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34 ハッグ
しおりを挟む儂の周りは日常を取り戻したかのように見えた。
明るく挨拶をし元気よく声をかける。
だが屋敷の者はマリーの事には誰も触れない。
たまに思い出したかのようにウリナが涙ぐんでいる時がある。
リズはマリーが座っていた食卓の椅子を眺め溜息をこぼす。
馬車の中は静かなものだ。
ワグルも気を使う必要がなく馬車を走らせてくれた。
あの日から2ヶ月が過ぎた。
策に関して何の進展もない。
来る日も来る日も没になる案を書き殴った。
地図を広げて駒を動かした。
思いつくと同時に無理なのが分かった。
いつの間にか3階のマリーが使っていた部屋に行き佇む時間が増えた。
ベッドで一人眠る事にはまだ慣れない。
一人で寝ていた時間の方が長いのに不思議なものだ。
恋愛小説を手にする事もない。
一度だけ夜眠れずに目を通した。
出て来るお姫様がマリーに思えて泣いてしまった。
出てくる王子様がマリーに思えて泣いてしまった。
だから最後のハッピーエンドまで読む事は出来なかった。
儂らはまだ物語の途中なのだから。
儂が軍に復帰した日は腫れ物のような扱いをされた。
だがそれはその日だけだ。
儂が率先して作戦の立案をしたからだ。
どうすれば一度の戦で全てを終わらせられるかと。
ヒードルはそれに首を横に振った。
全軍で仕掛けても帝国本陣は逃げると言う。
帝国の将軍はその点は抜かりがない。
そして負ける事はないが互いの被害も甚大に及ぶだろうと。
幾度かの戦の中で本陣を急襲して落とすのが一番良い。
それが次になる可能性はあると言う。
だが次の次になる可能性も。
つまり決め手に欠けるのだ。
そして宰相殿も含めて戦争の終結とその後の話し合いもした。
戦争を終結させるまでが儂らの仕事、そしてその後は王と宰相殿の仕事だからだ。
帝国と条件を結ぶのなら和平条約では駄目だと王は言う。
結ぶなら悠久たる不可侵条約だろうと。
人間と深く関わるべきではない、それが王の方針だ。
ではどうやって条約を結ぶかだ。
帝国がその必要性を感じなければならない。
つまり餌が必要なのだ。
てっとり早いのは町の一つでも侵略をして返して欲しければ条約を結べ、と脅迫する方法だ。
帝国側から宣戦布告もなく今回戦争を仕掛けられたのだから、報復として宣戦布告をして町を侵略するくらいは問題ないのでは?と宰相殿は言う。
だが王は認めない。
不可侵条約を結ぶ為に侵略行為をしては意味がない。
それでは期間を定めた停戦条約と変わらないと。
帝国に下手に出る訳にはいかない。
何かを差し出す訳にはいかない。
武力を背景に条約を結ぶのは問題ないが、一般市民に害が及んでは駄目だと言う。
安全に行くなら帝国軍部が瓦解した際に条約を押し勧める方法だろうと。
ただ帝国全体が不安定になり西と南の諸国が反乱を起こす可能性もあるという。
一番良いのは帝国軍の求心力が残っている内に軍の上層部である本陣を叩き潰して武を示す。
その武を背景に戦の勝者として条約を押し勧めるのが理想という事だ。
やはり強襲の成功を待つしかないのだろうか。
・・・それでも5年はかかるだろう。
軍部の瓦解を待つしかないのだろうか。
・・・それなら10年はかかるだろう。
儂には・・・やはり無理なのだろうか?
マリーが求めたような将軍になる事は・・・
情けない儂はマリーに縋るように書斎に向かった。
ここでマリーから学んだ事は一言一句覚えている。
だが何とかしたい気持ちと、どうにもならない気持ちの折り合いがつかなかったのだ。
ただ・・・マリーの言葉が欲しくなった。
「ハッグ、こういう時はな……」
マリーはいつもそう儂に教えてくれた。
そして棚にある兵法書を手に取った。
今なら「目を通していない」と言われた意味が分かる。
幾度となく捲られた頁はヨレヨレになっている。
箇所箇所に覚え書きを走らせてある。
だが何処にも儂の望む答えは書いておらんかった。
何度となくもうマリーを迎えに行こう。
そんな事を考えた。
愛馬のランカスに跨り野を駆けよう。
そして山を駆けよう。
町々を通り抜け会いに行こう。
邪魔をする者は全て薙ぎ払えば良い。
妨害する者は全て骸と化せば良い。
番の本能のままに暴れて奪いに行けば良い。
だがそれは小さな儂が決して許さない。
マリーに対して芽生えている感情がそれを押さえつける。
だがそれと同時に儂の胸を強く締め付けるのだ。
淋しいと訴えるのだ。
ただ・・・マリーに会いたいと。
漏らさないように嗚咽を噛み締めた。
抑えきれない思いが目から溢れる。
もう儂の匂いしかしないネグリジェを抱きしめて眠れぬ夜を過ごした。
悩もうが考えようがやる事はある。
やる事はやらないとマリーに叱られるからな。
だから執務もしかとやっておる。
あの日マリーがやっていた様に書斎を先に類別する癖がいつの間にか身についていた。
つい手を止めてボンヤリとマリーの仕草を思い出していた。
・・・マリーが・・・やっていた?
それは唐突に閃いた。
マリーが残した物があるではないか。
教えてくれた物だけではない。
他にもあるではないかっ!
儂はドアを閉めることも忘れ執務室を飛び出した。
急ぎ階上にある書類の保管室に向かった。
いつだ?・・・あれはいつだった?
儂の業務報告の日誌をまとめた物を探した。
見直す事もない書類は奥に置かれてあった。
そうだ・・・確か2年・・・半前だ。
その期日が記された束を手に取り慌てて捲った。
そして9月10日の日に書かれた日誌を見て儂は絶句した。
[ワングが女狐にしてやられた、敵ながら大した者だ、一度儂もやり合ってみたいと思った]
わ、わ、儂ぃぃぃぃいっ!!!
な、何だこの報告書はっ!
これでは日誌ではなく日記ではないかっ!
報告書の体をなしておらん!
どうやられたのか記載が無いではないかっ!
その対策はどうしたっ?!
マリーに教わる前の儂はこんなに愚かだったのかっ?!
・・・早目に破棄してもらおう。
呼びつけても良いが一刻も早く話が聞きたかった。
その足取りは期待に満ち強さを増した。
ドスドスではなくドシンドシンだ。
だが詰所内にはワングはいなかった。
外から入って来た兵に歩みも止めず声をかけた。
「ワングを見なかったか?!」
「へ?はい、訓練場にいましたが」
「ありがとうっ!」
ああ、儂は今笑っておる気がする。
漸く光明が射したのだ。
期待に胸が高まるのを感じる。
これはマリーと出会う前の感覚だ。
「理由は分からん」と策を提案していた頃の感覚だ。
だが儂の野生の勘が「それだ」と告げる。
「ワングッ!」
姿も確認せずに名を呼んだ。
訓練場全てに轟くよう大きな声で。
「な、なんですか?」
黒い面長の顔のワングが儂を振り返った。
興奮のあまり肩を掴み思わず揺さぶった。
「話せっ!」
「な、何をですか?!」
「あれだ!2年半前にマリーにしてやられただろう?あの時の状況だ!」
「わ、分かりました、お、落ち着いて下さい・・・はぁ、あの時は………」
・・・いける。
儂の中の野生とマリーの教えてくれた知識がカチャリと音を立てハマった気がした。
歓喜が儂の心を支配した。
「ぐがああおおぉぉぉぉーっ!!!」
「「「っ!?」」」
思わず咆哮を上げた。
何の目的も無い。
ただ発したかったのだ。
・・・マリー・・・待っていてくれ・・・3年だっ!
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