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第一話 甘い夫婦生活とはなりません
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このところ、誠さんがよそよそしい。
包容力があってイケメンで、完璧に仕事をこなす彼が、気もそぞろな一面を見せるのは珍しい。
「私、何かしたのかしら……?」
記憶がないというのは不便なものだ。
誠さんの前で気を失った後の記憶が全くない。
ミカンに尋ねても返事が返ってくるわけでもないのに、思わずぽろりと言葉が転がり出た。
案の定、にゃーぁん、とミカンは鳴いて、額を足にすり付けてくるだけ。
「夜遅くまで出かけるようになって三回目ね。それも水曜日だけ」
ちょっとだけ愚痴をこぼしながら、お鍋の中をおたまでかき混ぜる。
今日はカレーだ。
帰りが遅くなるからしばらく水曜日はカレーでいい、と誠さんが言ったからだ。
それは同時に、私が毎週水曜日はひとりぼっちで夜ごはんを食べることになったということだった。
昔は母親とふたりでそうして過ごした。私が起きている時間に父親が帰ってくることはほとんどなかったからだ。
父親の記憶はあまりない。母親と歳も離れていたから、近所のお友達のお父さんとの付き合いもあまりなかった。
どんな父親だったんだろう。
今となっては知ることのできない父親のことだが、ふとそんなことを思った。
「千鶴さん、困ったことになりました」
キッチンに立つ私の背に、急に声がかけられた。
驚いて振り返ると、引き戸に手をかけてキッチンを覗く誠さんがいる。その表情には苦々しげな笑みが浮かぶ。
「どんなお困りごとですか?」
お鍋の火を止め、真っ白なエプロンで手をぬぐい、誠さんに向き合う。
ポーカーフェイスなことの多い誠さんにしては、困り顔も正直珍しい。このところ、本当に彼はどうかしてしまったみたいだ。
「いえね、急に帰ってくるなんて電話が今ありまして」
「帰るって、どなたがですか?」
誠さんは髪をくしゃりとつかみ、首をかしげる私を見て頼りなげに眉を下げる。
「千鶴さんには話していませんでしたが、俺には弟がいるんです」
「まあ……」
素直に驚く。かといって驚くだけだ。
それを知りたいと思うわけでもなかった私に、誠さんが申し訳なさそうにする必要もない。
「俺とは違って賑やかしい弟なので驚かれるかもしれませんが、今夜は申し訳ありません。弟とふたりで夕食を摂ってください」
「えっ!」
それには驚いてしまう。
確かに、誠さんしか暮らしていない一軒家に住み込みで働きたいと言ったのは私だが、男性とふたりきりで過ごすことに抵抗がないわけではない。
これまで幸せに暮らしてこれたのは、相手が誠さんだったからだ。
その誠さんの弟だからといって、無条件に受け入れるというのも違う気がした。
「弟は千鶴さんと同い年で、気のいいやつではありますから」
なんの慰めにもならないことを口にした誠さんは、用件は伝えたとばかりにキッチンを出ていく。
一方的に会話が終了し、ぽつんと取り残された私をなぐさめるかのように、ミカンがしっぽで足をなでてくる。
「ミカン、……誠さんは平気なのかしら」
初対面の若い青年とふたりきりで過ごすなんて。
間違いが起こってもかまわないと思ってるとしたら悲しい。
床にしゃがみ込み、心配そうに顔を覗き込んでくるミカンを抱きしめて、そっとため息をつく。
「誠さん、……本当にお仕事なのかしら」
このところ、誠さんがよそよそしい。
包容力があってイケメンで、完璧に仕事をこなす彼が、気もそぞろな一面を見せるのは珍しい。
「私、何かしたのかしら……?」
記憶がないというのは不便なものだ。
誠さんの前で気を失った後の記憶が全くない。
ミカンに尋ねても返事が返ってくるわけでもないのに、思わずぽろりと言葉が転がり出た。
案の定、にゃーぁん、とミカンは鳴いて、額を足にすり付けてくるだけ。
「夜遅くまで出かけるようになって三回目ね。それも水曜日だけ」
ちょっとだけ愚痴をこぼしながら、お鍋の中をおたまでかき混ぜる。
今日はカレーだ。
帰りが遅くなるからしばらく水曜日はカレーでいい、と誠さんが言ったからだ。
それは同時に、私が毎週水曜日はひとりぼっちで夜ごはんを食べることになったということだった。
昔は母親とふたりでそうして過ごした。私が起きている時間に父親が帰ってくることはほとんどなかったからだ。
父親の記憶はあまりない。母親と歳も離れていたから、近所のお友達のお父さんとの付き合いもあまりなかった。
どんな父親だったんだろう。
今となっては知ることのできない父親のことだが、ふとそんなことを思った。
「千鶴さん、困ったことになりました」
キッチンに立つ私の背に、急に声がかけられた。
驚いて振り返ると、引き戸に手をかけてキッチンを覗く誠さんがいる。その表情には苦々しげな笑みが浮かぶ。
「どんなお困りごとですか?」
お鍋の火を止め、真っ白なエプロンで手をぬぐい、誠さんに向き合う。
ポーカーフェイスなことの多い誠さんにしては、困り顔も正直珍しい。このところ、本当に彼はどうかしてしまったみたいだ。
「いえね、急に帰ってくるなんて電話が今ありまして」
「帰るって、どなたがですか?」
誠さんは髪をくしゃりとつかみ、首をかしげる私を見て頼りなげに眉を下げる。
「千鶴さんには話していませんでしたが、俺には弟がいるんです」
「まあ……」
素直に驚く。かといって驚くだけだ。
それを知りたいと思うわけでもなかった私に、誠さんが申し訳なさそうにする必要もない。
「俺とは違って賑やかしい弟なので驚かれるかもしれませんが、今夜は申し訳ありません。弟とふたりで夕食を摂ってください」
「えっ!」
それには驚いてしまう。
確かに、誠さんしか暮らしていない一軒家に住み込みで働きたいと言ったのは私だが、男性とふたりきりで過ごすことに抵抗がないわけではない。
これまで幸せに暮らしてこれたのは、相手が誠さんだったからだ。
その誠さんの弟だからといって、無条件に受け入れるというのも違う気がした。
「弟は千鶴さんと同い年で、気のいいやつではありますから」
なんの慰めにもならないことを口にした誠さんは、用件は伝えたとばかりにキッチンを出ていく。
一方的に会話が終了し、ぽつんと取り残された私をなぐさめるかのように、ミカンがしっぽで足をなでてくる。
「ミカン、……誠さんは平気なのかしら」
初対面の若い青年とふたりきりで過ごすなんて。
間違いが起こってもかまわないと思ってるとしたら悲しい。
床にしゃがみ込み、心配そうに顔を覗き込んでくるミカンを抱きしめて、そっとため息をつく。
「誠さん、……本当にお仕事なのかしら」
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