。あれは美月の担任の堀先生だ。駐車場に停めてあった軽自動車に乗り込み、ゆっくりとこちらに向かってくる。家庭訪問を終えてこれから学校に向かうのだろう。
 
 悪いことをしているつもりはなかったけれど、さすがに学校を抜け出して友達の家に来ているところを見られたくはなかったのでとっさに門を出て左側にあった電柱の陰に隠れた。私は門を出て右側から歩いてきたので学校に向かうなら右折するはずだ。

 案の定車は門を出てから右折した。運転する先生の表情を一瞬だけ見ることができたが、疲れたような浮かない表情をしていた。それも先生の仕事と言えばそれまでだが、こんな事態になってしまうと先生も大変だろうなと思う。

 美月の家の呼び鈴を鳴らすとお母さんが出てくれた。美月よりも少しだけ身長が高くて、少しだけ老けている以外は美月にそっくりで優しそうな印象を受ける。美月の家以外で初対面になったとしても必ず美月のお母さんだと気づける自信があるくらいにはそっくりだった。

 お母さんも私を見て、一目で美月の友人の春咲詩織だと気づいたようだ。一瞬だけ目を丸くしたけれど、すぐに美月に似た優しそうな表情に変わって、学校が始まっている時間にも拘らずこんなところにいることを咎めることもせず居間まで通してくれた。

 美月の家の中は私のおばあちゃんの家に似ていて、木や畳の香りがした。

 美月は二階の自分の部屋にいるらしいが、お母さんは少し私と話をしたいとのことだった。

 これまたおばあちゃんの家で見たような大きな長方形の木のテーブルの角をお母さんと挟むように座った。お母さんは温かい緑茶とお菓子を出してくれた。

 それは美月が好きでいつもおやつに持ってきている四角い立体の形をしたチョコレートの粒がいくつか入ったもので、美月にはまだ会っていないけれど確かに美月がこの家に住んでいるということを感じさせた。

「これ、いつも美月が学校に持ってきてる……」

「ええ、昔から好きなの。最近は学校に持って行かないから余っちゃって、たくさんあるからどうぞ」

 せっかくなので頂くと、いつも美月から一粒か二粒もらっていたことを思い出す。

「いつも美月と仲良くしてくれてありがとうね、詩織さん」

「いえ、私の方こそ。美月がいなかったら学校がつまらなかっただろうなって思いますし」

「美月も同じようなことを言っていたわ。あの子、身内とか仲が良い子相手だと元気も良いしたくさんしゃべるけど、知らない人相手だとものすごく人見知りするでしょう? 小学校のときに仲良くなった子が明るくて友達が多い子で中学も同じだったから小中学校のときはその子のおかげでなんとかやれていたんだけど、高校ではその子も他に仲が良かった子も誰もいないから、心配だったのよ。でもあなたのような優しい子が友達になってくれた良かった」

 その目は美月に似て優しい。

「優しいだなんてそんな、美月の方がもっと優しいです。私のために色んなことを協力したりしてくれて……」

「そうよね、あの子は優しい。うちの子供たちは三人とも良い子に育ってくれたけど、三人の中で美月が一番優しい子。小さい頃からお姉ちゃんを応援して、弟が出来たらなんでも弟を優先してあげて、お世話もいっぱい手伝ってくれた」

 勉強に秀でた姉を応援する美月、運動に秀でた弟を世話する美月。お姉さんと弟君には会ったことがないけれどなんとなく想像できた。

「あの子は昔から運動が苦手で、勉強はそこそこできたけど入試の本番で失敗しちゃって。私の運動音痴とお父さんの本番に弱いところが似ちゃったのよね」

「でも、優しいところも似てますよ」

 私がそう言うとお母さんはにっこりと笑ってくれた。

「お姉ちゃんと弟が勉強と運動で結果を出しているのに自分は何もできていないって高校入学直後はすごく落ち込んでいたけど、私としてはあんなに優しい子に育ってくれただけで十分だった。それでもあなたと出会ってから学校が楽しくなった、もう一度勉強を頑張りたい、家計のことも考えて国公立の大学を目指したいって言ってくれて涙が出るほど嬉しかった。勉強を頑張ると言ってくれたこともそうだけど、学校が楽しいって言ってくれたことが本当に嬉しかった。詩織さんのおかげよ。あの子、詩織さんとは一生仲良くしていたいって言っていたの」

 そう言ってお母さんは私の両手を自分の両手で包み込みながら、私に頭を下げた。少しだけ、涙が見えた。

「美月はいじめられているんじゃないかと思うの。一週間前に急に学校に行きたくないって言い出して、いえ、それよりも前から家でもなんだか元気がなかったし、ご飯もあんまり食べなくなっていたし。私が聞いても体調が悪いってしか言ってくれないけど、病院には行かなくても大丈夫って言うし。詩織さんは何か知っているから来てくれたんでしょう?」

 美月も私と同じで家族に話していなかった。話していなかったというより、話せなかったのだろう。自分がいじめの対象になっていることを話すのは並大抵の勇気では成し遂げられないことは私自身が分かっている。

 悲愴感に満ちたお母さんの表情に、私は今までの経緯を話さないままではいられなかった。

 最初は私がいじめられたこと。皆が私を守ってくれたから代わりに美月がいじめられている可能性が高いこと。

 美月がSNSでの悪口以外でいじめられている確証はまだないがSNSや美月の様子から間違いないと考えていること、私以外にも味方はちゃんといて助けようとしてくれていることを打ち明けた。

「ごめんなさい。本当は私だったのに、美月を巻き込んでしまって……」

「詩織さんが悪いわけじゃない。でも、やっぱりそうなのね。あの子は……詩織さん、実はさっきまで美月の担任の先生がうちに来ていたの。残りの登校日のうち二日登校すればあとは全て欠席でも進級のための出席日数は足りることと、転学手続きの進め方を教えてもらったのよ。二年生からは別の学校でって思って」

 いきなりのことで、一瞬頭の中が真っ白になった。私はどうにかして今の状況を解決して美月を、私自身を助けることしか考えていなかった。転学なんて選択肢は一切頭にないことだった。

「ど、どうしてですか? 転学なんて、美月はなんて言ってるんですか?」

「美月にはまだ言っていないわ。本当にいじめられているか分からなかったから。でも、実際にいじめられてつらい思いをしているなら私は今の学校にこだわる必要はないと思ってる。あの子の性格からして全日制が難しければ通信制でもいいの。勉強はどこでも頑張れるから」

 私のお父さんも私がいじめられていることを知ったら同じことを言うだろうか。きっと言うだろうな。

 いじめと戦うのには体力も気力も色んな人の助けもいることは痛いほど知っている。そんな状態がずっと続くくらいならいじめのない場所へ行ってしまった方が良い。子供のことを大切に思っている親ほど、そう考えるはずだ。

 でも私はそんなのは嫌だった。美月と一緒に頑張って、美月と一緒に卒業したい。

「あの、私は嫌です。美月言ってたんですよね? 私と一生仲良くしたいって」

「ええ、別の高校になっても仲良くしてくれると嬉しい。あの子、友達作るの苦手だから」

「でも、美月は私の双子の兄のことが好きで、その兄が私のことも美月のことも助けるって言ってくれて、私それも伝えたくて、私は美月と一緒にこれからも頑張りたくて、絶対大丈夫だからって励ましたくて……」

 美月が違う学校に行ってしまう想像をしただけで目が潤んで、言葉が上手く出なくなって、何を言っているのか支離滅裂になってしまった。お母さんが私を心配そうに見つめる。

「詩織さん、落ち着いて。まだ私が勝手に考えているだけだから決まったわけじゃないのよ。これからも美月が学校に行きたくないのなら、ゆっくりと話し合って、こういう選択肢もあるって話すつもり」

「じゃあ……」

「私も出来れば転学はさせたくない。だから美月がこれからも今の学校に通いたいって言ったら転学なんて話は考えない。美月の意思を尊重するつもりよ」

「よ、良かった」

 安心するとさらに涙が溢れてきた。お母さんがティッシュを箱でくれた。

 鼻水も一緒に出て来て何がなんだか分からなくなるほどぐちゃぐちゃになって、大量にティッシュを使わせてもらった。多分、自分がいじめられたときよりも瞬間的な涙の量は多い。

「美月は幸せ者ね。美月のためにこんなに泣いてくれるお友達がいるなんて」

「すみません、ティッシュいっぱい使っちゃって……あの、美月と話をしても良いですか?」

「ええ、もちろん。二階の部屋、ドアに名札があるからすぐに分かるはず。ごめんなさい、私もうすぐパートに行かなくちゃいけないし、おじいちゃんとおばあちゃんは老人会の旅行に行っているから誰もいなくなっちゃうけど、美月のことお願いします。最近は部屋で何もせずぼーっとしてるから話し相手になってあげて。お昼ご飯、いつも通りキッチンにあるからって伝えてください」

 申し訳なさそうに、加えてせわしそうに出かけていくお母さんを見送りながら、私はチョコレート菓子とティッシュ箱を持って二階に上がった。階段を一段昇るたびに鳴るギシギシという音はやはりおばあちゃんの家を思い出す。
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