佐藤くんは覗きたい

喜多朱里

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家族を覗きたい(1)

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 僕の知る有村家は、有村さんの口から語られた情報だけで形成されていた。たった一人の視点で切り取られた情報はどうしても偏ってしまう。感情論となれば尚更だ。
 有村さんは通話の切れたスマホをしばらく見詰めていた。

「ママが残してくれた大切なレシピを見付けられてよかった」

 壊れ物を扱うようにレシピノートを優しく抱き締めた。

「思い出の味も偽物じゃなかった……ずっと二人が守ってくれてたんだ」

 擦れ違いの末に愛情は証明された。
 想っていたからこそ口をつぐみ、二つのレシピは今日まで有村さんに隠し通された。

「母親としての優しさとわがままか」
「なんとなくしか分からなくて……どういう意味だったんだろう?」
「たぶんだけど、有村さんのお母さんは自分が長く生きられないことをずっと意識していたんだと思う。だから自分が亡くなった後には、あのロールキャベツは食べられないことにしたかったんだ」
「優しさとわがまま……」
「一番大好きな食べ物を自分の手料理にしたかったわがままと、他の人のレシピを大好物だからと作り続けてきた優しさ……エゴかもしれないけど、自分を削るような辛さがあったのかもしれない」

 僕には死を見詰め続ける日々を想像できない。
 だからすべては妄想だ。
 どんな感情が隠されていて、本当はどんな想いを抱いていたのか――もう故人となった有村さんの母親に問い掛ける術はない。

「今日はやっぱり佐藤くんの家に来て良かった。わたしが悩んでいる時、佐藤くんはいつも答えを見付けてくれる」
「大したことなんてしてないよ」
「そうやって自覚を持たないで自然とできるから格好良いんだよ」

 これまでも頼られたり甘えてもらったけど、格好良いという直接的な褒め言葉に背中がむず痒くなる。

「……なるほど、これが有村さんが可愛いと言われた時の感覚か」
「わかってもらえたかなー?」
「でも可愛いのは事実だから仕方ない」
「もうもう、もうー!」

 有村さんが肩を両手でぽかぽかと叩いてくる。そういう可愛い反撃を素でやるから無限ループになるんだと思うけど、言ったら本当にループするので大人しく受け入れた。
 微笑ましく見守っていると、それに気付いてこほんと咳払いした。

「夕食の続き、食べよっか」


    *


 冷めてしまった料理を温め直して食卓につく。
 二つ並んだロールキャベツはどちらも美味しかった。
 このレベルになると好みの問題だ。
 僕は最初に食べたレシピノートの味がさっぱりしていて好きだったが、有村さんは感情に振り回されて答えを出せそうになかった。でもどちらが上か下かなんて無粋な話で悩み続けるぐらいがちょうどいいのかもしれない。

「佐藤くんが作ったこの……ええと、肉豆腐? でもこの感じは……麻婆豆腐?」
「実質的には肉豆腐でいいんじゃないかな。我が家では『辛くない麻婆豆腐』ってそのまんまに呼んでるけど」
「なるほど! ぴったりの名前だよ、中華風味だもん!」
「豆板醤は入ってないけど、中華スープの元とか紹興酒は入ってるからね」
「だからかー。うんうん、すごく美味しい!」

 まさかの展開で料理勝負の流れは消し飛んでいたけど、好評なようで良かった。

「佐藤くんは辛いのが苦手なの?」
「昔から唐辛子とかワサビ、それにからしとかが苦手でね」

 未だに寿司屋ではサビ抜きで、昨今のわさびセルフサービス化は正直に言えば嬉しい。
 前にサビ抜き寿司に旗を立てる店があって、万国旗が作れそうになってしまった。

「そうだったんだ、少し意外かも。好き嫌いとか何もないと思ってた」
「わがまま放題だったからすごい偏食だよ」
「それで麻婆豆腐も手作りする時に辛くならないようにしたの?」
「……最初に作ってくれたのは母さんだったんだ」

 奇しくも母親との思い出の味勝負になっていたのだ。

「大切な思い出なんだね」
「忙しい人だから数少ない手料理の思い出だよ」

 体調を崩して学校を休んでいた日に仕事を休んで看病してくれた。
 食欲が湧かない僕に、食べやすくて体が温まるもの――というので、麻婆豆腐をチョイスするセンスはどうかしてるし、僕の好みなんて把握してる筈もないと思ったら、辛くならないように工夫していて、弱った体は涙腺も緩んでいて思わず泣いてしまった。母さんは味の調整をミスったと思ったのか大慌てだったけど放っておいた。

「そんなの美味しいに決まってるね」
「……ああ、本当に」
「ありがとう、佐藤くんの思い出の味をご馳走してくれて」

 それはこちらの台詞だ。
 頼ってくれて、踏み込ませてくれて、本当に嬉しかった。

 感動的な空気を掻き乱すように、お風呂のアナウンスが聞こえてきた。
 料理を温め直している最中に、食べ終わるタイミングでお風呂に入れるようにお湯はりのタイマーを設定しておいたのだ。

「お先にどうぞ」

 僕はなんの感慨もなく、有村さんに一番風呂を譲る。

「えっと……そ、それじゃあ、お風呂、借りるねっ」

 緊張した様子を見せられても、僕はまだ何も気付けていなかった。
 そんな無反応に業を煮やしたのか、夕食の洗い物をしていると風呂場に向かった筈の有村さんが引き返してきてドアの隙間から覗いていた。

「うわーっ!? お風呂に入ったんじゃ?」
「佐藤くんっ」
「どうしたの?」
「遠慮しなくていいからねっ!」
「う、うん……?」

 頷きの角度が斜めになる。
 ぱたぱたと走り去る背中を戸惑いの視線で見送った。

「……………………ああっ! そういうことか!」

 熟考の末にようやく答えに辿り着いた。
 シチュエーションを考えて明言は避けていたが、あれはつまり覗きのお誘いということなのだろう。

 有村さんが泊まるので期待しなかったと言えば嘘になる。
 でもさっきまでの展開で性欲の存在そのものを忘れていた。同級生の女の子と一緒に料理をして一緒に食事を取る、という時点で本来はドキドキの筈なのに家庭色に染まり過ぎてて何にも思ってなかった。
 ただ一度意識してしまえば、お風呂に入る有村さんの裸体が脳裏に浮かび上がる。煩悩が喝采を上げて押し寄せてきた。

「でも何か引っ掛かる……」

 玄関先で見付けた気がするものにまた触れたような――シンクに沈められた二人分の食器にはっとする。

「ああ……そうか、そうだったんだ。こんな単純な見落としをしていたなんて……僕はなんて馬鹿なんだろうか」

 今日一日ずっと答えに触れ続けていたのに、それが答えだなんて思っていなかった。
 灯台下暗しというか、石橋を叩いて渡るというか、他人の心どころか自分の心すら読み解けない。

 僕は有村さんからの誘惑を振り切り、無心になって洗い物を終わらせる。
 土壇場になって大事なものがないなんて状況になったら目も当てられない。今の内に確保しておくべきだろう。
 手早く身支度を整えると、財布を片手に家を飛び出した。先走り過ぎているような気もしたが、走り出した僕はもう止まれなかった。
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