嘘よりも真実よりも

水城ひさぎ

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嘘よりも真実よりも

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 アザレアホテル1705室のドアをノックすると、しばらくして内側からドアが開いた。

 もうどれくらいぶりだろう。変わらない総司さんが、私を見つけると穏やかにほほえむ。

 何も知らずに、何も知られずにいたら、彼と過ごす幸せな日々は、何事もなく続いただろうと思うと、ざわつく胸の高鳴りも、静まっていくみたい。

「入って」

 彼が道を開けるから、部屋の中へ足を踏み込む。

 夜景が見下ろせる、広々としたリビングルームが私を出迎える。スイートルームみたい。

 間接照明が照らす落ち着いた雰囲気のリビングに入り、大きなソファーへ案内されて、腰を下ろす。

 総司さんも触れ合えるほど近くに座って、そっと手を重ねてくる。

「仕事は落ち着いた?」

 私の嘘を信じてるみたい。総司さんはそう尋ねて、私のほおの上に指を滑らせる。

「……はい。ごめんなさい。本当は、もっとはやく連絡できたんですけれど」
「いいよ。こうやって会えたから、もういいんだよ」

 そう言って、彼は私の目をのぞき込み、ほおに触れさせていた手を後頭部に回して、そのまま顔を近づけてくる。

「ま、待って……」

 彼のほおに手を当てて、遠ざける。キスをしたら、伝えたい気持ちが言えなくなりそうだった。

「だめ?」
「……お話があって」
「キスの後では、いけない?」

 キスをねだる彼は、もう一度唇を近づけてくる。でも、いやいやするみたいに首をふると、困り顔で身を引いた。それでも離れがたそうに、肩に回した腕で、優しく抱き寄せてくる。

「大事な話って、なんだった?」

 総司さんの胸に身体を預け、まぶたを閉じる。優しい心音に心を癒されるのは、ほんの少しの間だけ。すぐに離れると、彼は頼りなく眉を下げて、私の手を握る。

「私、総司さんに嘘をついてるんです」

 不思議なぐらい穏やかな気持ちで、私はそう切り出す。彼もまた、驚いたりしないで、静かにうなずく。

「ずっと、最初から嘘をついてました。だから、謝りたいと思って」
「どんな嘘?」

 総司さんは優しく尋ねてくれる。

「私の、両親のことです。あの……私、富山……」
「うん、何?」

 言葉をつまらせる私をうながして、彼は私の髪をゆるりとなでる。彼にそうされると、落ち着く。

「私、富山みちるではないんです……。仁志さんも清貴さんも、兄ではなくて」
「そう。それで?」

 総司さんはやっぱり驚いたりしないで、うなずく。

「驚かないの?」
「知ってたからね、驚かない」
「知ってた……?」

 驚くのは、私の方だった。いつ、気づいたっていうのだろう。

「先日、富山清貴さんに会ったよ。全部聞いた。みちるのご両親のこと、全部」
「え……」
「先に誤解したのは俺で、言い出せないようにしたのも俺かもしれないね」
「……私、総司さんにつり合う女性に見られたかったの」

 父は人殺しで、母のいないみなしごだなんて、どうしたら言えただろう。豪華な箱の中で育っただけの、つまらない女だ、私は。

「みちるは、どうしたい?」

 彼はぐっと私の手を握りしめた。

 真実を知って、彼はどう思ったのだろう。怒ってる様子はないけれど、怒る気にもなれないほど失望しただろうか。

「父の起こした事故も聞きましたか?」
「聞いたよ。全部だ。全部聞いた」
「……そうなんですね。私と付き合ったこと、後悔しましたよね」
「みちる……」

 総司さんは途方にくれたみたいに私を見つめる。

「父の結婚相手の方は、父を人殺しだって言いました。愛し合って結婚したのに、そんな風に言わせてしまう父を腹立たしく感じました」

 淡々と言葉が出た。どこかに感情を置き忘れてきたみたいに。

「動揺しただけじゃないのかな。彼女も、彼を傷つける発言は後悔してるだろう」
「傷つけあってまで、私は一緒にいたいとは思いません」
「間違いは許されないって考えてる?」
「ずっと……ずっとついて回るんです。父は人殺しで、私は人殺しの娘です。死ぬまで、それを知られたくないって、おびえながら暮らすんです。どうして……どうして総司さんを好きになってしまったんだろうって……今は後悔ばかりです……」

 後悔してるのも、泣きたいのも、総司さんだろう。でも、泣いてるのは、私だった。

 涙でにじむ彼の表情が見えない。彼に何を言ってもらいたいのかもわからない。

「別れてほしいです」
「みちる……」
「総司さんを傷つける前に、別れたいんです」

 もう遅い。彼は真実を知って傷ついただろう。それなのに、今なら間に合うみたいな言い方をしてしまった。

「私はどうしたって、総司さんにつり合う女性になれないんです……」

 両手に顔をうずめて泣いた。

 嘘をついたって、真実を伝えたって、行き着く先は一緒だった。

 一点の曇りもない彼の人生を、私が汚すわけにはいかなかった。
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