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名を刻む儀式
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一真が泊まり込むようになってから、休日の朝が賑やかしい。
そろそろ自宅へ戻るよう促してやらなければいけない。しかし、俺の問題は未解決のままな上、期末試験も直に始まるからと、一真は帰る気配すら見せない。
それどころか、やたらと母親と意気投合し、このまま住み着くのでは危機感を覚えるほどだ。
「美鈴さんは今日もいらっしゃるのよね? おやつはクッキーで良かったかしら」
母親の瞳は、朝食を終えたばかりだというのに、黒地に大きな花柄のエプロンをしてキッチンに立つ。
「ええ、クッキーを用意しておくと約束してしまいましたので。いつも細やかな気配り、感謝いたします」
キッチンカウンターの前に立つ一真は、にこやかにそう答える。どうやら勝手に美鈴とおやつの約束までしたらしいと初めて知る。
「いいのよ。白夜が女の子を連れてくるなんて初めてだもの。呼結では美人姉妹の姉として有名なお嬢様だそうね。とても優秀な生徒だと校長先生もおっしゃっていたわ。白夜には申し分ない方ね」
「それは自信を持って。白夜様とはうまくいって欲しいと願うばかりです」
「まあ、まだお付き合いしていないの? 健全でいいけれど、白夜もあまり気を持たせてばかりではダメよ?」
母親は一方的に勘違いし、そのままおせっかいを焼く。一真と波長が合うのは、こういうところが似ているからだろう。
「……ただの友人だよ」
リビングチェアに腰掛けたまま足を組み、俺は不満げに答える。
友人だと答えてみたものの、美鈴の方は友人ですらないと思っていそうだ。クラスメイトでもないし、いったい俺は美鈴になんだと思われているのだろう。
「あらそう? そう思ってるのは白夜だけかもしれないわよねー? ねぇ、一真さん。選り好みしていると、いつか運命を逃すわよねー」
「おっしゃる通りです」
一真は力強くうなずいて、激しく同意する。
「放っておいてくれよ。クッキーも焼かなくていい。どうせ美鈴は来ないさ。恥をかかせたからな」
クッキーを作るつもりだろう。冷蔵庫から材料を取り出す母親に、そう声をかける。半分は一真への当てつけだ。
美鈴と安哉の痴話喧嘩に似た色恋沙汰に首を突っ込んだのは一真だ。あのまま放っておいてもよかった。美鈴はどちらにしろ泣いたかもしれないが、安哉が優しくなぐさめただろう。そうやって二人の距離が縮まっていくこともあっただろう。
それは俺の想いとは関係のない話で、美鈴が納得するなら、安哉の行為は無慈悲というほどのことでもなかっただろう。
「何かあったの? 白夜。美鈴さんのような可愛らしい方は本人の意思とは無関係に苦労されることもあるでしょうし、白夜が支えてあげないと」
母親は心配げに眉をひそめる。母親の言い分もわからないでもない。美鈴は安哉以外の男にだって言い寄られることもあるだろう。しかしそれだって、俺が関わる問題ではなくて。
「……だから」
いい加減、誤解したまま話を進めるのはやめてくれと歯ぎしりしたくなる俺を、一真が遮る。
「本当にそうですね。美しい花は罪なものです。自らのために美しく咲いているつもりでも、ひとたび近づけば、惹き寄せられて惑わされてしまう。おば様も大層なご苦労をされたのでしょうね」
「あら、私は堀内さんがいてくれたから、ずっと幸せよ」
一真は母親を持ち上げる。気を良くして、母親も満更でもない笑顔を見せる。飽き飽きする光景だが、毎日のように一真が褒めそやすから、母親はすっかりその気だ。
「羨ましい。確か学生の頃に見初められたとか」
「よく知ってるわねー。そうなの。中学の卒業式の時よ、堀内さんにプロポーズされたの。結婚前提でお付き合いしてください、なんて古風な告白をされて驚いたわ。それでも誠実な方と思ったの」
「白夜様の誠実さはおじ様に似て、白夜様の優しさはおば様に似ていらっしゃるのですねー」
しみじみと一真はうなずく。
「まあまあ嬉しい。一真さんは白夜のことよく理解してくれて。いつまでも白夜の側にいてくださいね」
「側にいるもいないも一真の人生だ。そうやって押し付けるのはどうかと思う。さあ、一真、部屋に戻るぞ。午後は出かける準備をしておけ」
母親と父親の馴れ初めを聞くのは落ち着かない。横槍を入れると、母親は非難めいた目を俺に向ける。
「そんなこと言って、一真さんに無理を言ってるのは白夜の方じゃないの」
「いいんですよ。それより白夜様、午後はどちらへ? 美鈴様はいらっしゃるかと思いますが」
一真がさらりと話題をさらう。
「例え来たとしても、いなければ帰るだろう。特に行くあてはないが、たまには出かけよう」
「行くあてがないなら、白夜、カフェへ行ってらっしゃいよ。新作のロールケーキをみなさんに楽しんでもらいたくて、お試し無料券をお配りしてるの。一真さんにチケット渡しておくわね」
妙案とばかりに、母親はめげることなく口をはさむ。
「ケーキ?」
「たまには食べに行ってくれてもいいでしょう? どんなケーキを提供しているのか知らないでは、時追の跡取りとして、それこそどうかと思うわ」
時追の跡取り、という言葉は俺を呪縛する。それを言われたら、何も否定できない。
「……仕方ない、行くよ。一真と二人か……」
小さなため息が出る。
「私はかまいませんよ、白夜様。その代わり、美鈴様には所在を知らせておいて下さい。連絡がないと不安なようですので」
「なんで俺が……」
俺はぶつぶつつぶやき、一真と同じように含み笑いする母親の視線を苦痛に感じながら、リビングを後にした。
一真が泊まり込むようになってから、休日の朝が賑やかしい。
そろそろ自宅へ戻るよう促してやらなければいけない。しかし、俺の問題は未解決のままな上、期末試験も直に始まるからと、一真は帰る気配すら見せない。
それどころか、やたらと母親と意気投合し、このまま住み着くのでは危機感を覚えるほどだ。
「美鈴さんは今日もいらっしゃるのよね? おやつはクッキーで良かったかしら」
母親の瞳は、朝食を終えたばかりだというのに、黒地に大きな花柄のエプロンをしてキッチンに立つ。
「ええ、クッキーを用意しておくと約束してしまいましたので。いつも細やかな気配り、感謝いたします」
キッチンカウンターの前に立つ一真は、にこやかにそう答える。どうやら勝手に美鈴とおやつの約束までしたらしいと初めて知る。
「いいのよ。白夜が女の子を連れてくるなんて初めてだもの。呼結では美人姉妹の姉として有名なお嬢様だそうね。とても優秀な生徒だと校長先生もおっしゃっていたわ。白夜には申し分ない方ね」
「それは自信を持って。白夜様とはうまくいって欲しいと願うばかりです」
「まあ、まだお付き合いしていないの? 健全でいいけれど、白夜もあまり気を持たせてばかりではダメよ?」
母親は一方的に勘違いし、そのままおせっかいを焼く。一真と波長が合うのは、こういうところが似ているからだろう。
「……ただの友人だよ」
リビングチェアに腰掛けたまま足を組み、俺は不満げに答える。
友人だと答えてみたものの、美鈴の方は友人ですらないと思っていそうだ。クラスメイトでもないし、いったい俺は美鈴になんだと思われているのだろう。
「あらそう? そう思ってるのは白夜だけかもしれないわよねー? ねぇ、一真さん。選り好みしていると、いつか運命を逃すわよねー」
「おっしゃる通りです」
一真は力強くうなずいて、激しく同意する。
「放っておいてくれよ。クッキーも焼かなくていい。どうせ美鈴は来ないさ。恥をかかせたからな」
クッキーを作るつもりだろう。冷蔵庫から材料を取り出す母親に、そう声をかける。半分は一真への当てつけだ。
美鈴と安哉の痴話喧嘩に似た色恋沙汰に首を突っ込んだのは一真だ。あのまま放っておいてもよかった。美鈴はどちらにしろ泣いたかもしれないが、安哉が優しくなぐさめただろう。そうやって二人の距離が縮まっていくこともあっただろう。
それは俺の想いとは関係のない話で、美鈴が納得するなら、安哉の行為は無慈悲というほどのことでもなかっただろう。
「何かあったの? 白夜。美鈴さんのような可愛らしい方は本人の意思とは無関係に苦労されることもあるでしょうし、白夜が支えてあげないと」
母親は心配げに眉をひそめる。母親の言い分もわからないでもない。美鈴は安哉以外の男にだって言い寄られることもあるだろう。しかしそれだって、俺が関わる問題ではなくて。
「……だから」
いい加減、誤解したまま話を進めるのはやめてくれと歯ぎしりしたくなる俺を、一真が遮る。
「本当にそうですね。美しい花は罪なものです。自らのために美しく咲いているつもりでも、ひとたび近づけば、惹き寄せられて惑わされてしまう。おば様も大層なご苦労をされたのでしょうね」
「あら、私は堀内さんがいてくれたから、ずっと幸せよ」
一真は母親を持ち上げる。気を良くして、母親も満更でもない笑顔を見せる。飽き飽きする光景だが、毎日のように一真が褒めそやすから、母親はすっかりその気だ。
「羨ましい。確か学生の頃に見初められたとか」
「よく知ってるわねー。そうなの。中学の卒業式の時よ、堀内さんにプロポーズされたの。結婚前提でお付き合いしてください、なんて古風な告白をされて驚いたわ。それでも誠実な方と思ったの」
「白夜様の誠実さはおじ様に似て、白夜様の優しさはおば様に似ていらっしゃるのですねー」
しみじみと一真はうなずく。
「まあまあ嬉しい。一真さんは白夜のことよく理解してくれて。いつまでも白夜の側にいてくださいね」
「側にいるもいないも一真の人生だ。そうやって押し付けるのはどうかと思う。さあ、一真、部屋に戻るぞ。午後は出かける準備をしておけ」
母親と父親の馴れ初めを聞くのは落ち着かない。横槍を入れると、母親は非難めいた目を俺に向ける。
「そんなこと言って、一真さんに無理を言ってるのは白夜の方じゃないの」
「いいんですよ。それより白夜様、午後はどちらへ? 美鈴様はいらっしゃるかと思いますが」
一真がさらりと話題をさらう。
「例え来たとしても、いなければ帰るだろう。特に行くあてはないが、たまには出かけよう」
「行くあてがないなら、白夜、カフェへ行ってらっしゃいよ。新作のロールケーキをみなさんに楽しんでもらいたくて、お試し無料券をお配りしてるの。一真さんにチケット渡しておくわね」
妙案とばかりに、母親はめげることなく口をはさむ。
「ケーキ?」
「たまには食べに行ってくれてもいいでしょう? どんなケーキを提供しているのか知らないでは、時追の跡取りとして、それこそどうかと思うわ」
時追の跡取り、という言葉は俺を呪縛する。それを言われたら、何も否定できない。
「……仕方ない、行くよ。一真と二人か……」
小さなため息が出る。
「私はかまいませんよ、白夜様。その代わり、美鈴様には所在を知らせておいて下さい。連絡がないと不安なようですので」
「なんで俺が……」
俺はぶつぶつつぶやき、一真と同じように含み笑いする母親の視線を苦痛に感じながら、リビングを後にした。
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