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有村さんを覗きたい(4)
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「ちょっとだけ他のページも見せてもらえないかな」
「うん、どうぞ」
レシピノートを受け取ってペラペラと捲っていく。
家庭料理やちょっとしたお菓子の作り方が載せられている。
どのページも特徴のある筆致で、有村さんの字とよく似ていた。いや、逆なのだろう。有村さんの字がこの筆者と似ているのだ。インクの滲み方から筆記に使ったのもボールペンではなくて万年筆かもしれない。
ロールキャベツ以外のページには曖昧な表記が見られた。手順もかなり簡略化されており、料理慣れしていない人にはまるで呪文だろう。
「お母さんも料理が得意だったんだね」
「ふふーっ、わたしの料理はママ直伝だよ!」
有村さんは自分が褒められたように嬉しそうだった。
「料理を教わってたんだ」
「病気のせいでほとんど時間は取れなかったけど、料理の基本は教われたの。本格的な料理は大きくなってからって言われてたけど……どんどん症状が重くなってもう台所に立てなかったから」
辛いことを思い出せてしまい申し訳ないが、やはり不可思議だ。
作り方を手取り足取り教えられなくても、レシピを教えればいい。現にレシピノートは残されていたのだから、それをどうして有村さんに伝えなかったのだろう。
「ごめんね、踏み込むつもりはなかったんだけど」
「こんな話をしたら気になるに決まってるから……あはは、ごめんね、ズルいやり方だったよね」
有村さんは話を打ち切って調理に取り掛かった。
僕を信頼して甘えたかっただけかもしれないのに傷付けてしまった。そんなつもりはなかったけれど――いや、言い訳はやめよう。鈍感のせいで気付けなかったとしても信頼への裏切りに違いはない。
「ごめん」
「大丈夫だよ――」
「――そうじゃなくて、踏み込ませてほしい」
呆然と見詰めてくる有村さんに笑い掛けた。
瞳がじわりと濡れていく。震える手が袖を小さく摘んできた。
「うぅぅぅぅ……」
言葉にできなくてもたくさんの感情が指先から伝わってくる。
既に亡くなってしまった実母との思い出の料理を作る。それは故人を偲ぶ儀式めいた側面もあるのだろう。他の誰でもなく僕と一緒に食べることを選んでくれた信頼は受け取るべきだった。
「思い出の味を一緒に食べられて嬉しいよ」
有村さんが目元を拭う。
空元気だけど、にっこりと笑ってくれた。
「うんっ、楽しみにしててね!」
今度こそ迷いなく調理を始められた。
レシピノートを開いてはいたが、ほとんど確認程度で手際良く進められていた。見付けてからこれまでに読み込んでいたのだろう。これなら調理速度を合わせたりしなくても問題なさそうだ。
僕の方は頭の中に入っているレシピ通りに作るだけなので、ほとんど手が勝手に動いてくれており、未だに頭の中で膨らみ続ける疑問と向き合えた。
調理中の僕が他のことを考えている余裕があるように、得意料理というものは細かくレシピにまとめる必要なんてない。
分量なんて適当だし手癖で作っている。
お菓子作りならグラム単位の差異で失敗になる恐れはあるが、それは家庭料理に求める精度ではない。
几帳面な性格なのかもしれないと思ったが、他のレシピを確認すれば曖昧な部分が残されており、違和感はより一層際立った。
(有村さんの好物だったから自分が死んだあとも家族が作れるようにと考えていたなら、それこそどうして伝えてない? どうして片付けで掘り出さなければ見付からないような場所に保管していた?)
誰にでも作れるようにしたレシピ。
誰にも伝わらない保管場所。
矛盾した二つを成り立たせる推論は浮かびはするけれど、真実だと断言するにはまだまだ情報が不足している。
「ロールキャベツのページだけ書き込みが多かったけど、随分と試行錯誤してたんだね」
「一人で味見をたくさんしてたのかなぁ」
「有村さんは試作品を食べてないの?」
「美味しくて味もずっと同じだったと思うけど……。最初に食べたのは幼稚園の頃で、すごく美味しかったら遠足のお弁当に入れたいってママに言ったのをよく覚えてるの。汁気があってこぼれたりするかもしれないからって止められちゃったけど」
「小さい頃のおかず選びって楽しかったよね」
「うんうん、今は作る側になって苦労も知れちゃったけどね。でもそのお陰で、ママのお弁当にはたくさん工夫がされてたんだなって……もっと嬉しくなった」
悲しみの伴う思い出だけど、少しだけ羨ましいと思ってしまった。
母親にお弁当を用意してもらった記憶なんてない。いつもお金を渡されて好きなものを買って来なさいと言われていた。好き勝手に食べ物を選べたけれど、やっぱりクラスメイトが手作りのお弁当を広げているのを見ると、好物だけを集めた筈の食事に虚しさを覚えてしまった。
美味しいものを食べさせてあげたい、好物をまた作ってあげたい――レシピノートは家族への愛情そのものだ。
「……そういえば、そのレシピも万年筆で書かれてるんだね」
「ママもよく使ってたよ。それでプレゼントに同じ万年筆をくれたんだと思う」
「同じ万年筆か……」
万年筆はちゃんとメンテナンスをすれば一生使い続けられるなんて話を聞いたことがある。有村さんのお母さんは、病気で先が長くない自分の代わりになんて考えていたのだろうか。
「佐藤くんもお揃いにする?」
「それはいいかもね。お値段を想像すると怖いけど」
「あははー……」
有村さんは気不味そうに頬を掻く。
これは本当にお値段が怖いやつだな。
言葉を交わしながらも、お互いに調理の手は止まっていなかった。
「わたしの方はこれから20分煮込むよ」
「分かった。それじゃあ煮込み時間に合わせて、僕の方はあと炒めて軽く煮るだけだから、ここで止めておこうかな」
キッチンタイマーに煮込み時間を設定して、後回しにしていた副菜に二人で協力して取り掛かる。残り物レシピのサラダやスープなので、分担してしまえば時間は掛からなかった。
「手持ち無沙汰になっちゃったね」
「それならさっきの話だけど、万年筆を見せてもらっていいかな」
「持ってきてるから現物をすぐに見せられるよ!」
有村さんは手提げ鞄に入れていた筆箱から万年筆を取り出した。今日も勉強道具一式を持ってきていたようだ。
「メーカー名はキャップのここだね」
スマホでメーカーの販売サイトを開く
商品ラインナップを調べると、すぐに同じ万年筆が見付かった。
気になるお値段は約三万円。買えないわけではないけど高校生には十分に高級品だ。
「言ってみただけで、無理はしないでいいからね?」
「う、うん」
持たせてもらったけど、値段を知った後だと手が震えてしまう。
「練習用にこういうのはどうかな?」
有村さんは数千円の値段帯からおすすめを幾つか紹介してくれた。長年使っていると、万年筆自体に愛着ができて布教したくなるのかもしれない。
「同じ万年筆……同じ?」
「本当に無理はしないでね!?」
「ああ、うん……」
考え事に気を取られて受け答えが上の空になってしまう。
僕がずっとレシピノートに感じている疑問を解決する手掛かりになるかもしれない。
メーカーサイトで発売日を調べる。有村さんが使っているシリーズは五十年以上前に発売されたようで、マイナーチェンジはされていると思うがかなりのロングセラーだ。
(期間の絞り込みに使えるかもって思ったけど、これじゃあ参考にもならないな)
キッチンタイマーの音が鳴り響いた。
「時間になったら鍋の蓋を外して、追加の具材を入れながら10分煮込む……それで完成っと」
有村さんはまたキッチンタイマーを再設定して調理に戻る。
確認する必要がなくなったのか、レシピノートが閉じられていた。
表紙が表に見えて、僕は自分の間抜けさに気付く。むしろノートの方を先に調べるべきだった。
表紙の画像を撮影――シャッター音に反応して有村さんが顔を上げる。
「えーと、料理をしているとより一層絵になるなーって」
「恥ずかしい言葉は禁止って何度も言ってるのにー!」
「ごめん……あと許可なく撮ったのもごめんね」
「もうっ、佐藤くんだから許すんだからね!」
写真趣味設定がまだ生きていたので命拾いした。
ちらちらとこちらに視線を向けてくるので、調べ物は後回しにして僕の方も料理を仕上げてしまおう。
僕は中華鍋を引っ張り出して、鍋の様子を見る有村さんの隣に並んだ。
「うん、どうぞ」
レシピノートを受け取ってペラペラと捲っていく。
家庭料理やちょっとしたお菓子の作り方が載せられている。
どのページも特徴のある筆致で、有村さんの字とよく似ていた。いや、逆なのだろう。有村さんの字がこの筆者と似ているのだ。インクの滲み方から筆記に使ったのもボールペンではなくて万年筆かもしれない。
ロールキャベツ以外のページには曖昧な表記が見られた。手順もかなり簡略化されており、料理慣れしていない人にはまるで呪文だろう。
「お母さんも料理が得意だったんだね」
「ふふーっ、わたしの料理はママ直伝だよ!」
有村さんは自分が褒められたように嬉しそうだった。
「料理を教わってたんだ」
「病気のせいでほとんど時間は取れなかったけど、料理の基本は教われたの。本格的な料理は大きくなってからって言われてたけど……どんどん症状が重くなってもう台所に立てなかったから」
辛いことを思い出せてしまい申し訳ないが、やはり不可思議だ。
作り方を手取り足取り教えられなくても、レシピを教えればいい。現にレシピノートは残されていたのだから、それをどうして有村さんに伝えなかったのだろう。
「ごめんね、踏み込むつもりはなかったんだけど」
「こんな話をしたら気になるに決まってるから……あはは、ごめんね、ズルいやり方だったよね」
有村さんは話を打ち切って調理に取り掛かった。
僕を信頼して甘えたかっただけかもしれないのに傷付けてしまった。そんなつもりはなかったけれど――いや、言い訳はやめよう。鈍感のせいで気付けなかったとしても信頼への裏切りに違いはない。
「ごめん」
「大丈夫だよ――」
「――そうじゃなくて、踏み込ませてほしい」
呆然と見詰めてくる有村さんに笑い掛けた。
瞳がじわりと濡れていく。震える手が袖を小さく摘んできた。
「うぅぅぅぅ……」
言葉にできなくてもたくさんの感情が指先から伝わってくる。
既に亡くなってしまった実母との思い出の料理を作る。それは故人を偲ぶ儀式めいた側面もあるのだろう。他の誰でもなく僕と一緒に食べることを選んでくれた信頼は受け取るべきだった。
「思い出の味を一緒に食べられて嬉しいよ」
有村さんが目元を拭う。
空元気だけど、にっこりと笑ってくれた。
「うんっ、楽しみにしててね!」
今度こそ迷いなく調理を始められた。
レシピノートを開いてはいたが、ほとんど確認程度で手際良く進められていた。見付けてからこれまでに読み込んでいたのだろう。これなら調理速度を合わせたりしなくても問題なさそうだ。
僕の方は頭の中に入っているレシピ通りに作るだけなので、ほとんど手が勝手に動いてくれており、未だに頭の中で膨らみ続ける疑問と向き合えた。
調理中の僕が他のことを考えている余裕があるように、得意料理というものは細かくレシピにまとめる必要なんてない。
分量なんて適当だし手癖で作っている。
お菓子作りならグラム単位の差異で失敗になる恐れはあるが、それは家庭料理に求める精度ではない。
几帳面な性格なのかもしれないと思ったが、他のレシピを確認すれば曖昧な部分が残されており、違和感はより一層際立った。
(有村さんの好物だったから自分が死んだあとも家族が作れるようにと考えていたなら、それこそどうして伝えてない? どうして片付けで掘り出さなければ見付からないような場所に保管していた?)
誰にでも作れるようにしたレシピ。
誰にも伝わらない保管場所。
矛盾した二つを成り立たせる推論は浮かびはするけれど、真実だと断言するにはまだまだ情報が不足している。
「ロールキャベツのページだけ書き込みが多かったけど、随分と試行錯誤してたんだね」
「一人で味見をたくさんしてたのかなぁ」
「有村さんは試作品を食べてないの?」
「美味しくて味もずっと同じだったと思うけど……。最初に食べたのは幼稚園の頃で、すごく美味しかったら遠足のお弁当に入れたいってママに言ったのをよく覚えてるの。汁気があってこぼれたりするかもしれないからって止められちゃったけど」
「小さい頃のおかず選びって楽しかったよね」
「うんうん、今は作る側になって苦労も知れちゃったけどね。でもそのお陰で、ママのお弁当にはたくさん工夫がされてたんだなって……もっと嬉しくなった」
悲しみの伴う思い出だけど、少しだけ羨ましいと思ってしまった。
母親にお弁当を用意してもらった記憶なんてない。いつもお金を渡されて好きなものを買って来なさいと言われていた。好き勝手に食べ物を選べたけれど、やっぱりクラスメイトが手作りのお弁当を広げているのを見ると、好物だけを集めた筈の食事に虚しさを覚えてしまった。
美味しいものを食べさせてあげたい、好物をまた作ってあげたい――レシピノートは家族への愛情そのものだ。
「……そういえば、そのレシピも万年筆で書かれてるんだね」
「ママもよく使ってたよ。それでプレゼントに同じ万年筆をくれたんだと思う」
「同じ万年筆か……」
万年筆はちゃんとメンテナンスをすれば一生使い続けられるなんて話を聞いたことがある。有村さんのお母さんは、病気で先が長くない自分の代わりになんて考えていたのだろうか。
「佐藤くんもお揃いにする?」
「それはいいかもね。お値段を想像すると怖いけど」
「あははー……」
有村さんは気不味そうに頬を掻く。
これは本当にお値段が怖いやつだな。
言葉を交わしながらも、お互いに調理の手は止まっていなかった。
「わたしの方はこれから20分煮込むよ」
「分かった。それじゃあ煮込み時間に合わせて、僕の方はあと炒めて軽く煮るだけだから、ここで止めておこうかな」
キッチンタイマーに煮込み時間を設定して、後回しにしていた副菜に二人で協力して取り掛かる。残り物レシピのサラダやスープなので、分担してしまえば時間は掛からなかった。
「手持ち無沙汰になっちゃったね」
「それならさっきの話だけど、万年筆を見せてもらっていいかな」
「持ってきてるから現物をすぐに見せられるよ!」
有村さんは手提げ鞄に入れていた筆箱から万年筆を取り出した。今日も勉強道具一式を持ってきていたようだ。
「メーカー名はキャップのここだね」
スマホでメーカーの販売サイトを開く
商品ラインナップを調べると、すぐに同じ万年筆が見付かった。
気になるお値段は約三万円。買えないわけではないけど高校生には十分に高級品だ。
「言ってみただけで、無理はしないでいいからね?」
「う、うん」
持たせてもらったけど、値段を知った後だと手が震えてしまう。
「練習用にこういうのはどうかな?」
有村さんは数千円の値段帯からおすすめを幾つか紹介してくれた。長年使っていると、万年筆自体に愛着ができて布教したくなるのかもしれない。
「同じ万年筆……同じ?」
「本当に無理はしないでね!?」
「ああ、うん……」
考え事に気を取られて受け答えが上の空になってしまう。
僕がずっとレシピノートに感じている疑問を解決する手掛かりになるかもしれない。
メーカーサイトで発売日を調べる。有村さんが使っているシリーズは五十年以上前に発売されたようで、マイナーチェンジはされていると思うがかなりのロングセラーだ。
(期間の絞り込みに使えるかもって思ったけど、これじゃあ参考にもならないな)
キッチンタイマーの音が鳴り響いた。
「時間になったら鍋の蓋を外して、追加の具材を入れながら10分煮込む……それで完成っと」
有村さんはまたキッチンタイマーを再設定して調理に戻る。
確認する必要がなくなったのか、レシピノートが閉じられていた。
表紙が表に見えて、僕は自分の間抜けさに気付く。むしろノートの方を先に調べるべきだった。
表紙の画像を撮影――シャッター音に反応して有村さんが顔を上げる。
「えーと、料理をしているとより一層絵になるなーって」
「恥ずかしい言葉は禁止って何度も言ってるのにー!」
「ごめん……あと許可なく撮ったのもごめんね」
「もうっ、佐藤くんだから許すんだからね!」
写真趣味設定がまだ生きていたので命拾いした。
ちらちらとこちらに視線を向けてくるので、調べ物は後回しにして僕の方も料理を仕上げてしまおう。
僕は中華鍋を引っ張り出して、鍋の様子を見る有村さんの隣に並んだ。
応援ありがとうございます!
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