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第一話 甘い夫婦生活とはなりません

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羽村はむら幸枝さちえ、40歳」

 千鶴さんはそう答えた。
 俺は無言で申込書に女の名を書き込み、何か引っかかる思いを振りきれないまま、次の質問をした。

「ご主人のお名前とご年齢は?」
「羽村ゆたか、50歳」

 千鶴さんは短く答える。

「ご結婚されてどのぐらい?」
「20年になります」
「お子さんは?」
「結婚してすぐ子に恵まれ、18歳の娘がひとり」

 淡々と答える千鶴さんは、申込書にすらすらと書き込む俺の手を注視している。
 何を思うのか、次の質問をする前に、彼女は口を開く。

「主人も仕事熱心でした。毎日のように残業して、子育てに追われる私を振り返りもしなかった。はたから見れば幸せな家族でしたが、私の心はいつも虚しくて。仕事なんてしなくていい。一日でもいいから私と娘のことだけを考える日を持って欲しい。そんな風に願っていました」
「家族のために働いてくれている。そんな風に心を慰めることに疲れてしまわれた?」
「ええ、そう。主人が家族を顧みない虚しさで、自分を納得させるための理由ばかり……」
「ご主人の浮気を疑われたのはなぜ?」
「水曜日……」

 千鶴さんは苦しげにのどを詰まらせる。

「水曜日?」
「……はい。毎週水曜、必ず決まった時間に帰るようになりました。残業続きだった主人が決まった時間に帰るなんて初めてのことでした」

 それからも千鶴さんは俺の質問に何かをはぐらかす様子もなく淡々と答えていった。

 羽村豊は真面目一辺倒の努力家。50歳になるまで家族を顧みず仕事に打ち込んだ。そして何によってか、新しい女性と関係を持つようになった。
 真面目なだけに、のめり込んだらとことんなのだと、羽村幸枝と名乗った千鶴さんは苦々しげに笑った。

 幸枝は確かに豊を愛していた。
 だから死してのちも、夫の浮気に固執している。

 浮気の事実を知ったからと言ってどうにもならないのに、この地に幸枝を留めている理由は解決しなくてはならないような気がした。

 なぜなら、千鶴さんに憑依している幸枝の霊は……。

 俺はそれを確信しながら腰を上げ、千鶴さんの隣へひざを進めた。

「あなたは千鶴さんのお母さんですね? 羽村千鶴は、俺の妻のかつての名前です」
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