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第二章:城塞都市クレイル

生還者(3)

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 リーサが扉をノックすると、執務室から軍人めいた鋭い女性の声で返事があった。

「入ってくれて構わない」
「失礼致します」

 執務机に獣人の女性が腰掛けていた。
 広い室内を見回すが、他に人の姿は見当たらない。部屋前の廊下に守衛が立っていなかったので、予め人払いを済ませていたようだ。
 扉を確りと閉め切ってから、リーサは女性に呼び掛けた。

「ロゼさん……ロザリンド王女殿下を、お連れ致しました」

 羊皮紙から顔を上げた妙齢の女性は、ロゼと目が合うとすっくと立ち上がる。
 雪に溶け込むような真っ白だった。
 頭頂部に並び立つ大きな狼耳。鋭くつり上がった三白眼。分厚い白いコート越しにも伝わる狩人の体躯。完璧な形の中で欠けた右耳が酷く目を引いた。

 獣人の中でも珍しい白狼族だ。
 雪の多い北国に最適化された白一色の美しい外見、純血種の希少性、古くから王国に伝わる逸話――多くの理由が合わさって人族の間では神秘的な象徴として敬われていた。

「都市長を務めるブランカ・ヴェストファーレンです。辺境伯の爵位を与えられ王国の末席に名を連ねておきながら、このような不躾な形での出迎えとなり申し訳ございません」

 ブランカはロゼの目の間でやってくると跪き深く頭を下げた。

「いいえ、謝るべきはこちらです。私のわがままにご配慮頂き感謝致します」
「北の田舎者とはいえ、少しは政治というものは理解しております」
「負担ばかりを掛けることになります。どうか顔を上げてください」

 ブランカは立ち上がり姿勢を正した。
 口調や振る舞いは王宮でも通用するものだったが、彼女の本質を表すようにてきぱきとした言動は軍の高官を想起させた。
 ロゼは揺るぎない忠誠心を感じ取り、自らの振る舞いも正した。

「この私、ロザリンド・エル・ルベリスタに、どうかヴェストファーレン辺境伯のお力をお貸しください」
「ただ命令をお与えください。我ら白狼族はヴェストファーレンとの盟約に従い永遠なる忠誠をルベリスタ王家に捧げております」


    *


 これは魔王軍の知らない遥か過去の物語。
 ルベリスタ王国の混乱期に一人の転生者が居た。
 王弟の血族に当たる公爵家という恵まれた境遇に生を受けた彼女は、前世の日本で得た知識を活用して多くの功績を上げると、三女でありながら若くしてヴェストファーレン伯爵の爵位を与えられた。

 彼女は伯爵領として統治する土地に北方地域を選んだが、国王を含めて誰もが彼女の選択に反対した。
 当時、北方地域は亜人種族との紛争で冒険者すらも寄り付かない危険地帯だったので周囲の反応は当然だった。

 王国の叡智と称えられた彼女には相応しくないのだ、と国王自ら説得は続けられたが彼女は頑なに譲らなかった。
 決して歴史書には記されていないが、最終的には彼女が「許可取るためにここまで頑張ったのに、それでもダメなら家出するわ」と家族や使用人に言い残して勝手に旅立ってしまったので、王から領地を与えられたことに記録は改竄されることになった。

 どうして彼女は危険な北方地域にそこまでこだわったのか。
 それは彼女が前世で無類のケモナーだったため、獣人に会いたいという理由だけだった。

 そして亜人種族との長年の交渉を続けた結果、見事に同盟関係を結んで北方地域に平和をもたらして、ヴェストファーレン伯爵として新たなる伝説を歴史書に刻んだ。
 城塞都市クレイルの礎を築いた頃には、すっかり彼女は年老いており、このままでは人間が中心の国家では獣人は形見が狭くなってしまうと危惧して、好みだった白狼族の酋長を婿養子として引き取って、あらゆる知識と王国中枢部の弱みのあれこれを教え込んだ。

 婿養子が王国との交渉で辺境伯という独自裁量権を持つ特別な地位を与えられるのを見届けると、満足そうに笑って「もふもふ最高」と言葉を残してこの世を去った。
 死ぬ前は流石に良い歳だった彼女も、ようやく落ち着きを得ており、なんだかんだで無茶振りに応えくれた王室への恩返しとして、他にもとある言葉を残した。

「私が死んだらさ、辺境伯として王室に忠誠を捧げてあげてよ。まあ北を守ってるだけで十分に貢献してると思うけど。でも困った時に声を掛けてきたら助けてあげてね」

 めっちゃ軽い言葉は、時代を経て厳かな言葉へと変わっていった。

 ――我々はヴェストファーレン伯爵との盟約に従い、王室に絶対の忠誠を捧げる。いつか王室に連なる者が訪ねし時、我らは一つの牙となり王国の危機を打ち払わん。

 色々とはっちゃけた彼女だったが、獣人達にとっては種族間の争いを止めて、更には王国内の権力までもたらした神様のような存在である。そんな彼女が残した最後のお願いを白狼族が蔑ろにするわけがなかった。


    *


 城塞内は最低限の調度品が並ぶだけで殺風景だったが、都市長の執務室はどうやら応接室も兼ねているらしく、華美にならない程度に美術品や飾りつけが施されていた。
 机を挟んで向き合うように座った都市長はやる気に満ちていた。
 我が一族が少しでも恩に報いる時が来た、私の代でなんと光栄なことか――などなど呟いていた。

 歴史書に記されず王家には伝わっていない、とある転生者の遺言をロゼが知る筈もなく、しかしそんな適当な気持ちで言い残した言葉が、巡り巡ってロゼと辺境伯を繋いだのだった。
 ブランカはリーサが用意した紅茶を一気に飲み干すと、興奮を押し殺して口を開いた。

「王女殿下がこの都市を訪れた理由は既にフィルギヤ商会より聞いております。マルクト丘陵の上空で使われた例の魔法の件ですね」
「はい、私達は【流星魔法】と呼んでいます」
「なるほど、言い得て妙ですね。美しくも恐るべき光景でした」
「この都市からはよく見えたのですね」
「ええ、私は魔法に関しては門外漢なので語るべき言葉を持ちませんが、あれが尋常ならざる魔法だというのは理解できます。既に王立魔法研究所の調査隊には観測結果を共有していますが……残念ながらこの都市に魔法の専門家が居ないため有効な情報はそれほど多くはなかったようです」
「仕方ありません。王都でも未だに議論は紛糾していますから」

 ロゼは気落ちしなかった。
 リーサやアルフレッドがすぐに報告を上げなかった時点で、調査が順調に進んでいないのは察しが付く。

「一つ大きな手掛かりになるかもしれない情報があるのです」

 ブランカが金属製の小さな札を差し出してきた。
 表面を金で加工されており、チェーンが通されている。

「これは……?」
「冒険者の認識票です。【流星魔法】が使われた現場付近に居たのだと推測できます」
「……認識票だけということは」
「いいえ、生きております」
「本当ですか! 生還者がいらっしゃるのですね!」
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