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第三話 誠さんは奔放な恋がお好き
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御影探偵事務所のある天目を離れるのは初めてのことだった。
二泊三日の旅行は急に決まった。誠さんが新婚旅行にも出かけていないからと、忙しい仕事の合間に時間を作ってくれてのこと。
2月の雪深い山々が車窓に広がる特急列車が運ぶのは私と誠さん、そして春樹さん。
黒猫のミカンは、いつもお世話になっている杉野さんちでお留守番。さみしいだろうと心配したけれど、杉野さんちの白猫のマヨイくんにぞっこんの彼女は、むしろ私たちの不在を喜んでいるようでもあった。
「普段山に住んでるのに、旅行先も山かよ」
「嫌なら来なくてもよかったんだぞ」
「やだね。千鶴ちゃんと温泉旅行できるチャンスだっていうのになんで留守番だよ」
退屈して口の悪くなる春樹さんを、誠さんはあきれ顔で見つめる。
春樹さんは誠さんの弟で、ひどくマイペース。私のことは気に入ってくれているようだけれど、同い年の義姉としての扱いを受けたことはない。
新婚旅行に出かけると誠さんが話した途端に、俺も行く!とわがままを言って彼を困らせた。彼は弟に甘く優しいから、私に謝罪して旅館の部屋を変えてもらったのだ。
それなのにさっきから春樹さんは、はやく着かないかなぁ、とまるで子どものように車窓の風景を眺めている。
「それにしても千鶴ちゃんの洋服姿って可愛いよなぁ。着物なんて兄貴の趣味なんだろ? 毎日ワンピース着てたらいいのにさぁ」
コート姿とはいえ、じろじろと眺められたら落ち着かなくなる。
そんな恥じ入る姿も春樹さんにとっては遊興でしかないのか、うっとりと流し目で見つめてくるから、助けを求めるように誠さんを見上げてしまう。
「悪気はないですから」
申し訳なさそうにする誠さんだが、「あんまり千鶴さんを困らせるな」と春樹さんを叱咤する。
「いいだろー、別に。困ってる千鶴ちゃんも可愛いんだからさぁ」
まるで駄々をこねる春樹さんにあきれる。これが日常といえば日常だけれど、困り顔で誠さんと目を合わせたとき、目的地が近いことを知らせるアナウンスが電車内に流れてきた。
雪華駅はその名の通り、樹々の上に華のように降り積もった雪が美しい、幻想的な銀世界の広がる駅だった。
「わぁ、すげぇなぁ。曲が書けそうだぜ」
電車を降りるなり、自称ミュージシャンの春樹さんは興奮気味に辺りを見回す。
「おい、春樹。荷物を持ちなさい」
高校生の頃に両親が離婚し、小学生だった春樹さんを育ててきた誠さんは、まるで父親のよう。
「あー、わかってるよ。兄貴は細かいなぁ」
金髪をくしゃくしゃっとかき乱した春樹さんは、自分の荷物を肩にかけると、もう片方の肩に私の荷物も引っ掛ける。
誠さんと結婚したとはいえ、彼の生家で暮らすのは私なのに、居候だからさ、というのが彼の口癖で、時折こうして私を甘やかす。
「千鶴さん、足元に気をつけてくださいね」
ブーツを履く私の足元を見下ろして忠告した誠さんは、手袋の上から手を繋いでくれる。
「兄貴ー、旅館ってそこに見えるやつだろ? 先行ってるぜー」
駅前の旅館を指さす春樹さんは、せわしなく雪の中を進んでいく。
「せっかくの旅行でしたのにすみません。やはりついてくるなときつく言うべきでした」
賑やかしい春樹さんの背中が見えなくなると、誠さんがため息まじりにそう言う。
「いいえ、大丈夫です。春樹さんはわざとあんな風に振る舞って楽しませてくれているだけですから」
「わざと、ですか。まあいいでしょう。そうしておきますか。でもいけませんよ、春樹に露天風呂へ誘われても一緒に行っては」
「あ、さっき誘われました。露天風呂と言っても混浴ではないでしょう?」
「ええ、貸切です」
余裕そうに微笑む誠さんをぽかんと眺めるが、その意味に気づいたらようやく声が出る。
「えっ、貸切?」
「春樹には大浴場へ行くように言ってください。俺たちは貸切で」
「は、は、はい。行かれるときは声をかけてください……」
寒いのにほおだけは異常に熱くなる私に、誠さんは意地悪く言う。
「千鶴さんから誘ってくれてもいいんですよ」
御影探偵事務所のある天目を離れるのは初めてのことだった。
二泊三日の旅行は急に決まった。誠さんが新婚旅行にも出かけていないからと、忙しい仕事の合間に時間を作ってくれてのこと。
2月の雪深い山々が車窓に広がる特急列車が運ぶのは私と誠さん、そして春樹さん。
黒猫のミカンは、いつもお世話になっている杉野さんちでお留守番。さみしいだろうと心配したけれど、杉野さんちの白猫のマヨイくんにぞっこんの彼女は、むしろ私たちの不在を喜んでいるようでもあった。
「普段山に住んでるのに、旅行先も山かよ」
「嫌なら来なくてもよかったんだぞ」
「やだね。千鶴ちゃんと温泉旅行できるチャンスだっていうのになんで留守番だよ」
退屈して口の悪くなる春樹さんを、誠さんはあきれ顔で見つめる。
春樹さんは誠さんの弟で、ひどくマイペース。私のことは気に入ってくれているようだけれど、同い年の義姉としての扱いを受けたことはない。
新婚旅行に出かけると誠さんが話した途端に、俺も行く!とわがままを言って彼を困らせた。彼は弟に甘く優しいから、私に謝罪して旅館の部屋を変えてもらったのだ。
それなのにさっきから春樹さんは、はやく着かないかなぁ、とまるで子どものように車窓の風景を眺めている。
「それにしても千鶴ちゃんの洋服姿って可愛いよなぁ。着物なんて兄貴の趣味なんだろ? 毎日ワンピース着てたらいいのにさぁ」
コート姿とはいえ、じろじろと眺められたら落ち着かなくなる。
そんな恥じ入る姿も春樹さんにとっては遊興でしかないのか、うっとりと流し目で見つめてくるから、助けを求めるように誠さんを見上げてしまう。
「悪気はないですから」
申し訳なさそうにする誠さんだが、「あんまり千鶴さんを困らせるな」と春樹さんを叱咤する。
「いいだろー、別に。困ってる千鶴ちゃんも可愛いんだからさぁ」
まるで駄々をこねる春樹さんにあきれる。これが日常といえば日常だけれど、困り顔で誠さんと目を合わせたとき、目的地が近いことを知らせるアナウンスが電車内に流れてきた。
雪華駅はその名の通り、樹々の上に華のように降り積もった雪が美しい、幻想的な銀世界の広がる駅だった。
「わぁ、すげぇなぁ。曲が書けそうだぜ」
電車を降りるなり、自称ミュージシャンの春樹さんは興奮気味に辺りを見回す。
「おい、春樹。荷物を持ちなさい」
高校生の頃に両親が離婚し、小学生だった春樹さんを育ててきた誠さんは、まるで父親のよう。
「あー、わかってるよ。兄貴は細かいなぁ」
金髪をくしゃくしゃっとかき乱した春樹さんは、自分の荷物を肩にかけると、もう片方の肩に私の荷物も引っ掛ける。
誠さんと結婚したとはいえ、彼の生家で暮らすのは私なのに、居候だからさ、というのが彼の口癖で、時折こうして私を甘やかす。
「千鶴さん、足元に気をつけてくださいね」
ブーツを履く私の足元を見下ろして忠告した誠さんは、手袋の上から手を繋いでくれる。
「兄貴ー、旅館ってそこに見えるやつだろ? 先行ってるぜー」
駅前の旅館を指さす春樹さんは、せわしなく雪の中を進んでいく。
「せっかくの旅行でしたのにすみません。やはりついてくるなときつく言うべきでした」
賑やかしい春樹さんの背中が見えなくなると、誠さんがため息まじりにそう言う。
「いいえ、大丈夫です。春樹さんはわざとあんな風に振る舞って楽しませてくれているだけですから」
「わざと、ですか。まあいいでしょう。そうしておきますか。でもいけませんよ、春樹に露天風呂へ誘われても一緒に行っては」
「あ、さっき誘われました。露天風呂と言っても混浴ではないでしょう?」
「ええ、貸切です」
余裕そうに微笑む誠さんをぽかんと眺めるが、その意味に気づいたらようやく声が出る。
「えっ、貸切?」
「春樹には大浴場へ行くように言ってください。俺たちは貸切で」
「は、は、はい。行かれるときは声をかけてください……」
寒いのにほおだけは異常に熱くなる私に、誠さんは意地悪く言う。
「千鶴さんから誘ってくれてもいいんですよ」
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