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第二章:城塞都市クレイル

冒険者(1)

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 ぎゅっぎゅっぎゅっ――新雪を踏み締める音が静寂の中に染み渡る。
 ライは周囲を見回して戸惑いを覚えた。
 森の木々まで真っ白に染め上げた一面の雪景色が広がっていた。

「……ここは?」

 見覚えがあるような気はするのだが思い出せない。
 振り返れば足跡が残っていたので、確かにここまで自分の意思で歩いて来た筈なのに、記憶が上手く繋がらなかった。

「今の時季にこれだけの雪ってことは王国北方だよな……そうだ、『燈火』への指名依頼を受けたんだ」

 夜闇を照らす『燈火』。
 幼馴染のバンと共に立ち上げた冒険者パーティの名前だ。
 王都で出逢ったフェリスやフリーダが加わり、規定人数を満たしたことで正式なパーティ登録が行われた翌日、ギルドマスター直々に指名依頼を言い渡された。

 依頼内容は、未開拓地域の一つであるマルクト丘陵の現地調査。
 上級パーティに相応しい高難度の依頼だった。
 昇格早々の指名依頼にきな臭さを覚えたが、パーティで最も信頼できる判断材料――バンの勘に従って依頼を引き受けることになった。
 それから王都を旅立ち、城塞都市クレイルで補給を済ませて未開拓地域の森へと足を踏み入れた。

 その後、マルクト丘陵の目前までやってきたが、既に夜も深まっていたので、本格的な調査は明日に回して野営することになり――そこから先はどうしても思い出せなかった。

「うーん……こんなに雪は積もってなかった筈だけど」

 ライは足を止めるとコートの首元をぱたぱたと扇ぐ。
 汗ばんだ肌を冷えた風が撫でて心地良い。
 雪道を歩くのは重労働だ。冒険者の装備を背負っていれば尚更だった。

「相棒?」

 先を歩いていたバンが足を止めていた。
 頭一つ身長が低いので顔色は窺えない。
 バンは返事代わりに先を進んでいたフリーダを指差した。

「先に行けってことか」
「ああ、フリーダを頼んだ」
「はいはい、相棒の指示なら疑わないよ」

 昔から何を考えているか分からない奴だが、バンの選んだ道に間違いはなかった。振り返ればいつだってそれが最善だったと理解できた。

「ん……?」

 足元の感触が雪から草木に変わっていた。
 濃厚な緑の匂いが充満している。
 振り返ればバンとフェリスがこちらに背を向けて道を引き返していた。

「バン? フェリスちゃん?」

 不吉な予感に背筋が凍る。
 このまま見送れば二人は死んでしまう――そんな予感がした。

「待ってくれ! 本当にこの道で問題ないんだよな? 頼む、応えてくれ……バンっ!!」

 返事はない。
 二人の歩みに迷いはなく夜闇に姿を消してしまう。
 ライは二人を追い掛けようとして、フリーダに肩を掴まれた。


    *


「ライさん、ライさん、起きてください」

 呼び掛ける声に目を覚ますと、フリーダの細腕が肩を優しく揺さ振っていた。

「おっと、寝坊しちゃったかな」

 ライの軽口にフリーダの表情が僅かに和らぐ。

「ごめんなさい、まだ交代時間ではないんです」
「何か問題が?」
「実は監視の目がなくなったみたいなんです」
「それは好機だ、念入りに周囲を探っておいてもらえるかな」
「はい、お任せください」

 フリーダが片膝を突いて両手を組んで額に当てる。
 祈りの姿勢を取ることで聖術の発動に集中していた。
 聖術における信仰心は魔法における魔力に相当する。そのため真摯な祈りこそが聖術の効果を左右するのだ。

 フリーダの聖術は教会から【示される道導】と名付けられている。
 心を読み取り進む先を示す力であり、その特性から周囲の心を持つ存在を感知できる。
 聖術の効果を聞いた不信者フェリスが「索敵として使えて便利じゃん」と漏らした一言によって、冒険者パーティ『燈火』の索敵役を担うことになった。
 始めの内は神樹に懺悔するフリーダであったが、そんな使い方を続けていても一向に聖術は剥奪されなかったので、今では神樹の思し召しと開き直って最大限に活用していた。

「近くには誰も居ません。やっぱりこちらに向けられた心はないみたいです」

 フリーダと目を合わせてライは頷き返す。
 こんな好機はマーテル派に捕まってから初めてのことだった。

「今の内にできることやっちゃうとするよ」
「この状況で何かできるのですか?」
「小手先の技なら幾らでも持ってるからね、任せておいてよ」

 大きく伸びをすると凝り固まった全身の筋肉と関節が悲鳴を上げる。硬く冷え切った地面の上で、樹木を背もたれに寝ていたので疲れは取れていなかった。
 ライとフリーダはマーテルの里の外れに囚われていた。
 魔素に満ちたマーテルの森の自然を材料に作られた牢獄は、木の枝や蔦を組み合わせた単純なものだが、物理的にも魔法的にも非常に強固だ。上級冒険者の二人でも容易に抜け出せるものではなかった。

(……魔法や聖術でも誤魔化し切れないか)

 フリーダの目元には隈が色濃く広がっていた。
 あの日――マルクト丘陵を襲った異変から十日が経過しようとしている。
 囚われた時に荷物を取り上げられなかったのが幸いだった。携帯用の非常食と定期的に与えられる水でなんとか生き長らえてこれた。
 しかしそれも限界が近付いている。

「何をされてるんですか?」
「ちょろっと鍵を開けられないかってね」

 ライは柄を短く持った杖で木の扉をこつこつと叩く。

「ですが【施錠魔法】を施されてますよ。術者本人か適合した鍵を使わないと開けられない筈ですよね」
「【封印魔法】ほど大それたものじゃないから知識とコツさえあれば開けられないこともない」
「ええっ、そんな盗賊みたいなこともできるんですか?」
「盗賊って、フリーダちゃん言い方ー。まあフェリスちゃんに初めて見せた時は羨ましがってたね」
「……フェリスさん」

 俯いたフリーダの肩を叩く。

「無事だよ。相棒が付いているんだ」
「そう、ですよね」
「僕らは僕らでやれることやらないとさ。フリーダちゃんだって、助けを待つだけのお姫様なんて柄じゃないでしょ?」
「もちろんですっ!」

 フリーダの力強い返事は、ライの心を眩しく照らした。
 発破をかけていたつもりで、本当は自分の不安を誤魔化そうとしていただけだと気付く。
 パーティ最年少の少女は、誰よりも強い心を持っていた。

「さて、と……警報の類は仕掛けられてなさそうだな……まあ出られたところで森から抜け出す前に捕らえられる自信があるのか……」
「ライさんの魔法は、あっ……ごめんなさい、作業の邪魔してしまって」
「いや、大丈夫だよ。そんな複雑な術式じゃないし。それより監視の方に動きはあった?」
「戻ってきません。やっぱり交代とは違うみたいです」

 もしかしたら本当に脱出のチャンスが訪れたのかもしれない。
 この機会を決して逃してはならない――バンのような勘はないがリスクを取るべきだと判断した。

「何か起きているのは確かみたいだね……おっと、フリーダちゃんが言い掛けてた話は?」
「えっと、どうしてライさんは色々な魔法を使えるのかなと思って」
「才能に恵まれているからねーなんて、先生の教えが良かったんだよ」
「村に魔術師がいらっしゃったんですか?」

 ライは手にした杖を見詰める。
 この杖は先生からの贈り物だった。
 五年以上も前の記憶だが、雪景色の中で儚げに笑う先生の姿を鮮明に思い出せた。今も色褪せない憧れの人だ。

「あはは、そんな恵まれた故郷じゃなかったよ。旅の魔法使いがしばらく村に滞在していたんだ」
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