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面会
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教え子が、私に会いに、わざわざ遠方から訪ねて来てくれた。何でも、私に会いたいという。
彼はかつて私が教鞭をとっていた岐阜県内の工業高校の機械科の教え子で、私が学校を離任するとき、こっそり連絡先を教えておいたのだ。本当は教員の倫理に反するけど。でも、彼はどうにも足元がおぼつかなくて、一人にしておくには不安が大きかったし、友達もそんなにいなさそうだったから、困ったときのホットラインにしてもらいたい、という思いで私は連絡先を教えた。彼とは数ヶ月に一度、LINEでとりとめのない話をした。かつて私が学校に勤めていた時と同じような、他愛もない会話。それが急に変わったのが、先週のLINEでのこと。いつものような他愛もない会話の中で、私はふと、病気で入院したことを伝えた。それは、ちょっと離れたところに住む友達に、「実はさあ、入院しちゃったんだよねー」と話すことと何ら変わりはなかった。特に面会等無くても全然平気だった。だって私は、うつ病で精神科病棟に入院しているからだ。精神科病棟なんて、精神疾患患者でなければ恐怖以外の何でもないだろう。よく、ホラー映画やドキュメンタリー番組で、大声で叫び狂う精神疾患患者や意味不明なことを口走る異常人格者が出てくるのを目にするが、それが刷り込まれていて、少なくとも積極的に行ってみたいとは思わないだろう。しかし、彼は違った。私が病気で入院したことを知るやいなや、普段は絶対にかけてこない電話をかけてきた。そして、「先生、どこの病院に入院してるんですか?お見舞いに行きます」と息継ぎもせずに口走った。私は心底驚いた。私が入院している病院は、彼の住んでいるところからはるか東の山の中にある。同じ岐阜県に住んでいるとはいえ、距離はかなりある。一日がかりの行軍になるが、それでもいいのか?彼だって勤め人だし、私の見舞いごときで貴重な休日に更に疲労を増してしまうのは不安である。それでも大丈夫か?しかし、彼はそんな私の不安をスパンと打ち切った。
先生に会いたいから行きます。別に疲れなんて次の日爆睡すれば取れます。
どんな時でも、若い人の突発的な行動というのは、目をみはるものがある。色々な逆説や不安を一気に跳ね除ける力と熱を感じる。
かくして、私は数年ぶりに、リアルな世界で教え子と膝を突き合わせて話をすることになった。
爽やかで、新緑の瑞々しい香りのする心地よい風が青空に凪ぐ5月の土曜日、彼は約束の時間通りに私の病院に来た。
私は病院の入口に立って、彼を出迎えた。二十歳を少し過ぎた彼は、少し大人びたようにも見えたが、なんとなくまだ高校生の頃のあどけなさも残ってみえた。
「元気?」病人の私が聞いてどうする、という質問だが私は聞いた。
はい、元気です。先生こそ大丈夫ですか?
うん、おかげさまで。入院して多少は良くなったかな。正直、自分で自分の体調はわからない。体調は天気のようにコロコロ変わるし、感情もそんな感じ。だけど、教え子には言っても難しいだろうから、敢えて濁した。
いつものLINEでするような、とりとめのない会話をしながら中に入る。入口を抜けると、そこは吹き抜けになっていて、明るい日差しが1階のフロア全体を包み込むように指していた。私は、一階のフロアの端近くにある席を勧めた。ここは、ちょっとしたお茶会スペースというか、相談スペースというか憩いの場というか、とにかく外の面会者や相談員と話をするにはうってつけの場所だからだ。私は、予め売店で買っておいたチョコレート菓子やペットボトルのお茶を彼に差し出しながら聞いた。
疲れたでしょ、それにしても、何でわざわざ会いに来てくれたわけ?
先生に聞きたいことがあるからです。聞きたいこと?
最近、自分の周りで休職する人が増えているんです。職場で、自分の持ち場だけでも2人。そのせいで自分の仕事めっちゃ増えて、すげえ大変なんすよ。しかも、自分の会社で、パワハラする上司もいて。自分はまだ標的にされてないけど、標的にされたらって思うとやばいじゃないですか。それに、自分の後輩とか、転職してきたはいいけどすぐに辞めちゃう人もいて。それに最近はニュースでもよくブラック企業とか教員の精神疾患とかパワハラとか過労死とか割と問題になっているじゃないですか。だから、何か働くのが怖いし、先生が病気になったって聞いて、やっぱり教員ってブラックなのかなって思って。それで、いろいろな話を先生に聞いてみたいと思ったんです。
なかなか真面目な返答じゃないか。いつもはオンラインゲームやソーシャルゲーム、自作の動画の話や趣味の写真の話で持ちきりの彼に、こんな一面があったなんて。
そっか。と私は返した。確かに、この世はブラックだ。特に教員の世界は学校種問わずブラックだ。多少ブラックの内容に違いはあれど、過重労働やパワハラ、モンスターペアレントやモンスターチルドレン、その他にも教員が抱える闇は深くて大きい。私もその闇に飲まれて身を病んだ。君が遠路はるばるここまで来て、そんなに知りたいなら、今日は特別講義として教員の、その中でも的を絞って、工業科教員の抱える闇について話してみようと思う。
彼はかつて私が教鞭をとっていた岐阜県内の工業高校の機械科の教え子で、私が学校を離任するとき、こっそり連絡先を教えておいたのだ。本当は教員の倫理に反するけど。でも、彼はどうにも足元がおぼつかなくて、一人にしておくには不安が大きかったし、友達もそんなにいなさそうだったから、困ったときのホットラインにしてもらいたい、という思いで私は連絡先を教えた。彼とは数ヶ月に一度、LINEでとりとめのない話をした。かつて私が学校に勤めていた時と同じような、他愛もない会話。それが急に変わったのが、先週のLINEでのこと。いつものような他愛もない会話の中で、私はふと、病気で入院したことを伝えた。それは、ちょっと離れたところに住む友達に、「実はさあ、入院しちゃったんだよねー」と話すことと何ら変わりはなかった。特に面会等無くても全然平気だった。だって私は、うつ病で精神科病棟に入院しているからだ。精神科病棟なんて、精神疾患患者でなければ恐怖以外の何でもないだろう。よく、ホラー映画やドキュメンタリー番組で、大声で叫び狂う精神疾患患者や意味不明なことを口走る異常人格者が出てくるのを目にするが、それが刷り込まれていて、少なくとも積極的に行ってみたいとは思わないだろう。しかし、彼は違った。私が病気で入院したことを知るやいなや、普段は絶対にかけてこない電話をかけてきた。そして、「先生、どこの病院に入院してるんですか?お見舞いに行きます」と息継ぎもせずに口走った。私は心底驚いた。私が入院している病院は、彼の住んでいるところからはるか東の山の中にある。同じ岐阜県に住んでいるとはいえ、距離はかなりある。一日がかりの行軍になるが、それでもいいのか?彼だって勤め人だし、私の見舞いごときで貴重な休日に更に疲労を増してしまうのは不安である。それでも大丈夫か?しかし、彼はそんな私の不安をスパンと打ち切った。
先生に会いたいから行きます。別に疲れなんて次の日爆睡すれば取れます。
どんな時でも、若い人の突発的な行動というのは、目をみはるものがある。色々な逆説や不安を一気に跳ね除ける力と熱を感じる。
かくして、私は数年ぶりに、リアルな世界で教え子と膝を突き合わせて話をすることになった。
爽やかで、新緑の瑞々しい香りのする心地よい風が青空に凪ぐ5月の土曜日、彼は約束の時間通りに私の病院に来た。
私は病院の入口に立って、彼を出迎えた。二十歳を少し過ぎた彼は、少し大人びたようにも見えたが、なんとなくまだ高校生の頃のあどけなさも残ってみえた。
「元気?」病人の私が聞いてどうする、という質問だが私は聞いた。
はい、元気です。先生こそ大丈夫ですか?
うん、おかげさまで。入院して多少は良くなったかな。正直、自分で自分の体調はわからない。体調は天気のようにコロコロ変わるし、感情もそんな感じ。だけど、教え子には言っても難しいだろうから、敢えて濁した。
いつものLINEでするような、とりとめのない会話をしながら中に入る。入口を抜けると、そこは吹き抜けになっていて、明るい日差しが1階のフロア全体を包み込むように指していた。私は、一階のフロアの端近くにある席を勧めた。ここは、ちょっとしたお茶会スペースというか、相談スペースというか憩いの場というか、とにかく外の面会者や相談員と話をするにはうってつけの場所だからだ。私は、予め売店で買っておいたチョコレート菓子やペットボトルのお茶を彼に差し出しながら聞いた。
疲れたでしょ、それにしても、何でわざわざ会いに来てくれたわけ?
先生に聞きたいことがあるからです。聞きたいこと?
最近、自分の周りで休職する人が増えているんです。職場で、自分の持ち場だけでも2人。そのせいで自分の仕事めっちゃ増えて、すげえ大変なんすよ。しかも、自分の会社で、パワハラする上司もいて。自分はまだ標的にされてないけど、標的にされたらって思うとやばいじゃないですか。それに、自分の後輩とか、転職してきたはいいけどすぐに辞めちゃう人もいて。それに最近はニュースでもよくブラック企業とか教員の精神疾患とかパワハラとか過労死とか割と問題になっているじゃないですか。だから、何か働くのが怖いし、先生が病気になったって聞いて、やっぱり教員ってブラックなのかなって思って。それで、いろいろな話を先生に聞いてみたいと思ったんです。
なかなか真面目な返答じゃないか。いつもはオンラインゲームやソーシャルゲーム、自作の動画の話や趣味の写真の話で持ちきりの彼に、こんな一面があったなんて。
そっか。と私は返した。確かに、この世はブラックだ。特に教員の世界は学校種問わずブラックだ。多少ブラックの内容に違いはあれど、過重労働やパワハラ、モンスターペアレントやモンスターチルドレン、その他にも教員が抱える闇は深くて大きい。私もその闇に飲まれて身を病んだ。君が遠路はるばるここまで来て、そんなに知りたいなら、今日は特別講義として教員の、その中でも的を絞って、工業科教員の抱える闇について話してみようと思う。
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