春、桜咲く

高鍋渡

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第二章 桜の下で誓った

第32話

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 なるべく涙をぬぐって真人君に近づくと、ベンチに座るように促してくれたのでその通りにした。真人君も隣に座る。少し離れたところで校舎の壁に寄りかかりながら伊織が見守ってくれている。この場所はまず誰にも見つからないはずだ。

「寒いでしょ? これ使って」

 防寒着はしっかり着ているけれどさっきまで泣いていたので少し寒そうにしている私に真人君は使い捨てのカイロを渡してくれた。真人君が今まで握っていたもので、温度以上の温かみを感じる。

「でも真人君は……」

「大丈夫。いっぱい持ってるから」

 そう言って真人君は制服のズボンのポケットから新しいカイロを二つ取り出した。一つは自分で使って、もう一つは私にくれた。その優しさに、カイロがいらないくらいに心が温かくなる。

 少しの間二人でカイロをいじってから、真人君はゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

「小学五年生のとき、皆の輪から離れて一人でいた詩織さんを見つけた。最初はあの子いつも一人でいるなってしか思わなかったけど、一緒にバスケをやってた伊織の双子の妹だって知ってからはなんとなく気になるようになった。いつも本を読んでいるなとか、すごく真面目に勉強しているんだなとか、教室の花の世話とか掃除とか丁寧だなとか、そのときは何の感情もなくただ伊織の妹だから見てるだけだった」

 真人君が私との距離を詰めた。身長の高い真人君は足が長いけれど座高も当然高く、肩は触れ合わないが腕は触れ合った。私は頑張って背筋を伸ばしてみた。真人君も浅く座り直して少し姿勢を悪くしてギリギリ肩が触れ合うようにしてくれた。

「小学生の頃から前髪で目を隠していたから顔の印象が分かりづらかったけど、体育のとき、今みたいに前髪を留めて目を出している姿を見て可愛いなって思った。クラスの他の男子たちは詩織さんに見向きもせずに明るくて元気の良い女子たちに興味を持っていて、俺だけが詩織さんの可愛さに気づいたんだって思って嬉しかった」

 伊織がいなくなっていた。いや、近くにはいるけれど気を遣って私たちから見えないところに移動したのだろう。

「クラスでいじめが起きたとき、他の女子が皆彼女をいじめていたのに普通に接する姿とか、彼女を救うために先生に相談する姿を見て、優しいんだな、カッコいいなって思った。俺も何かしなくちゃとは思っていたけど、勇気が出なくて何もできなかったから、すごいなって思って憧れた。憧れて好きになった。父さんの言いつけもあったけど、詩織さんみたいにつらい思いをしてる人を助けられる人になりたいと思って頑張った。詩織さんの気を引きたくていっぱい話しかけた。詩織さんは微妙な反応しかしてくれなかったから、あんまり俺に興味ないかなって思ってそのまま卒業しちゃった」

「それは……そのときは照れくさかっただけ。私もそのとき真人君に憧れてた。今と同じで優しくて真面目で大人っぽかった」

「そういう俺になれたのはあのときの詩織さんがいたからだよ。詩織さんのおかげで俺はバスケ以外のことも頑張れた」

「私も同じだよ。真人君のおかげで私は本気で勉強頑張ろうって思えた。自分や他人のこと加点法で見て、ポジティブになろうって思えた……こっちはなかなかできてないけど」

 私たちはお互いがお互いに良い影響を与えていた。それが分かって顔を見合わせると照れくさくて嬉しくて、自然と笑みがこぼれた。

「中学生になるとありがたいことに身長も伸びて、顔もそれなりになったみたいで、それなりに人気者になって女子から告白とかたくさんされるようになった。でも、詩織さんのことが忘れられなくて、気持ちを知りたくて、それがはっきりするまでは新しい恋なんてできないって思って全部断った。同じ地区なのになかなか対戦する機会がなくて試合で伊織と再会したのは中三のときの最後の大会だった。進路の話をして、それとなく詩織さんのことも聞いたら進学校を目指してるけど家から一番近いから滑り止めは桜高校にするだろうっていう話を聞いて……ごめん。落ちたらいいなって願っちゃった」

「……それは真人君のせいじゃないよ。それに落ちたから真人君と再会できたし、美月とも会えたし、伊織と同じ学校に通えたし、結果的には良かったかも」

「そっか、そう思えてるなら良かった。それで、高校に入って詩織さんを見つけた。俺の気持ちは変わらなかったけど詩織さんは俺のこと覚えていないだろうなって思ってたから声をかけられなかった。誰にも言わずに過ごして、十一月の大会のときに泊まった旅館でバスケ部の皆に話したんだ。俺は小学五年生のときからずっと詩織さんが好きだって。伊織もいたから何かしてくれないかなって希望も込めてた。その後はまあ、今まであったことが起きた」

 真人君は立ち上がって私の正面に移動した。私もつられて立ち上がる。

 真人君は私に向けて頭を下げた。

「浅はかだった。こんな事態になることを想像できてなかった。本当にごめん。俺、昨日色々考えて、もし詩織さんがつらい思いをしてるならもう……」

 それはまるで別れの言葉。私たちは付き合っていないのに、おかしな話だ。私たちはまだこれからなのに、始まる前に終わってしまうなんて。真人君は私のことが好きで、私も真人君のことが好きなのに、終わりにするなんてありえない。

「嫌だ。次の大会が終わったら時間ができるから一緒に遊びに行く約束でしょ? 美月と伊織と一緒に遊びに行くのも考えてるし、二年生になったら同じクラスになるんだよ? それにもっと真人君のバスケが見たい。これからも……ずっと、真人君のことを応援したいし、真人君のそばで頑張りたい。」

「詩織さん、俺は……」

「昼休み、三年生の日夏さんの話を聞いたの。知ってる? 私と同じような状況になってたって」

「……あ、うん。少しだけ、大悟先輩が助けたって」

 顔を上げた真人君に今度は私が頭を下げた。

「お願い真人君。私を助けて。それまでつらくても耐えるから。大丈夫、伊織も美月も佐々木さんも味方でいてくれるから。私は真人君に助けて欲しい。わがままなのは分かってるけど、バスケを優先して構わないから、そうしたらきっと私は……ちゃんと伝えられるから」  

 不思議だ。真人君と面と向かって話すと勇気が出てくる。自然と不安が消えていく。顔を上げて私を見つめる真人君の瞳を見つめると、決意と悲しみと優しさが感じ取れた。

「分かった。必ず俺が助ける。俺が守る。約束する」

 真人君が右手の小指を私に差し出す。約束の指切り。

「よろしくお願いします」

 手袋を外して行った指切りは初めて素肌と素肌が触れ合った瞬間だった。冷たいのに温かくて、きっとこの感触は一生忘れない。

 その後真人君と伊織は二人で家まで送ってくれた。伊織は私たちの二歩くらい後ろを歩いて、制服で自転車を押す真人君と歩くいつもの通学路はいつもと違うのはもちろん、初詣のときとも違う特別な気持ちになれた。

 真人君の部活の話とか、私の勉強の話とか最近読んだ本の話とか、佐々木さんのこととか美月と伊織のこととか、なんてことない会話をだらだらできる時間が嬉しかった。
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