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株式会社フルタの工場に隣接する土地に、両親の暮らす二階建て住宅と、俺と涼也の住む平家住宅が建っている。
フルタ工場は俺の祖父が始めた町工場で、自動車部品の加工や組立を行っている。俺は父親の跡を継いでいるが、経営は厳しく、涼也は医療の道へと進んだ。
涼也の就職が決まったときには、これ以上ないぐらいの安堵と喜びがあった。
うれし泣きする俺がよほど不憫に見えたのか、涼也は再婚を考えてもいいんじゃないかと言ってきたが、工場と自宅を行き来する生活に出会いなどまったくないし、涼也の母親に与えられたトラウマからか、これといった再婚願望もなかった。
涼也は仕事を終えるとまっすぐ帰宅する。時々、職場の同僚と飲みに出かけているようだが、恋人がいる気配はない。
今夜も普段通り、涼也は夕食の時間に帰宅した。
実家から差し入れされた肉じゃがをほおばる彼は、スマートフォンで流行りの音楽を聴きながら身体を揺らしている。機嫌は良さそうだ。
「なあ、涼也。久子さん、覚えてるか?」
あぐらをかいたひざ下に隠した見合い写真に指先で触れながら、さりげなく切り出した。
「ん? なに、急に。久子さんって、市民病院の看護師さんだろ? 時々、うちに来ておしゃべりしてる」
「そう、その久子さん。今日もうちに来てさ」
「ふーん。ひまだよな、おのおばちゃんも」
ちらっと俺に視線を向けた涼也だが、すぐにスマートフォンを眺めて笑い出す。今度はアニメを見始めたようだ。
「なあ、涼也」
「ん? なに」
「久子さんなんだけどさ」
「なに」
うっとうしそうに顔をあげた涼也だったが、俺を見るなり、眉をひそめる。深刻そうな顔でもしてただろうか。彼はスマートフォンを閉じると、あぐらをかいて俺に向き合った。
「なんかあった?」
涼也はしっかりしている。俺よりも一家の長らしい。俺が困ってるときにはこうして、話を聞く姿勢を見せてくれる。
「実はな、久子さんが見合いしないかって言うんだ」
「はぁ? 見合いっ?」
涼也は俺と同様に驚いて、目を丸くした。
「だよな、驚くよな。でもさ、なかなかいいお嬢さんみたいなんだ」
「見たの? 相手」
「写真、久子さんから預かってる」
ひざ下に隠し持っていた写真をつかみ、ここぞとばかりにローテーブルの上に乗せる。
「へえ、なかなか美人じゃん」
写真を手に取り、まじまじと眺めた涼也はそう言う。なかなかの好印象みたいだ。
「俺も、いいんじゃないかと思う」
「父さんがいいなら、いいんじゃないか? 俺は反対しないよ。ちょっと若すぎん? とは思うけどさ」
「ん?」
若すぎる? 奈々子さんは年相応だし、どちらかというと落ち着いていて、年齢のわりにしっかりしてると言われるタイプだろう。
涼也は写真を戻すと、ふたたび、スマートフォンの電源を入れた。
「いくつ? その人」
ディスプレイを操作しながら、尋ねてくる。アニメの音が聞こえてくる頃、彼はうっすら笑いながら画面に集中し始める。
「24」
「ふーん。……あ? 24?」
涼也はびっくりして顔を上げると、引ったくるようにして写真を取り上げた。
「俺と同い年じゃん。同い年が母親かよ」
「は?」
母親っ?
「は? じゃねーよ。父さん、見合いするんだろ? 反対はしないけどさー、いくつ……18歳差か。それって、アリなん?」
「おまえ、なに勘違いしてるんだ。見合いするのは、涼也だよ」
焦って否定すると、涼也はあからさまに眉をひそめた。奈々子さんの写真にいい印象を受けたんじゃないかと、ますます焦る。
「はぁ? なんで俺」
「お相手にちょっと事情があってな、久子さんが涼也になら合うんじゃないかって言ってくれたんだ」
「まじかよー。無理無理、俺はだめ」
すぐに事態を飲み込んだ涼也は、両手を目の前で大げさに振る。
「だめか? 会うだけでも会ってくれないか」
「無理だって。そんなの断ればいいだろ」
「断るって言ってもなぁ。明日、会う約束してるんだ。今さら、連絡の取りようがない」
久子さんはいつもふらっと工場を訪ねてくるから、連絡先を知らない。何かあれば、市民病院まで出向けばいいと思って過ごしてきた。
実際、何かあるなんてことはなかったし、明日だって、涼也を約束の場所に連れていけばいいと、軽く考えていた。
「明日っ? 父さんが約束したんだから、父さんがなんとかしろよな」
目をむいて、涼也は抗議してくる。仕方ない反応かもしれないが、そんなに突き放してこなくてもと困惑する。
「なんとかって言ってもな」
「手違いとかなんとか、理由なんてどうにでもなるだろ。父さんが行って、ちゃんと断ってこいよ」
「お相手に失礼にならないか? 涼也は行けない理由でもあるのか? かわいらしいお嬢さんだし、いいご縁だと思う」
無理強いはしたくないが、今さら断れないし、会ってみるだけならいいだろうとも思う。
何より、写真から受ける奈々子さんの印象が、優しそうで穏やかそうで、とても良かった。
「まじ無理。俺、彼女いるし」
「へっ、彼女いるのかっ?」
思ってもない事実が出てきて、声が裏返ってしまった。
「ちょっと前から付き合ってる」
照れくさそうに涼也は髪をかく。意外だ。少しもそんな素振りは見せなかったのに。
「ちょっと前って?」
「んー、まだ一ヵ月ぐらいかな。だからさ、見合いなんて無理。いくら事情があるって言ってもさ、彼女にそんな話できるほど、長い付き合いじゃねーしさ」
「そ、そうだな。まあ、そりゃそうだ」
ぼう然とうなずく。
俺たちはどちらかというと、涼也の方が大人な、友だち親子だった。困りごとがあれば、涼也は相談に乗ってくれ、アドバイスまでくれる良き理解者だった。
それでも、俺にとってはまだ未熟な子どもだったのに、俺の知らないところで、またひとつ涼也は大人になっていた。その衝撃は大きかった。
「とにかく、父さんが行って謝ってこいよ。久子さんも察してくれるさ」
とどめを指すように一方的に言われ、俺はもうなすすべがなかった。
だいたい、なんでこんな話、父さんにしなきゃいけねぇーんだよ、と涼也はぶつぶつつぶやきながら、スマートフォンを握ると、気まずそうにリビングを出ていった。
株式会社フルタの工場に隣接する土地に、両親の暮らす二階建て住宅と、俺と涼也の住む平家住宅が建っている。
フルタ工場は俺の祖父が始めた町工場で、自動車部品の加工や組立を行っている。俺は父親の跡を継いでいるが、経営は厳しく、涼也は医療の道へと進んだ。
涼也の就職が決まったときには、これ以上ないぐらいの安堵と喜びがあった。
うれし泣きする俺がよほど不憫に見えたのか、涼也は再婚を考えてもいいんじゃないかと言ってきたが、工場と自宅を行き来する生活に出会いなどまったくないし、涼也の母親に与えられたトラウマからか、これといった再婚願望もなかった。
涼也は仕事を終えるとまっすぐ帰宅する。時々、職場の同僚と飲みに出かけているようだが、恋人がいる気配はない。
今夜も普段通り、涼也は夕食の時間に帰宅した。
実家から差し入れされた肉じゃがをほおばる彼は、スマートフォンで流行りの音楽を聴きながら身体を揺らしている。機嫌は良さそうだ。
「なあ、涼也。久子さん、覚えてるか?」
あぐらをかいたひざ下に隠した見合い写真に指先で触れながら、さりげなく切り出した。
「ん? なに、急に。久子さんって、市民病院の看護師さんだろ? 時々、うちに来ておしゃべりしてる」
「そう、その久子さん。今日もうちに来てさ」
「ふーん。ひまだよな、おのおばちゃんも」
ちらっと俺に視線を向けた涼也だが、すぐにスマートフォンを眺めて笑い出す。今度はアニメを見始めたようだ。
「なあ、涼也」
「ん? なに」
「久子さんなんだけどさ」
「なに」
うっとうしそうに顔をあげた涼也だったが、俺を見るなり、眉をひそめる。深刻そうな顔でもしてただろうか。彼はスマートフォンを閉じると、あぐらをかいて俺に向き合った。
「なんかあった?」
涼也はしっかりしている。俺よりも一家の長らしい。俺が困ってるときにはこうして、話を聞く姿勢を見せてくれる。
「実はな、久子さんが見合いしないかって言うんだ」
「はぁ? 見合いっ?」
涼也は俺と同様に驚いて、目を丸くした。
「だよな、驚くよな。でもさ、なかなかいいお嬢さんみたいなんだ」
「見たの? 相手」
「写真、久子さんから預かってる」
ひざ下に隠し持っていた写真をつかみ、ここぞとばかりにローテーブルの上に乗せる。
「へえ、なかなか美人じゃん」
写真を手に取り、まじまじと眺めた涼也はそう言う。なかなかの好印象みたいだ。
「俺も、いいんじゃないかと思う」
「父さんがいいなら、いいんじゃないか? 俺は反対しないよ。ちょっと若すぎん? とは思うけどさ」
「ん?」
若すぎる? 奈々子さんは年相応だし、どちらかというと落ち着いていて、年齢のわりにしっかりしてると言われるタイプだろう。
涼也は写真を戻すと、ふたたび、スマートフォンの電源を入れた。
「いくつ? その人」
ディスプレイを操作しながら、尋ねてくる。アニメの音が聞こえてくる頃、彼はうっすら笑いながら画面に集中し始める。
「24」
「ふーん。……あ? 24?」
涼也はびっくりして顔を上げると、引ったくるようにして写真を取り上げた。
「俺と同い年じゃん。同い年が母親かよ」
「は?」
母親っ?
「は? じゃねーよ。父さん、見合いするんだろ? 反対はしないけどさー、いくつ……18歳差か。それって、アリなん?」
「おまえ、なに勘違いしてるんだ。見合いするのは、涼也だよ」
焦って否定すると、涼也はあからさまに眉をひそめた。奈々子さんの写真にいい印象を受けたんじゃないかと、ますます焦る。
「はぁ? なんで俺」
「お相手にちょっと事情があってな、久子さんが涼也になら合うんじゃないかって言ってくれたんだ」
「まじかよー。無理無理、俺はだめ」
すぐに事態を飲み込んだ涼也は、両手を目の前で大げさに振る。
「だめか? 会うだけでも会ってくれないか」
「無理だって。そんなの断ればいいだろ」
「断るって言ってもなぁ。明日、会う約束してるんだ。今さら、連絡の取りようがない」
久子さんはいつもふらっと工場を訪ねてくるから、連絡先を知らない。何かあれば、市民病院まで出向けばいいと思って過ごしてきた。
実際、何かあるなんてことはなかったし、明日だって、涼也を約束の場所に連れていけばいいと、軽く考えていた。
「明日っ? 父さんが約束したんだから、父さんがなんとかしろよな」
目をむいて、涼也は抗議してくる。仕方ない反応かもしれないが、そんなに突き放してこなくてもと困惑する。
「なんとかって言ってもな」
「手違いとかなんとか、理由なんてどうにでもなるだろ。父さんが行って、ちゃんと断ってこいよ」
「お相手に失礼にならないか? 涼也は行けない理由でもあるのか? かわいらしいお嬢さんだし、いいご縁だと思う」
無理強いはしたくないが、今さら断れないし、会ってみるだけならいいだろうとも思う。
何より、写真から受ける奈々子さんの印象が、優しそうで穏やかそうで、とても良かった。
「まじ無理。俺、彼女いるし」
「へっ、彼女いるのかっ?」
思ってもない事実が出てきて、声が裏返ってしまった。
「ちょっと前から付き合ってる」
照れくさそうに涼也は髪をかく。意外だ。少しもそんな素振りは見せなかったのに。
「ちょっと前って?」
「んー、まだ一ヵ月ぐらいかな。だからさ、見合いなんて無理。いくら事情があるって言ってもさ、彼女にそんな話できるほど、長い付き合いじゃねーしさ」
「そ、そうだな。まあ、そりゃそうだ」
ぼう然とうなずく。
俺たちはどちらかというと、涼也の方が大人な、友だち親子だった。困りごとがあれば、涼也は相談に乗ってくれ、アドバイスまでくれる良き理解者だった。
それでも、俺にとってはまだ未熟な子どもだったのに、俺の知らないところで、またひとつ涼也は大人になっていた。その衝撃は大きかった。
「とにかく、父さんが行って謝ってこいよ。久子さんも察してくれるさ」
とどめを指すように一方的に言われ、俺はもうなすすべがなかった。
だいたい、なんでこんな話、父さんにしなきゃいけねぇーんだよ、と涼也はぶつぶつつぶやきながら、スマートフォンを握ると、気まずそうにリビングを出ていった。
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