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第二章 桜の下で誓った
第31話
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校舎に戻って日夏さんと別れ、教室に向かう前に私がトイレに行きたいと言うと伊織がついて行って入り口で待ってると言い出した。過保護なところはお父さんに似ないで欲しいと思いつつも、今はその気遣いが嬉しかった。
用を足して個室から出ようとしたとき、聞いたことがある声が聞こえた。
「ねぇ春咲さんのことどう思う?」
「あー雅も不満ある系?」
「星梨愛もでしょ? ぶっちゃけ釣り合わないよね、あんな地味な子。真人君てあんな子が好みだったんだって、ちょっと引いたわ」
「分かる。他のクラスの人たちが色々言ってるの結構スカッとしてるし。うちのクラスだとなんでか知らないけど蘭々が味方に付いてるから何も言えないからさ」
「それなー意味不明だよね、蘭々、めっちゃ真人君のこと好きってアピッてたのに。日曜の夜に情報回ってきたとき蘭々が何してくれるかめっちゃ期待してたんだけどなぁ」
「何もしないどころか今日の朝なんて春咲さんに抱き着いてたし、なんのアピールだったんだろ」
「え、それ見てない。写真ない?」
「ごめん、ないわ。てか雅も何か呟いた?」
「あーあれね。言いたいことはあったけどやめといた。特定されたら退学になりそうだし」
「だよねー私も。ある意味蘭々のおかげだよね。蘭々が教室で目を光らせてるから私ら何もできずに傍観者になってるっていうか」
「ま、退学のリスクなしで見てるだけの方が賢いよね」
「ねえ雅、なんかされてるの見たらどうする? 助ける?」
「助けるわけないでしょ、見て見ぬふり。正直春咲さんがいじめられてるのなんか気分良いし」
「確かに。てか恵まれすぎだよね、真人君が彼氏で伊織君が双子のお兄ちゃんとか。運良すぎでしょ。今日も朝伊織君と一緒に来てたし」
「ね、昼休みも伊織君に連れられてどっか行ったし。バスケ部の部室で真人君と会ったりしてたんじゃない?」
「それある。そういうことするから嫌われんのにね。そういや今日いつもの子いなかったよね」
「あー二組の何ちゃんだっけ? ガリ勉陰キャコンビの片割れ。あの二人が学年一位と二位なんて終わってるよねうちの学校」
「いや、終わってるのはうちらの学力だわ。勉強とかマジ意味分からんし。てかなんでうちの学校来たんだろうね。勉強したいなら進学校行けばよかったのに」
「落ちたんじゃないの? 陰キャだし面接で弾かれたんでしょ」
「うわ、ありえる。受かってればこんなことにならなかったのにね」
雅と呼ばれた方は後藤さん、星梨愛と呼ばれた方は前川さん。二人とも一年一組の私のクラスメイトで二人は昼休み終了五分前を教えるチャイムが鳴るとトイレから出て行ったようだ。
一年一組の教室は安息の地だった。でもそれは佐々木さんの存在によって強引に作られたもので、本当は他のクラスと変わらず私に対して悪意を持っている人もいたのだ。
教室に戻りたくなくなってこのまま放課後までここで過ごしてしまおうかと思ったが、伊織が待っていることを思い出して仕方なしにトイレを出た。
大丈夫だ。優しくしてくれる伊織に私はちゃんと救われている。
何食わぬ顔で自分たちの席についておしゃべりをしている後藤さんと前川さんを見ないようにして私も自分の席に着いた。
教室の中には私と佐々木さんと大石さんを除いて女子が十五人いる。この中の何人が私に悪意を持っているのかと考えると、動悸がして、涙が出そうになって、午後の授業はそれを耐えるので精一杯だった。
放課後はまた伊織にどこかに連れて行かれた。部活のことはもう聞かない。
昇降口、下駄箱の前まで来ると伊織は靴を履き替え、外に出るよう促した。私はまた、下駄箱の前に立ち、扉を開くのを躊躇する。昨日の記憶が思い出されて胸がざわついて深呼吸をして気持ちを強く持ってからでないと開けない。
私が意を決して下駄箱の扉を開こうとしたとき、伊織が私の身体を優しく押しのけた。そして私の下駄箱の扉を開き、中から一枚の紙を取り出して一瞥するとそれをぐしゃぐしゃに丸めて自分の鞄に入れてしまった。
無表情で、ハエや蚊を殺してティッシュで丸めるときみたいに怒りや嫌悪を表に出すこともなく、さも当たり前のような行動だった。
「朝もそうしてたよな。昨日も下駄箱で何かあったのか?」
いつにも増して伊織の表情や声色は優しくなっていて、私はもう泣くことしかできなかった。名前の付けられない感情が溢れて来て、人前では泣かないように無意識のうちに作っていた私の心の堤防は決壊した。
止めたくても止まらない。涙が枯れるまで泣き続けることしかできない。その場にしゃがみこんで人目もはばからず泣き続けた。伊織はハンカチを差し出して、頭や背中を撫で続けてくれた。
「詩織、我慢するな。全部言ってくれていいんだ。心配かけていいんだ。迷惑なことなんてないんだ。お前が隠れて苦しんでいるのが俺には分かる。その方が俺はつらい」
「……うん」
言おうと思っても言えなかったことが、心の堤防の決壊とともに言えるようになった。
私は昨日と今日の出来事を話しながら、伊織が連れて行こうとしている目的地まで歩いた。伊織は静かに私の話を聞いてくれた。
「詩織はやっぱり強いな」
すべて聞き終えて伊織が言った。
「……強かったら泣いてないよ」
「日夏先輩のことどう思った? ああ、過去の話じゃなくてさっき会った印象な」
「……ハキハキしていて、しっかり者で、たくさんの男子を仕切ってそうで強い人だなって思った」
「だいたいあってる。そんな強い人でも二週間も誰にも言い出せなかったんだ。いや、大悟さんが自分で考えて動いて解決させたから、そもそも相談できてない。でも詩織はたった二日で打ち明けてくれた。誰かを頼るのだって、その人自身の強さだよ」
私は伊織に救われている。伊織の言葉のおかげでかろうじて歩みを留めずにいることができている。
伊織が足を止めたのはあのときと同じ場所。学校の敷地の端っこにひっそりと一本だけ立っている離れ桜だ。今のこの状況の全てのきっかけの場所。花も葉もとっくに無くなっていて、寂しくなった桜の木の下に制服姿の真人君が立っていた。
「真人が何か詩織に言いたいことがあるっていうことは聞いてる。でも何を話すのかは聞いてない。たとえどんな話だろうと、俺は詩織の味方だから。行ってこい」
伊織が私の背中を優しく押した。
用を足して個室から出ようとしたとき、聞いたことがある声が聞こえた。
「ねぇ春咲さんのことどう思う?」
「あー雅も不満ある系?」
「星梨愛もでしょ? ぶっちゃけ釣り合わないよね、あんな地味な子。真人君てあんな子が好みだったんだって、ちょっと引いたわ」
「分かる。他のクラスの人たちが色々言ってるの結構スカッとしてるし。うちのクラスだとなんでか知らないけど蘭々が味方に付いてるから何も言えないからさ」
「それなー意味不明だよね、蘭々、めっちゃ真人君のこと好きってアピッてたのに。日曜の夜に情報回ってきたとき蘭々が何してくれるかめっちゃ期待してたんだけどなぁ」
「何もしないどころか今日の朝なんて春咲さんに抱き着いてたし、なんのアピールだったんだろ」
「え、それ見てない。写真ない?」
「ごめん、ないわ。てか雅も何か呟いた?」
「あーあれね。言いたいことはあったけどやめといた。特定されたら退学になりそうだし」
「だよねー私も。ある意味蘭々のおかげだよね。蘭々が教室で目を光らせてるから私ら何もできずに傍観者になってるっていうか」
「ま、退学のリスクなしで見てるだけの方が賢いよね」
「ねえ雅、なんかされてるの見たらどうする? 助ける?」
「助けるわけないでしょ、見て見ぬふり。正直春咲さんがいじめられてるのなんか気分良いし」
「確かに。てか恵まれすぎだよね、真人君が彼氏で伊織君が双子のお兄ちゃんとか。運良すぎでしょ。今日も朝伊織君と一緒に来てたし」
「ね、昼休みも伊織君に連れられてどっか行ったし。バスケ部の部室で真人君と会ったりしてたんじゃない?」
「それある。そういうことするから嫌われんのにね。そういや今日いつもの子いなかったよね」
「あー二組の何ちゃんだっけ? ガリ勉陰キャコンビの片割れ。あの二人が学年一位と二位なんて終わってるよねうちの学校」
「いや、終わってるのはうちらの学力だわ。勉強とかマジ意味分からんし。てかなんでうちの学校来たんだろうね。勉強したいなら進学校行けばよかったのに」
「落ちたんじゃないの? 陰キャだし面接で弾かれたんでしょ」
「うわ、ありえる。受かってればこんなことにならなかったのにね」
雅と呼ばれた方は後藤さん、星梨愛と呼ばれた方は前川さん。二人とも一年一組の私のクラスメイトで二人は昼休み終了五分前を教えるチャイムが鳴るとトイレから出て行ったようだ。
一年一組の教室は安息の地だった。でもそれは佐々木さんの存在によって強引に作られたもので、本当は他のクラスと変わらず私に対して悪意を持っている人もいたのだ。
教室に戻りたくなくなってこのまま放課後までここで過ごしてしまおうかと思ったが、伊織が待っていることを思い出して仕方なしにトイレを出た。
大丈夫だ。優しくしてくれる伊織に私はちゃんと救われている。
何食わぬ顔で自分たちの席についておしゃべりをしている後藤さんと前川さんを見ないようにして私も自分の席に着いた。
教室の中には私と佐々木さんと大石さんを除いて女子が十五人いる。この中の何人が私に悪意を持っているのかと考えると、動悸がして、涙が出そうになって、午後の授業はそれを耐えるので精一杯だった。
放課後はまた伊織にどこかに連れて行かれた。部活のことはもう聞かない。
昇降口、下駄箱の前まで来ると伊織は靴を履き替え、外に出るよう促した。私はまた、下駄箱の前に立ち、扉を開くのを躊躇する。昨日の記憶が思い出されて胸がざわついて深呼吸をして気持ちを強く持ってからでないと開けない。
私が意を決して下駄箱の扉を開こうとしたとき、伊織が私の身体を優しく押しのけた。そして私の下駄箱の扉を開き、中から一枚の紙を取り出して一瞥するとそれをぐしゃぐしゃに丸めて自分の鞄に入れてしまった。
無表情で、ハエや蚊を殺してティッシュで丸めるときみたいに怒りや嫌悪を表に出すこともなく、さも当たり前のような行動だった。
「朝もそうしてたよな。昨日も下駄箱で何かあったのか?」
いつにも増して伊織の表情や声色は優しくなっていて、私はもう泣くことしかできなかった。名前の付けられない感情が溢れて来て、人前では泣かないように無意識のうちに作っていた私の心の堤防は決壊した。
止めたくても止まらない。涙が枯れるまで泣き続けることしかできない。その場にしゃがみこんで人目もはばからず泣き続けた。伊織はハンカチを差し出して、頭や背中を撫で続けてくれた。
「詩織、我慢するな。全部言ってくれていいんだ。心配かけていいんだ。迷惑なことなんてないんだ。お前が隠れて苦しんでいるのが俺には分かる。その方が俺はつらい」
「……うん」
言おうと思っても言えなかったことが、心の堤防の決壊とともに言えるようになった。
私は昨日と今日の出来事を話しながら、伊織が連れて行こうとしている目的地まで歩いた。伊織は静かに私の話を聞いてくれた。
「詩織はやっぱり強いな」
すべて聞き終えて伊織が言った。
「……強かったら泣いてないよ」
「日夏先輩のことどう思った? ああ、過去の話じゃなくてさっき会った印象な」
「……ハキハキしていて、しっかり者で、たくさんの男子を仕切ってそうで強い人だなって思った」
「だいたいあってる。そんな強い人でも二週間も誰にも言い出せなかったんだ。いや、大悟さんが自分で考えて動いて解決させたから、そもそも相談できてない。でも詩織はたった二日で打ち明けてくれた。誰かを頼るのだって、その人自身の強さだよ」
私は伊織に救われている。伊織の言葉のおかげでかろうじて歩みを留めずにいることができている。
伊織が足を止めたのはあのときと同じ場所。学校の敷地の端っこにひっそりと一本だけ立っている離れ桜だ。今のこの状況の全てのきっかけの場所。花も葉もとっくに無くなっていて、寂しくなった桜の木の下に制服姿の真人君が立っていた。
「真人が何か詩織に言いたいことがあるっていうことは聞いてる。でも何を話すのかは聞いてない。たとえどんな話だろうと、俺は詩織の味方だから。行ってこい」
伊織が私の背中を優しく押した。
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