佐藤くんは覗きたい

喜多朱里

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化学準備室を覗きたい

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 ある日の昼休み、有村さんからメッセージが送られてきた。

『一緒にお昼を食べたいけど、いいかな?』
『お供致します』

 座席に座る有村さんが僕の方を向いて頬を緩める。

「伊藤先輩に用があるから、今日は先輩と食べてくるね」

 一緒に席を囲んでいた女子にそう告げると、有村さんが弁当箱を手に持って席を立った。
 僕は少し間を開けて教室を出る。
 廊下に有村さんの姿が見当たらないので、スマホを確認すると『特別棟二階で待ってて』と追加のメッセージが送られてきていた。
 言われたとおりに待ち合わせ場所で向かうと、有村さんが伊藤先輩を連れてやってきた。

「珍しく七江ちゃんからの頼み事だからね、もちろん叶えてみせるよ。それに私も佐藤くんとは話してみたかったしね」

 伊藤先輩が制服のポケットから鍵束を取り出すと指に通して回す。

「私の秘密基地にご招待ってね」

 先頭に立って歩く伊藤先輩と有村さんから少し離れて付いていく。

「ん……?」
「先輩、佐藤くんのことは気にしないでください」
「ああ、なるほどね」

 無関係を装う僕の意図に気付いてくれたようだ。
 有村さんと二人っきりでお昼を食べようとしていることに気付かれると、面倒事が必ず起きるだろう。荒谷の一件もあるのでこれ以上は刺激したくなかった。

 それならお昼の誘い自体を断ればいいと言われてしまうかもしれないが、普段の教室で有村さんがどれだけ神経を擦り減らしているのか知っているので、断った時の悲しみを想像するだけで胸を締め付けられて、とてもではないが突き放せなかった。
 僕は人でなしだけれど、別に感情を失っているわけではないのだ。できることなら気分良く生きていきたい。

 伊藤先輩が鍵を開けて入ったのは化学準備室だった。
 周囲の人目を確認してから僕も入室する。まさか日常的に忍ぶことになるとは思わなかった。

「ようこそ、われらが化学部へ」

 伊藤先輩は眼鏡のフレームをくいっと押し上げて不敵に笑った。

「先輩って部活もやってたんですね」
「これでも部長だよ、尊敬の念が湧いたかな? まぁ部活認定を受けるための最低限な活動しかしてないけどね。美化委員の仕事を頑張るのだって顧問の先生にお目溢しもらうためだしさ」
「わたしはずっと尊敬してますよー」
「もう! 可愛い後輩だな、七江ちゃんはー!」
「きゃぁぁ! どさぐさにまぎれてどこを触ってるんですか!?」
「おっぱい」
「そうですけど! やめてくださいって意味ですー!」

 有村さんが伊藤先輩の魔の手から逃れようと抵抗すればするほど、揉みしだかれる胸がダイナミックに揺れまくった。

「素直な後輩の生意気バディめ、このこのー!」
「ひゃあぁぁ! や、やめてぇっ!」

 百合の間に挟まるのは万死に値する大罪ではあるが、流石に有村さんが可哀想なので止めることにした。

「……伊藤先輩、そんなことしてたらもっとわがままに成長するのでは?」
「まだ成長の余地がある、だと!?!?」
「ああ、その時点で既に大ダメージなんですね」

 すっかり意気消沈した伊藤先輩が、ふらふらと部屋の奥へと歩いていく。

「こっちにおいでー」

 棚の向こう側から手招きだけが見える。

「切り替え早いな」
「いつもあんな感じだよ」
「楽しそうだね」
「うんっ」

 化学準備室の最奥は棚とホワイトボードで区切られていた。そのスペースがどうやら化学部の部室のようだ。
 教室で使っている机と椅子のセットが五つ向かい合う形で並べられている。
 伊藤先輩は一つだけ飛び出したお誕生日席に座っていた。机の上には紙で手作りした安っぽいネームプレートがセロテープで留められており、仰々しい字体で『部長』と書かれていた。

「景観さえ無視すれば良い場所でしょ」
「ダイエット向きかもしれませんね」

 薬品はともかく虫の標本や爬虫類のホルマリン漬けは食欲減衰にはうってつけかもしれない。

「良いこと言うね、佐藤くん。まぁ私はもう慣れちゃって盛り盛り食べられるから関係ないんだけど」

 僕と有村さんは標本棚が背中側になる席に座った。

「七江ちゃんから誰にも邪魔されないでお昼を食べられる場所はありませんかーって頼られて、こうして紹介したわけだけどね……ごめんね、二人っきりになりたかったと思うけど、私も佐藤くんが気になってたから」
「……気になってた」

 有村さんから落ち着きがなくなる。

「不安にならなくても大丈夫、愛しの佐藤くんを奪ったりしないから」
「愛しのっ」
「あれ……? 前は軽く流してたのに……えっ、そんなに二人の関係って進んでたの!?」

 伊藤先輩が有村さんと僕を交互に見ると、鍵束を残して席を立ち上がった。

「あちゃー、ごめんね! 本当に野暮だったわ! それじゃあ後は若いお二人でどうぞごゆっくり――」
「ち、ちちち違いますっ! 先輩の勘違いですー!」

 有村さんが背中にしがみついて伊藤先輩を止める。

「そうなの?」
「僕のことを有村さんからどう聞いているかは分かりませんけど、特に変わったことはありませんよ」

 いや、ありまくったけど言えるわけもない。
 それに関係性と問われると、僕はなんと答えていいか分からなかった。

「七江ちゃんからは、色々とそれはもう熱烈に――むぐぐ! むぐー!」

 以前から伊藤先輩が自然と佐藤くんと呼ぶのは、これまでに有村さんから僕の話を聞いていたからのようだ。一体どんな話をしていたのか気になったが、伊藤先輩は有村さんに物理的に口止めされていた。

「窒息しそうになってるから止めたほうが」

 テンパった有村さんがぐるぐる目で伊藤先輩を振り回す。

「死人に口無しー!」
「むぐー!?!?」
「死体処理とか大変だよ」
「この部屋なら溶かすものとか揃いそうじゃないかな? 共犯者になろっか、佐藤くん」
「むぐぐー!?!?」
「もしもしポリスメン?」

 ようやく解放された伊藤先輩は、僕について語った内容を決して口外しないように宣誓させられていた。本当に何を話していたんだろうか。物凄く気になる。
 ふと視界に入った掛け時計を確認して、昼休みの時間は半分を切っていた。
 僕たちは当初の目的――昼食を思い出して慌てて手を付ける。

「前に聞いたけど、二人のその距離感とか雰囲気で恋人同士ではないらしいけど……どういう関係?」
「なんでしょうね?」
「いやいや、質問者に答えを求められても」

 一番近い形はセフレ……? 事故以外で肌に触れたこともないけど、覗き覗かれ変態的な趣味に興じているので、性欲解消目的を含む関係という意味では正しい。でもそれだけで割り切れるほどドライな繋がりではない。
 性癖仲間と呼ぶと、流石に変態の側面が強調され過ぎてしまう。
 立場と性癖の理解者という意味で同士と呼ぶのが相応しいだろうか。

「分からないけど、世間の枠組みであんまり考えたくないなと思ってます」

 有村さんの回答は、僕の考えと一致していた。

「ふーん、そっかー。自分たちの認識はそれでいいんじゃない。でもさ、周りにどう思わせるかも重要だと思うよ。嫌でなければ、周囲には付き合っていることで通せばいいじゃん」
「付き合ってる……僕と有村さんが」
「わたしと佐藤くんが」

 想像できずにきょとんしてしまうが、有村さんは顔を赤くしていた。

「いや、もう付き合っちゃえよ!」

 伊藤先輩のツッコミが炸裂した。
 やはり恋人同士と言われると、何か違う気がする。そんなに清い繋がりではないし、言語化できないのだがしっくりこない。

「七江ちゃんは佐藤くんが他の人と付き合うことになったら嫌でしょう?」
「……頑張って祝福しますっ!」
「本当かなー?」
「ううっ、もやもやはします」
「だろうね」

 伊藤先輩が僕の方に箸を突き付けてきた。お行儀は悪いけど、妙にポーズが様になっていた。

「佐藤くんだって、七江ちゃんが他の男子と付き合うことになったら辛いんじゃない?」
「まあその時はその時かなと」
「うぅぅ……」

 有村さんが僕の冷めた回答に瞳を潤ませる。

「七江ちゃんだよ? このおっぱいの誘惑に耐えられるとか千年に一人の逸材だわ」
「ひゃんっ! な、流れで揉まないでください!」
「それとも男色? 佐藤くん、私そういうの嫌いじゃないから!」
「不意打ちで自分の趣味を出さないでください」

「とにかく、うーん……きみってすごいわ」
「褒めてます?」
「全力で罵ってる」
「ですよね」

 伊藤先輩は警戒して胸をガードする有村さんを抱き寄せた。

「七江ちゃん、こんな人でなしはやめとこう?」
「でも、わたしは佐藤くんじゃないと……ええと、その……」

 そんなDV野郎を見るような白い目を向けられても困る。

「分かった。分からないけど分かったことにする。もう七江ちゃんからバンバンに既成事実を作っちゃおう。外堀を埋めれば勝ちだから。恋人同士になるかどうかじゃなくて、見られるかどうかを考えよう。まずはそうだね、その堅苦しい苗字呼びをやめようか」
「……佐藤くんの名前」

 誰にも名前で呼ばれてないのでピンと来ないのだろうか。学校には他にも佐藤はたくさん居るけれど、2年A組には僕だけなので、教師も僕を呼ぶ時は『2年A組の佐藤』としか呼ばない。
 今更ながらフルネームを名乗ると、有村さんの顔が曇った。

「あの、その……もちろん知ってたけど、パパの再婚相手と同じ名前で……その人のこと、わたしは名前でさん付けしてるから……」

 まさかのところで名前が被っていた。確かに僕の名前は男女どちらでも使えるので、そういうこともあるだろう。

「今まで通りでいいと思うよ」
「その代わりたっぷりと親しみを込めて呼ぶからね、佐藤くんっ!」

 とびっきりの笑顔だった。
 少しでも喜んでもらえるなら、名前呼びしてもいいかもしれない。

「七江さん」
「はうわっ!?」
「うん、有村さんって呼ぶことにする」
「そうしてくれると助かるかも。教室とかで呼ばれたら緊張しちゃう」

 有村さんが心臓の辺りを押さえて悶えていた。
 目立つので人前で呼ぶつもりは無かったけれど、それは言わないでおこう。

「その代わり、僕も親しみを込めるよ」
「うんっ」

 黙っていた伊藤先輩が勢い良く立ち上がった。握り締めた拳がわなわなと震えている。

「やっぱり付き合っちゃえよ! 見せ付けやがってからにー!」

 僕たちは平謝りしながら、伊藤先輩を頑張って宥めた。
 簡単には割り切れない関係と隠し事が合わさったせいで、傍から見たら不自然に見えてしまう自覚はある。
 それでもやっぱり、僕と有村さんの関係は世間の言葉で表現したくない――そんなわがままな気持ちがあった。
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