14 / 84
第一話 甘い夫婦生活とはなりません
14
しおりを挟む
*
天目川の下流をさらに下ると、観光地然とした店舗の並ぶ小道へと出る。
昔は繁盛したのだろうが、今は店主の衰えと同じくするように古びた店構えが続く。
開店休業状態の店舗の前を通りがかった時、白髪の老女がひょいっと店先に現れた。
そして、老女は私たちを交互にゆっくり眺め見ると、「ほう」と息をつく。
「御影の坊と新妻の千鶴ちゃんかい」
老女は曲がった腰の後ろで両手を組み合わせ、春樹さんの前へ進み出る。そして、じっと彼を見上げる。
「千鶴ちゃんが結婚したのは、誠じゃなかったかねぇ?」
「俺のこと覚えてるんだ、ばあちゃん」
老女から見ると孫ほどの年齢の春樹さんは、少年のようにはしゃぐ。
小さな頃からの知り合いなのだろう。三年ぶりに戻ってきた我が家でも、春樹さんはすんなりと周囲に受け入れられている。
「春樹はやんちゃだったからねぇ。千鶴ちゃんのような美女には合わん」
「そんなこと言うなよー。こう見えても俺たち同い年なんだぜ。兄貴といるより楽しく過ごしてるよ」
老女は少しばかり細い目を見開く。
「ほー。千鶴ちゃんは春樹と結婚したんじゃったか。それなら納得するねぇ」
「やっぱり? 納得してもらえて嬉しいよ」
春樹さんはさっきからにやにやしている。
人をからかうことが好きなのだろう。
そんな彼の性格も見抜いているのか、気にとめる様子もなく老女はぼそっとこぼす。
「誠と一緒におった女は年上に見えたがねぇ。あれはあれで年相応なんじゃろ」
「兄貴、彼女がいるんだな」
春樹さんはさして驚いた様子も見せず、平然と答える。
「べっぴんな女子だったよ。ああ、今日は水曜日か。今夜もデートかねぇ」
老女は首をぐるりと回すと、肩が凝ってしょうがないねぇ、とぼやきながら店内へと戻っていった。
老女の背中が見えなくなると、春樹さんは途端に神妙な顔をする。
私だってそうだ。
心臓がバクバクと音を立て、ヒヤリと背筋が凍るような感覚に襲われた。
誠さんが浮気してるなんて、ほとんど信じてなかった。
知らず知らずのうちに春樹さんの腕をつかむ。
そんなことあるはずないって思いが満ちることで形成されてきた全身は、ピースが一つ抜け落ちて崩れていくように力が入らない。
「兄貴、クロかよ」
「……でもまだそうと決まったわけじゃ」
「少なくともばあちゃんが、俺と千鶴ちゃんが夫婦だって納得するぐらいには、兄貴とその女がお似合いだったってことだろ?」
往生際の悪い私をぴしゃりとたしなめる。
そもそも、私の夫が誰だったか忘れてしまうような老女の話だ。信用するに足る話ではないかもしれない。
そう、どこか希望を見出そうとしていると、いきなり私の腕をつかんだ春樹さんが走り出す。
立ち並ぶ店を過ぎると、駅が見えてくる。その向かいには神社がある。
突然のことに抵抗する間もなく、引きずられながら飛び込んだのは、神社の鳥居。
太い柱の影に身をひそめる春樹さんに気圧されて、わけもわからず私も彼に寄り添い息をひそめる。
「兄貴だ……」
かすれるような小声で言った春樹さんと柱の奥には、スーツを着て駅の改札口へ入っていく誠さんの姿があった。
天目神社前駅を出発した二両編成の電車は、一時間ほどで住吉駅に到着した。
すみやかに下車する誠さんについて、私と春樹さんは静かにあとを追う。
あたりを見回すこともなく、勝手知ったる駅とばかりに、誠さんはたくさんの出入口があるコンコースを迷いなく進んでいく。
3番出口のある通路を歩く彼についていく。
住吉駅のある町は、かつて両親と暮らしていた自宅のあった隣町である。
駅を出ると、繁華街と言える街並みが広がる。
おしゃれなカフェレストラン、若者に人気のブランドを扱う百貨店に、大型ショッピングセンター。
高校生の頃、母親と時折ショッピングに来たことはあるが、ほとんど踏み込んだことのない土地。
それでもさっきから胸が張り裂けそうなほどバクバクと音を立てるのは、この土地を私が嫌うからだ。
無意識にさけてきたのかもしれない。
私と両親を引き裂いたこの土地を。
三年前、両親は住吉駅前で車に轢かれて死んだ。
なぜあの日、両親は一緒にいたのか。
私が眠った後、母親は自宅を出て、なぜ住吉駅へ行ったのか。
そして___、私は空を仰ぐ。
両親が死んだ日も、水曜日だった。
そのことを今、私は思い出していた。
天目川の下流をさらに下ると、観光地然とした店舗の並ぶ小道へと出る。
昔は繁盛したのだろうが、今は店主の衰えと同じくするように古びた店構えが続く。
開店休業状態の店舗の前を通りがかった時、白髪の老女がひょいっと店先に現れた。
そして、老女は私たちを交互にゆっくり眺め見ると、「ほう」と息をつく。
「御影の坊と新妻の千鶴ちゃんかい」
老女は曲がった腰の後ろで両手を組み合わせ、春樹さんの前へ進み出る。そして、じっと彼を見上げる。
「千鶴ちゃんが結婚したのは、誠じゃなかったかねぇ?」
「俺のこと覚えてるんだ、ばあちゃん」
老女から見ると孫ほどの年齢の春樹さんは、少年のようにはしゃぐ。
小さな頃からの知り合いなのだろう。三年ぶりに戻ってきた我が家でも、春樹さんはすんなりと周囲に受け入れられている。
「春樹はやんちゃだったからねぇ。千鶴ちゃんのような美女には合わん」
「そんなこと言うなよー。こう見えても俺たち同い年なんだぜ。兄貴といるより楽しく過ごしてるよ」
老女は少しばかり細い目を見開く。
「ほー。千鶴ちゃんは春樹と結婚したんじゃったか。それなら納得するねぇ」
「やっぱり? 納得してもらえて嬉しいよ」
春樹さんはさっきからにやにやしている。
人をからかうことが好きなのだろう。
そんな彼の性格も見抜いているのか、気にとめる様子もなく老女はぼそっとこぼす。
「誠と一緒におった女は年上に見えたがねぇ。あれはあれで年相応なんじゃろ」
「兄貴、彼女がいるんだな」
春樹さんはさして驚いた様子も見せず、平然と答える。
「べっぴんな女子だったよ。ああ、今日は水曜日か。今夜もデートかねぇ」
老女は首をぐるりと回すと、肩が凝ってしょうがないねぇ、とぼやきながら店内へと戻っていった。
老女の背中が見えなくなると、春樹さんは途端に神妙な顔をする。
私だってそうだ。
心臓がバクバクと音を立て、ヒヤリと背筋が凍るような感覚に襲われた。
誠さんが浮気してるなんて、ほとんど信じてなかった。
知らず知らずのうちに春樹さんの腕をつかむ。
そんなことあるはずないって思いが満ちることで形成されてきた全身は、ピースが一つ抜け落ちて崩れていくように力が入らない。
「兄貴、クロかよ」
「……でもまだそうと決まったわけじゃ」
「少なくともばあちゃんが、俺と千鶴ちゃんが夫婦だって納得するぐらいには、兄貴とその女がお似合いだったってことだろ?」
往生際の悪い私をぴしゃりとたしなめる。
そもそも、私の夫が誰だったか忘れてしまうような老女の話だ。信用するに足る話ではないかもしれない。
そう、どこか希望を見出そうとしていると、いきなり私の腕をつかんだ春樹さんが走り出す。
立ち並ぶ店を過ぎると、駅が見えてくる。その向かいには神社がある。
突然のことに抵抗する間もなく、引きずられながら飛び込んだのは、神社の鳥居。
太い柱の影に身をひそめる春樹さんに気圧されて、わけもわからず私も彼に寄り添い息をひそめる。
「兄貴だ……」
かすれるような小声で言った春樹さんと柱の奥には、スーツを着て駅の改札口へ入っていく誠さんの姿があった。
天目神社前駅を出発した二両編成の電車は、一時間ほどで住吉駅に到着した。
すみやかに下車する誠さんについて、私と春樹さんは静かにあとを追う。
あたりを見回すこともなく、勝手知ったる駅とばかりに、誠さんはたくさんの出入口があるコンコースを迷いなく進んでいく。
3番出口のある通路を歩く彼についていく。
住吉駅のある町は、かつて両親と暮らしていた自宅のあった隣町である。
駅を出ると、繁華街と言える街並みが広がる。
おしゃれなカフェレストラン、若者に人気のブランドを扱う百貨店に、大型ショッピングセンター。
高校生の頃、母親と時折ショッピングに来たことはあるが、ほとんど踏み込んだことのない土地。
それでもさっきから胸が張り裂けそうなほどバクバクと音を立てるのは、この土地を私が嫌うからだ。
無意識にさけてきたのかもしれない。
私と両親を引き裂いたこの土地を。
三年前、両親は住吉駅前で車に轢かれて死んだ。
なぜあの日、両親は一緒にいたのか。
私が眠った後、母親は自宅を出て、なぜ住吉駅へ行ったのか。
そして___、私は空を仰ぐ。
両親が死んだ日も、水曜日だった。
そのことを今、私は思い出していた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
愛娘(JS5)とのエッチな習慣に俺の我慢は限界
レディX
恋愛
娘の美奈は(JS5)本当に可愛い。そしてファザコンだと思う。
毎朝毎晩のトイレに一緒に入り、
お風呂の後には乾燥肌の娘の体に保湿クリームを塗ってあげる。特にお尻とお股には念入りに。ここ最近はバックからお尻の肉を鷲掴みにしてお尻の穴もオマンコの穴もオシッコ穴も丸見えにして閉じたり開いたり。
そうしてたらお股からクチュクチュ水音がするようになってきた。
お風呂上がりのいい匂いと共にさっきしたばかりのオシッコの匂い、そこに別の濃厚な匂いが漂うようになってきている。
でも俺は娘にイタズラしまくってるくせに最後の一線だけは超えない事を自分に誓っていた。
でも大丈夫かなぁ。頑張れ、俺の理性。
【完結】Mにされた女はドS上司セックスに翻弄される
Lynx🐈⬛
恋愛
OLの小山内羽美は26歳の平凡な女だった。恋愛も多くはないが人並に経験を重ね、そろそろ落ち着きたいと思い始めた頃、支社から異動して来た森本律也と出会った。
律也は、支社での営業成績が良く、本社勤務に抜擢され係長として赴任して来た期待された逸材だった。そんな将来性のある律也を狙うOLは後を絶たない。羽美もその律也へ思いを寄せていたのだが………。
✱♡はHシーンです。
✱続編とは違いますが(主人公変わるので)、次回作にこの話のキャラ達を出す予定です。
✱これはシリーズ化してますが、他を読んでなくても分かる様には書いてあると思います。
下品な男に下品に調教される清楚だった図書委員の話
神谷 愛
恋愛
クラスで目立つこともない彼女。半ば押し付けれられる形でなった図書委員の仕事のなかで出会った体育教師に堕とされる話。
つまらない学校、つまらない日常の中の唯一のスパイスである体育教師に身も心も墜ちていくハートフルストーリー。ある時は図書室で、ある時は職員室で、様々な場所で繰り広げられる終わりのない蜜月の軌跡。
歪んだ愛と実らぬ恋の衝突
ノクターンノベルズにもある
☆とブックマークをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
【R18 大人女性向け】会社の飲み会帰りに年下イケメンにお持ち帰りされちゃいました
utsugi
恋愛
職場のイケメン後輩に飲み会帰りにお持ち帰りされちゃうお話です。
がっつりR18です。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。
【R18】隣のデスクの歳下後輩君にオカズに使われているらしいので、望み通りにシてあげました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向け33位、人気ランキング146位達成※隣のデスクに座る陰キャの歳下後輩君から、ある日私の卑猥なアイコラ画像を誤送信されてしまい!?彼にオカズに使われていると知り満更でもない私は彼を部屋に招き入れてお望み通りの行為をする事に…。強気な先輩ちゃん×弱気な後輩くん。でもエッチな下着を身に付けて恥ずかしくなった私は、彼に攻められてすっかり形成逆転されてしまう。
——全話ほぼ濡れ場で小難しいストーリーの設定などが無いのでストレス無く集中できます(はしがき・あとがきは含まない)
※完結直後のものです。
性欲の強すぎるヤクザに捕まった話
古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。
どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。
「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」
「たまには惣菜パンも悪くねぇ」
……嘘でしょ。
2019/11/4 33話+2話で本編完結
2021/1/15 書籍出版されました
2021/1/22 続き頑張ります
半分くらいR18な話なので予告はしません。
強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。
誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。
当然の事ながら、この話はフィクションです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる