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第三話 誠さんは奔放な恋がお好き
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「へえ、この旅館、ひと部屋なのに二つに部屋が分かれてるんだぁ。もちろん俺はこっちの部屋だよな」
部屋に到着するなり、入り口に近い部屋に荷物を置いた春樹さんは、すぐに窓辺に移動して、ガラス戸の奥を覗き込むように見下ろす。
誠さんは私たちの荷物を奥の部屋へ運び込む。
バスルームやトイレは共同のようだが、奥の部屋は内側から鍵がかかるようになっていて、生活時間帯の違うファミリーでもゆっくり就寝できる仕様となっているようだった。
「千鶴ちゃん、こっちにおいでよ。綺麗な雪景色が見えるぜ」
手招きされて春樹さんに駆け寄る。眼下に広がるのは和風庭園の雪景色。わあ、とまで歓喜の声が出ないでいると、春樹さんは笑う。
「綺麗だけど、家にいるのと変わらないよなー」
「あ、そんなことありません。お食事も美味しいと評判だそうですし、メインは温泉ですから」
「千鶴ちゃんは優しいなぁ。なぁ、部屋にいてもつまんないしさ、外に行ってみようぜ」
あいかわらず強引に、春樹さんは私を誘う。
「誠さんに言わないと」
そう言ってみるが、春樹さんは奥の部屋にいる誠さんに、「ちょっと千鶴ちゃん借りるよっ!」と声をかけると、彼が姿を見せる前に私の手を引いた。
「春樹さんっ、誠さんに叱られます」
ロビーから外に飛び出した途端に歩調をゆるめた春樹さんは、渡り廊下の奥にある和風カフェを指さす。
「あそこでコーヒーでも飲もうぜ。すぐに兄貴も来るさ」
「でしたら一緒に来たらいいのに」
「それじゃあ、千鶴ちゃんとふたりきりになれないだろ? 兄貴ばっかり美味しい思いするのは、それなりに複雑なんだ」
ちょっとばかり春樹さんは拗ねてみせる。子どもみたいな表情を見せるから、なかなか突き放せない。それは私だけでなく誠さんもだろう。
「夫婦ですからいつも一緒にいるのは普通のことです。それを美味しい思いなんていうのはちょっと違うと思います」
「そうじゃなくてさ、ミカンが俺の部屋で寝るときは、やっぱりちょっと気になるだろ?」
「……」
かあぁっとほおが赤らむ。
私が何も言えないでいると、彼は気まずそうに鼻の頭をかいて、まあ、そういうこと、なんてごまかす。
「いいなぁ、兄貴は」
「……私たちは夫婦ですから当然のことで」
「当然かぁ。妬けるなぁ」
ちぇっ、と軽く舌打ちした春樹さんは、革ジャンのポケットに手を突っ込んだまま、和風カフェへ向かっていく。
すぐに後を追う私に、「千鶴さんっ」と息を弾ませる誠さんが足早に追いかけてくる。
「あ、誠さんっ。カフェでコーヒーを飲みましょうって春樹さんが」
「ああ、そうですか。こんな雪の中、出かけていくのかと心配しましたよ」
誠さんは強張った表情をゆるめると、安堵の息を吐いた。
宿泊客の利用するカフェは満席に近いぐらい混雑していたが、春樹さんはすでに窓際の席に座っていた。
誠さんと共に店内を進むと、たまたま窓際の席が空いていたと喜ぶ春樹さんが「眺めがいいぜ」とご機嫌に手を振る。
少し声が大きかったのだろうか。春樹さんの後ろの席にいる若い女性が何気に振り返る。
女性は3人いた。二十代半ばぐらいだろう。彼女たちの視線は目立つ金髪の春樹さんに向けられたが、すぐに誠さんに集まる。
私たちが席に着くと、彼女たちは何やらこそこそ話し出す。それは好意的なもののようで、誠さんが彼女たちを見やると、きゃっ、という悲鳴も上がった。
どうやら彼女たちにとって、誠さんの方が魅力的なようだ。
「兄貴はずるいよなぁ。何にもしてなくてもモテるんだからさぁ」
「千鶴さん、何にしますか? この辺りは栗が名産だそうですよ」
ぶつぶつ言う春樹さんを相手にしない誠さんは、メニュー表を私の前に広げてくれる。
「何、栗がうまいの? じゃあ俺はモンブラン」
ひょいっとメニュー表をのぞいた春樹さんが早々に答える。
「モンブラン、美味しそうですね。私は和栗のロールケーキにします。誠さんは?」
「俺はコーヒーだけでいいですから」
そう言うと、すぐに誠さんは店員を呼び、注文を終える。
メニュー表を閉じた彼の視線がふと、春樹さんの後ろにいる女性たちに向けられる。
彼女たちは「こんな雪の中出かけたら遭難してもおかしくないよねー」などと話をしている。
誠さんの興味を引いたものはなんだろう、と思っていると、女性のひとりが言う。
「遭難で思い出したんだけどさー、大学の時に裏山で事故に遭って死んだ子いたじゃん? あの子の元カレ、結婚するらしいよー」
「へえー、そうなんだー。でもさ、遊ばれてる感じだったよねー。あんなことがなくても別れてたでしょ」
ストレートロングの茶髪の女性に対し、ショート髪の女性が興味なさげに言う。
「そうそう。万智子、遊んでた遊んでた。顔がタイプだって騒いでたの覚えてるもん。彼氏の名前、なんて言ったけ?」
ショート髪の女性に同調したのは、黒髪のボブ髪の女性だった。
「あー、万智子! 井上万智子。よく覚えてたね、5年も前のこと」
「サークル一緒だったからねー。彼氏はサークル違ったんだよねー」
盛り上がるふたりに対し、ストレートロング髪の女性が言う。
「彼氏は諏訪啓司だよ。真面目だけが取り柄みたいなやつだったから遊ばれてるなんて思ってなかっただろうし、結婚はしないと思ってたけど違ったね」
「まあ、お互い、本気じゃなかったんじゃない? 万智子が死んで、元カレもなんとなく気まずくての5年じゃない?」
ボブ髪の女性がそう言うと、残りのふたりは納得したのか、すぐに目の前のケーキの話題へと会話は移っていった。
同時に誠さんの視線が私の方へ戻ってくる。なんとなく申し訳なさそうな表情をしている。
「どうされたんですか?」
問うと、誠さんはますます眉を下げる。
「雪景色がとても綺麗なところなので、千鶴さんにも見てもらいたくてここへ来たのですが、あまりよくない話を聞いてしまいましたね」
「そんなこと」
気にしないでください、と首を振ると、ケーキを待ちわびるように首を伸ばしていた春樹さんも笑い、小声で言う。
「そこらじゅうで誰か死んでるからなー。あんな険しそうな山で人が死んでない方が不思議だぜ」
「へえ、この旅館、ひと部屋なのに二つに部屋が分かれてるんだぁ。もちろん俺はこっちの部屋だよな」
部屋に到着するなり、入り口に近い部屋に荷物を置いた春樹さんは、すぐに窓辺に移動して、ガラス戸の奥を覗き込むように見下ろす。
誠さんは私たちの荷物を奥の部屋へ運び込む。
バスルームやトイレは共同のようだが、奥の部屋は内側から鍵がかかるようになっていて、生活時間帯の違うファミリーでもゆっくり就寝できる仕様となっているようだった。
「千鶴ちゃん、こっちにおいでよ。綺麗な雪景色が見えるぜ」
手招きされて春樹さんに駆け寄る。眼下に広がるのは和風庭園の雪景色。わあ、とまで歓喜の声が出ないでいると、春樹さんは笑う。
「綺麗だけど、家にいるのと変わらないよなー」
「あ、そんなことありません。お食事も美味しいと評判だそうですし、メインは温泉ですから」
「千鶴ちゃんは優しいなぁ。なぁ、部屋にいてもつまんないしさ、外に行ってみようぜ」
あいかわらず強引に、春樹さんは私を誘う。
「誠さんに言わないと」
そう言ってみるが、春樹さんは奥の部屋にいる誠さんに、「ちょっと千鶴ちゃん借りるよっ!」と声をかけると、彼が姿を見せる前に私の手を引いた。
「春樹さんっ、誠さんに叱られます」
ロビーから外に飛び出した途端に歩調をゆるめた春樹さんは、渡り廊下の奥にある和風カフェを指さす。
「あそこでコーヒーでも飲もうぜ。すぐに兄貴も来るさ」
「でしたら一緒に来たらいいのに」
「それじゃあ、千鶴ちゃんとふたりきりになれないだろ? 兄貴ばっかり美味しい思いするのは、それなりに複雑なんだ」
ちょっとばかり春樹さんは拗ねてみせる。子どもみたいな表情を見せるから、なかなか突き放せない。それは私だけでなく誠さんもだろう。
「夫婦ですからいつも一緒にいるのは普通のことです。それを美味しい思いなんていうのはちょっと違うと思います」
「そうじゃなくてさ、ミカンが俺の部屋で寝るときは、やっぱりちょっと気になるだろ?」
「……」
かあぁっとほおが赤らむ。
私が何も言えないでいると、彼は気まずそうに鼻の頭をかいて、まあ、そういうこと、なんてごまかす。
「いいなぁ、兄貴は」
「……私たちは夫婦ですから当然のことで」
「当然かぁ。妬けるなぁ」
ちぇっ、と軽く舌打ちした春樹さんは、革ジャンのポケットに手を突っ込んだまま、和風カフェへ向かっていく。
すぐに後を追う私に、「千鶴さんっ」と息を弾ませる誠さんが足早に追いかけてくる。
「あ、誠さんっ。カフェでコーヒーを飲みましょうって春樹さんが」
「ああ、そうですか。こんな雪の中、出かけていくのかと心配しましたよ」
誠さんは強張った表情をゆるめると、安堵の息を吐いた。
宿泊客の利用するカフェは満席に近いぐらい混雑していたが、春樹さんはすでに窓際の席に座っていた。
誠さんと共に店内を進むと、たまたま窓際の席が空いていたと喜ぶ春樹さんが「眺めがいいぜ」とご機嫌に手を振る。
少し声が大きかったのだろうか。春樹さんの後ろの席にいる若い女性が何気に振り返る。
女性は3人いた。二十代半ばぐらいだろう。彼女たちの視線は目立つ金髪の春樹さんに向けられたが、すぐに誠さんに集まる。
私たちが席に着くと、彼女たちは何やらこそこそ話し出す。それは好意的なもののようで、誠さんが彼女たちを見やると、きゃっ、という悲鳴も上がった。
どうやら彼女たちにとって、誠さんの方が魅力的なようだ。
「兄貴はずるいよなぁ。何にもしてなくてもモテるんだからさぁ」
「千鶴さん、何にしますか? この辺りは栗が名産だそうですよ」
ぶつぶつ言う春樹さんを相手にしない誠さんは、メニュー表を私の前に広げてくれる。
「何、栗がうまいの? じゃあ俺はモンブラン」
ひょいっとメニュー表をのぞいた春樹さんが早々に答える。
「モンブラン、美味しそうですね。私は和栗のロールケーキにします。誠さんは?」
「俺はコーヒーだけでいいですから」
そう言うと、すぐに誠さんは店員を呼び、注文を終える。
メニュー表を閉じた彼の視線がふと、春樹さんの後ろにいる女性たちに向けられる。
彼女たちは「こんな雪の中出かけたら遭難してもおかしくないよねー」などと話をしている。
誠さんの興味を引いたものはなんだろう、と思っていると、女性のひとりが言う。
「遭難で思い出したんだけどさー、大学の時に裏山で事故に遭って死んだ子いたじゃん? あの子の元カレ、結婚するらしいよー」
「へえー、そうなんだー。でもさ、遊ばれてる感じだったよねー。あんなことがなくても別れてたでしょ」
ストレートロングの茶髪の女性に対し、ショート髪の女性が興味なさげに言う。
「そうそう。万智子、遊んでた遊んでた。顔がタイプだって騒いでたの覚えてるもん。彼氏の名前、なんて言ったけ?」
ショート髪の女性に同調したのは、黒髪のボブ髪の女性だった。
「あー、万智子! 井上万智子。よく覚えてたね、5年も前のこと」
「サークル一緒だったからねー。彼氏はサークル違ったんだよねー」
盛り上がるふたりに対し、ストレートロング髪の女性が言う。
「彼氏は諏訪啓司だよ。真面目だけが取り柄みたいなやつだったから遊ばれてるなんて思ってなかっただろうし、結婚はしないと思ってたけど違ったね」
「まあ、お互い、本気じゃなかったんじゃない? 万智子が死んで、元カレもなんとなく気まずくての5年じゃない?」
ボブ髪の女性がそう言うと、残りのふたりは納得したのか、すぐに目の前のケーキの話題へと会話は移っていった。
同時に誠さんの視線が私の方へ戻ってくる。なんとなく申し訳なさそうな表情をしている。
「どうされたんですか?」
問うと、誠さんはますます眉を下げる。
「雪景色がとても綺麗なところなので、千鶴さんにも見てもらいたくてここへ来たのですが、あまりよくない話を聞いてしまいましたね」
「そんなこと」
気にしないでください、と首を振ると、ケーキを待ちわびるように首を伸ばしていた春樹さんも笑い、小声で言う。
「そこらじゅうで誰か死んでるからなー。あんな険しそうな山で人が死んでない方が不思議だぜ」
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