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第二話 御影家には秘密がありました

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 来客を出迎える準備を終えた御影探偵事務所には、着物姿の誠さんが神妙な面もちで腕を組んで座っている。

「誠さん、それでは私、お庭の掃除をしてきます」

 そう声をかけると、誠さんのまぶたがゆっくり持ち上がる。

「いえ、千鶴さん、ここにいてください」
「お仕事のおじゃまにならないのでしたら」
「大切なことですから」

 誠さんに促されて、彼の隣へ正座する。
 向かい側にも座布団を二枚用意した。どなたが見えるのかとは、あえて聞かなかった。

 程なくして、御影探偵事務所のチャイムが鳴った。姿を見せたのは藤沢彰人さんだった。
 同席を求められたのだから夏乃さん絡みだろうと予感はしていたが、彰人さんとともに姿を見せた女性を見た瞬間、心臓が跳ね上がるほど驚いていた。

 華奢な体つきだけれど、決して弱々しくはない、利発な印象を与える女性。長く垂らした黒髪はつややかで、仕立ての良いブラウンのコートからは品の良さがうかがえる。まだ若い女性だが、歴史ある家系に生まれた責務を果たす女性だからだろうか、強くたくましい輝きが彼女にはあった。

「……池上秋帆さんです」

 彰人さんはおずおずと、後ろに控える女性を私たちに紹介した。

「はじめまして、池上秋帆と申します。あなたが御影探偵事務所の御影さんですか?」

 秋帆さんは名乗るなり、私と誠さんを交互に見やって、彼に視線を止めた。

「はい。ご無理を申し上げました。来てくださり、ありがとうございます」

 はたちの娘に誠さんは深々と頭をさげる。それでも奇妙だとは思わなかった。秋帆さんにはそれだけの気品と風格があり、誠さんが年齢によって態度を変える人ではないことを知っていたからだ。

「いえ。ですが、手短にお願いしますね」
「お忙しそうですね」

 誠さんは秋帆さんたちを事務所内に招き入れ、すぐに私は緑茶の用意をした。

「師走ですから何かと忙しくしています」

 淡々と答えた秋帆さんは、それで?というように、彰人さんへ視線を投げる。

「御影さん、俺たちに話したいことがあるって言ってましたね。夏乃お嬢様について、でしたか」

 誠さんがふたりを呼び出したようだが、ふたりとも呼ばれた理由を知らないようだった。それでも来訪したのは、夏乃さんのことと言われたら放っておけなかったのだろう。

「おふたりはすべてをご存知ですので単刀直入に言います。彰人さん、あなたは池上秋帆さんとお付き合いしていますね?」

 彰人さんは顔を強張らせたが、無表情の秋帆さんを確認すると、「まいったな……」と力なく笑った。

「まだ想い合っておられるんでしょう?」
「さあ、どうでしょう。俺は今でも好きだけど、秋帆は愛想を尽かしたんじゃないかな」

 目を伏せる彰人さんが心情を吐露しても、秋帆さんの表情は変わらなかった。

「御影さんには隠し事ができないようだから、秋帆も真実を話した方がいいよ」

 彰人さんが弱々しく言うと、秋帆さんは眉をあげ、誠さんをじっと見つめて言う。

「なぜそのことにお気づきになられたんですか? 私たちのことは誰にも知られないように、ずっとひた隠しにしてきたのに」
「立ち聞きです」

 誠さんがそう答えると、ひどくびっくりしたように秋帆さんは目を見開いた。

「最初に気づくべきでした。池上家の垣根の奥から言い争う声が聞こえました。そのときは驚くばかりでしたが、あのとき、確かに藤沢さんはあなたのことを『秋帆』と呼び捨てにされました。いつも夏乃さんのことも秋帆さんのことも、お嬢様とおっしゃっていた藤沢さんがです」
「お恥ずかしい話です。感情的になると、そんな簡単なことにも気づけないなんて」

 秋帆さんは後悔するようにため息をつく。

「こうして秋帆さんと向き合っていると、藤沢さんと話す『秋帆』が、一番あなたらしいと思います」
「わがままな娘でしょう?」

 秋帆さんはくすっと笑うが、彰人さんとのことは知られたくなかったのか、やはり苦しげに息をつく。

「それを知って、御影さんはどうしたいんですか?」

 彰人さんが不安そうに尋ねる。

「秋帆さんは藤沢さんとのことを誰にも知られないようにしてきたとおっしゃいましたが、池上のご主人は気づいてましたよね? それなのに、夏乃さんとの婚約話を持ちかけた。いいえ、命令です。夏乃さんとあなたを強引に婚約させてしまった」
「……まあ、そうです。俺は居候の身ですから、秋帆と恋仲になるなんて許されていません。まして旦那様の命令を拒める立場にはありませんでした」
「だから憎んでいましたか?」

 肩を落とす彰人さんの背筋が伸びる。信じられないことを聞いたとばかりに目が見開かれる。

「憎む? 旦那様を? それとも夏乃お嬢様を?」
「あるいはお二方とも」
「まさか」

 首を横にふる彰人さんを、不安そうに見つめる秋帆さんは彼の腕をぎゅっとつかむ。

「真実を話してくださいますね? 夏乃さんがなぜ命を落としたのか」
「それは自殺だと申し上げたでしょう」

 その言葉を聞いた瞬間、胸が苦しくなった。私は胸元を押さえ、テーブルに手をつく。震える指を立てたら、カタカタカタッとテーブルの上の湯のみが揺れる。

「大丈夫ですよ。夏乃さんは自殺なんかじゃありません。誰よりも強く生きたいと願っていた夏乃さんが自殺するはずはないんです」

 誠さんの大きな手が優しく私の背中をさする。そうされていると不思議と落ち着いていく。

「生きたいと願っていたなんて、どうしてわかるんですか」

 彰人さんは眉をひそめて、誠さんに寄りかかる私と、悠然と構える彼を見つめる。

「まるでそうじゃないことをご存知のようだ」
「……夏乃お嬢様の死因を調べてどうされるつもりですか」
「ご本人が知りたいと望んでいます」
「え……?」

 一瞬意味がわからないというように彰人さんはきょとんとしたが、次第に青ざめていく私と目を合わせるとハッと息を飲んだ。

「夏乃お嬢様……そんなはずは……」

 彰人さんは目をこする。

「どうして……、お嬢様が……」
「あなたにも見えるのでしたら、夏乃さんの苦しむ様子がわかるでしょう。話してあげてください。俺や妻にではなく、夏乃さんに」

 彰人……と、秋帆さんが彼の腕を揺する。
 秋帆さんにも見えているのだろう。私の中にいる夏乃さんが。

「彰人の罪は私の罪なんだから……、話してしまっていいのよ……」

 震える声で告白した秋帆さんを苦しげに見つめた彰人さんは、観念したようにこうべを垂れた。

「あのとき立ち聞きされていたならご存知でしょう。俺が夏乃お嬢様を殺したと小夜さんは今でも信じています。それはある意味、真実なんです……」

 そう言って、彰人さんは小さな息を落とした。

「夏乃お嬢様が突然帰ってきたのは一年前のことでした」

 彰人さんはそう切り出す。

「もともと旦那様とは折り合いが悪く、大学入学と同時に一人暮らしを始められ、一年前までは顔も見せることはありませんでした」
「なぜ夏乃さんは帰ってきたのでしょう?」
「……マヨイを。ああ、夏乃お嬢様の飼い猫でマヨイという白猫がいたんですが、そのマヨイを預かって欲しいという話だったと記憶しています」

 彰人さんの話に驚いて誠さんを見上げると彼はうなずいて、「続けてください」と彰人さんを促す。

「旦那様は猫があまりお好きではないので、夏乃お嬢様の気まぐれは相手にされていませんでした。ですから俺はその辺りの話はよく知りません」

 すみません、とこうべを垂れる彰人さんの横顔を見ていた秋帆さんが口を開く。

「マヨイのことでしたら私が存じています」
「えっ、秋帆は知ってるの?」
「それはそう。久しぶりに姉さまが帰ってきたんだもの。東京でどんな暮らしをしてるのか聞いたわ」

 秋帆さんは彰人さんに向かって言うと、今度は誠さんに視線を向ける。

「姉さまはご病気でした」
「やはりそうでしたか」

 秋帆さんはうなずく。

「一年前、電車の中で突然気を失ったそうです。すぐに病院にかかり、あまり長くはないことを知ったそうです」
「だからマヨイくんをここへ預けようとされた?」
「ええ。姉さまはやっぱりさみしかったんだと思います。さみしさを埋めるために飼い始めたマヨイでしたが、飼いきれないとわかり、ここへ連れてきたそうです」
「それなのに受け入れてもらえなかったんですね?」

 誠さんはそう言って、うな垂れるようにうなずく秋帆さんへ声をかける。

「夏乃さんはマヨイくんを天目神社へ捨てました。それはご存知ですか?」

 彼女はハッと顔を上げる。

「もちろん知っています。姉さまはひどく落ち込んでいましたから。どうしたの? と尋ねたら、マヨイを捨ててきた。誰か親切な方に拾ってもらいたいと言って泣いていました」
「マヨイくんはそのあと、どうしていたのでしょう」
「帰ってきました」

 秋帆さんはわずかに笑みを見せる。懐かしい思い出に浸るような笑みだった。

「帰ってきた?」
「はい。姉さまは泣いて喜んで、そのままマヨイを連れて東京へ戻りました。しかし……」
「またその半年後には、夏乃さんはマヨイくんを連れてここへ戻ってきた」
「そうです。今度は赤ちゃんができたから大学を中退してきたなんて驚くようなことを言って。お父さまはそれはもう激怒しました」

 夏乃さんのことで乱された池上家の平穏が手に取るようにわかる。

「それでマヨイくんは?」
「お母さまがこっそりと姉さまに内緒で捨てに行きました。でもそれは表向きで、お隣の杉野さんちへ逃したんです。お母さまは杉野さんと仲良くしていましたし。姉さまは知らないことですから悲しんでいましたが、姉さまの身体はもうボロボロで、それどころではなかったのも事実です」

 秋帆さんは、マヨイには申し訳ないことをした、とぽつりと後悔を口にする。

「マヨイくんは今でも杉野さんのお宅で元気にしていますよ」
「そう、ですか。それは良かったです」

 秋帆さんは胸に手をあて、安堵する。

「それでは話を戻しますが、夏乃さんは病気でお亡くなりになられた?」
「そこからは俺が話します」

 問う誠さんに、今度は彰人さんが話し始める。

「お腹が目立つようになっていた夏乃お嬢様はずっと外出を控えていましたが、ひと月前、急に東京へ行きたいと言い出しました」
「東京へ、ですか」
「すぐにぴんと来ましたよ。お腹の子の父親に会いに行くんだろうって。俺はやめるように言いましたが、夏乃お嬢様もなかなか気の強い方ですので、簡単には説得されませんでした」
「それで一緒に東京へ行かれたのですか?」
「まさか、行きませんよ。どうして夏乃お嬢様を捨てた男に会わなきゃいけないんです? 望んでないにしても、俺はお嬢様と結婚することは受け入れてました。愛情があるとかないとか、そういう話じゃないですが、気に入らないことでした」
「それはそうですね。失礼しました」

 誠さんが謝罪すると、彰人さんも熱くなったことを恥じるように後ろ頭をなでた。

「夏乃さんは東京へ行くのは諦めたんですね」
「いいえ、諦めませんでした。だからあの日、俺の目を盗んで屋敷を出ようとしたんです。ええ、すぐに気づきました。追いかけていって、行くなと言いました」
「それで夏乃さんは?」

 彰人さんはぎゅっと目を閉じる。

「夏乃お嬢様は先が長くないと知っていたからこそ、自らの子を産もうと思われていたようでした。でも真実は違います。ただ相手の男性を愛していた。それだけでした。死ぬ前に会いたい。お腹の子を諦めなければいけないなら、せめて愛する男に会いたいと泣きました」

 目がしらをつまんだ彰人さんは、深い息を吐き出して、ひざを無言で叩き続けた。後悔ばかりが彼を責め立てている。そんな憐れで悲しい姿だった。
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