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募る思い
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テレビをつけたら、いつものニュースはやってなくて、今日は日曜日だったと思い出した。
昨夜の出来事で、気もそぞろになっているのだろう。帰宅後、はやく眠ってしまいたかったのに、何も考えずに過ごすなんてできなくて、今の今まで、頭の中は総司さんのことでいっぱいだった。
「みちる、おはよう」
突然後ろから声がして、ビクッと肩を震わせる。ひどく驚いたように見えたのだろう、リビングに入ってきていた清貴さんが、おかしそうに笑っている。
「あっ、お、おはようございます」
「二日酔いは大丈夫?」
「はい。清貴さんも?」
「俺は案外、酔わないから」
清貴さんは得意げににやりと笑うと、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。
富山家の朝は自由だ。好きな時に起きて、好きなものを作って食べる。
買い物は任されているけれど、仁志さんはほとんど外食だし、清貴さんは私と生活スタイルが似ていて、私が食べるものを食べてくれる。今朝も、コーヒーとトースト、フルーツでじゅうぶんだろう。
「すぐにトースト焼きますね」
「ありがとう。なあ、みちる、パーティーはどうだった?」
「えっ、どうって?」
キッチンに入ると、食器棚の前に立っていた清貴さんが、コーヒーカップを手に私の目をのぞき込む。
「あわててるね。いい男でも見つかった?」
「そ、そんなことありません」
「そう? みちるを追いかけて会場を出ていく男がいたって、何人かから聞いたけど?」
「追いかけるだなんて……、少しだけ知った人がいただけです」
「へー、知った男が、あのパーティーにねぇ。誰だろう」
笑顔を貼り付けた清貴さんに見つめられたら、逃げられない。彼は昔から、彼の意に沿うよう私が動くまで、笑顔で見つめてくるのだ。
あれはもう、何十年と前の、私と清貴さんが同じ学習塾に通っていた時のこと。
清貴さんは運転手付きの車で塾に通っていたけれど、私は徒歩だった。いつかは富山家を出る私のために、贅沢を当たり前と思ってはいけないという富山夫妻の教育方針のためだった。
塾に行かせてもらえるだけでも嬉しかった私にとっては、清貴さんとの小さな差は、それこそ、ささいなことでしかなかった。
それでも、彼にとってはあわれみの対象だったのだろう。
彼はいつも、一つ目の角で、車を停めて私を待っていた。私が車に気づくと、後部座席のドアを開けさせ、笑顔を貼り付けたまま、私が乗り込むのを無言で待っていた。
彼は私に指図をしない。だけど、そうしなきゃいけないように操るのは得意だった。
兄妹のように育ったから、清貴さんが私に求めていることはなんとなくわかるし、実の妹を心配するように、私を気にかけてくれているのも知っている。
「金城さんという方です……」
小さな声で告白する。
言わない選択肢は与えられてなかった。
私が富山家に暮らす以上、かくしごとができるはずもなかった。
「金城? 金城って、あー、富山ビルに本社が入ってたな。あの、金城?」
「はい。金城マーケティングの専務だそうです。先日、仁志さんのスケジュール帳をお届けした時に困っていたら助けてくださいました」
「金城の専務ってことは、まあ、それなりの男だよな。みちるが美人だから目をつけたってとこだろう」
「金城さんとはそういうのではないんです」
「みちるがそう思ってるだけなんじゃないのか?」
他人の色恋沙汰が楽しいのか、清貴さんはにやにやする。
「金城さんと私とでは、全然つり合いません。ただご挨拶する程度の関係です」
「かたくなだなぁ。飯沼に何言われたか知らないけど、みちるは何も悪くないし、自信持っていい。好きな男に遠慮する必要ないよ」
飯沼さんが傷つけたから、私が恋愛に消極的だって、彼は思ってるみたい。
「飯沼さんは関係ないです。金城さんともわざわざお会いしたりしません」
「いい男に誘われたら、デートぐらいしてもいいんだよ」
「全部誤解ですっ」
「そんなに強く言わなくても」
あきれつつも、苦笑いする清貴さんは、コーヒーメーカーの前に移動する。いつの間にか出来上がっていたコーヒーをカップに入れ、テーブルに並べていく。
「朝からにぎやかだな。清貴、俺にもコーヒーを頼むよ」
「あ、兄さん、はやいな」
「仁志さん、おはようございます」
リビングに姿を見せた仁志さんに頭を下げる。遅くまで飲んでいたはずなのに、疲れた様子のない彼はいつもと変わらず、さわやかに微笑む。
「ああ、みちる。俺もトーストもらっていいかな」
「はい。先日、美味しそうな柿ジャムをいただいたので、仁志さんもよろしければ」
「それはいいね。そうしよう」
「すぐに焼きますね」
腕まくりする私から離れようとした仁志さんは、何か思い出したようにカウンターに近づく。
「みちる、来週の土曜日なんだけどね」
「土曜日ですか?」
食パンに包丁を入れる手を止めて、首を傾げる。
「そう、土曜日。予定ある?」
そう尋ねられて思い出すのは、総司さんのことだった。
来週の土曜日、昨日と同じ時間に同じ場所で、私を待ってると言っていた。
総司さんはひとめぼれしたと言ってくれた。私はまだ彼のことを何も知らなくて、会いたいような気もすると思ったけれど、首を横にふる。
「……ないです」
総司さんは会ってはいけない人だった。
好きになっても、すぐに忘れなきゃいけなくなる人だから、恋愛対象にしたらいけなかった。
「じゃあ、レストランで食事しないか? たまにはいいだろう?」
「仁志さんとふたりで?」
「ふたりでは不服?」
「あ、いいえ」
パーティーに誘われた時も感じたけれど、どういう風の吹き回しだろう。仁志さんはいつも忙しくしていて、私に関心の目を向けるなんて全然なかったのに。
「それならいいね。まだレストランは決めてないから、みちるの行きたいところがあれば、予約するよ」
「私が決めてもいいんですか?」
「いいよ。決まったら、教えてくれ」
そう言うと、仁志さんはテーブルにつき、香りを楽しむようにコーヒーカップを寄せて、目を細めた。
テレビをつけたら、いつものニュースはやってなくて、今日は日曜日だったと思い出した。
昨夜の出来事で、気もそぞろになっているのだろう。帰宅後、はやく眠ってしまいたかったのに、何も考えずに過ごすなんてできなくて、今の今まで、頭の中は総司さんのことでいっぱいだった。
「みちる、おはよう」
突然後ろから声がして、ビクッと肩を震わせる。ひどく驚いたように見えたのだろう、リビングに入ってきていた清貴さんが、おかしそうに笑っている。
「あっ、お、おはようございます」
「二日酔いは大丈夫?」
「はい。清貴さんも?」
「俺は案外、酔わないから」
清貴さんは得意げににやりと笑うと、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。
富山家の朝は自由だ。好きな時に起きて、好きなものを作って食べる。
買い物は任されているけれど、仁志さんはほとんど外食だし、清貴さんは私と生活スタイルが似ていて、私が食べるものを食べてくれる。今朝も、コーヒーとトースト、フルーツでじゅうぶんだろう。
「すぐにトースト焼きますね」
「ありがとう。なあ、みちる、パーティーはどうだった?」
「えっ、どうって?」
キッチンに入ると、食器棚の前に立っていた清貴さんが、コーヒーカップを手に私の目をのぞき込む。
「あわててるね。いい男でも見つかった?」
「そ、そんなことありません」
「そう? みちるを追いかけて会場を出ていく男がいたって、何人かから聞いたけど?」
「追いかけるだなんて……、少しだけ知った人がいただけです」
「へー、知った男が、あのパーティーにねぇ。誰だろう」
笑顔を貼り付けた清貴さんに見つめられたら、逃げられない。彼は昔から、彼の意に沿うよう私が動くまで、笑顔で見つめてくるのだ。
あれはもう、何十年と前の、私と清貴さんが同じ学習塾に通っていた時のこと。
清貴さんは運転手付きの車で塾に通っていたけれど、私は徒歩だった。いつかは富山家を出る私のために、贅沢を当たり前と思ってはいけないという富山夫妻の教育方針のためだった。
塾に行かせてもらえるだけでも嬉しかった私にとっては、清貴さんとの小さな差は、それこそ、ささいなことでしかなかった。
それでも、彼にとってはあわれみの対象だったのだろう。
彼はいつも、一つ目の角で、車を停めて私を待っていた。私が車に気づくと、後部座席のドアを開けさせ、笑顔を貼り付けたまま、私が乗り込むのを無言で待っていた。
彼は私に指図をしない。だけど、そうしなきゃいけないように操るのは得意だった。
兄妹のように育ったから、清貴さんが私に求めていることはなんとなくわかるし、実の妹を心配するように、私を気にかけてくれているのも知っている。
「金城さんという方です……」
小さな声で告白する。
言わない選択肢は与えられてなかった。
私が富山家に暮らす以上、かくしごとができるはずもなかった。
「金城? 金城って、あー、富山ビルに本社が入ってたな。あの、金城?」
「はい。金城マーケティングの専務だそうです。先日、仁志さんのスケジュール帳をお届けした時に困っていたら助けてくださいました」
「金城の専務ってことは、まあ、それなりの男だよな。みちるが美人だから目をつけたってとこだろう」
「金城さんとはそういうのではないんです」
「みちるがそう思ってるだけなんじゃないのか?」
他人の色恋沙汰が楽しいのか、清貴さんはにやにやする。
「金城さんと私とでは、全然つり合いません。ただご挨拶する程度の関係です」
「かたくなだなぁ。飯沼に何言われたか知らないけど、みちるは何も悪くないし、自信持っていい。好きな男に遠慮する必要ないよ」
飯沼さんが傷つけたから、私が恋愛に消極的だって、彼は思ってるみたい。
「飯沼さんは関係ないです。金城さんともわざわざお会いしたりしません」
「いい男に誘われたら、デートぐらいしてもいいんだよ」
「全部誤解ですっ」
「そんなに強く言わなくても」
あきれつつも、苦笑いする清貴さんは、コーヒーメーカーの前に移動する。いつの間にか出来上がっていたコーヒーをカップに入れ、テーブルに並べていく。
「朝からにぎやかだな。清貴、俺にもコーヒーを頼むよ」
「あ、兄さん、はやいな」
「仁志さん、おはようございます」
リビングに姿を見せた仁志さんに頭を下げる。遅くまで飲んでいたはずなのに、疲れた様子のない彼はいつもと変わらず、さわやかに微笑む。
「ああ、みちる。俺もトーストもらっていいかな」
「はい。先日、美味しそうな柿ジャムをいただいたので、仁志さんもよろしければ」
「それはいいね。そうしよう」
「すぐに焼きますね」
腕まくりする私から離れようとした仁志さんは、何か思い出したようにカウンターに近づく。
「みちる、来週の土曜日なんだけどね」
「土曜日ですか?」
食パンに包丁を入れる手を止めて、首を傾げる。
「そう、土曜日。予定ある?」
そう尋ねられて思い出すのは、総司さんのことだった。
来週の土曜日、昨日と同じ時間に同じ場所で、私を待ってると言っていた。
総司さんはひとめぼれしたと言ってくれた。私はまだ彼のことを何も知らなくて、会いたいような気もすると思ったけれど、首を横にふる。
「……ないです」
総司さんは会ってはいけない人だった。
好きになっても、すぐに忘れなきゃいけなくなる人だから、恋愛対象にしたらいけなかった。
「じゃあ、レストランで食事しないか? たまにはいいだろう?」
「仁志さんとふたりで?」
「ふたりでは不服?」
「あ、いいえ」
パーティーに誘われた時も感じたけれど、どういう風の吹き回しだろう。仁志さんはいつも忙しくしていて、私に関心の目を向けるなんて全然なかったのに。
「それならいいね。まだレストランは決めてないから、みちるの行きたいところがあれば、予約するよ」
「私が決めてもいいんですか?」
「いいよ。決まったら、教えてくれ」
そう言うと、仁志さんはテーブルにつき、香りを楽しむようにコーヒーカップを寄せて、目を細めた。
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