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第五話 死後に届けられる忘却の宝物

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 天目川から流れ込む生暖かい風が吹き抜けると、本格的な春の到来を感じる。

 庭に生えるつくしをかごに摘んで、縁側に腰かける。このところ、何もないことが特別に感じるほどの平和な日々が続いている。

 澄んだ青空を見上げたら、庭先の梅の木に止まっていたつがいのメジロが飛び立った。と同時に誠さんが縁側へ姿を見せたから、メジロが驚いて飛んでいったのだと気付いた。

「千鶴さん、これから八枝さんのお宅へ行きます。急ですが、準備してくれますか?」
「杉野さんのお宅に?」

 杉野八枝さんは御影家を何かと気遣ってくれる近所の婦人だった。

 八枝さんは白猫のマヨイくんを飼っていて、私の飼い猫であるミカンにもと、おすすめのエサやグッズなどをくれたりする。

 年末には毎年恒例で、夫婦そろってご挨拶にうかがうが、交流はひんぱんにあって、彼女を訪ねるのは珍しくないけれど。

「先週もうかがったばかりですけど、何かあるんですか?」
「ええ、会わせたい人がいるそうです」
「会わせたい人? どんな方でしょうか」
「それは、あちらへうかがってからのお楽しみです」

 柔らかくほおを崩す誠さんを見れば、私にとってうれしい出来事なのだろうと推測できる。

 それ以前に、誠さんは私を不安に陥れたりしない。彼と過ごす日々は、今日の気候のように、穏やかでほんのり温かいものだった。

 私はすぐに出かける準備を整えて玄関へ向かった。少し笑ってしまう。どこで聞きつけたのか、黒猫のミカンがドアの前にちょこんと座っている。

「ミカンも行くの?」

 もちろん、というように、ミカンは胸を張る。そして、あごをあげ、ハーネスをつけてほしいとばかりに首輪を見せつけてくる。

 ミカンはマヨイくんが大好きだ。マヨイくんもミカンを見つけると、凛としたたたずまいを崩さないまま、うれしそうにゆるりとしっぽを振ってくれる。相思相愛は明白だった。

 ミカンの前にかがんでハーネスをつけていると、誠さんが玄関にやってくる。

「春樹にも声をかけましたが、留守番してるそうです。ふたりで行きましょうか」
「そう言えば、春樹さんは杉野さんのお宅には行かれたことないですね」
「照れくさいのでしょう」

 照れくさい?

 どういう意味だろう。首をかしげるが、誠さんはそのまま下駄を履いて玄関を出ていく。

 仕事で出かけるとき以外は着物を着ている彼が望むから、私も着物で過ごしている。新調したばかりの下駄を履き、誠さんに続く。

 カランコロンと音を響かせて、ゆるやかな坂道をのぼる。もう何度となく歩いた坂道。ミカンも勝手知ったる庭のように、気取って先頭を歩く。

「天目にも、ようやく春が来ましたね。何かいいことがありそうな予感がします」

 誠さんは春の風を受けながら、目を細めてそう言う。

「誠さんがそうおっしゃるなんて珍しいですね」

 どちらかというと彼は現実的で、第六感をあてにするなんて、とおかしくもある。憑依体質の非凡な私とは対照的な彼が、なぜ気味悪がらずに私と付き合ってくれているのかと、いまだに不思議に思っている。

「千鶴さんのおかげで、天目もにぎやかになりました」
「私の?」

 どういう意味だろう。さっきからどこか含みのある言い方をする。そう考えているうちに、八枝さんのお宅に到着した。
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