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第二話 御影家には秘密がありました

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「ほんとうに、仲のいいこと。御影さんと千鶴ちゃんのようね」
「あんなにベタベタしていますか」

 庭先でじゃれつくミカンとマヨイくんを眺めながら小さく苦笑いすると、八枝さんはくすりと笑う。

「幸せそうでなによりね」
「ええ。千鶴さんがうちで働きたいとやってきた時はまさか結婚することになるとは思いませんでしたが」
「惹かれ合うものが最初からあったのでしょう。そうでなければ、あんなに可愛らしくて若い子を引き受けたりしないでしょうに」
「やましい気持ちは微塵もありませんでしたよ」

 千鶴さんの名誉のためとそう言えば、わかっているわと八枝さんは笑って、話をそらす。

「それはそうと、春樹くんの方はどう?」

 八枝さんが春樹のことを口にするなんて珍しい。気にしてはいたのだろうが、俺に直接尋ねるのは何年ぶりだろう。

「あいかわらずのマイペースです。千鶴さんがいてくれるので家にも頻繁に帰ってきますし、前よりも安心しています」
「そう。それは良かったわね。千鶴ちゃんのおかげね」

「ええ」と、俺は湯のみを手に取り、温かな緑茶を口にする。八枝さんと二人きりでのんびり話をするのも久しぶりだ。

 なぜ今日ここを訪れたのか、それすら忘れてしまいそうになるほど穏やかだ。それは八枝さんも感じていたのだろう。ふと、俺に尋ねる。

「ところで、今日は何をしにいらしたの?」

 俺は居住まいを正し、同様に神妙になる八枝さんと向き合う。

「実はマヨイくんのことなんですが」
「あら、マヨイ?」

 違う話だと思っていたのだろうか、八枝さんは拍子抜けしたように肩の力を抜く。

「はい。八枝さんのお話では、マヨイくんは半年前にここへ迷い込んだとか」
「ええ、そう。朝起きたらね、庭先にちょこんと座っていたのよ。あんまり綺麗な猫ちゃんだから飼い猫だろうとは思って池上さんに相談したんだけれどね、探しても飼い主は見つからないんじゃないかしらって言われて」
「池上さんに相談を?」
「池上さんの奥様ぐらいしか相談する人もいなくて。御影さんにお願いすれば良かったかしらね」

 ふふっと笑う八枝さんの雰囲気からすれば、マヨイくんのことはそれほど深刻なものではなかったのだろう。

「そのマヨイくんですが、どうやら一年前に夏乃さんの手によって天目神社へ捨てられたようなんです」
「まあ。そうなの? でもなぜ?」
「理由はわかりませんが、もともとマヨイくんは夏乃さんの飼い猫のようです。八枝さんのところへ姿を現わすまでの半年間、マヨイくんはどこにいたのでしょうか」

 八枝さんは首をかしげ、しばらく考え込む。しかしすぐに諦めたのか、首を振る。

「池上さんの奥様はマヨイのこと知らないとおっしゃっていたし、……そうねー、今思えば、私に飼うように仕向けていたかもしれないわね。ごめんなさいね、何もわからないわ」
「ではあと一つだけ。マヨイくんの名前は迷い子だから名付けたと言っていましたがそれは本当ですか?」
「ええ、そうよ。かわいい迷い子ね、って声をかけるたびに、あの子、振り返ってしっぽを振るの。だから」
「そうですか。ありがとうございます」

 名前を呼ばれたような気がして喜んだマヨイくんに、八枝さんが与えた名前は真実の名だった。
 偶然だったとはいえ、マヨイくんは幸運で、愛されていた猫だったのだろうと思う。

「きっと夏乃さんは感謝していますよ」
「そうだといいわね。もっとはやく気づいていたらお返しできていたのに。それは残念よ」
「池上さんの奥様が知らないと言ったのですから、夏乃さんは名乗りでなかったでしょう」
「そうねー。きっと真実はマヨイだけが知っているのね。私を選んでくれたのだとしたら嬉しいわね」

 疲れたのか、いつの間にかミカンとマヨイくんは陽の当たる縁側へやってきていた。毛布の上に乗って身を寄せ合って丸くなるのを見れば、マヨイくんは望んでここへ来たのかもしれないとさえ思える。

「では、今日はこれで」

 ひざを立てて立ち上がろうとすると、八枝さんは微妙な表情をして俺を見上げる。

「何か?」
「あ、いいえ。マヨイのことだけ聞きに来たのかしらと思って」
「と言いますと?」

 ふたたび座り直すと、八枝さんは急須を持ち上げ、おもむろに湯のみへ緑茶を足す。

「藤沢彰人さんのことを調べてるのかと思っていたわ」
「なぜそう思われましたか」
「彰人さんが千鶴ちゃんと何かあったようだから」

 遠慮がちに八枝さんは言うが、小さな村の出来事だ、うわさは尾ひれがついて、良くないものとして広がっているのかもしれない。

「それも池上さんの奥様から聞きましたか」

 微妙に表情を崩すから、肯定したようなものだ。

「ご心配するようなことは何もありませんが、千鶴さんには軽率なことをしないよう話しておきました」
「それならいいけれど、彰人さんには注意した方がいいわ。いろいろと噂のある方だから」

 その噂というのも、池上さんの奥様から聞いたことなのだろうが、八枝さんが珍しく忠告してくることには興味がわいた。

「どんな噂があるんですか?」

 八枝さんは気まずそうに口元を歪めるが、隠そうとはしなかった。

「池上さんにはね、三人お子さんが見えるのよ」
「三人? 夏乃さんと秋帆さん以外にもお子さんが?」
「ええ、池上さんにはね、春臣はるおみくんっていう、夏乃ちゃんたちのお兄さんがいたの」

 いたの、という言い方は引っかかる。

「春臣という方は今どこに?」
「亡くなってるわ。はたちの時にバイク事故を起こしてね。生きていれば彰人さんと同じ24歳よ」
「そんなことがありましたか」
「池上さんは特に秘密主義だから、御影さんが知らなくても仕方ないことよ。当時、春臣くんは東京の大学へ通っていて一人暮らししていたし」

 この小さな村で噂を立てないでいられるというのもすごいことだ。池上家は何かを隠すことに慣れている、そして長けているのかもしれない。

「そのことと、藤沢さんに何か関係があるんですか?」
「身代わりなのよ、彰人さんは」
「穏やかな言い方ではありませんね」
「少なくとも彰人さんはそう思っているんじゃないかしら。春臣くんが亡くなった後ここへ連れてこられて、自由のない生活をしているようだから」

 池上家の居候の藤沢彰人にはそんな事情があったのか。息子である春臣の身代わりではあるが、その扱いはとうてい息子のそれとは違う待遇だろう。

「池上さんを恨んでいますか」
「そこまではわからないけれど、快くは思ってないでしょう。小夜さんは彰人さんを認めていないと聞くし、それに……」

 八枝さんは躊躇するように言葉を濁す。

「そこまで話したんですから教えてください」
「ええ、そうね。御影さんに隠すことも、隠すつもりも何もないわ」

 そう言って、八枝さんはため息とともに吐き出す。

「池上さんのご主人はね、利発な秋帆ちゃんがとてもお気に入りなの。だからいずれは秋帆ちゃんに全財産の相続を考えてるみたい。それは夏乃ちゃんが生きていた頃からそうよ」
「それが真実だとすると、夏乃さんが秋帆さんを憎んでいたとしても、彰人さんが池上家を快く思う話ではないのでは?」
「ああ、いけない。言葉が足りなかったわね。彰人さんと夏乃ちゃんは婚約していたのよ。結婚しても財産が入らない。彰人さんは秋帆ちゃんと結婚するために夏乃ちゃんを殺したんじゃないか。そんな噂があるそうよ」

 閉ざされた池上家から聞こえてくる噂というのは、池上家の中でひそやかにささやかれる真実ではないか。

 八枝さんは苦々しくそう言って、俺と目を合わせると悲しげにまばたきをした。
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