そして明日の世界へ

喜多朱里

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序章:彼方への約束

03:扉

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「なんでこんなものが」

 見慣れた扉が神社にあることで凄まじい違和感を与えてくる。
 木製の扉は握り玉タイプのドアノブを取り付けられているので古めかしさは感じられるが、手摺りのない石段に比べれば近代的だ。

「鍵とかされてないのか」

 試しにドアノブを捻ってみると、裏口と同じようにあっさりと開いてしまった。
 何かすごい仕組みがあってどこかに繋がっているのかもしれないと思ったが、向こう側の壁が見えるだけで扉として意味をなしていなかった。試しに壁側に回ってみたが、反対側からも正面の格子戸が見えるだけでただの扉枠だった。

「そういえばどんな神様を祀ってるんだ?」

 拝殿の中に置かれているので、祀られた神様に関係するものなのだろうか。
 よく遊びには来ていても真剣にお参りをしたことはないので、明嶋神社のことはほとんど知らなかった。散歩がてらにお参りするお年寄りの姿をよく見掛けるので、後で聞いてみようと思った。

「とりあえず閉じておこう」

 拝殿に入ったのがばれるのは不味いし、最悪の場合は裏口の鍵を壊した犯人と間違われてしまうかもしれない。
 ドアノブを掴んで扉を閉じようとして――背後でバタンと大きな音にその場で飛び跳ねる。着地の瞬間、自分の服からこぼれ落ちた水滴で湿った床に足を滑らせてしまう。扉の下枠に足先が引っ掛かり扉に突っ込む形で転んだ。勢いは止まらずそのまま壁に頭を打ち付けた。

「――ッッ!!!!」

 余りの痛みに声にならない悲鳴を上げる。
 頭を抱え込んでじたばたと床を転げ回った。
 ようやく痛みが引いてきて、何がそんな大きな音を立てたのかと周囲を確認すれば、外の明かりを取り込むために開いていた裏口の扉が閉じられていた。どうやら叶人を驚かせたのは強風に煽られた扉の閉じる音だったようだ。

「こんの驚かせやがって!」

 叶人は謎の扉を八つ当たりで勢い良く閉じる。床が非難するようにギシギシと軋みを上げた。

「なんなんだ、本当にこれ」

 扉としての役目を果たしていない扉。
 その正体について考えたいところだが、アヤを探さなくてならないのでこれ以上は時間を無駄にできない。
 叶人は正面の格子戸から外を眺める。
 重苦しい雨雲の間を稲光が駆け抜けて、数秒後にごろごろと雷鳴が聞こえてきた。
雨に濡れるぐらいなら体調崩す程度で済むが落雷は命に関わる。アヤが安全な場所に避難できているか心配だった。

「ここに居ないとなると……ん?」

 賽銭箱と本坪鈴ほんつぼすずの近くに膝を抱えて座り込んだ人影を見付けた。隣には赤いランドセルと折れ曲がった蛍光黄色の学童傘が置かれている。顔は見えないが見覚えのある服装だった。

「アヤッ……!!」
「ひゃっ!?!?」

 座った体勢のままアヤは器用にその場で飛び跳ねる。まるで猫のようだった。

「お、お化けっ!? うぅぅ、雨宿りしてるだけだから許してー!」

 アヤは頭を抱え込んでいやいやと首を振る。
 何度か呼び掛けを続けても悲鳴が大きくなるだけで聞き耳をもってくれない。
 このままでは埒が明かないので近くで声を掛けることにした。

「どうして開かないんだ」

 拝殿に入るのに使った裏口から出ようとしたが、どれだけ力を入れても扉は一向に開かない。

「さっきの風で扉が歪んだかな。あれ? もしかして閉じ込められた?」

 さーっと血の気が引いていく。
 叶人は深呼吸をして心を落ち着かせた。アヤは無事に見付けられたので慌てる必要はないのだ。ここから出る方法を考える時間はいくらでもある。

「あっ……!」

 冷静に考えればすぐに脱出方法を思い付いた。
 正面の格子戸は閂で閉じられているだけなので、内側に居る叶人には無意味だった。扉の掛け金から横木を引き抜いて格子戸を開け放つ。

「ひえぇぇっ!! ええと、この神社って何を祀ってるんだっけ!? とにかく神様、仏様、八百万の神々様! 助けてくださいー! 悪霊だか妖怪だか分からないけど、こっちには神様がついているんだ、文句あるなら掛かってこいやっ!」
「なんで喧嘩腰なんだよ」

 それに威勢良く叫んでいるけど、体は小さく丸めたままだった。

「アヤ」

 肩を叩くと時が止まったようにアヤはぴたりと動きを止めた。

「俺だよ、探しに来たんだ」

「カナくん……?」
「うん、無事で良かった」

 アヤはようやく顔を上げてくれた。
 目を合わせると、アヤの目からじわっと涙が溢れ出した。

「ふぇぇぇん!」
「うぉっ!? やめろ、お互いにびっしょびしょなんだからくっつくな! うわぁぁ、鼻水を拭こうとするな! おい、笑ったな? いま笑ったよな!? 絶対にわざとやってるだろっ!!」


    *


 纏わり付いたアヤを引き剥がして一緒に拝殿の中に入る。取り外した横木はそのままにして、雨が吹き込むのを防ぐため格子戸は閉じておいた。
 雨の勢いはますます強くなり雷も近付いていたので、アヤと相談して天気が落ち着くまで雨宿りすることにした。

「ほら、神主さんが来てるみたいなの」

 アヤに言われて格子戸の隙間から社務所の方を見れば明かりが点いていた。どうやら拝殿への侵入と神主の到着はタッチの差だったようだ。結果的にアヤを共犯にさせてしまったが、本人は気にした様子もなく「スパイみたいで楽しい!」と笑っていた。
 今更ではあるが拝殿の中を土足で歩くのはよくないと思い、脱いだ靴は賽銭箱の影に並べて置いた。雨もほとんど掛からないし社務所からは死角になっている。

「教科書は全滅かなー」

 アヤはランドセルの中身を一つずつ取り出して床に並べていく。濡れたもの、濡れていないものを分けて置いていた。

「そういえばなんであんなに怯えてたんだ?」
「拝殿の中から急に物音したら誰だってビビるよ」
「……確かに」
「でしょー?」

 言われてみれば、逆の立場になったら叶人も怖がっていたかもしれない。

「でもお化けとか幽霊って前は怖がってなかっただろ。去年の遠足で肝試しをしたけど、ずっと笑ってたよな」
「あの時は信じてなかったからね」
「今は信じてるのか」
「うん、その方が良いかなと思って」

 どういう意味なのか考えて首を傾げると、アヤは荷物の整理を続けながら言葉を続けた。

「ほら、年末にお祖母ちゃんが死んじゃったでしょ。だから幽霊でも会えたら嬉しいから信じないとなーって」
「ばーちゃんか……」

 最上家の祖父母は叶人が生まれるよりも前に亡くなっていたため、叶人にとってのお祖母ちゃんは、アヤの母方の祖母だった。血縁ではないカナとのことをアヤと同様によく可愛がってもらえたので別れは辛かった。

「俺も会えるなら会いたいけど、律儀に悪霊とかまで信じて怯えなくてもいいんじゃないか」
「まるごと信じないと取りこぼしちゃうかもしれないよ。お祖母ちゃんが悪霊だったら会えないかも知れないし」
「ナチュラルにばーちゃんを悪霊にするな」
「えー? だって私のお祖母ちゃんだよ?」

 確かに歳を取って落ち着いただけで、昔はアヤのようにやんちゃだった可能性は否定できない。
 叶人はふと思い出した。一緒にゲームで遊んでくれた時に、対戦で負けた悔しさにコントローラをぶん投げられたことがあった。新品を買い直してくれたけど、あの振る舞いを考えると、老体から解放されてはしゃぎ回った結果、悪霊になったと言われても納得できてしまう。

「そうだな、悪霊もありえるか」
「否定するところだよ!?」

 アヤはジト目を向けてくる。

「お怒りポイント、一点プラス!」
「何ポイント溜まってるんだ?」
「ええと、びっくりさせたのと、さっきので合計二点!」
「さっきのと今のだけしかないのか」
「だってすぐ忘れちゃうし」

 利根家の冷蔵庫に貼り付けられた春のパンまつりの応募ハガキを思い出す。これまでに交換されたことは一度もない。今年の応募期限もとっくに過ぎていた。

「忘れない内に謝っておくよ、ごめんな」
「うん、許した!」

 アヤは言葉にした瞬間、本当に許してくれたのだろう。にこにこ笑ってご機嫌に鼻歌混じりに荷物の整理を再開した。
 謝った方が逆にもやもやするぐらいの清々しさだ。
 叶人の心にアヤの捜索中は必死過ぎて忘れていた罪悪感が込み上げてきた。

「……ごめんな」
「ん? もう許したってば」
「下校の時の話だよ」
「なんかあったっけ?」

 あっけらかんとした口調だった。
 手を止めて顔を上げたアヤと目が合う。本当に忘れてしまったのかと勘違いしそうになる態度だ。叶人にアヤの演技を見抜く力はないが、アヤがどんな人間かはよく知っていた。

「だったらどうして家に帰らないで、この神社に来たんだよ」
「カナくんには隠し事できないね」

 アヤは言い訳をせずに降参した。

「でもね、私にはカナくんの考えていること分からないんだー」
「俺の考えてること……?」
「くっつかれるのをイヤがったり、隠し事があるのを誤魔化されたり、誕生日にプレゼントを送ってくれなかったり、もう一緒に居たくないのかなーって思ったの」
「それは――」
「でもこうやって雨の中でも探しに来てくれて……カナくんが何を考えているか分からなくなっちゃった。これまで無理に付き合わせてたのなら……ごめんね、カナくん」

 叶人は罪悪感で言葉に詰まった。

「謝らないでくれ、全部、俺が悪いんだ」

 気恥ずかしくて突き放してしまったこと。
 自信がなくて口にできなかった言葉。
 プライドを守るために渡せなかったプレゼント。
 自分ばかり苦しんでいるつもりでいて、アヤを知らず知らずの内に追い詰めていた。決して傷付けるつもりなんてなかったのに。

「どうしてカナくんが悪くなるの? だって私がわがままばかり言うから……もう付き合い切れなくなったんだよね。私の自業自得だからカナくんは何も悪くない」
「違う、違うんだよ」

 叶人は首を横に振った。

「何が違うの……?」
「俺はアヤの傍に居たいと思ってる。ずっと一緒に居たいって思ってるんだ」

 アヤの瞳が戸惑いに揺れる。

「え? ええっ? それじゃあどうして……?」

 叶人は深呼吸をする。覚悟を決めるには必要だった。
 最近の行動と矛盾しているのは分かっている。正直に生きるには何もかも足りなかった。そのせいでアヤを傷付けたのだ。

「進路の話をした時、本当に言いたかったのは……」
「うんっ」

 言葉に詰まると、アヤは先を急かすように身を寄せてきた。
 帰り道では後退ってしまったが今後は逃げなかった。
 ぐっと顔を寄せてくるアヤから目を逸らさない。

「中学も一緒の学校に通いたいって言いたかったんだ」
「……それで?」
「それでって言われても」

 アヤは怪訝な表情で首を傾げた。

「……それだけ?」
「そうだよ」
「………………」
「黙られると困るんだけど」

 アヤは唇を尖らせて腕を組んだ。

「あれだけ溜めておいて普通のこと言うから、こっちもリアクションに困るんだけど」
「ええっ!? このタイミングでダメ出しされるの!?」
「やっぱりカナくんが何を考えてることわからないよー」

 同じ台詞だけど、今度は物凄く軽い響きだった。

「だって同じ中学に行くのなんて当たり前でしょ?」
「いや、うん、そうなんだけど、そうじゃなくて」
「うーん、もう全部ぶちまけちゃおう! カナくんが考えてること、悩んでること、私に聞かせて! 私も全部話すから!」

 僅かに残っていた緊張感もすべて消し飛んだ。
 自分勝手で、強引で、それでいて付き合わされるのが楽しくなる――いつものアヤの姿だった。

「まだまだ時間はたっぷりありそうだからね」

 アヤの両手を広げて外を示す。
 相変わらずの大荒れ模様だったが、町を襲う災害ではなくて、大きなお祭りが開催されているような騒がしさに感じられた。
 随分と回り道をしたけれど、擦れ違いはアヤの力技で解決されることになった。
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